悪霊の教義:(聖霊の第3の波の教理は悪霊からのもの)

 

 
 
 
 

以下はイギリスの警告者クリスチャン:トリシア・チリン女史による記事。
彼女は、現在世界に広がっている後の雨運動(第3の波)教理は悪霊的なものであることを
詳細な研究をもって警告しています。
 

終わりの時代の封印と栄光 - トリシア・チリンによる研究記事   バルク訳

悪霊の教義 パート1

「しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人
たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。」(第Tテモテ4:1)

内容 ・要約と紹介 
・「後の雨」と回復計画の概観 
・主要点 ・フランクリン・ホールとその金粉
 ・来るべき栄光 
・ジェイムス・マッキーバーとマルコ 
・栄光までの予定表 
・印の外観 
・どのような形態でそれは起こるのか? 
・重要な質問
 
 

あの有名な刺激的なことばを含む演説をご存知でしょう。「私は夢を持っている」(マーチン・ルーター・キングであったと確信していますが)確信していますが)さてこの記事を書き始めるに当たり、「私は悪夢を見ている」とでも言いたい気がするのです。知ってのとおり、神は私の手(比喩的に)を取り、私を歴史のスクリーンに導きました、私達が見たことは、悪霊がエデンの園以来、地球上で引き起こしたすべての異端の絶頂でした。 私が数年に亘って論じてきた事、書いてきたこと、語ってきたことが、私の心に一度にやって来て、爆発したかのように思われました!そして、それはすべて道理にかなっていました。なんと恐ろしく、ひどい「悟り」だったことか。

私は、計画されている事柄について皆さんに手紙を書き、警告する必要があると思います。神は、ご自分の民たちに、盲目的に歩き、危険の中に気づかないことなど許しません。私達は置かれている罠を防ぐことができないとしても、神は、それがどこにあるのかを私達に示します、そして愚かな人々だけがそこに進んで行って、不注意にもそれらの罠の中に迷い込むことを私たちに見せてくれます。要約影が投げかけられています何年もの間、ニューエイジ信奉者は、公然と、「影が投げかけられること」が起こるであろうと教えました。

これは、彼らが世界教師またはマイトレーヤと呼ぶ人と関係があることです。しかし、より微妙で、惑わす霊的な影を投げかけが、背教した教会の中で起こるであろうといいます。彼らはそれを、聖霊の力づけと満たしであると信じていますが、実際は、欺きの霊の主要な新しい侵略となるでしょう。ヨエルの軍隊油注がれた者が、主のために「強力な軍隊」に鍛え上げられることになっている、という確信で燃やされて成長する交戦状態が教会にあります。

彼らはそれをヨエル書の中に間違えて見出します。(ヨエルの軍隊は裁きを実行することになっていますが)「反抗者」への裁きに関する話は預言的なリバイバルサイトにおいてはお決まりの筋書きです。使徒と預言者私達は、(キリストの)「からだ」を啓発し、それを十分満たし統一体へと至らすために世の終わりの日々に使徒と預言者を起こす必要を耳にしています。

私達が、かつて言葉の意味を理解した限りにおいて、これらの終末期に起きる使徒と預言者とは決して単純な意味でのな教会指導者ではあり得ません。彼らは、(主の)からだの上に支配権を及ぼすキリスト御自身として動く権限を探っているのです。3日目私のこのサイト上の記事の「新しいことがら」という関連記事を読まれたなら、私が霊的「3日目」または「3番目の時代」の概念について話したことを思い出していただきたい。

このアイデアは「息子であるグループ」(Sonship)に深く根ざした思想ですが、リバイバリストたちの間に現在広まっています。3日目とは啓示の知識によって特徴付けられる霊的ニューエイジのことです。書かれた言葉(訳注:聖書のこと)は霊界との直接的な通信に取って代わられます。栄光の雲また、私がこの惑星にイエス・キリストの肉体的な再臨の前(またはその代わり)に霊的「到来」の可能性について書いたことを覚えていていただきたいのです。
 

これはシェキナの「栄光」として現在たぶん世界中の教会という教会に現れているのが見られます。結局、その栄光は地球の上の顕現されたキリストとして彼の民と恒久的に住むと信じられています。落ちてくる金粉はこの栄光の可視的顕現だということです。神の印より最近で、しかも悪夢と関連されたものは、明らかなしるし、印「マーク」が、自分たちが、新秩序の「油注がれた勝利者達」であると信じる人々のからだ(額?)の上に出現しているという可能性です。

代わりに、額の上に霊的印ないしマークを受け取った信者の選ばれた者たちには、それに加えようとする強いプレッシャーがあるかもしれません。このすべては後の記事の中で説明されますが、今のところ、私はただ、この最も危険で、不敬なしるしは、何としてでも避けなければならないと言いたいのです!この記事を書くことについての問題は、私は、多くの人々が、疑惑を抱きつつ頭を掻きながら「彼女は今回本当におかしくなっている」と言うであろうと察知していることです。教会が異端のそのような深い穴に落ちているという考えを、私自身、信じることが難しいと分かっています。しかし、トロント・ブレッシングが最初に出現した時に、私はそのように感じていました。

そして、私は、あまりにも遠くまで行った(言い過ぎた)と心配していましたが、私が言ったすべてが現実となっており、いえそれ以上となってきているのです!主はその時に、このように言われているようでした:「あなたの記事を手控えないように。あなたの語ることは乱暴すぎて、決して起こることはないのだとあなたは思っています。それは起こるであろうのみか、彼らは、さらに遙か遠くまで進んで行くでしょう。彼らは、決して心に思い浮かぶことがかった事さえするでしょう…」

さて、私は同じように感じています。従って、これが、遅すぎることになる前にあなたに警告する私の唯一の機会であるかもしれないので、私はためらうことができません。後の雨/息子であること(Sonship)、はその種でした。この狂った状態以前の頃に戻るべく、時間があるときに本を調べて読んだ時、主は私に後の雨教義に関する基礎的な知識を与えられました。(この情報を知っておられる主は、私が後で会う他の人々が同じ事をしており、私達がすべて、同じ方向へと聖霊によって導かれていたことを、私はその時ほとんど知りませんでした - その方向とは、これらの異教の息子(Sonship)教義が終わりの時代において教会に戻って来、教会を引き継ぐであろうことを見ることでした。

カンザスシティ預言者が出現した時、息子であること(Sonship)、
後の雨の教理は90年代初期に活発になり、トロントブレッシングの発生で1994年にはさらにより重要になりました。当時、ほとんど誰も、これらのイベントがその時「息子であること」(Sonship)の予定表の一部であったなどとは理解できませんでした。しかしながら:さて、トロントブレッシングについて書くほとんど誰もが、後の雨教義についての前提とリバイバルムーブメントの上に自分たちの基礎的な影響を持っています!

さて、「息子であること」教義はリバイバルの重要な部分として公然と教えられて、トロント運動を学ぶ誰もが、後の雨データを受け入れ認めます。さて、以前、彼らはそのリバイバルの中にあるすべての知識と関与を一切否定したのに対し、今やリーダー達は、彼らの「息子であること教義」への愛着を仮装・粉飾させようとさえしません。彼らの正直さには、もうたくさんです!

「後の雨」教義は教会の今日の異端の中心となりました。サタンが1940年代にすることができず、彼が今日なし得たことは - 数千人の信者の思考を変更し、聖書の読み方のまったく新しい方法をスタートさせたことです。しかし、それらの異端の根は1940年より遙か遠くにまで戻れます - もっともっとさらに後ろへと…。より早い世紀には、それが教会によっていつも異端と認定されて、拒絶されたのに対して、今日の唯一の新しい面といえば、それがどれほど広く受け入れられているかどうかだけです。 

私達がこのリバイバルにおいて聖霊から「新しい啓示」を持っているなどとは、一瞬たりとも思わないでください。これは非常に悪魔的で全く新しいのでなく非常に古く、それは悪霊の教義です。(私は、何が今日教会で起こっているかを理解するために有益な多くの情報と背景知識を含んでいる「新しいことがら」シリーズに精通されることを望みます。)内容を見て、もし好むならば、PDFフォーマットの中に記事をダウンロードしてください。普通のキリスト教徒にとり、これらの(ペンテコステ系の人は)自業自得で苦しむだけだから、自分がリバイバルの人々を後に残す限り(相手にしない限り)、現実の危険など全くないと考え易いかもしれません。偽りの教義は、ただ自分たちを通り過ぎてだけに過ぎないでしょう....。
 
 

いいえ、あいにく、そうではありません!私達は、主の再臨に導くイベントが私達全員、つまりこの惑星上のすべての男性、女性、および子供にも影響することを覚える必要があります。私達は、自分の頭を砂に突き刺し(押し入れに頭を突っ込み)、物事が永遠に同じ古い方法で続くであろうと望むことによっては、脱出することができません。私達がそれが好きであるかどうかにかかわらず、これらの偽りの教義は、おそらく、私達が準備がないところに押し寄せて来、圧迫をもたらす様になるでしょう。

完全な霊界との通信を許す「門を開く」リバイバル計画は、この地球上でこれまで知られていた以上の最も大きい悪霊の流入を結果として生じるでしょう!それはまた未曽有のスケールで、悪に対する戦いに私達を突入させるであろうし、最近の起きているこの教理の強化に対して盲目な人々は、その時がくるなら、悪鬼とすべての彼の軍隊に立ち向かうためには、最小限の備えで当たるしかない様な事態に至るでしょう。

また、イベントと顕示がリバイバルを取り囲むことを理解することは、「息子であること」教義の文脈の外では、それは理解不可能になります。少し学んだだけでも、今や未来に現実的な危険があることに気づくでしょう。聖書の寓話的解釈これらの間違った教義は実際には聖書的ではないが、しかし聖書「に基づくこと」を忘れてはなりません。新しい教義を支持するために聖書が持ち出されるとき、何人かの人々は没頭させられ、彼らが神の言葉に基礎を完全に置いていないため、1つまたは2つと聖句を分離させ、異端を受け入れさせました。

真理は単に聖書に「基づいている」だけではありません - それは、全体としての聖書と一致しているのです。神の真理は決して聖書自体と矛盾していません。次に、人々は、私達が親しんでいると同じ聖句を取りあげるでしょう、そして、彼ら自身の新事実に適合させるために、象徴的な、または寓話的な意味に従ってそれらを再解釈します。しばしば、その意味はすべての認識から変えられているので、リバイバルにおいては額面どおりの聖書的な用語とフレーズを受け入れることには用心してください。

新しい教義は、聖書(その「新しい方法論」)の違う見方に基づき、違う小道に続いています、しかし、同じ専門用語を用いるのです。よい例として、普通のキリスト教徒が信者が「取り去られること」として知っている言葉、主が再び来る時に空中で主と会う「携挙」の使用です。今日、いくつかのグループ内において、この同じ言葉「携挙」は、栄光が充満して入り、油注がれた者を地球の上の霊的生命体に変容する時に、クリスチャンが経験する「恍惚とした喜び」を意味するようになりました。「神の中で運び去られる」がこの用語「rapture」の一つの新しい意味です - もう一方の意味は、新しい霊的な油注ぎのレベルと権限に「上げられrるるとです。用語「Rapture」は必ず、「主とともにある」こととは思われておらず、各牧師たちの教義に従ってさまざまな違う事がらを意味されているのです。ですから - 用心してください!
 

例えば、リチャード・リス(現在のリバイバルの中心の作家)が(新しいぶどう酒アーカイブ日付:1994年8月9日火曜日)の、パート2で取り上げる「来るべき主に備えて」はこの手の用語です。エペソ書2:2で、サタン或いはその霊は現在、不従順の子らの中に働いており、空中の権威を持つ王子と呼ばれています。この文脈の中の「空」は宗教的な権威の場所または領域です。キリストの到来の時に、私達は霊的な権限のこの場所に取り上げられます。(第Tテサロニケ4:14-17)霊的な権威のこの雰囲気の中で主と会うために栄光の雲の中に取り上げられるということは、必ずしも地球から文字どおりの身体的な携え挙げを伴う必要はありません。実際のところ、それが地球から私達の携えを伴っているならば、それは永久的な携えあげであるでしょう:「それから、私達はいつも主と共にいます」(第Tテサロニケ4:17)

しかし、聖書全体から言えば、私達が地球の上に復活したからだを持ち、天と地球が両方とも再生されるか、更新されることです。(使徒3:21、マタイ19:28) もし聖徒の身体的な携え挙げがあることになっているならば、それはただ一時的であるかもしれません。全体の聖書、特に黙示録は今日多くのリーダーによって、比喩的、或いは霊的に取り扱われます。「使徒」として、チャック・ピアスは、「私達は違う時に生きているので、私達は預言的に考えなければなりません」と言います。黙示録のイベントは、私達がそれはこれである、と知っているものではありません。見られる対象物と起こっているイベントにはまったく新しい解釈が与えられます。

ウェブにおける素材を読んだり、他者と話す時に、決して専門用語が、たった1つの意味で理解されているとは仮定しないでください。今日、人々が何を本当に言おうとしているかをチェックする必要があります。計画の概要私が詳細に「息子であること」計画の中に入る前に、私は、あなたのために構造と時刻表を提示したい。これは、1つまたは2つの特別な論争のポイントに集中することよりもあなたが全体像を把握することを助けるでしょう。(私は、すべてのリーダーが同じ教義を教えるわけではないことを指摘すべきです。異端を扱うことは、ゼリーを壁にピン留めしようとするようなものです - それは動き、変わり続けます。

キリスト教世界のどこへ行っても、神の真実が基本的に同じなのに対して、その一方、これらの教義はグループからグループへと多くのバリエーションを持っています。それにもかかわらず、全体の目的とイベントは同じものであり続けます。)回復:教会の誕生の後間もなく、伝統と律法によって消され、初代教会の活気と霊的なパワーは失われました。これは、回復する必要があり、そのプロセスには幾世紀もかかりました。時々、ある個人またはグループは力と権限の秘密への接近を得るであろうし、彼らは「王国メッセージ」を説教しはじめるが、今世紀まで、彼らは異端者と考えられており、すでに設立された教会によって拒絶されて来ました。

後の雨:遅かれ早かれ、枯れた骨の教会の肉が初代教会の原理と管理の回復によって復活させられたなら、後の日のヨエルの流出が始まるであろうし、これは教会への霊的の贈り物、啓示、および使徒の権限を取り戻すでしょう。「新しい事柄」が来るであろうし、骸骨は、聖霊によって力づけられて、立ち上がるであろうし、世界リバイバルがそれに続くでしょう。いくつかのグループは、20世紀初頭、特にカナダにおける1940年/1950年の後の雨リバイバルが、いわゆる「後の雨の注ぎ」であると主張しはじめました。しかし、すべてのこれらのプロトタイプ(原形・模範)は失敗に終わっており、後では「来るべき雨の単なる少量の水滴」であると宣言されました。聖霊のバプテスマ:分岐点は1960年代、霊的賜物を伴われた世界的なリバイバルとともに起こりました。回心の経験は幕屋の外庭であると見なされ、聖霊の中のバプテスマは信者を奉仕活動という聖所の中へと移しました。しかし、神の臨在のある最も神聖な所(至聖所)へは、さらにこれから入る必要がありました!(私は聖霊の真実の聖書的な満たしを否定しません)

5重(5職)の働き[1960年以降]この近代の教会について回復すべき1つの重要な働きは、「聖徒の完成のために、働きの仕事のために、キリストのからだの啓発のための」使徒、預言者、教師、牧師、および伝道者の働きであると言われています。「私達すべてが完全な人、キリストの満ちた高さの寸法にまで、そしてキリストに関する信仰と知識の一致に至るまで」(エペソ 4:11-13)。私達がこの後検証する様に、この聖句は伝統的な意味から(外され)再解釈されました。

新しい啓示:1970年以降)一度、新しい構造が定まった所に設定されると、人々は積極的に彼らに従いだしました。これを導き、カバーする体系はすべてこのプロセスに沿って支援し、預言者たちが聖霊の直接的な霊感によって新しい教義を紹介し導入することがらに快く服従しました。これにより古い構造から新しい方法論(パラダイム)までの開発の次の段階が始まるでしょう。今や、教会の構造と形態は変化し、その上中心的な信仰さえ変化してしまいました:例えば、終末論についての文字どおりの前(プレ)ミレニアムの理解は、ポストミレニアムの寓話へと変えられました。

使徒権限:(1980年以降) これらの新しい教義を支持し、実施するのは、教会を支配している更新された祭司職「油注がれた」使徒でしょう。彼等は、単に人々の奉仕者ではなく、矛盾を超越して、王であり支配者であることなのでした。使徒が地上におけるキリストの代理人ですから、これらの使徒を疑うことは、神に反逆することに等しいのです。「救われていること」は今や十分でありません。信者は、リーダーシップの「弟子」、従う者であり、従順で、新しい教会の部分となる資格を得る必要がありました。相互接続され、関連する使徒たちのネットワークが、すべての新しい教会の指導的立場を持つためにと、あらゆる都市で配置されることになりました。統一:世界的な教会の復興の中で最も重要なことがらは、すべての信者の統一となりました。なぜならこれがなければ、栄光が霊的神殿に戻るはずがないからです。エペソ書の聖句が、「私達すべてが信仰の一致に入るまで」満たされ、完全になり、キリストに似た者となる約束をしていることを思い起こしてください。それに応じて、すべての意見の相違と超教派間の紛争は、鎮められる(または隠される)必要がありました。彼らが、「互いを批判しないこと」を誓約した、条約と契約が、聖職者たちが署名するべく作成されました。ローマ・カトリック教会(特に、そのカリスマ的な部分)も復興された教会の一部として含まれています。

霊的力の分与:(1990年以降)教会の構造、教え、指導的立場、および「幕屋礼拝」を改革し、次の段階として、流れ出る後の雨を強く求めることになっています。これは1993年/94年における指示に従って到来し、「新しい始まり」(栄光の再来の最初の顕示)として吹聴されました。現在集会に降る霊的力は聖霊のバプテスマではなく最も神聖な所(至聖所)への入口でした。終わりの時代のために油注がれたこの内庭は、神のシェキナ臨在の中に信者を前進させました。栄光は、教会の「箱舟」に戻すために、遂に始まったのであり、いつか地球全体をリバイブする命の川は、「神殿」から流れ出しはじめたのでした。満たし:この回復プロセスの最終段階は、非常に近いと信じられています。その目的は、地球上における神の王国支配を設定することです。もうすぐ、栄光は地球の上に下り「神が人と共に住む」として恒久的に表わされるでしょう。これは整えられた残りの者を、すべてのことがらを知る知恵に満たさし、誰も抵抗できない、すべての害から免れた霊的生き物へと変えるでしょう。そのように祝福された人々は、反抗的で服従しない者達から区分されるマーク、「神からの印」を彼らの額に受け取る様になるでしょう。彼らは受肉した神として、地球における新しい霊的統治者の位に着くでしょう。(これが、「携挙」であると言われています)これは息子の採用または「神の子の顕示」(マニフェストサン)として知られています。(注)「息子」だけが今回変わりました。世界的教会(花嫁)の残りの人々は、まださらに清められ、霊的結婚への準備をなす必要があります。

審判:この事柄は、他のすべてのことがらの中で最も憂慮すべき問題です。教会と世界の新政府は、天国の天使の助けにより、すべての神の敵を地球から取り除くという仕事、「浄化行動」を自から請け負う様になるでしょう。彼らは花嫁を「清めて」、彼女を準備させるでしょう。(私は、これがどのようになされるのかをあえて想像しません)結局、花嫁は彼女の「君主」--地球上におけるキリスト集合体--に服従するであろうし、神の「息子」との彼女の結婚は完成するでしょう。新しい天国と地球が造られるため、栄光化された神の息子達に服従することを拒絶するすべての人々は地球から除去されるでしょう。その後にのみ、物理的にイエスが「彼の王国を宣言するために」再臨されるでしょう。この短い説明を読むと、リバイバル指導者が本当にそういっているのか、かれらの言葉による計画の証拠を当然見たと思うかもしれません。十二分な証拠があります、しかし、それを消化することは容易ではありません。情報の洪水に流されてしまう危険があるのです、しかし、私はそれを正しく進めようとしています。

主要なポイント:私はこの記事を世に出すことについて、主からの緊迫感を感じます。これは必要なすべての人の手に渡されなければならない重要な情報です。最近2、3週の間に、私は、記事を支持する材料、関連データと引用文の仕上げを蓄積することに費やし、文脈上のすべてを調整するために説明的な概要に取り組んでいました。主の促しがあるので、私は、調査を減らし、主が真に重要なメッセージを強調するために、この記事の主要なポイントに着手することにします。それは提供されるどのようなマーク・印も受け取ってはならないこと、世界を善意の新しい時代へと導こうとしている「愛と一致」の霊的影に用心することです。「印」を説明するためには、私はまず「金」の意義を説明しなければなりません。金歯と金粉の奇跡は紛れもなく起こっていますから、私達はそれらを否定することはできません。リバイバルリーダーはそれらの預言的な意味について押し黙っています。デイビッド・ピッチズは、「それらが何の意味かを知らない」と確かに言いました。もしくは、おそらく彼は、普通のキリスト教一般大衆が後の雨教義に対する用意ができていないのを知っており、彼が、金の奇跡が「息子であること」(Sonship)予定表と聖書の寓話的な解釈を用いない限り、満足のいく説明ができないことを知っているので、金の奇跡の意味については用心深いのかもしれません。これらの金の現れは、これよりもずっと大きな来るべきイベントのほんの序曲に過ぎません。

金は神の臨在を表すか、またはたぶん教会の中に栄光が降ろうとしていることを表しているのでしょう!それは、教会(たぶん)に来たらんとする「黄金の時代」の前触れです!同時に、金はまた、終わりの時代のすべての選ばれた「残りの」からだの一部である人々、来たるべき審判を免れる人々のみに与えられなければならないマーク或いは神の印についての前兆です。黙示録7:3の記事は霊的に解釈されるので、14万4千人とは、すべての反乱軍に対する浄化行動の準備として天使によって印される(イスラエルの種族の代わりに)教会からの人数を語っています。ここに、金の奇跡と神の印とを結びあわせている記事がウェブサイト上にあります。

”神の印(黙示録7:3)「私たちが神のしもべたちの額に印を押してしまうまで、地にも海にも木にも害を与えてはいけない。」と言っている。(黙示録9:4)「そして彼らは、地の草やすべての青草や、すべての木には害を加えないで、ただ、額に神の印を押されていない人間にだけ害を加えるように言い渡された。」(エペソ4:30)「神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。」(使徒2:3)「また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった」(黙示録3:18)「わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精練された金をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥を現わさないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。」

今日世界中の人々は、彼らの口の中に、彼らの歯に、彼らの手、および彼らの額に奇跡的に出現する金にを通し、1つのドラマチックな方法で顕示されること、すなわち神の聖霊の現れを、経験しています!私は、キリストの花嫁の教会として神聖化されるために人々は、彼らの体に聖霊によって金が表れなければ「ならないか」どうかは知りません。(私注 - けれども、私は、彼が、それをほのめかしていると思う。)そして、どうぞ、留意してください。神の印は手に出現しません。額だけです。「手または額」にあるのは獣の印だけです。フランクリン・ホールは金粉を預言(アル・ダガーの王国神学から引用)

フランクリン・ホール

--引用始めー
フランクリンホールの小冊子
彼は、息子グループが神の栄光で満たされて、地上で支配者たちとなるであろうと教えました。1946年の秋に「主要な断食と日毎の祈り・リバイバルセンター」をカリフォルニアのサンディエゴに設立しました。フランクリン・ホールの指導のもとで、ジャック・ウオーカー(子供福音伝道者「小さいダビデ」ウオーカーの父)によって援助された、リバイバルをもたらす断食の教え、および教会の回復は、あまねくペンテコステ教会で広めれました。断食と祈りのセンターを設立するのを手伝った他の聖職者は次の人々でした:
ウォールトリップ博士(キャサリン・クールマンの夫);
スタンレー・コムストック;アール・アイビー;
トミー・ベアード;マートル・ページ;
そしてフランクリン・ホールの兄弟、デルバート、ハロルド、およびヴェルギリウス。(デルバート・ホールと彼の妻、フィレンツェは牧師でした。)神の言葉を広めるホールと彼の妻ヘレンはいくつかの財産を売り払い、世界中の人々に送る「数百万冊子」の印刷に資金提供するために、彼らの家を抵当にして借りました。

ホールの主張によれば、このメールキャンペーンが40年代後半と50年代前半の癒しリバイバルを結果として生じたのです。フランクリン・ホールが、ペンテコステ主義の世界へ重要な影響を持つことになった彼の本「断食と祈りを通して神にある爆発力」を書いたのはこの時期(1946年)でした。その時、ほとんど知られていなかったホール氏の本によって多くの人々が影響されました。トーマスとイーブリン・ワイアットが世界的なラジオ放送を始めたことと同様に、ゴードン・リンゼイの出版物、「癒やしの声」は断食メッセージを広めることに役立っていました。

ホールのニューズレターは、どのように他の人々が彼のメッセージを受け取ったかを記録しています。「カナダの元アセンブリ監督者ウォルター・フレデリックは、、兄弟ホールの本をカナダのすべてのペンテコステの伝道師に送った。その他の2、3人(その時有名ではなかった)が 1946年と、1947年から1950年までの断食期間に私達の文書によって主要な断食を経験して、有名になった聖職者は以下の通り:Wm.フリーマンゴードン・リンゼイA.A. アレンO.L. ジャッガーズゲイル・ジャクソンオーラル・ロバーツデイビッド・ナンWm.ブランハムW.V. グラントWm.ハーゲンデール・ハンソントミー・ヒックス

霊的な回復のための方法として、断食とダイエットに関するホールの文書は今日の「キリスト教全体観」の原始的な初めであると容易に考えられるかもしれません。オカルトの影響ホールの経歴における一定のオカルト影響は他の文書により明らかです。彼の本「不滅の再臨」は、キリスト教徒がどのようにして霊的成長の段階を通って不滅になるかを学ぶことができると示唆します。これはUFOやUIO重力と空中浮揚コントロールの経験を含んでいます。霊的な訓練と正しい生活によって、この世で不滅を達成するというのが彼の教えであり、後の雨と次のムーブメントにおける多くの働きの土台にこの不滅理論がありました。

ホールの不滅理論の主要点は、眠っている、いわば基礎を持たず形成されている教会は、本当の原因と召しに目を醒まさなければならない。そして、神の言葉を、文字通り完全に実行し、教会がことばに従うことによって、多くの預言者達が彼らの預言書の中に書き描き出している来るべき「義の雨」「地上に不滅の雨」の感情とほとばしりをもたらす結果となる。(強調「」はホール自身による)しかしながらホールの前提は、神の約束、忠実な信仰者は復活後の不滅を得るという教理に基づいていません。これは、彼の以下の言葉によって証明されます。「すべての病気、有害な事故など、および失敗からの永久的で、永続的自由が来ようとしている。すべての重力の牢獄からの自由は、人類全体の上にもたらされるでしょう。この研究は宇宙旅行のパワーと秘密を教えます。空間浮揚と浮遊能力。それは、無重量についての聖書公式(不滅に至る人々の「起き上がる力」を与えます。(ヨハネ6章、ローマ2:7)

本の中で、ホールは、彼がすでに「不滅」資格を達成した(不滅の人の体との接触に入るすべてに影響する、といわれています)「証拠」を提示します:「兄弟ホールの明るい色のジャケットは7年目であり、一度もアイロンがけや、洗濯されたことがないか、または7年間色あせせず、以来ずっと新しく、まだそれは多くの(一つを除く)海外の国で、そして規則的にどこでも、すべての改革運動において繰り返し身に着けられています。それは旅行において200回を超える航空機の中で身に着けられていました。(しかし)そのジャケットには、どこにもシミ、汚れ、変色、または体臭が全くありません。 - 火の力の不滅の雲という栄光の下にいたイスラエルの子らの衣服に似ています」。

 ホールによれば「不滅の恵み」の達成は、目の開かれた祈りを通して首尾よく達成されると言われています。彼は、「閉じられた目を持って来ることは信仰を破壊します」と論述しました。ホールは、「内側からキリストの現在のからだ」を寄与する信者の上に来る「不滅の物質」があり、「火と不滅のあるからだ」であると主張します。(強調「」はホール自身による)この「不滅の物質」は、ホールの集会に出席する人々に時々見られる「不滅の天のオブジェクト」(IHO's)「独特な天のオブジェクト」(UHO's)そして「未確認飛行物体」(UFO's)から出る素晴らしい金と銀の、きらめく素材として主張されます。ホールの表現によれば、「きらめき輝く見事な金と銀は、分与の信仰の力を通して引き起こされて、表面に見られます。磨かれた真鍮、緑柱石の外観は今でも顕示されます」。

彼は、読者に「フランクリン・ホール兄弟/姉妹の国際的な聖霊と火のセミナー」に出席することによって、これらの現象をよく見る様要求します。このきらめく物質をホールは「光った金属同類、イエスの物質」と呼びます。 健康の見地から見るなら、断食することについて、ホールが多くの優れた事を持っている、その一方、霊的な問題となると、彼はしばしば感受性を超越し、オカルトの領域へと掘り下げます。ホールの文書は、判読しづらく奇妙であり、不気味にさえ感じる記述で満ちています。以下は、少し長く、下手な文章ですが、その一例です:「宇宙飛行士の旅行について、宇宙を征服し、金星または火星に行くことについてさえ、円盤の後方の力についても、多く論じられてきました。しかし、勝利の聖徒たちに関しては私達の科学者の数百年前に遡ります。

これらの天国では、聖徒がこのように衣服を着せられて、不滅(超自然で、ZOOMINGきらめく物質)によって被われているので、彼らが離陸するのに最早全くトラブルにならないことを計画しました。『彼らはどこに行くでしょうか?』『彼らはまさに私達の主と救い主、その中にある天国の栄光の雲の邸宅に飛んで行くでしょう』彼の雲、火の体の中に。(黙示録12:5)」「どれくらいの距離を、彼らが行くのでしょうか?」「距離は最初はそれ程遠くなくてよいのです。しかし、「勝利を得る者達」と呼ばれている、黙示録の7つの教会の外、8番目の教会は遠大な距離へと更に調整されており、聖霊宇宙旅行に順応しているので、どのような遠距離であっても全く距離を感じられないようです。

「イエスは彼の追従者の小さいが、しかし貴重なグループを教えました - 彼らが違うチャンネルの中にどのように彼らの食欲を訓練するかを学んだ時に、それを抱き続けることができた人々に、終わりの日々には、重力は彼らから完全に解かれるでしょう。私達は、永遠である(不滅の)生活に耐える食事のために働くことを学ばなければなりません。私達を物質へとつなげている重力から引き出す肉。(ヨハネ6:27)「朽ちないメニューは不滅のメニュー、体重解放の力というメニューです。永遠に至る命に堪えるメニュー。聖霊の活力は不滅、逆進エネルギーによる動力を引き起こします」「重力から解放された、偉大な人々はランクを壊すのではなく壁を駆け上がるでしょうし、彼らが剣に落ちるならば、彼らの上にイエスの体からの不滅のパワーが彼らを保護
するでしょう。彼らはまたさかさまに歩き、走ることができる様です。ヨエル書2:3-11をご覧なさい。」(すべての引用文において、強調「」はホール自身による)

断食と祈りに関する彼の本の彼らの働き(特に癒やす働き)のゆえに、多くの卓越した教師たちが活性化の力を信用します。ホールの教えがキリスト教と神秘学のブ混合であることは明白です。そして、彼の教えが、後から来る人々の基礎を形成したので、また新-ペンテコステ主義の上において彼らの教えの影響がかなり大きいものであることを踏まえる時、彼らが触れたすべての働きに関して、綿密な再精査が必要です。(後の雨と王国神学に関するアル・ダガーの主要な仕事からの抜粋文の終わり。)
--引用終わり-

正常な精神状態にある者なら誰であっても、ホールが粗製濫造したオカルティックな無意味な事柄は受け入れ難いと思うでしょう。ところが事実はまったく反対なのです!ただに数百人の教会リーダーたちがホールの断食療法を採用し、彼の本が出た時に栄光を帰したばかりでなく、彼らは、それ以来、彼を英雄視し続けました。一読しただけでゴミ箱の中に投げ捨てられるべきであった、別の息子であること/後の雨と明示される息子の教えと共に、この教えは現在リバイバルの一部なのです。

お分かりのように、非聖書的なしるしと顕示を要求するならば、金の奇跡の現在の現れから、それらはあなたに提供されています - けれどもそれは主からではない!サタンは、現在、ちょうどホールと彼の追従者が予期していた、まさしくその明示を引き起こすことを許されており、結果として、彼らはまた栄光を捜し求めており、多くの場合に、不滅化さえも求めます。

しかし、フランクリン・ホールは決してこの方面における唯一の教師ではありません。他の多くの者が近代の流出の父として挙げられます。栄光の突然の到来、リバイバル・ネットワークはすべて「栄光」の主題について語っています。数年の間に、リバイバル教会は多くの一時的な「栄光の雲の訪問」を持っており、この栄光(シェキナ:神のまさしくその臨在)の永久的な被いと内住を絶えず期待しています。さて、彼らは、このイベントが非常に近いと信じます。トミー・テニイによってテープに録音された「神の栄光」と呼ばれたメッセージにおいて、彼は神の恒久的居住を地上に待ち望むことを表していました。

(テニイは、「神の追跡者」の作者で、C.ピーターワグナーを含む多くの他の有力なリーダーとともにスピーカーとして名を連ねた一人です。下記参照)「彼がしたことに対して、私は神に感謝します」。私はペンサコラを祝福します。私はトロントを祝福します。私は神のこれらの動きのすべてに対して神に感謝するが、私は、あることをあなたに話そうとしています、神の栄光が都市で降る時に、私達は、まだ、何が起こるかをわかっていません。今日の教会でしなければならないこと、私達は世界のためにディスプレイの上に神の明白な実在を持たなければなりません。私達が神の訪問を持っていた所は、すべて集会の中でした。

私は十分な訪問を持っていました。私達が神の住居を持つことができるように、何かを変える必要があります。私達は、瞬間的な訪問から、私達の中に、そして私達の人々について神の内住の栄光がある居住の場所に移らなければなりません。私は、彼が彼の上着とネクタイとで裏口で立ち、私達が、「神の栄光はここにあります」と言った時に、何回私達が私達の集会において神の訪問を持っていたであろうかと考えています。残念ながらあまりにも、すぐ、私達が、彼が何を捜していたかを知らなかったので、それは私達を離れ去りました。私達は、彼に「滞在されたらどうですか」と頼みました。

なぜ私達はこれらの数分間を保持することができないのですか?私はあなたに話し、それは非常に簡単で、私達は、まだ、神の栄光を保持する恵みの座を築いていません。彼が座るための場所がどこにもないのです。私はあることを預言したく思います。彼が来る時にそこに座ることが出来るために、恵みの座を築く能力を得る教会のことを。私達が恵みの座を築くならば、聖書は、彼が私達の礼拝において、そして私達の讃美の中にあがめられる、と伝えています。何が起こるかというと、神が天国から彼の王位を文字どおりに移されることです。これが起こる時に、来られるために教会は、神のために椅子、座席、場所を築いています。私達は、私達が望むすべては、彼が来てくださるようにと彼に向かって立ち上がって乞い求めることができるけれども、彼が来る場所ができるまで、彼は訪問するけれども、滞在することができません。トロントとペンサコラにおいて、これはまだリバイバルではなく、私達は、まだこれからそれを見る必要があると彼らはあなたに話すでしょう。

しかし、水が海を被うように、神の栄光が、地球を被うならば、どこかのある教会で、それは、どこかで始まらなければならず、どこかで、いくつかのグループは、神の栄光のために座を築こうとしていて、その場所から流れ出す水は遂に地球を被うでしょう。深い泉は、開こうとしており、神の栄光は地を被うでしょう」金粉はメインイベントへのほんの前兆であって、それは、神のこの地への帰還であり、イエス・キリストとしてではなく、からだの「内」と「上」にある霊としての訪れで、そのことが、完成と満たしを地にもたらし、無制限に聖霊を持つこととなり、地上に於いてまさにキリスト自身となること、キリストの協力者となるのです。あるトロント追従者は、来るまで切望し待っているその乗り手と共に白馬の押印するひづめによって天国のドアを通して作成されて、吹きかけている砂金を幻の中で見ました。現在ドアはすき間ほどしか開かれていないが、彼らは、「栄光の王」を通そうとして、「ゲートを開ける」ために情熱的に取り組んでいます。

そのような信仰に同意しないすべての人に対して、その時何が起こるでしょうか?「栄光」が満ちる時に、「油注がれた者」いわゆる勝利した人々、または残された者達、または女の息子だけが奉仕のためにに変貌させられ、印を押されるであろうと信じられています。これらの準備された者は「聖において完成された者達」であり、続いて起きて来るすべてのことから保護され、また免疫があるでしょう。(ある人達は、私達がホールの教えから見たように、彼らが不滅(不死)になるであろうということさえ教えています。)彼らはこの教えに従って「144,000の印を押された残りの者」です。残りの者達がそのようにすべての害から守られ、天使によって印されるその一方では、地球の上の浄化が始まるでしょう。エジプトで破壊する天使がその地を通り抜けた間、ユダヤ人が保護され「過ぎ越された」のとちょうど同じように。

そして、エゼキエル書の中で、天使は、保護のために正しい者が封印される一方、すべての不義なる者達を虐殺するように、しかも「私の神殿から始めるよう」命じられています。主が肉体を持ち、人格的に戻る(再臨する)ことができる前に、神への絶対的な服従がなければならないので、世界教会の大部分を含む他のみんなは強烈な迫害と苦難を受けるでしょう。

(訳注:第3の波系の二段階の再臨の教えのこと:キリストは一度目には、霊として再臨し、選ばれた使徒、預言者に受肉する。彼等は地上における、キリストの権威を帯び、使徒預言者に従わない、反キリストの輩(実際は堅くみことばにつく忠実な者)を裁き、地上を浄化する。その浄化が終わらないと、2度目の再臨、肉体を持ったキリストの再臨はないとするトンデモ教理のこと)

不幸なことに、これらのイベントは、すべての正常で、普通に聖書を信じるキリスト教徒を、ただ迫害と苦難とに引き渡すことになります。アル・ダガーが下記のコメントをする時に、それは、審判の立場にいる新しい使徒と預言者の権限に服従することを断る人々のことです。一方では、息子と彼らの分け前に参加するべく、心を決めた人々は(迫害を)免除されるでしょう。彼らはそれらの額の上の印によって「反抗分子」と区別されるでしょう。そして、明らかに、印された人々だけが苦難を免れるでしょう。保護された少数の区別するマークは彼らの額の上の神(彼の名前)のマークになるでしょう。他の人々みな、審判の火にふさわしいことになるでしょう。その害から保護されるべく、この印を受け取るようにという、強烈な圧力がかけられることでしょう!

アル・ダガーは「王国神学」の中で、信者の額の上の印またはマークを霊の到来(栄光)と連結させています:「本質的に、その時、王国神学は2つの段階のイエスキリストの再臨を見ます:」1番目は、信者の肉(そして特に 今日の使徒と預言者の肉 )を通して、そして次に、王国を引き継ぐべき人の中で、戦勝した人々「勝利した者達」によって王に引き渡される段階。あるグループの中では、勝利者達は不滅になるということが信じられています - 彼らはいわゆる「復活生命」を達成しているのでしょう。不滅であるかどうかにかかわらず、勝利者達はすべての悪い影響を地球から除去しなければならないと言う教理は一般的に王国神学において合意されています。「悪人」は回心させられるか、または罰せられるか、或いは「地球の面から消し去られる」必要があります。

「悪人」とは、一般的には麻薬密売人、殺人者、子供にいたずらをする痴漢、泥棒、売春婦と様々に、描写されている人々で、その他イエスがそのために死なれた、そのような「人間のくず」です。ところが王国神学を教える多くの人にとっての「悪人」という用語は、神の権威(終わりの日の使徒と預言者)に服従することを断る誰に対してもあてはまるのだということを知ることは、読者に関心をもたせることがらでしょう。(これらの使徒達に)服従する人々は彼らの額の上に「神のマーク」によって印を押され、次に起こり来る審判を免れるでしょう。

さて、私は、なぜアル・ダガーが何故この様にコメントをしたかは正確には知りません。しかし、私が知っている1つのこと、それは、彼が長い研究および多くの本の読書の後に完全な知識でそれを仕上げていることであり、(使徒、預言者等の)リーダーたちは、実際、これを教えているということです。アル・ダガーはずさんな研究者では決してなく、私達はそれゆえ彼の言葉を取り上げることができます、印(マーク)は、来るべき審判を避けたいすべての人々に力説され勧められることでしょう。ジェームス・マッキーバー(「終わりの時代ニュースダイジェスト」の編集者、発行者であり、作家、講演者、および金融コンサルタントでもあります)は、また災害からの保護としてこの印について話しています。「携挙はいつですか?」という表題を付けられた記事の中で、マッキーバーは、大艱難時代とは、神の民達が彼らの敵を超自然的に破壊する1つの時代になるであろうと述べています。

「イスラエルの子供が約束の地に入った時に、神は、土地のすべての悪い住民を、消滅させ得たかもしれません。しかし、それは神の方法ではありませんでした。悪い人々と縁を切りたいと民が思ったその時に、神は軍隊として彼の民を用います。「人々はいったい私が、艱難を通り抜けることを恐れているかどうか、またはそれについて考えることが私を陰鬱にしたり、悲しくするかどうかと尋ねます」。まったくの正反対が真実です。私は、神の保証人として艱難を通り抜けることについて興奮しています。私は、私の額に彼の印を得ていることと、サタンから保護されることについて興奮しています。

なぜなら、勝利がイエス・キリストにあって私達のものであると知っているからです。「ジェームズ・マッキーバー」著「いつ携挙がありますか?」終末時代ニュースダイジェスト、特別な入門発行物(メドフォード、または、オメガミニストリー、1985年、ページ8)キリストの共同体、または多くのメンバーを有するキリストのからだは、彼らが信じている到来する審判と苦難を免れるでしょう。他の全員は審判されるが、彼らは免れます!確かに、審判が地球の上にあるでしょう。主のこの栄えある日、サタンおよびすべての彼の大群は荒れ狂い、天から投げられて、彼の時間が短いことを知っています。彼らの額に神によって印をされていない(黙示録7:3,14:1)すべての人々はその恐るべき日の怒りを被るでしょう。
 

しかし、私達は怒りに召されているのではなく(1 テサロニケ書5:9)、私達の主イエス・キリストを通して完全な救出と救いを手に入れるために召されいます。サタンはしばらく激怒するが敗れます。そして、確かに、彼らがそのことに値しているので、国々は神の怒りの杯から飲みますが、まだ、彼の慈悲によって、御子の人格(彼の多くのメンバーを有する息子 !)において救出を彼らに送るようにします。彼は、彼自身である人々に特別な才能を分与していて、それを信じるあなたに、彼の王位の全権を与えるでしょう。あなたは額に書かれた新しい名前を持ち、あなたが食べるように備えられた隠されたマナがあります。神の軍隊が敗北に帰することは全くありえないので、敵に対する恐れを全然持つことがありません。

(「ビル・ブリトン著「影からの光」)預言者の予定表リバーメイル文書 1999年1月(新しいぶどう酒)1999年への預言的な暗示マイク・マックラングよりキリストにある親愛なる家族へ、

以下は、主が、それがこの次の年で起こるであろうということを私に示されたと信じる物のいくつかです:神の残りの民の印は今年始まるでしょう(エゼキエル9章、黙示録7章)ボブ・ジョーンズとその他の人々はもっと深く、より広い範囲でこれを論評しました。ボブ・ジョーンズ:1999年の羊飼いの杖 - 焼きごてそれから、主は天国から来る「焼きごて」を表示しました。焼きごては、聖霊の清め、神聖化する仕事を受け入れ、教会とこの国家の罪を嘆き悲しむ人々に神の印を印すためです。この「神の印」は、完全に彼のものである人々とそうでない人々との間に明確な区別が現れるためのものです。「純金の札を作り、その上に印を彫るように、『主への聖なるもの』と彫り」(出エジプト28:36)「主は彼にこう仰せられた。『町の中、エルサレムの中を行き巡り、この町で行なわれているすべての忌みきらうべきことのために嘆き、悲しんでいる人々の額にしるしをつけよ。』」(エゼキエル9:4)それから、主を恐れていた人々は互いに話し合い、主は注意を与えて、それを聞き、そして記録の書は、主を恐れ、その名を尊敬している人々のために主の前で書かれました。そして、万軍の主は、「彼らは私のものになるであろう」と言われ、「私が私自身の民を備える日、彼らは、人が自分に仕える息子を助けるように、私は彼らを助ける」と言います。ですから、あなたは、正しい者と不正な者、神に仕える人と仕えない人とを区別するでしょう。(マラキ3:16-18)主は記録の書を持っていて、主を恐れ、従順に聖霊の声を聞いた人、主の名と聖と重んじた人々が、その中に名が記されています。彼らの名は、この本において、正しい者と不正を、はっきりと区別するために記録されていますし、それは主に仕える人々と、そうでない人々とをはっきりと表示しているのです!!もしこの焼き印を持っていないなら、あなたの名は命の書にありません!!
 

主は心の誠実を見て、義と従順で彼に奉仕した人々に「主に聖なる者」の印を置くことによって区別するでしょう。地球で犯されている忌みきらうべき事柄についてうめき苦しみ、嘆息をつく人々のために、額の上に神の印をマークしながら地球を巡る天使のような主人が送られることでしょう。キリスト共同体は幾世紀もの間「女性の胎に隠されていた教会」であり、今世紀の後半の部分まで息子であること、という本の中の推測と憶測の話題だけでしかありませんでした。しかし、1994年以来、この「息子」は次第にリバイバル教会の執り成し手によって「生み出されていて」、産みの苦しみで完備され、押し出されています。残りの者はすでにトロントの流れによって油注がれているプロセスにあります。栄光はすでに途上であり、まもなく、栄光が天国から恒久的に降る時に、残りの者集団は聖霊の「満たし」を受け取るでしょう。
 

これは私達を残りの者の印に接近させます。個人的に、私は、主が、(これが、いかなるものへと裏返しの意味になろうが)「印」はほとんどここにあるとおっしゃっていると信じます。1つの事柄が確かである一方、このリバイバルの預言者は、それがいつであるとか、どのようにかの考えを全然持っていません!彼らは闇の中で突き刺しています。「残りの者の種」(ハミルトン、オンタリオでのボブ・ジョーンズによる預言 1998年3月):「私の統治が適所にあり、大いなる圧力の時に私が私の次のステップを生む。トロントがステップであり、ブラウンズ・ビルが別のステップであったので。私の次のステップは私の栄光になり、あなたが前に一度も見たことはないしるしとなる。」 預言的なサイトへの1通の電子メールは、9という数が重要で、従って次の日付9/9/99のような日にキリスト共同体を生み出すであろうという、よりポピュラーになっている見方を繰り返しました。
 

「私は、私達が1987年以来ずっと産みの苦しみを感じていて、それから私達が1997年に陣痛に移行し、1999年9月9日に子供共同体の頭としてのキリストの明示を見はじめると信じます。それら9は、Rosh haShanahというユダヤ教の新年と宴会である1999年9月11日の新しい日と新年を見て変転するでしょう。」これらの事柄を比喩的に見ている人々は、聖霊の賜物が9つある(ビル・ハモン)ので、9は「聖霊の数」であり、9は子供の妊娠期間である、従って、1月から9月までの9ヶ月が今年神聖な子供を生むことになる、地上におけるキリストであり「マリヤ」の子宮を通って生み出される教会(ボブジョーンズ)のことです。
 

ビル・ハモン:1999年のための主の言葉(1998年12月31日にビル・ハモン博士によって配信されたメッセージからの抜粋文−神の指定された時間に起き上がって、輝くために、教会は1999年に結合しました」)「私達は以前に一度も1999を経験したことがありません。9は聖霊の数です。1は統一(単一性)です。1によって単一性/神と三重の聖霊または神性が表され、何かよい出来事が今年なければなりません!しかし、神の人々に良いことすべては、悪に対しては審判になります。 私達が2000年の中に入ろうとしています。そして、9ヶ月は、キリストのからだの上で行われた別の欺瞞であると判明しました。キリスト教国際的な働きネットワークで使徒と預言者の14周年の国際的な集まりで2000年10月19日与えられたチャック・ピアスによる新しい「預言」によると、9ヶ月妊娠は2001年7月に移っています。(創立者、ビル・ハモン)

預言者たちにふりかかる9ヶ月間の試験(チャック・ピアスによる言葉、世界収穫宣教団)「主は私達に言うでしょう」。これが時であり、9ヶ月間の試験が現在私の預言者にあります。と主は言われた。そして、私は、このテストを卑しめない、と言います。このテストが拡大を引き起こすであろうので。そして、私は、このテストする9ヶ月が拡大を作り出すだけでないとあなたに言います。それは、私が、未来のためにこの世界に紹介したいものを誕生させるでしょう。従って、私は、テストする9ヶ月が現在始まっていると言います。しかし、誕生は来るでしょう。そして、私は7月中旬から7月の終わりに誕生があるのであなたに言います。主が領土の改革者としてあなたをその前に送りはじめるであろうと主は言われる。
 

私は、水位が現在上がっているとあなたに言います。私は言います、あなたの頭上が襲撃されようとしていますから、準備していなさい。私は、私が、あなたを打つ相乗作用の波を作成しはじめ、あなたを打ち上げ、あなたを持ち上げる。そしてあなたを新しい場所に連れて行くと主は言われる。そして、私は、これが、私の幕屋を回復する日であるとあなたに言うでしょう。しかし、ただ、それは讃美、礼拝、および祈りを通して来ないでしょう。しかし、私は、預言者が新しい戦闘マントを身につけるであろうと今言います。そして、彼らが戦争すると、回復は地球を取り戻します、と主は言われる。」回復が現在ますます戦争と結び付くことに注意してください。
 
 

実際に、9という数の聖書使用を勉強するならば、それが聖霊ではなく裁き(審判)を意味することに気付くでしょう!「聖書の中の数」というブリンガーの本からこの光の中で私達を悩ます段落をここに引用させてください。9という数は多くの点で最も顕著な数です。オカルト科学を勉強するすべての人たちによって大いなる崇敬の念で理解されています。そして、数学的な科学において、それは、どの他の数においても発見されない特性と能力を備えています。それは数字の最後であり、それは最後を指しています。そして、ある事の結論として重大です。9は6との類似があります。
 

6はその因数3の合計であり(3x3 = 9と3+3 = 6)、すべての人の行いの合計と人の終わりの総計として重要です。従って、9は聖書的数字として「最終的」或いは「審判」です。以前チャック・ピアスによって連想されたイベントの時刻表に私は今向きます。(彼は、それ以来ゴールを動かしているようです!)チャック・ピアス(「現在、使徒「チャックピアス」として知られています)は、「ピーターワグナーの」世界的祈りのネットワークを調整し、開発し、設立する神経中枢で「コロラド・スプリングズの世界祈祷センターのディレクターに任命されています。彼はまた霊的戦いネットワークとりなし手祈りのリーダーでありグローバルな収穫働きの副社長のとして勤務しています。
 

C. ピーター・ワグナーは、統一祈祷トラックと2000年霊的戦闘ネットワークのための国際的なコーディネーターでグローバルな収穫宣教団の設立会長です。さらに、彼はパサディナ、カリフォルニアのフラーの神学校で教会成長の教授として勤務しています。)執り成しと霊的な戦いについて教えながら、チャック・ピアスは広く旅行し、リバイバルにおける多くの他の有力な人々と緊密に働きます。彼はロバート・スターンズ、マイク・ブリックル、ルーベン・ドロン、チェ・アン、フランク・ハモンド、シンディ・ジェイコブズ、ビル・ハモン、ジョン・エックハート、ボビーベーリ、ダッチ・シート、ジャック・ヘイフォード、ジム・ゴル、フランク・ダマジオ、エド・シルボッソ、カルロス・アナコンディア、クラウディオ・フレーソン、ロジャー・ミッチェル、テッド・ハガード、およびトミー・テニイとの大会を宣伝広告します。私は「息子であること」(Sonship)教義に関連したリバイバル運動におけるこれらの「名前」のいくつかに言及するでしょう。

あなたが見たとおり、すべてのこれらの人々のネットワーキングは、小さい息子であること教義が制限されることなくあまねく教会中に植えられ、教えられることを意味しています。ネットワーキングの主題について、チャック・ピアスは、多くの後の雨教師と関係している彼の意図を述べます:「昨年からの預言の1つは、多くのグループの間に属する預言的使徒的グループの間に多くの橋を建築する働きがあるだろうことを伝えていました。すでに、1999年に、私は、預言者が一緒に集まるいくつかのグループミーティングの一部になりつつありました。

1月末に、ポール・ケイン、シンディ・ジェイコブズ、ピーター・ワグナー、ジム・ガーランド、リック・ジョイナー、と私自身および他の多くの人々が、一緒に合流しようとしています」。ピアスは、「霊的タイミングは今年の鍵です。これは、主が今年四半期でなさることを私が見ることです。」と述べています。第1四半期(1月-3月)準備 - フレームを組み立て、順序立てて設定し、完全と完成に規定される方法。第2四半期(4月-6月)力づけと解放 - 人々の中への神の愛情の新しいバプテスマ;これは私達の中で神の聖霊の新しい顕示を生み出すであろうし、収穫のために私達を用意するでしょう。第3四半期(7月-9月)戦い - 私達は油注ぎの新しいレベルから戦い始めるでしょう。

これは、神の祝福を解放する天における開幕を導くでしょう。黙示録12章は、教会史の中で重大な岐路における私達のための鍵になるでしょう:(黙示録12章の内容は、息子を生み出す女性、天における戦い、その他)打ち破る油注ぎは、私達の上にあります。アメリカの至る所にある教会は、現在配置され、稼動しつつある祈りの戦略と祈りの部屋を持つべきです。主は彼らの地域のために新しい権限という新しいマントを彼らに与えるでしょう。第4四半期(10月-12月)収穫 - 倉庫を準備し、準備完了しなさい、作物は熟しています。印の側面 - 様々な言及ここに、教義がすでに確立した、印に関する多くの言及があります

次にあげる印に関する本またはウェブサイトを知っていますか?ボビー・コナーの預言的なウェブサイト−ボブジョーンズにリンクするサイトは、彼らの「羊飼いの鞭」のページ上にあり:「額への圧力(プレッシャー)」 - 私に起こった次の出来事は、突然私の額の上に圧力を持つことでした。非常に熱い手が私の目のすぐ上の額に対して押されているかのようでした。私は、これが主のしもべへの額の上の主のマークまたは焼き印であると思います。新しいぶどう酒 文書 1998年11月10日課題:跪く聖徒達の幻と逃れの家親愛なるいと高き神の聖徒達へ私は陣痛の女性に会い、これらの人々の多くは神に忠実に叫び続けていました。(サーチライトビームのように彼らの上に輝いている幻の中で)光は、神が彼の人々に送った天使とこの後の日を表しています。

神は個々の人々に印を押されるばかりか、ファミリー全体が彼の特別な仕事のために主によって呼ばれ、印されるという事例があります。幻における逃れの家とは、ファミリー全体が大いなる重要性の働きのために主の天使によって印されている聖徒たちを表しています。ヨセフの時のように、あなたは輝くであろうし、家族全体は印されるであろうし、選り分けられるでしょう。そして、あなたのまわりの人々は見るでしょうし、あなたを取り囲んでいる人々は驚嘆し、彼らは、私の好意があなたの上にあると知るでしょう。ジョン・G・レイク(信仰共同団体の言葉によってとても尊敬され、その人格の中に神の満たしを顕示した使徒として認められた老人)。
 

彼は次の通り彼の額の印を経験しました:「それから、私は、雨の代わりに私の上に来る変化に気づきました、電流が私の頭から足に通り抜けており、床にまで通っていったかのようでした。これらの力のショックは断続的に恐らく10秒毎に訪れました。数分の後に、私の骨組みがこれらの強力なショックの力の下で震えて振動するまで、その電圧は増大しました。それから、私が震えていた時に、力のショックはより明白な急速さと激しさによって互いに続きました。私の額は印されました。頭の前の部分の脳は不活発になり、額の中の主の印について話している聖霊を悟りました。私は、座っていた椅子の深さを知らず床に落ちたかもしれません。再び変化。

力のショックは強度が減少し、今、私の下あごの支えを手に入れました。それは新しい仕方で上下に、横に動きました。私の舌と喉は、私がコントロールすることができない方法で動きはじめました。私は異言で話していたことに気がつきました。一度も学習しなかった言語で。ああ、力の感覚。私の中の聖霊の強力な動き。来たのが神であったという意識。(ジョン・G・レイク:ロバーツLiardonによって編集された彼の人生の教えの完全なコレクション - 79ページ)この部分は「印」の性質と結果の両方を説明します。それは、ある人によっては、「キリストの霊を受け取る」と言われます。
 

神は宴会において彼と出会うべき人を任命しました。イスラエルのすべての男は、宴会を祝い、主が彼の名を置いた場所で神の前に出ることになっていました。従って、宴会は特に息子のためです。旧約聖書において、神との謁見は、荒野の幕屋の中が最初であり、その後エルサレムの神殿でした。新約聖書成就において、それはまず第一にイエス・キリストの中、それから彼の多くのメンバーを有する体の中です。主の性質を意味している主の名前はイエス・キリストの生涯の中に記録され、今は、キリストの貴重な霊を着ている彼の初穂団体の額に印されています。(プレストン・エビ 「神の現れを求めて」)
 

新約聖書成就において、それはまず第一にイエス・キリストの中、それから彼の多くのメンバーを有する体の中です。主の性質を意味している主の名前はイエス・キリストの生涯の中に記録され、今は、キリストの貴重な精神を着ている彼の初穂団体の額に印されています。(プレストン・エビ 「神の現れを求めて」)私はこのことについて語れることが多くありますが、まず主要なメッセージを押し進めるために今のところそれは制限しましょう。しかし、ジョン・レイクの霊が受動的で、麻痺するようになったことに気づいてください。キリストの霊を受けることは霊の領域と地球の領域の間の直接的な通信によってしばしば霊的なめざめと結び付きます。
 

はっきりと、これは、ニューエイジの「額の中央にある第三の目」と並行します。印に関する1回のニューエイジ言及はバーバラ・マルクス・ハバードによるものです:「イスラエル」とは、彼らの心、精神、および霊すべてによって唯一の神の存在を信じることを選ぶ人々を意味していることを覚えていてください。選ばれるのは、生物学的ユダヤ人でもなければ生物学的キリスト教徒でもありません。選びは、内側の自覚に基づきます。神が一人であること、あなたが神の相続人であるということ、そして全力で創造者の意図に続きたいかどうかによるのです。これらの信者は、神のデザインにとても敏感なものたちです。それぞれが「生ける神の印」で印されています。これは、彼らが、まず自分自身に、そして他の人に目に見えるように識別の印を付けられることを意味します。

これは、額の中にある内なる目がこの接触によって完全に開かれること、そして、まだ自己中心の胎内で眠っているすべての人から今後彼らを分離する、ということを意味しています。あなたがたのうちのある人々は、現在、この目的のために内なる声が、まずあなたに語りかけているのを聞いています、まず王国の愛をあなたに置くため、まず発展の愛を置くためです。あなたは今、神の活気づける手によって可視的に触れられており、今でも、自己中心の意識の暗闇に住んでいる人々とは目に見えて違っています。(「黙示録」139ページ)他の何物とも別である、キリストの霊を持つこの印は、完全で、全く霊を変え、「新しいパラダイム」に変換し、そのような範囲まで考え方の変換の結果をもたらすため、古い方法は全く覆されます。それはまた、霊的領域で聞き、見るための自然な意思を開きます。(これもすべて後で話す「影の投げかけ:オーバーシャドー」の重要な部分です。)印はいかなる形態をとるか?あまり奥深くこの領域の中に入り込む前に、私はこのような質問をしなければなりません、この印は「可視的」なマークなのか、または単なる霊的経験なのでしょうか?私はこの段階で、言わなければならないのは、よく知らないということですが、しかし、私は、印には可視の要素があるかもしれないと信じています。なぜか?最近金歯という形の可視的しるしの出来事があり、また手と額の上で出現する金のことが教会で起きているからです。
 

教会にとどまりこの後来るものについて疑いを持つ誰に対しても、神は再び慈悲深く、慈しみ愛されています。神は、来るべき出来事への警告を与えておられます。金奇跡の是非は聖書に照合できないので、その起源は、聖霊を欺くことと判断した人々は、一歩引き下がって、心理的にそれを後回しにしました。それは、直面する物を吟味するようにと呼びかける神からの「モーニング・コール」でした!金は教会においてもう一つ別の境界線を提供しました。その意味または起源について神を求めず、深く考え、研究或いは祈りすることなくそれを受け入れた人々は、どのような他の顕示でも受け入れるために、彼ら自身がどの様なものであるかを示しました。しかし、他の人々は疑いかつ、答えを求め主に尋ねました。たとえしぶしぶ、彼らが半分この(金の)現れを受け入れたとしても、彼らの霊に鳴り響く警報ベルがあったのでした。この人たちは、額の上の印に対して一線を画し、背信者が彼らの指定された終わりにまっさかさまに急いで落ちて行く時に、それらの人々と別れを告げる人々です。従って、金粉と金歯は、疑う人(それを拒絶する)および注意を払わない人(間違いに対して心を開く人々)のために準備されたものでした。

金という形態、永久的な物質的なしるしという事実のために、私は、油注がれた息子集団に関連する霊的印とは可視的なものである可能性があると信じています。(しかしながら、そうでなくても偽りの危険は非常に現実的であり、警告は物質的なマークがあるかどうかにかかわらず等しく有効です。)以下の電子メールが示しているように、物質的な油注ぎへの準備が額の上にありました:世界祈祷実行委員会 - 十字架のしるしが用いられる「マイヤーのように祈っている私達の地域の人々がカンザスシティ預言者やリック・ジョイナーに関係していることに私は注意を向けます。彼らは、十字を切り、彼らができる時はいつでもオイルを塗布しています。」さて、このコメントの妥当性は洗礼における十字のマークの上に関するカトリックの聖職者の教え、以下のステートメントに見られます。ローマ・カトリック教徒はすでに完全に印の考えの準備をしています:

バプテスマ:私達は神によってマークされます。 十字架のキリストによって買い戻された者としてあなたを印するために、額の上、そして心における神聖な十字のしるしを受け取ってください。エゼキエル9章で、主は都市に責任を持っている7人の人を呼びます。6人は戦斧を持って来ます。神は彼らを殺すために、送り出します。「哀れみまたは同情を示さないでください。」 老人、若い人と少女、女性と子供を殺せ、けれども「なんと祝福された言葉!」は、印を持っている誰にも触れてはなりません。エゼキエル9:5、6) 戦士が復讐をもたらす前に、神は、武器ではなく書くキットを持っていた7番目の人に、人々の間に出てゆくように命じました。誰でも悔い改めて、そして神の人々の罪を嘆き悲しんだ者は、額に印されることになっていました。印はヘブライ人アルファベットの最後の文字から成りました。それは元来Xのように見えました。

マークを持つ人々は生きました。それは今日も同じです。「聖なる十字架の印を受けよ」と牧師は言います。神は、聖いバプテスマによる命の印を与えます。その印は、死に、罪に、地獄に、サタンに打ち勝つ印です。たった二種類の人々がいるだけです:十字架の印を帯びた人と、そうでない人の二種類です。永遠に生きる人々と、そうではない人々。それこそが神の子どもとして、彼を、また私たちを永遠に名付ける印です。(from http://www.lcms.org/wor/83bapt.html)ここに、悪魔が、人々に物質的なマークという考えを受け入れさせようとするもう一つ別の準備作業の印があります。 多くの若いクリスチャンは、聖書の中でこれを行う事を直接非難されているにもかかわらず、彼らの体の上に「入れ墨」をしています。「あなたがたは死者のため、自分のからだに傷をつけてはならない。
また自分の身に入墨をしてはならない。わたしは主である。(レビ記19:28) 
 

バンクーバー・サンのダグラス・トッド記者はブリティッシュ・コロンビア州ラングリー、でビンヤード・クリスチャン・フェローシップを訪問し、入れ墨がビンヤード・クリスチャンのために「新しいことがら」の中で最も新しい事であると見出しましました。 ラングレーのビンヤードのスタッフであるエイミー・ボンドは、彼女の小さい背中の部分に大きなケルト十字架入れ墨を持っています。伝えられるところによると十字とは、ヘブライ文字で「私は私の最愛の人のものであり、彼は私のものです」を意味しています。 ボンドは、入れ墨は、彼女がイエス・キリストを彼女の「恋人」と見なすことを表明するのだと言います。 別のビンヤード・メンバー、ピーター・ダヴィダックは彼の足首に言葉「SIN(罪)」の入れ墨をしています。彼は、これが、「全ての人が罪人であり、それにもかかわらず誰もが受け入れられるべきとのキリスト者の判断」というメッセージであると言います。

上の引用文の中のボブ・ジョーンズは、焼き印を押すことはキリスト教徒に起こるであろうと預言しています。焼き印は、元来熱い鉄による肉焼きの意味で、識別または他の目的のために容易に認識可能な図案(模様)によって傷跡をつけさせるものでした。焼き印は、今日一般的に動物に使われているが、かつて多くは、人間(奴隷)に使われました。今日の焼き印は、化学薬品、入れ墨、描き、タグ付け、または耳ノッチがよく使われます。ある百科辞典によるとその主要な用途は「所有権の証拠」のためです。ひとりの若者の個人的なウエブページは誇らしげにキリスト教の入れ墨を自慢して、言います。「私が、使うのが好きな言葉はタウ・ツー(tau-too:入れ墨)です。tauは、ヘブル語の文字で、十字または印であって、それは神のための印です。」と言います。この若者はまた入れ墨に関する本と聖書を勧めます。TAUとは、ヘブライ語のアルファベットの文字であると同時に、今日広く認められているオカルト・シンボルであり、それは絞首台−十字架、エジプトANKHの原理、およびフリーメーソン・シンボルです。
 

ヘブル文字"Tau"今や、ヘブライ語文字tauは四角い形態になったが、ユダヤ人アルファベットが発明される以前は、エジプト人の十字架、ラテン語のアンサカ、エジプト十字(アンク)と同一の意味でした。この印は排他的に用いられ、しかも、すべての国の名人に属しています。ケネスR.F.マッケンジーが、「それは救いと神聖化のシンボルであり、そのようなものとして、ヒンズー教徒はtauを彼らの入門者の眉毛に書いた、それだけでなく古代のメキシコ人--パレンケの宮殿の1つにその存在として示した--によって使われたフリーメーソン・シンボルとして採用されています。(「H.P.ブラヴァツキー、「具神論用語解説」)私は、同じ様な十字がこの「神の」印における新入会者が受ける神聖な印となる、十分な証拠があると信じます。十字は、不注意な人を欺くために、真のキリスト教シンボルと十分に似たものとなっています。 額の上の神のマークが「彼の名前」であることと、「彼の名前は彼の性質」であるという教えを考え合わせると、イエス・キリストの性質と彼の特別な印は十字架の上の死において表されています。そしてそれを受容することは、信者の霊的死、及び、キリストと彼との一体化を意味することになるでしょう。もちろん、クリスチャンの十字架は同等の記章を持っていません。
 
 

しかし、ギリシャ文字CHIは、Xです。従って、これがキリスト教会内で、「キリスト」を書くために認められた速記文字として知られています!クリスマスがキリスト−マスを意味していることを思い出してください。従って、Xはキリストの名前です - これが、残りの者の額の上で出現するものになるのでしょうか?(獣のマークはまたギリシャ文字Xを含んでいることを指摘するべきです。なぜなら666は、ギリシャ語でCHI+XI+STIGMAと書かれ、Xは600の数値を持っています。)Graphics by kind permission of http://www.theseason.org/mark.htm十字架はずっと古代から、意味深長なシンボルです。それがすべての人にすべての物を意味するので、この当てにならないマークに頼むのはよい選択ではないかもしれません!カトリック教徒にとっては、キリストへの彼らの忠誠を示す洗礼のしるしです。しかし、オカルト主義者には、それは、霊が自然と出会う所、天国と地球の間のミーティング場所を意味しているのです。ある書物はこのような方法で十字架を説明します-十字架:最も遠い時代からの万国共通のシンボル。

それは卓越した宇宙的シンボルです。それは天国と地球の間の通信の世界センターであり、それゆえ集約地点です。十字架は宇宙の軸すなわち宇宙の木、生命の木、山、柱、または天国の中に昇るはしごです。垂直の軸 = 天的、霊的、知識的、積極的、および男水平の軸 = 地上的、理性的、受動的、否定的、女性それは自然なかの二元論であり、反対物の合一、霊的な統一と人の魂の充実した生活の中への統合を代表します。 上記のすべては、たぶん、影を投げかける(オーバーシャドウ)時と神の印を受ける時に起こる神と人の間の相互作用を説明するのに最適です。それはまた「キリストの霊」を受け取ることを結果として生じる霊的、自然的な領域の間の開放的な交流を完璧に象徴しています。
 

最後の文字−TAU私達は、イエス・キリストが「私は、アルファでありオメガです。最初であり最後です。」と語ったと知っています。 彼が最初であり終わりです。彼は、私達の霊的なレースが始まるスタートの号砲を打ち、最終ゴールで私達に旗を振る人を造られた方、また私達のレースを仕上げる方です。

従って、イエスは、アルファベットの最後の文字として、時代の終わりにもう一度、現れる方として象徴されています。ヘブライ人の中で、その最後の文字はTauと呼ばれます。ヘブライ人の中で、今日、その文字は四角いように見えるが、古代においては、それは斜めに傾いた十字架(X)のようでした。これ以外にも、ギリシャ語を含むほとんどすべての古代のアルファベットの「最後の文字」が十字でした。すべてこれを考慮するなら、私は、「印された者」の上に与えられるどのような可視のマークも、十字でありえると信じます。そしてたとえ、その十字が金であろうと信じ得ます。重要な質問 ある人が、発するよい質問はこうです - この偽りのの印を受けることは、実際には「獣の印を取る」ことになるのでしょうか? 

私自身の個人的な感覚は、「罪の人」が出現し、彼の統治を開始したら、より文字どおりで、明らかなマークが働き始めるであろうということです。しかしながら、教会でのこの予行演習は666のマークのための事前調整の可能性があり、霊的なそれに相当するかもしれないということです。天使または聖職者からこの感触を受けることは、それが霊または所有権のマークの印を受けることであるなら、それと同程度に危険です。私は、もっと印について言う必要がありますが、この記事を速く迅速に適度にまた十分に小さく保つため、私は、議論を次の機会に継続させようとしています。そこでは、次のことを見るつもりです: 信者に対する印の霊的な意味 本物の神の印 世界規模の教会と真のクリスチャン 信者を従わせるためにリーダーが使う方法 信者たちの影の投げかけとそれが意味すること −−−− さらに多く −−−私がこれを書く時に、私を祈ってください!!!
 

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