<終末の教会をおおう悪霊リバイバル>

ーそれは、クリスチャンの永遠の命を奪う by エレミヤ

 

 

 

 

<始めに>

このサイトの目的は、今、ペンテコステ系を始めとした多くの教会をおおう

リバイバルは聖霊というより、悪霊由来のものであることを語るものである。

聖霊に導かれれば天の御国に入るだろうが、悪霊に導かれるなら、その行き着くところは、サタンとその仲間たちの入る火の池である。

 

 

1 <「トロントブレッシングの真実」ビデオ>

 

聖霊の第3の波、トロント、ペンサコーラリバイバルは悪霊であり、ベニーヒン、ロドニーハワードなどの器は悪霊の器である、ということがこのサイトの主張である。

 

そんなばかな、と思う人もいるかもしれないが、論より証拠、以下のビデオを見ていただきたい。このビデオの中でベニーヒン、ロドニーハワードなどの「神の器」がデーモン、デーモンと悪霊を呼び出したり、「獣のしるしをつけろ」などと冒涜的なことばを語っていることが確認できる。ビデオの中では彼らの按手を受けた人がその瞬間、顔の形相が変わり、悪霊的な笑いに満たされ、影響されることも見ることができる。

 

トロントビデオ

 

2 教会に悪霊がくだる、と語ることは聖書的なことか?

 

神は愛であり、クリスチャンを愛し、教会を愛しておられるのではないのか?

それなのに、悪霊が終末の教会に下る、などということがありえるのか?

このような論調で教会に悪霊が下されるとの警告に反論する人々もいる。

このような反論は、一見もっともらしいが、しかし、そのようなことばは、聖書も神の力も知らない人が語るものである。

 

聖書は黙示録によれば、表にも裏にも文字の書かれている巻物である。

私たちがその巻物の表も裏も読み、神の書かれたみことばの御国の奥義、

やたとえを理解するなら、背教の教会に悪霊が下ると語ることはまさに聖書的なことばであることを知るようになるだろう。

 

以下の様に聖書はあらゆる箇所で、背教の教会に悪霊が下ることを

預言する。

 

2テサ 2:9 不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、

 

 2:10 また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行なわれます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。

 

 2:11 それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。

 

 2:12 それは、真理を信じないで、悪を喜んでいたすべての者が、さばかれるためです。

 

この箇所には神が悪魔の働きを許し、「真理への愛を受け入れなかった」

 

人々が裁かれることが描かれている。

であるので、艱難前などの偽りを好み、真理を受け入れなかった人々は、

「しるし、不思議がそれに伴う」、悪霊のリバイバルの霊にだまされるようになるのです。

 

 

マタイ24:24 にせキリスト、にせ預言者たちが現われて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。

 

ここでは、終末の日ににせキリスト、にせ預言者の出現が許され、その起こすしるしや不思議により、すなわち、リバイバル集会で行われるいやしや不思議を通して、選民、神に選ばれた12弟子のように正しい歩みをする人々さえ惑わそうとすることが書かれています。

 

黙示録16:13 また、私は竜の口と、獣の口と、にせ預言者の口とから、かえるのような汚れた霊どもが三つ出て来るのを見た。

 

 16:14 彼らはしるしを行なう悪霊どもの霊である。彼らは全世界の王たちのところに出て行く。万物の支配者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集めるためである。

 

ここでは、しるしを行う悪霊すなわち、リバイバル集会の中で不思議なしるしを行う悪霊が全世界の王すなわち、全キリスト教会のリーダーたちに働きかけ、神に逆らう戦いに入るよう画策することが描かれている。

 

 黙示録18:2 彼は力強い声で叫んで言った。「倒れた。大バビロンが倒れた。そして、悪霊の住まい、あらゆる汚れた霊どもの巣くつ、あらゆる汚れた、憎むべき鳥どもの巣くつとなった。

 

 

背教の教会、バビロンが悪霊の巣窟となり、人々を惑わすために用いられることが描かれている。

 

 

このように聖書は背教化した教会に悪霊のしるしや不思議が起こることを前もって、語っている。

 

そういう意味では今の時代、悪霊のリバイバルが教会に起きると、しても

それは、前もって語られたことであることがわかる。そして、もうひとつ、

今はもうかねてから、預言された世の終わりであり、我々はもう教会が背教する時代に入っており、神の怒りをかう時代に入っていることを知るのである。

 

 

 

 

 

3 このリバイバル運動の具体的な問題、教理

 

 

以下このリバイバル運動に関する記事を紹介する。

 

<ペンサコーラリバイバルの嘘>

 

 

木はその実によって知られるという。リバイバル運動もその起きる実によって、それが神からの霊かどうか知られるのではないか。

以下はリバイバルが起きたというペンサコーラの新聞社、ペンサコーラジャーナルの記事である。彼らはこのリバイバルを取材して多くの嘘、偽りを発見した。

 

<アズサストリートリバイバル;それは悪霊の働きのはじめである>

 

(無知な)ペンテコステ、カリスマ派が誇りを持って語る、20世紀はじめのリバイバル運動、アズサストリートリバイバルとは、数々の悪霊の働きに満ちた怪しいリバイバルである。 

 

<聖霊の第3の波の怪しい教理、働き>

 

しるしと不思議を異常に強調し、みことばより、幻、預言、夢を強調し、

検証不可能ないやしを宣伝する怪しいリバイバル運動。

 

後の雨運動の主要な教理の紹介:

 

以下、後の雨運動の主要な教理の紹介をしたい。

ピーターワグナーの提唱する聖霊の第3の波とは、1950年ころ、ペンテコステ派の間に広がり、拒絶された「後の雨運動」の焼きなおし、再現である。

 

<王国は今>

キリストの失った支配を取り戻す、との名目で圧倒的な権威と支配を

怪しい使徒、預言者は要求する

 

<ヨエルの軍隊>

再臨のキリストの敵を滅ぼす、というヨエルの軍隊の欺瞞。

 

<ヨエルの軍隊とは>

 

 

<後の雨の教え>

後の雨の教えの非聖書的な教理

 

 

<ペンテコステ運動の中の怪しい器>

オーラルロバーツ、モーリスセルロ、ジョンウインバーなどの怪しい器に

ついて見ていく。 

 

 

<ラインハルトボンケの怪しい復活話>

ドイツの器、ラインハルトボンケにより、死人が復活したというが、

その実態はただただ怪しい。 

 

 

<悪霊の教義>

後の雨運動、聖霊の第3の波で語られている教理は悪霊の教義である。

 

 

<後の雨運動の用語集>

後の雨運動、聖霊の第3の波は、彼ら独特の特殊な用語を使う。

これらは、聖書を引き合いに出し、かつ彼らが達成しようとする悪魔的な

教会支配を論理付ける悪霊の教理である。何の吟味もない愚かなペンテコステ、カリスマ派は、盲目的にこれらの用語、教理をうのみにし、悪霊支配の片棒をかついでいる。

 

<セルチャーチのわな>

 

セルチャーチ運動には隠れた目的がある。それは、

すべての教会の中に、入り込み教会のクリスチャンを、(悪霊的な)使徒、預言者の権威の下に取り込もうとする悪霊的な戦略である。

 

<セルチャーチのわな その2>

 

<セルチャーチのわな その3>

 

 

 

<門衛:ゲートキーパーの教え>

ゲートキーパーとは聖霊の第3の波の教理の中で用いられる特殊な用語。

天の門を開く特殊な役割を与えられた奉仕者がゲートキーパーであると説く。そしてそのゲートキーパーとは、ピーターワグナーをはじめとするインチキ使徒、預言者のことだと続く。うさんくさい彼らを聖書を元に権威ずけようとするインチキな教えである。

 

 

<後の雨運動の終末のシナリオ>

彼らは聖書の終末に関する記事を勝手に書きかえ、

終わりの時とは自分たち使徒、預言者に逆らう敵を倒し、滅ぼすときである

と定める。まさに悪霊の教えである。 

 

<顕現された息子:Manifesto Son>

顕現された息子とは聖霊の第3の波の中で語られる教理。

黙示録12:13のみことばを元にキリストの再臨の前に顕現された息子ということばで表される特別なエリートの働き人が現れると説く。彼らは再臨の前に地上を純化する神の様な力、権力を持つ存在であり、反対者を滅ぼす。その反対者とはこの悪霊教理や悪霊リバイバルに従わない正しいクリスチャンのことである。

 

 

<竜を抹殺せよ>

反対者の削除、抹殺を声高に叫ぶ悪霊リバイバル運動の

異常。 

 

<悪霊の戦略>

聖霊の第3の波のピーターワグナーらは、

周到な計画のもとに全世界の教会を悪霊的な使徒の支配下に置くべく

画策している。  

 

<終末の背教教理>

(聖書の教えと異なり)地上の神の国を追求し、使徒の権威を異常に

強調する聖霊の第3の波のおかしな終末教理。 

 

<グローバルネットワーク>

聖霊の第3の波の運動は、全世界の教会を使徒の支配化に置き、

監督、支配するためのグローバルネットワークを作るべく画策している。

 

<世界祈祷センター>

 

霊の戦いという概念を教会に持ち込み、世界中の教会に影響を与えた

ピーターワグナーは、世界祈祷センターを設立し、世界中の教会を所属させ、情報を得るべく画策している。

 

 

4 悪霊リバイバル運動の歴史:

 

現在、アメリカを起点にして起きているリバイバル運動、笑いのリバイバル、霊で倒すこと、5職の回復などの教えは、みな、

悪霊的なものである。このリバイバル運動の簡単な歴史をしるす。

 

<アズサストリートリバイバル>

 

ロサンゼルスで有名なアズサストリートの働きを設立した男は、黒人の伝道者ウィリアム セイモールであった。このリバイバルはとても神の霊によるものとは思えず、混乱と異常な現象に満ちていた。

取材したタイムスの記者はこう語る。

 

礼拝は、多くの混乱によって特徴づけられていた:
持ち上がる事、異言、霊で倒されること、踊ること、跳び上がること、ひっくりかえること、トランス状態になる、ヒステリー、奇妙な雑音、聖なる笑い。 ある訪問客は、集会を「野蛮なヒステリーのデモンストレーション」と評した。 求める者は、ある「奇妙なスペルに捕らえられ、意味不明な音をたて始める」。 タイムスの記者は、参加者が「彼らの変な熱意を通して、気が狂った興奮の状態に入り込もうとしている」点に注意した。”

 

 

 

<後の雨運動>

1940年代以降、アメリカで「後の雨運動」が起こる。

その教理は実はニューエイジと多くの類似点がある。ニューエイジは、

クリスチャンの抹殺を語るが、この後の雨運動も反対者の抹殺を語る。

以下引用

私たちはすでに1940年代、50年代の「後の雨」思考と、その後の(あまり知られていない)ニューエイジ思考との類似点を見てきました。私達はさらに衝撃的で驚くべき類似を見ることになります。
 (それは)この前もって設定された指令に沿うことを拒む人々を地上から消し去り、或いは、一掃することです。これは、どちらにおいても「清掃行動」と呼ばれています。チャールス・シンプソン(以前の、牧者/弟子時代の5つの砦の一人)の著作では「清掃」を癌の細胞の切除に譬えています。 ”

 

当時のペンテコステ派はこの運動を異端として拒否した。

 

<聖霊の第3の波運動>

「聖霊の第3の波」は、アルゼンチン・リバイバルの研究者、教会成長の研究者ピーターワグナーが提示したものである。

彼は20世紀初頭のペンテコステ派リバイバルを聖霊の第一の波、
  ロサンゼルス・ヴァンナイズの聖公会聖マルコ教会司祭デニス・
ベネットの「異言を伴う聖霊のバプテスマ」から始まるカリスマ運動を聖霊の第2の波、
また1980年頃、起きた福音派に向けたリバイバルを聖霊の第3の波と称する。

しかし実際はそうではない。「聖霊の第3の波」、トロント、ペンサコーラリバイバル等の運動で用いられている教理は、アメリカで1950年代頃、ペンテコステ系の教会で起きた「後の雨運動」で提唱されたものである。この「後の雨運動」の教理は、伝統的な教理と比較して余りにも異質、過激なので、当時のペンテコステ各派により、拒絶された。
これらの異端教理は「聖霊の第3の波」の中で再び再現されている。

聖霊の第3の波、後の雨運動で提唱されている教え、教理は以下のとおり。

*教会の頭としての使徒と預言者の働きの回復。その権威の下に牧師、教師、伝道者等のあらゆる 教会員はつくべきである。 (エペソ書の5職の復活)

*全ての超自然的な聖霊によるたまものの復活。特に預言者と預言に強調点がある。
  預言とは、預言者(男女)の口を通して、神の心が直接啓示されたことば。
(預言のたまものの復活)

*女性も教会の権威において、等しい役割が与えられている。

  *クリスチャンから悪霊を追い出す。

*ダビデの幕屋の物質的な回復。主の前における継続的な預言的賛美。

 *教会により世界が支配される。(統治主義:Dominionism)

*顕現した神の子達といわれる挙げられた信仰者により、肉体的死が敗北する。
(Manifesto son)

  *みからだの一致、そして全ての教会が使徒や預言者の権威の下につく。
(エキュメニカル運動)

 

<結論>

これらの歴史や霊的な現状を見て、我々は今アメリカを基点におきている、リバイバル運動に対して、以下の様な 結論を持つ。

1)    その霊は聖霊ではない。むしろ、悪霊の性格が顕著にあるおかしな霊のリバイバルである。

2)    このリバイバルには確かに顕著なしるしや不思議がともなう。しかし、それは、かねてから、聖書が「にせキリスト、にせ預言者たちが現われて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。」マタイ24:24 と警告していたしるしや不思議である。

3)この不思議やしるしを伴う使徒や預言者は教会を支配し、自分たちに服従させようとして、聖書をもとにあらゆるみことばを捻じ曲げて自分たちを教会の支配者に置くよう、要求している。

 

エペソ5職の回復、統治主義、王国は今、顕現された息子などの教理はみな、その意図でつくられた悪霊の教理である。

 

4)彼らの究極の目標は、悪霊に導かれた 使徒、預言者を全教会のトップにつけるべく要求すること、そして彼らが権威を持ったあかつきには、彼らに反対するものを抹殺、粛清することである。まさにサタン、反キリストの支配を目指すものである。

 

5)これらの異端的な教理、霊に対して、正しいクリスチャンはどう対応するべきか?考えるまでもなく、答えはひとつしかない、主につく目の見えるクリスチャンは、これらの霊を悪霊として、糾弾し、これらの悪霊教理を異端教理であるとして、戦いを挑むことである。我々はこの戦いを20年も前から行っている。

 

 

5 <悪霊の大洪水は全世界をおおう>

 

これらの悪霊リバイバルをわれわれはどう理解すべきなのか?

おかしな運動として放置しておくべきことなのか?

 

驚くべきことであるが、聖書はこの悪霊リバイバルがいずれ、全世界の教会をおおうようになることを預言する。

たとえば以下の箇所である。

 

ダニエル 9:26 その六十二週の後、油そそがれた者は断たれ、彼には何も残らない。やがて来たるべき君主の民が町と聖所を破壊する。その終わりには洪水が起こり、その終わりまで戦いが続いて、荒廃が定められている。

 

この70週の預言の中では、メシヤ、油注がれたもの、キリストを殺害した背教の民に対して、その終わりには洪水が起きることが描かれている。洪水は水があふれることだが、水は霊的なことに関するたとえ。キリストを信じるものにはその腹から生ける水が川がわになって流れる」とある。しかし、この洪水は聖霊でなく、人々を滅ぼす水、悪霊。これは、悪霊の洪水を預言するものである。

 

悪霊に惑わされた民は自ら、ローマに反抗し、結果、自滅するように滅ぼされた。同じことが終末の日、背教の教会にも再現することが予想できる。

 

ルカ 17:26 人の子の日に起こることは、ちょうど、ノアの日に起こったことと同様です。

 

 17:27 ノアが箱舟にはいるその日まで、人々は、食べたり、飲んだり、めとったり、とついだりしていたが、洪水が来て、すべての人を滅ぼしてしまいました。

 

 17:28 また、ロトの時代にあったことと同様です。人々は食べたり、飲んだり、売ったり、買ったり、植えたり、建てたりしていたが、

 

 17:29 ロトがソドムから出て行くと、その日に、火と硫黄が天から降って、すべての人を滅ぼしてしまいました。

 

 17:30 人の子の現われる日にも、全くそのとおりです。

 

主は、終わりのときは、ノアのとき、ロトのときのようであることを語られt。

 

ノアのとき、人々は水の洪水で滅び、ロトのとき、人々は火により滅びた。

 

水も火も霊的な事柄のたとえである。「聖霊と火のバプテスマ」と書かれているように、霊的なことは火でたとえられる。

すなわち、ノア、ロトのよう、とは、終末の日、背教のクリスチャンは、

悪霊の洪水、悪霊の火により、滅ぼされることが預言されているのである。

 

創世記  6:3 そこで、主は、「わたしの霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢は、百二十年にしよう。」と仰せられた。

 

ここでは、たとえをもって神の霊すなわち、聖霊は肉的な人々の間には永久にはすまない、むしろ悪霊の洪水で滅びることが預言されている。

 

創世記 6:17 わたしは今、いのちの息あるすべての肉なるものを、天の下から滅ぼすために、地上の大水、大洪水を起こそうとしている。地上のすべてのものは死に絶えなければならない。

 

ここでは、いのちの息、すなわち、聖霊を持ちながら、なおかつ肉的な歩みをする人々を悪霊の洪水で滅ぼそうとすることがたとえで預言されている。

 

創世記 7:11 ノアの生涯の六百年目の第二の月の十七日、その日に、巨大な大いなる水の源が、ことごとく張り裂け、天の水門が開かれた。

 

ここでは、定められたとき、天の水門が開かれ、大洪水があふれることが描かれている。その理由は人々の悪が増大し、彼らが道を曲げていたからである。

同じように、世の終わり、正しい道を曲げる背教の教会に対して定まったときに、悪霊の洪水が起きることが想像できる。

 

 

6  <<このリバイバルはクリスチャンに悪霊の印を押し、聖霊を奪う>>

 

後の雨運動、聖霊の第3の波は明らかに神の聖霊によるものではなく、

悪霊からのものである。

 

聖霊によろうと悪霊によろうといやしや奇跡が起きればそれでよい、という意見もあるかもしれないが、そういうものではない。

我々が惑わされて悪霊を受け悪霊のしるしや不思議を追い求めていくとき、

永遠にかかわる大きな問題に入っていく。

問題?それは永遠の命に関することである。

端的にいえば、悪霊の印を受け、悪霊のしるしや不思議を追い求めていく

人は結果として聖霊を失い、永遠の命をうしなうようになる。

 

終わりの日の惑わされたクリスチャンは聖霊を失い、

結果としてキリストの花嫁の地位を失い、永遠の命を失い、滅びることを

語る聖書箇所はいくつか存在する。

 

<賢い乙女、愚かな乙女>

マタイ25:3 愚かな娘たちは、ともしびは持っていたが、油を用意しておかなかった。

 

 25:4 賢い娘たちは、自分のともしびといっしょに、入れ物に油を入れて持っていた。

 

なぜキリストの花嫁をめざすクリスチャンが油、聖霊を持っていなかったのだろうか?クリスチャンと名がつけば、当然聖霊をもっているはずではないのか?

その答えはこの愚かな花嫁は悪霊のリバイバルのしるしと不思議を追い求め、結果、悪霊のしるしを受け、そのために聖霊を追い出し、油を持たない乙女となっていたからであると理解できる。

 

悪霊のリバイバルを追い求めるその報いは大きく、肝心のキリストの再臨のとき、聖霊の油を持たない乙女となり、キリストとは無関係、花婿から知らないといわれてしまう。

 

<7年の契約>

 

ダニエル9:27 彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。荒らす忌むべき者が翼に現われる。ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる。」

 

ここでは、反キリストが1週すなわち7年の間、多くのものすなわち、多くのクリスチャンと固い契約を結ぶことが描かれている。この契約とのことばはアブラハムが神と結んだ契約と同じことばであり、すなわち、永遠の命に関する契約である。

 

そして、この7年の艱難時代、背教の時代の中で反キリストから悪霊の印を受け、契約を結んだものは結果としてキリストとの契約を破棄し、永遠の命を失うことになる。

 

以下の聖餐式で用いられる聖書箇所の中でも契約ということばが使われている。

 

1コリ11:25 夕食の後、杯をも同じようにして言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行ないなさい。」

 

聖餐式のぶどう酒はキリストの血、すなわち、聖霊を象徴している。

そして、聖霊こそが我々が神と結んだ契約のしるしであり、我々が天の御国に入る堅いしるしである。しかし、反キリストから悪霊を受け、そのしるしを受けるものは結果として、聖霊との契約を破り、破棄することになる。

 

<エジプト化した教会を悪霊がおおう>

 

黙示録は終末の日の背教化した教会がソドム、エジプト化することを預言する。

 

黙示録11:8 彼らの死体は、霊的な理解ではソドムやエジプトと呼ばれる大きな都の大通りにさらされる。彼らの主もその都で十字架につけられたのである。

 

 

すなわち、背教化した教会がソドム化、すなわち同性愛を受け入れること、さらにエジプト化、すなわちこの世につくことを預言するのである。

 

教会がエジプト化するとき、かつての日、出エジプトのとき、エジプトを襲った10の災いが再現するようになる。

 

10の災い?出エジプトを読む限り、これらのエジプトを襲った災いの多くは霊的なもの、悪霊的なものである。

 

ナイル川が 血に変わったことは聖霊の働きが悪霊の働きに変わったと理解できるし、蛙、ぶよ、あぶ(蝿)、雹はみな、悪霊の災いをたとえたものである。ここでも聖書は終末の日の背教の教会が悪霊の災いにあうことを預言している。

 

<洪水はすべてを滅ぼす>

創世記、ノアの記述は命の息、すなわち聖霊を持ち、なおかつ肉にあるものは、みな滅ぼされたことが描かれている。この記述は終末の日に再現し、聖霊を持ち、かつ肉的な歩みをしている人々は悪霊の洪水の中で命を失う。

 

 

<富んでいるといいながら、実はみじめなもの>

 

ラオデキヤの教会に関して主はこのように語った;

 

黙示録3:17 あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。

 

私の理解ではこのラオデキヤの教会はキリストを家の外に追い出し、悪霊を内に迎え入れている教会である。そして自分たちは悪霊の賜物で満足し、「自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もない」といっているのである。目に見えるいやしや奇跡や、たまものですっかり有頂天になっているのである。しかし、それは悪霊のわざである。

 

その教会への主の叱責は、「自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者」ということである。主の血のあがないを失ったみじめなもの、あわれなもの、聖霊の富を失った貧しいもの、また聖霊も悪霊の区別もつかない盲目なもの、そして肝心な義の衣を失い、永遠の命を失い、裸の恥をさらけ出す、裸のものであると語るのである。

 

今のペンテコステ系の教会が追い求めている悪霊リバイバルによる祝福や恵みとは神の前に価値がなく、あがないをも失うものであることをしるべきである。

 

7 <我々はこのリバイバル運動に対してどう対応するべきか?>

 

今まで見てきたようにこの悪霊の洪水が来ることは実は聖書の中でかねてから預言されていたことでもある。そしてそのときが今来つつあり、我々は洪水の日を目前にしている。恐れを持ち、神を恐れ自分の救いを全うするべきである。

 

 

8 <<ペンテコステ、カリスマ派の責任>>

 

聖霊の第3の波、悪霊のリバイバルはこの日本においても広がっている。

このことに関してペンテコステ、カリスマ派には責任があるのではないのか。かつて1950年代に後の雨運動が広がったとき、ペンテコステ派は、この運動を拒絶した。しかし、再度ピーターワグナーが同じ教え、同じ霊を聖霊の第3の波として、外側の包装紙のみ代えて、持参したとき、これを受け入れた。それは正しいことなのか?犬はその吐いたものに戻る、ということわざどおりのことを行ったのではないのか?吟味もなく、霊のみわけもなく、使徒ごっこ、預言者ごっこに参加して、悪霊運動の片棒をかつぐべきではない。