S25 キリストのことばを行って義となる

マタイ7:24 だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。

7:25 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。

7:26 また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なわない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。

7:27 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」

ここでは、キリストのことばを聞いて行う人と行わない人との対比が書かれています。
行なうとは、単に聞いて理解することのみをいっているのではなく、それを実行することを語っています。
そして、行なう人は岩の上に家をたてたようなもので、たとえ「 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れ」ないことが書かれています。
逆に行わない人は同じく、「雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方」なのです。

いざ惑わしの雨やら、洪水が来たとき、キリストのことばを行わない人はひとたまりもないのです。

私たちはこの実例を福音書でみます。キリストが十字架につけられるときは、
すべてのエルサレムに住む人にとっては、「雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつける」るような大きな試み、よりわけのときでした。しかし、キリストのことばを行っていた弟子たちはそのような困難の中でもキリストにとどまり続けました。しかし、キリストから病の癒しを求め、メッセージを聞き、パンを食べるがしかし、行なわない群集たちはひとたまりもなく、くずれていき、キリストへの信仰を失いました。


今までメシヤと崇めていたキリストを十字架につけろ、と一変してしまったのです。彼らの家はひどい倒れ方をしました。
そして、その理由は彼らが神のことばを聞きはするが行わなかったからなのです。

キリストの弟子たちの特徴はキリストのことばを聞いたらすぐに実行することです。

マタイ4:18 イエスがガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、ふたりの兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレをご覧になった。彼らは湖で網を打っていた。漁師だったからである。

4:19 イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」

4:20 彼らはすぐに網を捨てて従った。

4:21 そこからなお行かれると、イエスは、別のふたりの兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父ゼベダイといっしょに舟の中で網を繕っているのをご覧になり、ふたりをお呼びになった。

4:22 彼らはすぐに舟も父も残してイエスに従った。

ここでキリストの弟子になったペテロ、アンデレたちのことが書かれています。
そして、彼らはイエスの私についてきなさいとの呼びかけにすぐ応答し、
すぐに即断即決して網を捨てて従いました。

声をかけられて1週間考慮したとか、1年間熟慮したとは書かれていないのです。ですから、我々もキリストから声をかけられたら、すぐに行なう、ということが正しいのです。

永遠の命を得ることと、イエスのことばを行うこととは大いに関係があります。

ルカ10:25 すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスをためそうとして言った。「先生。何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」

10:26 イエスは言われた。「律法には、何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」

10:27 すると彼は答えて言った。「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』とあります。」

10:28 イエスは言われた。「そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」

10:29 しかし彼は、自分の正しさを示そうとしてイエスに言った。「では、私の隣人とは、だれのことですか。」

10:30 イエスは答えて言われた。「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎとり、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。

10:31 たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。

10:32 同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。

10:33 ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、

10:34 近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。

10:35 次の日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』

10:36 この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」

10:37 彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」

この質問、「「先生。何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」との質問に関してイエスの答えは神の律
法を示し、そして、「そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」と語りました。実行することを語り、このことを強調したのです。

ですので、我々は神のことばを行って初めて永遠の命が得られることを正しくしるべきです。
この箇所では、さらに良きサマリヤ人のたとえがかたられています。そして、その最後にイエスはまた、「あなたも行って同じようにしなさい。」として実行のことを語ったのです。


ですので、イエスが繰り返して語っていること、我々は神のことば、教えを実行して初めて永遠の命を得る、という原則を知りましょう。ただ、聞くだけ知っているだけではだめなのです。

クリスチャンとして、我々は自分の生来の性格がどうであろうとなかろうと、神のことばを実行する、すみやかに実行する、という習慣を身につけるべきです。この習慣は命、永遠の命に通じます。逆に口先だけ、知識だけの評論家の様なクリスチャンはあまり天の御国から近いとはいえません。このことを知りましょう。次のステップ

タイトルとURLをコピーしました