セルチャーチのわな(3)


変形教会:セル教会と家グループ      トリシア・チリン著

パート1の内容
 紹介
  新しい教会−新しい指導
  王国の統治
  レムナント志向
 世界を改宗させる
  歴史的背景
  ドナルド・マッギャブラン
  終末論的誤謬

(教会の)移行、変質が起こっており、それにほとんど、誰も気づいていません。
教会のモデルは変換され、建物としての教会、礼拝プログラムというモデルから家ベースの「からだ」の働き、セルの構造へと交換されています。これを非常によい物と考えるかもしれません。
 すべて、伝統的な正面を向く講義スタイルの集会は、神が元来信者のために意図していたものではない、と多くの人々は感じていました。
 この動きは、多くの場合、座席レベルキリスト教徒を、独裁的指導者の下から解放し、彼らが非公式な設定の中で彼らの神から与えられた奉仕を訓練するように機会を広げることができたのではありませんか?
短く答えるなら、答えは「ノー」です。
 このゲームの名前は「支配」であり、セル教会システムは、人々をコントロールし、教会メンバーを監視し、背教の宗教帝国という究極の目標を達成するように設計されています。
地球をグローバル教会の政府に至らせるその目的のために、私は、今日の教会の改造を制御している三つの原動力を挙げられます:
 

1. 支配権命令:
神の人々が、すべての生き物の上にすべての権限を持ち、地球の上で支配することになっているという結論による。
2. すべての教会を完全な可視の単一教会とするための駆動力(これはヨハネ17:20-26のみことばを誤解すること基づきます)。

3. 大いなる任務:
マタイ28:17-20の「大宣教命令」の聖書箇所を基礎とした任務である。この箇所が巧妙に誤訳され、キリストの再臨が起こる前に、「すべて国を弟子とする」こと、つまり世界の人口の大多数をキリスト者にせよと神が要求しているのだと受け取る。

 ここで私は、4項目目を加えたいのですが、それは1〜3以上には際立たないが、しかし最重要のものであり、「変質した教会を動かしている原理」を追加します。それは、地上の上にシェキナの栄光が回復された人の幕屋に戻って内住すること!なのです。
この信仰は、他の多くの場合と同様、文脈から切り離された聖句に基づく誤解であり、地球上に、物理的に神の顕示に適合した「神殿」を設置するとの約束です。それゆえ明らかに、この危険性は高い!

日和見的
 クリスチャンの心の中には、よりルーズで、より効果的で、ユーザフレンドリな形の中へと教会を改良したいという願望--特に若い信者に--があります。この欲望を利用し、セル教会システムへと教会をコントロールすることは、多くの人々を不用意に驚かすことなく、上の三つの原則によって制御された「ニューエイジの教会」を導入するには非常に効果的な方法でしょう!
同時に、回復の教義は「終わりの時」には「何百万人」もの人々が収穫されるという一般的で、時々意識下にある期待を植え付けてきました。
問題は、正確にはどのようにして彼らを勝ち取るか(収穫するか)、であり、その後に彼らをどうするか?なのです。
これらのニーズに対するポピュラーな答えは、完全に新しい形の中に教会を再建することになっています - セルのネットワーク:
「神はその新約聖書的スタイルとそのパワーへと教会を回復しています」。
古いブドウ酒の皮袋は新しいワインを入れることができません;それは破裂するでしょう。
新しい真理と働きを容易にするために、神の新しい動きは新しい構造と形態を必要としています。従って、私達が第二の宗教改革、新しい使徒的宗教改革の中に住み替わる時に、私達には新しいブドウ酒用皮袋が必要なのです」。 [「新約聖書ブドウ酒用皮袋を復元する」]

ほとんどすべての教団または教会組織は、セル教会に対して、現在熱心に小グループモデルまたは「移行」することに関心を抱き調査しています。
救世軍、ユニテリアンに、バプテストに、統合メソジスト教徒、ローマ・カトリック教徒に及ばず - 誰でも、新しい改宗者を得ることの可能性を最大限に生かせるようにと小さいセルと家庭のグループへと変りつつあります。
 悪魔は予定表を持っています。彼は、「変更した方法論」によって私達の精神を変換したいのです。それはセル教会などの新しい構造に行動を起こすためには必須事項であると言われています。

世界を勝ち取るのための戦いの最終ラウンドが始めるその前に、‘方法論’すなわち、様式、モデル、物事の見方、および私達が「教会」を見る見方--その建物、説教、牧師、および日曜日の礼拝の定められたリーダーシップ、および中心的な役割--それら
は、セルの「新しい方法論」へと根本的に変換される必要があると彼らは言うのです。

 この激変は、1517年における「ルターの95ヶ条の命題」と同じ程すさまじい、活発な変化を見ることになると主張するある種の人々により「第二の宗教改革」というラベルを貼られています。それなしでは、新しい「使徒の」ネットワークの長期計画は完全に作動することができないというのです。
「私達は、現代の(宗教)改革者となる必要があります!私達は、われわれの世代におけるルター、カルビンおよびノックスとなる必要があります!私達は、新しい方法論思想家と歴史形成者となる必要があります!」「立ち上がり、新約聖書ブドウ酒用皮袋の第二の宗教改革と復興において先導して行きましょう!」 [「新約聖書ブドウ酒用皮袋を復元する」]

ラリー・ストックスチル(ベサニ世界祈祷センター、バトンルージュ、ルイジアナの600を超えるセルを持つセルをベースとした教会の牧師)は、彼の本の中で「セル教会」について書きます:
「方法論は、私達が見ていること、経験するものを、どのように解釈するかを、コントロールします。それは見通し変換の全体セットから成り立っていますが、パラダイムシフトをもたらして、物事を違った視点から理解するために、通常、努力とストレッチを必要とします。
 しかし、構造の規格化したシステムと‘純粋な’セル教会の戦略を識別し、実行するためのセル教会の幻を見る者たちの間に合意がなければ、このセル教会の働きは決して実現しないかもしれません!はい、私達のセル教会システムを理解するにはパラダイム・シフトを必要としています。」
「ブドウ酒用皮袋を考え直します」において、フランク・バイオラ(家庭のグループリーダー)は言います。
 私達が適切にそれを築くことができる前に教会を考慮に入れている、「科学の哲学者トーマスクーンの言語で、私達はパラダイム・シフト"が必要です」。

 すなわち、私達はキリストおよび彼のからだの意味に関する新しい世界観が必要であり、−−エクレシアである教会を理解するためのニュー・モデル−−教会について考えるための新しい枠組が必要です」

ここで提案されているものは、より根本的なセル教会提案者によるものであり、教会の受け入れられた構造から変化して、人のからだにおけるのと同様、細胞(セル)ベースで、「信徒」によって導かれ、分裂によって増殖するものです。この原則のいくつかは健全であり、かつ魅力的でさえあります。
しかし、その最終目的はグローバル政府と全く同源なのです!そして、その方法は、現代存在する個々の各教団教会構造の完全な分解、解体であり、それらの目的に貢献するシステムへと入れ替えることです。

新しい教会 - 新しいリーダーシップ
 セルの構造に関する、その装飾的な修辞学、巧みな文章の裏に隠されているものは、教会が使徒的宗教改革に向かうことであり、自己推薦の使徒と預言者のリーダーシップ(訳注:ピーターワグナー、ベニーヒンの様に誰が認めたわけでもないのに、勝手に使徒だ、預言者だと自認している人のことか)、過酷な先導(使徒、預言者がきびしく、群れを導くこと)、伝統的聖書研究や古典的な聖書の教理を捨て去り、敏感な探求、社会的なプログラム(信仰というより、人間的、社会的なものを満たすセルプログラムのこと)ときままな「分かち合い」を通し、すべての教会の信者の追跡、監視と管理へと動いていることです。
 

そのパラダイムシフトとは、
個々の救いと個々の信者の聖化のために必要な教え、聖書教育、および訓練のために福音を説くことを離れ去るシフトなのです。
この競争における「成長」へのシフトとは、世界全体を改宗させることであり、その場合、数が非常に重要なものとなるので、教会における数の成長に寄与していないものは、どんなものでも捨て去るのです。それはまた、グループの集団改宗へと向かうシフトであり、一旦セルの屋根の下に彼らを入れたなら、いわゆる「弟子化」へのシフト、換言すれば、教会の信者を統括するためのシフトなのです!
 

このセルという提案は聖書的で魅力的な目的をもった提案である様にも見えますが、しかし、
長年の間、牧師や長老によって行われてきた(説教等の)独占的な奉仕を、会衆へと移し変えて、全信徒による奉仕の原則を
行ったとしても、これも「これらセルのメンバーが、ピラミッドスタイルの組織の中で厳格な牧師、指導者、弟子訓練師、長老によって導かれるなら、ローマ・カトリックの聖職者制度と肩を並べる(圧倒的な権威のピラミッド構造の下に入る)ことになりかねません。
 

、この奉仕機能の転換に払われる努力は第一に、教会にある「資源を活用する」ことになっています。
 外に出て行って、「失われた者」を収穫するようにと、数百万人の従順な小さな労働者を訓練するために、「パラダイム・シフト」という光に入るということは、それほど無害で、慈悲
深いことがらとも見えません。
OFFSITE LINK: "Catching the wave of spiritual renewal" by Wesley J. Gabel
 
 

ロジャー・スワンソン牧師(福音伝道会議運営ディレクター)は、「過去50年間で、世俗文化が教会の競争相手になってきている。米国の教会にいた人々の多くが、教会員から非教会員になっている。」とリーズバーグの彼の「新しいブドウ酒用皮袋のための新しいワイン」ワークショップで語りました。
 「それにもかかわらず、人々は「非常に霊的で」あり、彼らは、キリスト教を勉強しているのでなく、ほとんどがどのように彼らの差し迫ったニーズを満たすかを学ぶためにキリスト教徒を見つめ、探し求めています。」スワンソンは、「従って、教会は、このの現状を反映するために変わる必要がある」と言います。「教会から離れている人々に(手が)届くためには、各教会が弟子作りのためのシステムを変える事です」

 彼は、教会は、自分たちの考えを、活動を生成するプログラムから、人々が霊的ニーズを満たすため神との関係を回復に手助けし、実を結ぶために計画を立てることに移す必要があると言います。教会は、「仕えることの幻」を発展させる必要がある、とスワンソンは述べます。外に出ていって、人々が何を必要としているかを尋ねに行くべきだ。なぜなら、教会は人々の必要に応えるとき成長するのだから。と語りました。勿論、彼は正しいのです。
 教会ばかりでなく、あらゆる種類の組織は「彼らが人の霊手なニーズを満たしている時に、成長する」ことを精神医学者、ポルノ作家、クリスタル治療者、堕胎擁護家が発見しています!

(訳注:要するに彼、ロジャー・スワンソン牧師が主張する「人々の霊的なニーズを満たす、そのために教会は変わるべきだなどとの
主張は、教会内にポルノ作家、クリスタル治療者、堕胎擁護家が使用しているのと同じ方法論を持ち込むことであり、
同じレベルの変質させることだと書いているのです。)

王国統治
 より悪いことに、セル教会の変更された方法論の背後には、古い支配命令と変化した教会が地球(もちろんキリストの名前において!!)を征服し、支配するという計画があります。
「預言者」はこの事をこんなふうに表現しました。
「神の聖なる目的のためにこの地球を勝ち取るということに関して勝利へと導くために、教会がその正統な立場を取る時なのです」
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 しかし、このことが起こるために、新しいワイン(新しい教会秩序)が注がれる必要があるし、「新しいブドウ酒用皮袋」を持つもののみが、それを受け取ることができるでしょう。
1993年に、主は非常にはっきりと私と話し、「来るべき月と年における預言的な働きと関連のない働きは、私の次の大いなるの動きのつまづきとなるでしょう」と語りました。
 彼は、「無知はしばしば伝統に変装してやって来て、成長しているものならなんに対しても変更し、開放的であり、前向きであり、変わることに柔軟になるでしょう。」とも言いました。  [Pastoral Dependence/A Sign Of Disorder, Clay Sikes]
この動きは危険にもかかわらずセル教会に向かうのでしょうか?私はそれを恐れます!溺れている人は藁をもつかみます。

レムナントを狙う

 悪魔は確かに気付いています。レムナント(残りの者であるクリスチャン)信者が新鮮な何か、より本質的な何か、スーパー教会のグローバリスト的意図から分離された何かに飢えていることに気づいています。ここに、危険が横たわっています!
 大会などに妨害されない聖霊の中で礼拝したいという自由を要求し、すべてのメンバーが聖職者、参加者問わず等しく評価されるシンプルな家庭の集会を捜すことは、そのこと自体は不当でも、何でもありません。
「キャンプの外にある」教会に関して、それは、主が数十年の間形成されていて、私自身がこのウェブサイト上でそれを促進してきたことです。
 しかし、悪魔は、この必要と誠実な要望に向かいつつあり、それを彼自身の有利に変える準備をしています。
 私は、悪魔が、神が彼自身の真の信者のために準備している何かを先取りしようとしていると信じます。
神は、非公式な基礎の上に、霊的調和の中で1人2人と小集団をまとめています。彼らを、教団が開発した制約から解放し、働きと賜物の中で成長するように彼らを励ましています。これは数世紀間、霊的成長のためにと与えられた、私達の絶好のチャンスを表しています。
 それは、リフレッシュ、礼拝、祈り、癒し、解放のためのユニークな機会も提供され、1対1の福音共有、詳細な家庭設定 、重荷は分かち合われ、個人的な問題が解かれ、弱さは持ち上げられ、励ましを受け、誇りや野心は砕かれ謙らされるのです。各人は神に、そして「からだ」に自分たちのユニークな価値に関する知識に入ります。
 各自は、賜物の中に動き、彼ら自身の働きを開発するために彼らの歩みが神の中で見出せるチャンスを与えられることができます。聖霊は、全体を支配することを許されることができ、言葉の多くの真理が、遙か遠いところまで探究され、従来の教会説教の範囲を越えて説明されることができるように、主は祈りと礼拝と、そして教えに場所を取られます。
従って、私は強くシンプルな自治の家庭の集会を推奨し、これが、堕落し、背教した教会システムの外で座礁して放置されている私たちへの神の用意であると信じます。
そうは言っても、シンプルな家庭の集会とセル教会の動きとの間に雲泥の差があります。
どれほどの人が、すべての家庭の集会と違うグループとを区別し、すべての家庭集会が同じではないことを理解できるでしょうか?
 第二の宗教改革は、区域で組織されており、自治である家庭グループでではありません。彼らは、世界的な「からだ」の「細胞」(セル)を作成し、急速に大いなるものとし、終わりの日には強力な背教した教会となるでしょう。最終的に、家庭グループは、全体の教会が建てられるその基礎になるでしょう。家庭グループの奉仕チームは、実際の教えを含めて、リックジョイナーが先導しており、彼は聖徒を備えることにおいて大きな仕事を提供するでしょう。

 私達がここに持っているものは作り出された災害であり、多くのナイーブな疑問を抱くことのない改宗者の顧客候補はグローバリストシステムへと案内されている状態であり、参加者の大量のデータベースは急成長する道の上に置かれているのです。そして、ただ友情を捜して放浪する、不信仰なレムナント信者を欺くための、さらに大きな可能性があります!
 リバイバル教会のフライパンから外に飛び上がり、そして彼らはまさにセルグループの火にまっすぐに飛び込むのかもしれません。

(訳注:ここに書かれているのは、イギリス、ブラザレン系を始めとする伝統的な
小集会、家の教会、等を招き、罠に落とすためのたくらみがあり、それこそがセルチャーチのたくらみであるとの
指摘です。彼等は大きな教派、教団の誤り、硬直製を否定し、深いみことばの学びがあったかもしれないが、
いままさに彼等をターゲットとしたかの様なわながセルチャーチをもといにしかけられつつあるとの指摘なのです。)

世界を改宗させる:歴史的な背景
50年代に密かに始まり、21世紀へと爆発する小集団とセル教会への傾向は実のところ、「教会の新しい方法」として南カリフォルニアのフラー神学校に結集された教会成長運動によって開始され、促進されました。
OFFSITE LINK: See here for an article about CGM and cells.

ここで、教会成長運動とセルについての記事を見てください。
私達は、まさしくセルのその最初から制御した教会成長原則を考慮せずに、セル教会運動の背後の考察と目的を理解することはできません。

ドナルド・マッギャブラン
(Note1参照)
教会成長の父は、インドのキリスト宣教師の弟子として仕えたエール神学校卒業生のドナルド・マッギャブランです。彼は、宣教師の両親のもとに1897年誕生し、同盟宣教師協会の宣教師として1923年インドに戻る前に、彼は米国で大学と大学院教育を完了しました。
教会の遅い成長率に関係して彼は、数の成功を確保する計画を捜し求め、様々な18世紀宣教論的な理論家たちのいう
世界をキリスト教化するため、教会成長を研究しました。
彼自身無千年期の立場から、キリストに対して個人の信仰決断するという立場から離れ、種族、文化、および国家全体をキリスト教化するという方向へ転換して行きました。
 世界宣教のためのUSセンターの公報「ミッション・フロンティア」に手紙を
渡したスタイルで、McGavranは「ピープルグループ」と民族的特性に関する彼の強調を以下のように説明しています:

「キリスト教のミニストリーのゴールは、人類のあらゆる非教会地域に福音を宣べ伝え、神の恵みにより「教会」或いは「成長する教会集団」を植えることであるべきです」
「人類のセグメント」というフレーズによリ、私は都市化、開発、カースト制度、種族、谷、平野部または少数民族を意味します。
 一人一人の改宗は、相対的に遂行しやすい(けれども)彼がキリスト教徒になると、親族からは、その改宗者が「私達」と別れて、「彼ら」に結合した人として見られます。彼は「私達の神」を離れて「彼らの神」を拝む、ことになります。この過程を経てできた教会は反逆者の集団のような地域の人々に目を向けます。それは複合的な会衆です。それは、個人からなり、それぞれが、いくつかの違う社会や階級、または種族を出た者たちの集団です。」
「では、私達に、他の方法で、どの神が人々を弟子としているかということにおいて地球の民族を対比してみましょう。ゴールは都市または地域で1つの単一の複合的な教会ではありません。
それは、すべてのメンバーが彼の親類関係との緊密な接触にとどまっている先住の会衆こそが成長するクラスタであるにちがいありません。それが一種の人々、一つの社会的階級、1種族、社会の1セグメント中にあるならば、このクラスタは最も成長します。

 例えば、台北のタクシー運転手に伝道しているなら、ゴールは、何人かのタクシー運転手たちであったり、何人かの大学教授、何人かの農夫、および何人かの漁師を勝ち取ることではないはずです。そうではなく主としてタクシー運転手、彼らの妻、および子供からなった教会と機構を設立することでしょう。
 その特定のコミュニティの改宗者を勝ち取る時に、会衆は自然で、社会的な求心力を内蔵しています。誰でもくつろぎます。そうです、ゴールは明確です。」
「ほとんどの事情において、彼ら自身は完全に同種の人々であり続けるように改宗者に励まし勧めてください」。

 彼らは、それらの人々が食べるものを食べ続けるべきです。
彼らは、「私の種族は菜食主義者であるけれども、私がキリスト教徒になったので、私は、肉を食べようとしています」と言うべきでありません。
 彼らがキリスト教徒になった後、彼ら自身は、彼らが以前そうであった以上により厳格な菜食主義であるべきです。
 服装について、彼らは、正確に彼らの親族のように見え続けるべきです。ほとんどの事情において、徹底的に自分たちの種族であり続けるように改宗者に勧めてください。
キリストのためにグループ意思決定を獲得しようとしてください。
ほんの1人の人が、イエスについて行くと決めるならば、直ちに彼に洗礼を施さないでください。
彼に、「あなたと私は、イエス・キリストを認めるために5人または別の10人への救助者或いは、神が望まれるなら50人を導くために一緒に働きます。従ってあなたが洗礼を施される時、彼らと一緒に洗礼を施されるのです」と言ってください。
追放は1人の孤独な人に対して非常に効果的です。

しかし、追放は1ダースのグループに対して発動される時に、実に弱いものとなり、そして、200人に対して発動される時に、それは事実上全く力を持っていません。
私が強調する最後の原則はこれです。
常に、兄弟関係を強調してください。
キリストの中には、ユダヤ人もなければ、ギリシャ人もなく、奴隷もなく、また自由人もなく、未開人もなく、スキタイ人もありません。私達はすべてキリスト・イエスの中のものです。
 しかし、同時に、パウロがすべての不完全な社会的な組織を攻撃するわけではなかったことを覚えてください。例えば、彼は奴隷制度を廃止しませんでした。

 私達が兄弟関係を強調し続ける場合、私達兄弟関係を達成する最も効果的な方法は、すべての人種、すべての種族、社会のすべてのセグメントからずっと増大し続ける男性と女性をキリストに従順な関係に導くことであると確信するでしょう。
 私達が、社会のすべての階層でキリスト教徒を増加させる時に、本物の兄弟関係、公正、良さ、および義の可能性は非常に増大するでしょう。実に、公正のために取る最もよい方法、ことによると、公正のために取るべき唯一の方法は、社会のすべての階層の非常に大きい数を献身したキリスト教徒にすることです。
 私達のゴールは各階層の中でキリスト奉公人ムーブメントであるべきです。そこにある社会的な求心力の原動力は、福音を促進し、多くの人々を暗闇から彼のすばらしい光に導くでしょう。「私達に、最も効果的な方法によってそれをすると確信させてください。」
[Mission Frontiers article: "A Church in Every People: Plain Talk about a Difficult Task" by Donald A. McGavran]

終末的誤謬
 一人の人の終末論--世界の終わりについての彼の預言的なの聖書の見解--は、彼の、終わりの日に達成可能な、またはたぶん神からの召しについての理解を左右することでしょう。
無千年期説または千年期後説として、多くの18世紀と19世紀の宣教師は、もし教会員名簿を作成するためと適当なユニットの中に彼らを維持するために、自分たちが適切なテクニックを使ったならば、世界を改宗させることと「大宣教命令を完遂すること」が可能であると信じました。
しかしながら、彼らの教会は、「世界を救うこと」に必要な割合で成長することは決してできなかったし、また、彼らが「国家を弟子化すること」に備えたリーダーシップを持っていなかったことは自明であったので、(この点において)何か変化の必要がありました。

彼らが予期していた新しい改宗者の洪水を保証するために、新しいメンバーを教会に追加することは、重要性を無効にすることになりました。
「改心」は教会成長の中心的なフォーカスを「弟子化」に譲ったが、CGM(教会成長運動)の文脈の中の「弟子化」とは、人がイエス・キリストを信じ(必ずしも救われている必要はない)、快く神に従順で、アクティブな教会の信者になることの心構えをすることを確かめることを意味しています。
 従順の概念は個人として神の声を知り、注意することよりもむしろ教会リーダーシップへの従順、服従を意味するので、いかなる救いも、教会の組織の外におては有効とは考えられません。
CGMとそれが促進するセル教会システムの基本的な前提は、人が、彼らを教会メンバーシップデータベースに追加する前にあまりにも多くを人々に要求するべきではないということです。
重要なことは教会の中に単に彼らをつかまえるなら、それ以上の教育はその後追加することができるということです。
「地球をターゲットに」の前書の中でラルフ・ウインターは「世界宣教における全体眺望の中の多様性の必要」と書きます。
「キリスト教観点によって物を見ることを主張しない世界の人々の数は、神の創造の意図されている良さと美を復元するために神とともに働くために努力して、愛情深く、慈悲深い神の父権を抱擁するすべての土地の人々の急増数に比例して着実に減少しています」。

「地球をターゲットに」はすべての国家のすべてのよい人々に招待状を渡します。それは彼らが、暗闇の力の上に最終的な猛攻撃を見、それに参加するために。
 ["Target Earth" 1989, Published by Global Mapping International, Pasedena California: Editor Frank Kaleb Jansen.]

彼らがすべて世界の悪の打倒と王国の設立に寄与している限り、「善意の人々」がこの観点に従って生まれ変わっている(新生)かどうかは重要ではありません。
これは、セル教会一般の聖職者が彼らの地域に伝えるであろうメッセージです。
数論理のアプローチは、福音メッセージの‘フェルトニーズ’(ニーズに答える)アプローチへと格下げされることへと導き、ます。

ワグナーはこの方法でフェルトニーズを定義します:
人の意識的な欠乏感と願望;
人の中で、福音に対する受容性を刺激するクリスチャン反応のための機会であると考えられます。 [C. Peter Wagner, ed., Church Growth: State of the Art (1986), p. 44.].
これは、セル・システムと全体教会の成長メカニズムを生み出した考えです。

(コメント)
セルチャーチの裏には、ピーターワグナーを始めとする教会成長運動(CGM)があり、その教会成長運動は
「数」指向、大きな教会=勝利教会との図式の中で、巧妙に教会を変質させ、別のものへと変えていっていることを
理解しましょう。彼等は「個人が導かれるより、家族全体、村全体が教会に導かれる方がずっとよいではないか」との
うまい論理の下で、個人の「新生」を軽視し、キリスト教らしきものへと人々を導けばそれでよしとする、
「薄めた福音」を提唱しています。
彼等はあの偽りの会議、ローザンヌ会議でいわれた様に、「福音](個人を新生に至らすこと)ではなく「福音化」(キリスト教的文化、教育に人々を導いてよしとする)
を強調して、個々の人々から天国を遠ざけようとしているのです。この方法は、カソリックで成功しており、彼等、カソリック教徒が受け取っているものは、キリスト教らしきものであり、キリスト教文化、風習であり、真の「新生」ではありません。
この様な教会の変質を聖書は、パウロの時代よりこの方、テサロニケの手紙で預言し警告し、「背教」と述べています。
セルチャーチは背教への道ぞなえであり、また教会変質への滅びの道です。
 

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