<恐るべきヨエルの軍隊>

ヨエルの軍隊とは、ヨエル書に記された「くいつくすいなご」の様な軍隊。後の雨運動、聖霊の第三の波の教理の中で語られている。教会内のあらゆる「敵」を滅ぼし尽くす。
 

*教会の敵は「ヨエルの軍隊」により滅ぼされる!!

 いわゆる「教会の敵」と呼ばれているもの(彼等が誰をさすのかは、一致や収穫に参画することを拒絶する人という点を見れば、かなり明白)は、うち負かされ神の国は確立されます。天幕は霊的には喜び、楽しみの収穫祝宴とも理解されます。笑いがその始まりの兆候ということです。それは、目に見えない、霊的キリストの来臨が彼の共同体に宿ることと見なされます。

 これは、キリストが各々のクリスチャンに宿られたペンテコステの時とは合致しません。この、キリストが彼の共同体に宿るために来られるということは、今日「新たな真理」と表現されます。(これら新たな真理は、最近爆発的に起こされている「しるし」「不思議」「個人預言」そして「黙示的知識」など、数え切れないほどであり、それらによって顕わされている)この高レベルの油注ぎが達成されているので、教会はほどなくしてこの地を受け継ぎ、鉄の杖で国々を支配するようになるでしょう。

  新しい品種の教え

 これは、証明された神の子達によって教えられたことで、新たな品種が特に終末の教会のために起こされる、という教え。西暦2000年が近づいた頃、この教えは、とりわけ勢いづき、興奮状態へと到達していきました。幻と黙示が聖書と同列に位置づけられました。この「より高く、より深い」神の知恵に達するためにと、この計画が実行される中であらゆる批判的役割を演じ、それは霊的重要性が、ほとんどいかなる結果にも結びつけられます。

*「第三の波」に協力しない反対者を攻撃する「ヨエルの軍隊」

 霊性のレベル向上は、これら「油注がれた者達」の認識を引き起こし、彼らは今なお切望しつつ共に集まっていますが、その時が来ると、彼らの出現の期待の時、「ヨエル軍団」と呼ばれるクリスチャンのえり抜き部隊として登場するのです。(聖書の記述によれば、かの有名な「いなごの軍団」であるにもかかわらず…)

 「ヨエルの軍団」は、征服しがたいものと考えられます。この新しい教えを受けない者は、「古い世代」となり、その人たちは約束の地に入ってそれを所有できないのです。実際、この新しい油注がれた「ヨエルの軍団」が、神の敵を裁く権能を持ち、そして悔い改めることを拒否し、この新しい事柄に加わらない全ての人々を滅ぼすことによって、彼の教会を清める、と彼らは信じていたし、今も教え続けています。
 ある変更がありました。正直な疑問が挙がった時、そこにしばしば、敵対や好戦的な反動があったのです。人々は、様々な異なる視点に目を向けようとせず、結論を引き出すでしょう。 反対意見を挙げる人は外の淵に追いやられ、それらの人々は恐るべき疫病や癌のようにみなされるのです。
 

*これらの「第三の波」が取り入れている「反対者抹殺」思想はニューエージ思考から来ている

 1940年代と50年代からの「後の雨」思考と、その後の(あまり知られていない)ニューエイジ思考との類似点を私たちはすでに見てきました。ここで、さらに衝撃的で驚くべき類似を見ることになります。
 この設定された指令に沿うことを拒む人々を
地上から消し去り、或いは、一掃する計画です。これは、「清掃行動」とも呼ばれています。チャールス・シンプソンの書いた中では、(以前、牧者/弟子時代の5つの砦の一つ)「清掃」を癌の細胞を切除することに譬えています。

 「われわれは、神が任命した構造を発見し認識することによって、創造の中で完全に向かって働かなければなりません。物質、社会、そして霊的世界は測定的様式で創造され、相互に依存し合って造られました。
 内的健全さや安全保証の構造は、より大きな構造と調和し、相互に関係づけられます...もし、内的に健全であるなら、より大きな構造体の目的成就をその中にあって追求するのが自然です。この動機は直感的であって、すべての健全な下部構造の内にあるものです。それは、われわれの遺伝子コードに書かれています。健全な個人は、家族との関係を追求し、健全な家族は教会との関係を…健全な教会は社会との…健全な社会は国との関係を追究します。各個教会はより大きな範囲での教会或いは神の国との関係を追求するものです。健全な国家は健全で相互に有益な国家間相互関係を形成するでしょう。
 この原理は自然の法則であり、天与の法則であると私は固く信じます。健全な構造というものは、その外側自体を表現し実現することを追い求めるものであります。全ての物質生活、すべての霊的生活、すべての社会生活が、もし適切に役割を果たし働いているなら、より大きな構造の中にあっての実現を目指すものであると。

  統合することの過ち

 より大きな構造に統合することの過ちのしるしは、孤立分離に向かって行く傾向であります。それゆえに、不健康な状態や不調を見せることになります。状態は多くの方法でそれ自体を描写します。派閥、恐れ、疑い、罪責感、自己中心。もし、一つの細胞が、自分がその一部であるところの生理学上の構造から離れたり、拒んでしまったら、またもし、ある家族が、自分たちの生活圏から離れたり、拒んだりしたら…、拒絶は、不健康な状態の兆候であり、ある種の不調を顕わしています。

 私がお話ししているところの「癌」とは、生物学的実例です。癌にかかった細胞は生き続けようとします。しかし、その細胞は他の細胞と統合関係にはいることを拒みます。それらは全体と調和して働きません。それは、体から命を吸い取り、繁殖し、他者と統合関係しようとしません。」

「統合、一致は新しいぶどう酒から始まる」から
チャールズ・シンプソン 1983年6月
ニューエイジ・モニターで再版 1988年7月

 


 

チャールズ・シンプソン

*伝染病、すなわち、彼等「クリスチャン」は除去(殺りく)しなければならない!!

 ニューエイジ預言者たちは、人類は歴史上重要な時期に来ている、と主張します。それは、不思議な「しるし」や「業」が平凡となるような時代で、彼らは、これらの不思議は「不健康な要素」の除去が起こるところにおいてのみ、真実に現れる、と言います。

 「新しい人類の胎児はすでに、時代の母胎の中で胎動を始めている。あたかも人間の母親のように、人間は、無駄な物質と毒とを清掃して除去することを学ばなければならず、胎児に適切な養育を施さなければ、その子供と母親はもろとも危険にさらされるでしょう。これが現在の過渡的状態における働きです。」(F・ホーマー・カーチス&ハリエット・カーチスによる「来たるべき世界の変化」)

 Djwhal Khul(アリス・ベイリがチャネリングした、実在するニューエイジャ)は、キリスト者を、人類における「危険な病的汚点」である、とも見なしています。

 「恐るべき連鎖球菌と伝染病は、人間の体の中の感染した部分で感じられることによって、その存在を現します。別の外科の手術が必要となるかも知れません。感染を散らしたり、発熱を避けるためにに。絶対に忘れないでおいていただきたいことは、命の形状というものは、不適当であったり、あまりに病的であったり、あまりに不自由であったりする場合でも、−それは、階級制度という点からの視点ですが−その形状で生き続けるなら災いではありません。」
(アリス・ベイリー、ニューエイジの教育、ニューヨーク:ルシス出版会社 1954年)

 ニューエイジは、世界的覚醒の出現に先立って、流血の時期を予期しています。これが起きる必然性は何かといえば、宇宙的覚醒に向かって全被造物と共に働くことのできない人々を取り除く、慈悲深き除去なのです。
 「この出来事はわれわれ人類の次なる進化への入口であり、地球の進歩であるのです。これが、「憐れみ」と呼ばれる理由は、最善がそこから導き出される故であり、彼らが、来たる新しい時代に入るのに適さないからです。彼らはただ、よりハイレベルに進化した人々を引き戻すことしかしないので、
他の全ての人々のための利益のために、殺されなければならないからです。
 

* 他のニューエイジヤー、ジェレミー・リフキンも同様の呼び掛けをする

 ジェレミー・リフキンという、ニューエイジの著者は、同様の呼びかけをしています。

均質化パラダイムは大鎌を備え、それは死につながれた文化の、もつれた破片を切るために十分に研ぎすまされ、また新たな時代の夜明けに向かって道ぞなえをするために十分広い刃渡りがなければなりません。どのように為されるかは、機械的世界観の最後の痕跡の残りを清め去った後に、その詳細が分かるのです。
 われわれ自身の回心は、この事業の最初の仕事です。古い思考や態度を永遠に横に投げ捨てたときにのみ、そしてわれわれ自身に新しい効率世界観を身に付けた時、前進し、われわれの文化を作り直す準備ができた時です。この新しい時代の秩序は科学、教育界、宗教界では革命と共に始まらなければならないのです。」

(「均質化:新しい世界観」バンタム出版、ニューヨーク1981年「計画された欺き」の中で引用。「ニューエイジ救世主」コンスタンス・E・クンベイ)
 

*殺りくはある、なければならない!!

 「後の雨」思考に匹敵するもので、すでに述べられた「終末の軍隊」は、裁く権威を持ち、神聖な彼らとの合流をする気のない人々から、教会を清める権威を持っているのです。今日いわゆる預言的声と呼ばれている人々のことが噂されており、彼らは殺戮があるであろう、なければならない、と明言しており、その理由は文字通りには、亀裂を起こす考え(彼らの教義)に黙って従うことを拒んだ人々がいるからです。古い秩序は過ぎゆき、新しい秩序が、天与の命令を実現できるからです。