用語集


重要な注
このセクションの中で、「息子であること」、さらに急進的な(教えである)「神の顕現された息子(MSOG)」グループ、と「後の雨」とを明確に識別する必要があります。しかし、私の記事の中では、今日のリバイバルと回復グループを含めて、不正確ではあるが、そのようなグループ全部を含む用語として「息子であること」を用いました。
 

「息子であること」の概念

「完全」とクリスチャンの円熟の経験とに到達する試み、さらに、聖霊の中で聖潔、霊性、および啓蒙によって(神の)息子であることグループのメンバーになろうとすること。
イエスが、模範的息子(下で見てください)なので、(神の)息子であることのゴールは、「彼のように」(I ヨハネ 3:1-2)になることです。
 この関係の、あるグループによっては、実際のゴールは聖化、さらに罪のない完全を通り神性にまで及ぶものである様です。。この教えによると、すべてのキリスト教徒が神の‘子供’である、しかし一方、彼らはすべて‘息子’であるわけではなく、「勝利を得る者」だけが「息子であること」に到達します。この達成は、「息子の養子縁組」(ロマ8:23)または完全な成人と呼ばれ、それは、すべてのキリスト教徒によってではなく円熟に突き進む人々によってのみ達成されます。「養子縁組」は、通常、からだを受け取ること、および/または神の王位に追いついたと認定されたプロセスのクライマックスです。
 T・オースティン・スパークは、すべてのクリスチャンは相続人として誕生するが、すべての人が継承に到達するわけではないと、彼の本「神の霊的家」中で語っています。スパークはまた、続けて、完全な(神の)息子であることは、個人によってではなく、明示された息子の体のメンバーとして団体の相続としてのみ達成され得ると伝えます。
さらに深い「息子であること」の説明記事は、以下でご覧ください。
http://www.nccg.org/sonship.html

息子たちの一団
息子であることのいくつかの形態は敬虔主義とウエスレアンのホーリネス・ムーブメントから派生しています。他は後の雨リバイバルの外で発展したが、「息子であること」の教え自体はこれよりは早く、19世紀の、聖潔教義から派生しました。
 それらは、特に、その追従者が別のキャンプへと別れ、後の雨リバイバルが失敗した1950年以降に入って次第に異端的になりました。教義の多くのバリエーションは、現在、それぞれの息子であることグループによって固持されており、あるものは他より極端であると考えられます。
 極端な「息子であること」教義はニューエイジの教えと類似していますが、一方、古いスタイルの敬虔な「息子であること」は、より深い信仰生活を求めるによって特徴ずけられています。
 古いスタイルの「息子であること」は、淫婦教会(既成の教団)を出るレムナント(残りの者たち)を求め、そして完全にキリストのからだを回復させ得る使徒と預言者の回復を求めました。今日の息子であることは依然としてこれらの教えを固守しており、さらに異端的になりました。

顕現された息子運動
 MSOG (Manifesto son of God=神の顕現された息子)グループはより根本的で、極端な教えであるため、これと息子であることグループ(上記)とを区別することが必要です。彼らは、その展望においては、より攻撃的な傾向があり、そのゴールは支配権です。
 彼らは、それらの使徒と預言者によって先導される新しいグローバルな教会構造(新しい神殿)を設定することを計画し、息子グループに到達した人々は、鉄の杖によって国家を支配するパワーを与えられるでしょう。統治者の位と審判の権に重点を置くため、これらは「支配神学」と呼ばれています。
 ほとんどのMSOGグループは信者の不滅を教え、そのいくつかは、サタンを含むすべてが後の日に贖われるという、普遍的な救い(ユニバーサリズム)を教えます。
神の子の顕示(現れ)を記しているローマ人8:18-25に基づく神の息子の顕示。
 これは、地上へのイエスの到来(再臨)の前に、栄光と権限において息子であるグループの啓示を意味すると言われています。この一団は、栄化され、復活のからだに変貌し、世界を支配する仕事を与えられるでしょう。

回復
 この教えは、教会が地上での支配権と共に、その真実の教義、能力、および権限をも失ったと教えます。これらの真理とは、年を経て次第に5重(使徒、預言者、伝道者、牧師、および教師)のミニストリーを通して、教会が完全な円熟に達するクライマックスに導かれ、回復されることです。
 息子であることグループのすべては「回復」を教えます。イギリスにおける弟子グループは「回復運動」と呼ばれて、彼らは息子であること教義のカリスマ的なバージョンを固守しています。

後の雨
 「肉なるすべての者」の上に後の日に聖霊の流出がある、信者が「無制限に」聖霊を持つ状態になり、からだの円熟、統一、および満たしに達するというヨエル書2:23の霊的解釈に基づいた確信。しるしと奇跡が起こり、人類の大多数は王国の中に収穫される。(ヨエル書2:28-31)前の雨はペンテコステで見られ、後の雨とはアズサ通りリバイバル或いは、1940年の後の雨リバイバルのいずれかと考えられ、後の雨はまた現代のリバイバルまたはそのバリエーションとなっています。

後の雨リバイバル
 カナダのノースバトルフォードで1948年に始まったリバイバル。主要なリーダーはジョージ・ホーティン、パーシー・ハント、およびミルフォード・カークパトリックとヘリックホールトでした。
 別の重要な人物としては、即時の賛美を得る方法として、長い期間の絶食を推薦したフランクリン・ホールであり、彼の教えは後の雨リバイバルにおいて実行されていました。
 このリバイバルを通してはじめられた教義は、人々が個人的な預言によって指導された分与--手を置くことによる賜物の分与--と指示的な預言でした。
別の教義は、教会は「神から」直接受けた新しい啓示(新事実)を受け取ることができるということでした。

新しい事
 イザヤ書43:19の聖書に基づきます。
19世紀の中ばから、神が弟子とする仕事を完遂することが、教えられはじめました。後の雨リバイバルにより、すべての国家を 神のためにすべての世界を収穫するための主要な聖霊の流出がある。キリストが戻る前に、大宣教命令を達成することができるように、彼は教会を聖別して、聖霊により力づけ、地上の権威の場に教会をを引き上げるとする。
古く無益な教会は転覆させられる、栄光へと復元される、これは、「新しいことがら」(国々に対してキリストを明らかにすることにふさわしい地上の新しい人)を創り出すでしょう。
 
 
 

エレミヤ31:22には、「主は、この国に、一つの新しい事を創造される。ひとりの女がひとりの男を抱こう。」 - これは比喩的に黙示録に書かれている息子と女の記述に関する参照として取り扱われます。

人の子
 黙示録12:5を引用して、少数の特別に選ばれ、準備された信者が「息子であること」に到達する、従って「地上から取り上げられる」か、または地上で任命され、統治者の王位に昇進する価値があるとみなされる人々についての教え。
 このグループは、この女から生まれた男の子と考えられます。その女性とは、一般に世界教会または淫婦教会と考えられます。

レムナント(残りの者たち)
 上記のように、残りの者たちは、既成の教会というバビロンのシステムから出てきた人々であり、統治者の位置への用意ができるべく自分自身を清める者たち。

携挙
 地上の次元の中に存在している霊的な地上天国を実現しようとする「支配権信奉者たち」にとって、天国に携え挙げられることについて記されている聖書の記述は問題となる。
従って、信者は実際問題、どこにも「行く」ことができないのです(物質的に携え挙げられることはない)。
それは、通常、勝利を得る者たち(残りの者または初穂または息子など様々に呼ばれます)が、「取り上げられる」か、キリスト教徒の普通のからだ(教会)とは別に、区分された一団としてキリストと共に支配するため、黙示録の多くのできごとが起きる前に神の王位に置かれる(単に霊的なことをさす:物質的に携え挙げられるわけではない)ことをさすと教えられます。

 これは、聖書のいう携挙(それは後の段階で起こります)の前に起こると言われ、息子であることの教えの中で霊的に解釈されます。ある人々は、携挙とは、この(黙示録の一連の)できごとの中で経験され栄光と喜びの中に変貌すること(これが携え挙げられること)であると教えます。

 既成の教会の外の新しい教会構造としてのセル教会、信者の小グループまたはセルは、その頭によってそれぞれカバーされ、弟子訓練され、五職の働きのピラミッドシステムによってコントロールされ、教えられます。
 グループリーダーは自主性を持たず、代わりに、全国的、国際的な使徒と預言者に従う、都市範囲の指導者に服従をします。細胞(セル)概念はボディ、多くの細胞を持っている1つの実体であるからだとの考えに基づきます。からだを成長させるために、それは分岐されています。
(詳しくは、「セル・チャーチ・システム」の項目を見て下さい)

ヨエルの軍隊
 これは、ヨエル書2章に基づきます。(この箇所を)寓意的に解釈し、神が、栄化された、無敵の信者(ある人々は、不滅であるとも言う)で構成された軍隊を送るという教え。その軍隊は不正な者を殺害し、強力な最終的な猛攻撃により世界的な義をもたらすという。
彼らは無知な者たちには知恵をもたらすが、反抗的な者へは、死をもたらします。

花嫁
 黙示録19:7-8。花嫁と息子は通常、「息子であること」の教えの中では別個のグループです。
顕現された息子または人の子、またはキリストの一団は花婿であり、支配するように運命づけられている「指導的立場の聖徒」から構成され、花嫁は、息子の仕事と働きを通して清められる他のすべての従順で、服従する信者により構成されています。
 従って、最後に、花嫁は「用意が整い」、黙示録21:2-3で見られるように、花婿と霊的な結婚します。
(訳注:要するに教会の花婿と称する偽キリスト軍団、偽使徒、預言者が、キリストをさしおいて、花嫁、教会と霊的婚姻を行うというトンデモ教理:まさにキリストの栄光を輝かせない、反キリストの教え。聖書のいう背教とはこのことか。)

勝利者
 黙示録3:21/12:10-11。敵に打ち勝ち、完全な神聖化と「キリストの完全な高さ」にまで至る人々。神の子として顕現されるグループと同じ。

初穂
 黙示録14:1-5。体が贖われた最初のグループであり、勝利者と同じ意味あい。

144,000
 黙示録7:4。額に神の印を受けた人の数。印は分離のマークであり、息子であることに到達している人々を示す。上記と同じ。

ヨセフの奉仕
 ヨセフが自分の兄弟たちよりも先んじて、道備えをしたように、初穂の一団は、他の残りの教会より先んじる。ちょうどヨセフがキリストの型であったように、また権威ある者として兄弟たちに自分を顕わしたように、家族のために穀物を備えた様に、教会に顕現し、食べ物を与える。