<<聖書と進化論>>

 

聖書と進化論とは両立するでしょうか?

その質問への答えは両立しない、というものです。

これら両者の理論はまったく対立しています。ですので、もし、進化論が

正しければ、聖書は誤り、ということになります。また、聖書が

正しければ、進化論は誤りなのです。

 

聖書は人や動物の創造に関して、それは「種類にしたがって創造された」と

述べます。進化論はこのことばと反対のことを語ります。

どちらが正しいのでしょう?

 

多くの人は進化論は科学的である、証明された事実である、と語ります。

そして聖書は、単なる神話の集まりであると語ります。

 

しかし、こういうと奇妙で不思議なことを語るように聞こえるでしょうが、事実は、

逆であり、進化論こそ、神話の集まりの理論なのです。そして聖書こそ

証明された事実なのです。そんなことばを信じるのはあなたには難しいでしょうか?

順に説明したいと思いますので、しばらくおつきあいください。

 

<哲学の教授は確信した>

 

創造に関して、Derek Princeは語りました、私は創造が聖書が記述したように、

起きたとまったく単純に信じている。私はイギリスのもっとも大きな大学、ケンブリッジ大学の教授を9年務めている。私は各種の学位と学問の栄誉を受けており、

自分自身をいろいろな意味で哲学的、知的であると思っている、

そして私は聖書の創造の記述を信じると自分でいうことが、何か

知的に低いことだとはどのような意味合いでも全く思ってはいない。

 

彼は続けます。

 

私が聖書を信じるようになる前、

私は、人間の起源の説明に関して、それ(聖書)以外の多くの研究、試みを行なった。そしてそれらがみな、不満足な答えしかなく、しかも多くの場合、自己矛盾のある理論であることがわかった。

 

私は聖書に向き合い、それに対して(信仰者ではなく)プロの哲学者として、学ぶようにした。そして結果としてこう自分自身に語るようになった。

「たとえ、この教えが、私が聞いたいくつかの理論に比べて、どれ程愚かな

話に聞こえようと、驚いたことには、私は聖書の中に回答を見出したのだ」

 

<進化、それは事実かフイクションか?>

 

進化は、それに比べて、(人類の起源に関して)答えを与えるというよりは、

さらなる疑問を与える理論であるように見えます。

 

National Center of Scientific Research(科学探求国家センター)のリサーチデイレクターである、Louis Bounoure 教授はこう正しく語ります。

 

「進化論とは、大人にとってのおとぎ話である。この理論は、

科学の進歩には何一つ貢献しない。この理論は無用である。」

 

 

進化論は大人向けのおとぎ話

 

Darwin's Theory: An Exercise in Scienceの著者である Michael Ruseは

その本の中でこう語ります。「多くの科学者、特にめだった数の進化論者が

ダーウインの進化論は、もう全く真の科学とはいえないと唱え始めている。

このように批評する人々の多くはもっとも知的な学位をもっている人々である。」

 

Atomic Energy Commission (原子エネルギー委員会)のDr. T.N. Tahmisian は、「進化論は生命の事実であると教えようとする科学者は偉大な詐欺師である、そして彼らが教えようとしている物語は史上最大のほら話である。」と語りました。

 

イギリスの哲学者でありジャーナリストであるMalcolm Muggeridgeは、

私自身は、確信している、進化論は、特にそれが受け入れられた場合、

未来の歴史の本における偉大なジョークとなる。後の人々は、

このように基礎が軟弱で、根拠の薄い仮説なのに信じられないほど、(現在の)みながだまされ、受け入れたことにびっくりするようになるだろう。」と語った。

 

進化論は偉大なジョーク

 

<進化論発展の歴史>

 

さて、このように多くの科学者が口をそろえて、その根拠のなさを

語る進化論がどのようにして、「進化」して、人々に受け入れられるようになったのか、その過程を見ていきたいと思います。

 

ダーウインの進化論の中でよく使われることばとしてミッシングリンク(失われた輪)ということばがあります。進化論では、生物は徐々に進化するという考えに立っています。猿が進化して人間になった、とするなら、猿から人間に進化する途上の

生物、猿と人間の進化途中の生物、猿人が存在するはずだと考えるわけです。

 

 

しかし、現実問題、そんな存在、猿と人間の中間の生物、猿人などは、ダーウインの時代には存在しませんでした。それで、彼はその

中間の生物、失われた輪(ミッシングリンク)のような生物は、これからの時代の考古学の発展の中で見つかるはずだと希望的観測を述べたのです。

 

その彼のことばをうのみにして、それ以来、進化論者の間では、血眼になって、

ミッシングリンク、人と猿との中間生物の化石を探すことが行われてきました。

そして、その途上で、捏造やら、無理やり、証拠にされた化石も存在するのです。

 

もし、進化論が正しければ、このミッシングリンクの化石はダーウイン以来現在までいやというほど、世界中で見つかるでしょう。しかし、正しくなければ、そんな猿と人間の中間生物の化石など世界のどこを探しても見つからないはずです。結果はどうなったでしょうか.....。

 

<ピルトダウン人の捏造>

 

イギリスの法律家でアマチュア地質学者であるCharles Dawsonは、

1912年にイギリス、ピルトダウンの近くの砂利穴において頭蓋骨片を発見し、報告しました。Dawsonの報告は、冷たいあざけりをストップさせました。

専門家は、すぐにこの発見を世紀の進化論的発見であるピルトダウン人(約30万〜100万年前)と宣言しました。

 

ダーウインのミッシングリンクの存在が確認されたとしたのです。

その後、40年ほど、この発見は疑われることなく受け入れられていました。

そして1950年代の初め、この発見に関して疑問が起き、それは

大変なスキャンダルとなりました。

ピルトダウン人とは、ほら話、捏造話であり、実際は、人間の頭蓋骨と

オランウータンのあご骨を組み合わせて工作したものだったのです。

放射性炭素法試験により、これは600年前の女性の頭蓋骨と500年前の

東インドのオランウータンのあご骨からできたものであることが判明しました。

Our Times: The Illustrated History of the 20th Century

 

ピルトダウン人:人間の頭蓋骨にオランウータンのあご骨を組み合わせた捏造品

 

 

さて、ピルトダウン人の捏造は単なる例外ではありません。

 

有名なネブラスカ人とは、一本の見つかった歯から生まれた、

原人の名前です。そして、その歯は後ほど、絶滅した豚のものであることが

判明しました。すなわち、ネブラスカ人という名前は残ったが、それは、

ただの勘違いであり、実際にはそんな原人は存在していないし、そんな

原人の化石も見つかっていない、ということが事実なのです。

 

ジャワ原人は、20世紀初頭に発見された、という原人の名前です。

しかし、名前はともかく、その発見の実態を調べるなら、とても

人間の祖先が見つかったとはいえないお粗末な内容です。

その内容とは、人間の頭蓋骨片、大腿骨の一部、そして3つの奥歯です。

あとは、発見者の豊かな想像力に基づいてこの原人ストーリーは

できあがったのです。ジャワ原人は現在では、まったく普通の人間の骨である

みなされています。

 

ハイデルベルグ人は、顎の骨と、大きな下顎部分と何本かの歯からなります。

多くの科学者はこの顎の骨を(原人の証拠としては)退けます。なぜなら

この顎は現代の人の顎に類似しているからです。しかし、多くの進化論者は、

この骨は25万年前のものであると信じています。炭素法で計算して

そのような古い年代が計測されたのでしょう。

しかしタイム誌は(1990年6月11日号)「考古学者は炭素法は、まったく間違っているかもしれないと示す」とのタイトルの科学記事を載せています。

 

ですので、このハイデルベルグ人も人間と猿とのミッシングリンクだと、

明言するには不確実な発見なのです。

 

さて、ネアンデルタール人は、どうでしょうか?これは、

猿と人間の間のミッシングリンクといえるのでしょうか?

進化の証拠と考えることは可能でしょうか?

結論を先にいうなら、ネアンデルタール人は進化の証拠にはまったくなりません。

ネアンデルタール人の頭蓋骨は現代人とまったく同じものです。猿のものではありません。彼はかがんだ姿勢をしていましたが、それは彼の病のためです。

(猿だからかがんでいた、というわけではないのです)そしてネアンデルタール人は、

話していたこと、宗教的だったこと、芸術的だったことがわかっています。

要は普通の人間だったのです。話す猿も、宗教的な猿も、芸術的な猿も存在しません。

 

Natural History のBritish Museumのシニア古生物学者のDr. Colin Patterson,

は、1981年ニューヨークにおけるNatural HistoryのAmerican Museumにて、

講演を行いました。その中で彼は何故突然、自分が「進化論者でなくなった」のかを

述べています。

 

ある朝私はめざめた、....そしてその事実、私がこのことに関して20年以上

働き続けてきた、にもかかわらず、このことに関して私は何一つ知っていないという事実は私に衝撃をあたえた。このこと、一人の人がかくも長い間、

惑わされるということを知ることは私にとって大変ショックなことだった、...それで、

私は多くの人に簡単な質問を行うことにした。「あなたが進化に関して

何でも知っていることを私に話してください。」私はこの質問をNatural Historyの

Field Musuemの地質学のスタッフに試みてみた、そして私が得た唯一の回答は

沈黙だった。私はこの質問を進化論の間では大変評判の高いシカゴ大学の進化形態学セミナーのメンバーにも尋ねてみた。長い間、私が得ることができた

回答は沈黙だけだった、そして最後にひとりの人が語った。「私は一つだけ知っていますーこれは、高校で教えるべき内容ではありません。

 

 

<進化論という宗教>

 

もし、進化論には理論的には何らの根拠もないとしたら、何故この理論が

熱烈に推進されているのでしょうか? 「種の起源」(100版)の序文を

書いたSir Arthur Keith は認めている。

 

進化論とは認定されていないし、認定しえ

ない理論である。我々がこれを信じるその唯一の理由は、この理論以外には神による創造という概念への代替の理論がないからである。神による創造、それは我々には考えられない。“

 

イギリス、マンチェスター大学の物理学教授H. S. Lipsonは、語ります。

“実際、進化論はある意味科学的な宗教と化している。ほぼすべての科学者はこの理論を(盲目的に)受け入れている、そして多くは自分の観察をこの理論にあわせて曲げようとしている。“

 

Lipson教授は正しい。進化論は宗教だからです。

いったい人々がどのようにしてこの宗教の信者となるのか見てみましょう。

ある人は未信者とその進化論の信仰をわけあいます、そしてその人は時が来て理論を信じるようになります。結果、彼は聖書のいう神の存在を疑い、信じないようになるのです。

 

モルモン教では失われた金板のことを語ります。モルモン教の信者が簡単にそのような

失われた金板(の架空)の話を信じるようになるのは驚くべきことです。

しかし、進化論者も同じようなものです。彼らも騙されやすい人々なのです。

 

彼らは一片の証拠もなしに信じているからです。

彼らは失われた金板というより、失われたリンク、ミッシングリンクというストーリーを

信じているからです。今まで誰一人としてダーウインのいう「ミッシングリンク」を見つけ出した人は地上には存在していません。しかし、進化論者は、それは必ず存在する、どこかにあるはずだと確信しているのです。

 

進化論を受け入れ、信じるようになると人はみごとに

その生きる意味、自分の人生の目的を失うようになります。

 

結果として、人の発生に関する理論は原始のヘドロのように、神を知らない人々の心に忍び寄ってきます。このような知的な虐殺は、神を知らない人がその想像の極端な

ことを行うことを一時的に許可し、人間の起源に関する痛々しい推測を許可します。

彼らは推測からものを語ります。この世の哲学をさまよい、不確かなことを語ります。

 

聖書のことばは、それに反して、真理とそして確実なことのみを語ります。

聖書は事実を語り、リアルなことを語り、人間の存在に関してその目的を語ります。

 

<聖書は決して変わらず、科学は常に変わる>

 

1999年8月のNBCニュースの報告によるとオーストラリアで注目すべき

発見があったとのことです。科学ジャーナルによるとこれらは、人類が.27億年前に

出現したと考えられる証拠だとのことです。今まで考えられていた年代より、10億年もさかのぼることになります。彼らはその当初の推測が間違っていたことを認め、(10億年ほど間違えていた)、この発見により今度は正しい真理に到達したと確信していますとはいっても次の新たな発見が起きるまでのことですが

 

1999年10月にCBSは報告しています。発見は、アジアの知られていない動物の骨であり、その時代は4000万年ほど前のものであることが判明した、と。この発見により、

人類がどこで発生したのかということに関して科学的な認識が変化した。当初、

人類はアフリカで発生したと考えていたが、今ではその考えは間違いであり、

人類の先祖はアジアではないのかと、考え始めている。

彼らはそう考えるのでしょう、次の発見があるまでは.。

 

 

<失われたリンク、ミッシングリンクは、今でも失われたままである>

 

“ダーウインは、すべての種は、突然変異により、新しい種へと徐々に偶然により進化するという、彼の理論の正確さを証明するために、何百万というミッシングリンクの化石の記録が発見されるはずだと認めた。ミッシングリンク、それは、過渡的な生命の形態とされています。彼の理論にとっては不幸なことに、その後一世紀もの間、世界中でその失われた化石を探すために何百万もの努力がなされたにもかかわらず、科学者は何百万もの発掘のすえ、ただ一つのミッシングリンクをも探し出すことができていない、それは、この理論の嫌疑を晴らすためにはどうしても存在していなければならないにもかかわらず。

Grant R. Jeffery 「神の署名」

 

ミッシングリンク:ダーウインの語った人と猿との間のミッシングリンクは今でもミッシング(見つからない)である

 

化石の墓場の間にはギャップがある。ダーウインのいう中間種が存在するべき

位置には、そこには、そのあるべきもの、代わりになるものが何ひとつ存在していない。どの古生物学者もそうであることを否定できない。それは単純に事実である。ダーウインの理論と化石の記録とは、相容れない

David Berlinsky

 

タイム誌は報告する。「科学者は、彼らのもっとも大事な理論は、

狼狽するほど、わずかな化石の破片にすぎず、そして化石の記録には、大きな

ギャップが存在していることに同意する」(1977.11.07号)

 

G.K. Chesterronは正しく語る。「進化論者はミッシングリンクに関してすべてのことを知っているように見える、それが失われている(ミッシング)こと以外は。

 

<炭素年代法と化石の記録>

 

“少なくとも6つの異なる放射計測法が可能である。サンプルの推測される

年代はどの年代法を使用するかにより、記載される。それぞれ異なる結果が

出るからである。 たとえば、炭素を含むデイノサウルスの骨が見つかったとして、

それは炭素法によっては年代計測されない、何故ならこの方法では、

数千年という(短い)年代しか、記録されないからである。この方法では、

推定する年代とはマッチしないので、科学者は、望ましい結果に近い年代を得るために、別の方法を使う。当初予定した年代に会わないすべての放射計測の結果は、廃棄される。 Dr. Kent Hovind

 

生きたカタツムリの貝殻を炭素法で年代を測ったところ、27,000年前のものであるとされた。 サイエンスマガジン vol.226

 

Ronald R. West. Ph Dは語る。“多くの科学者が書いているものと異なり、

化石の記録はダーウインの進化論という理論を支持していない、それは、

我々が化石記録を解釈するために用いているのがこの理論だからである。

このようにすることにより、我々は化石記録がこの理論を支持しているということにより、堂々巡りの理論の罪に陥っている

 

 

<化石の証拠は聖書創世記の記述に味方する>

 

“聖書創世記の創造の記述と進化論とは相容れない。

片方が正しければ、他方は誤りである。

化石の物語ることは、創世記の記述と一致している。

もっとも古い石からは、もっとも原始的な生物から、

複雑なものへと順次進化しているというストーリをカバーする

一連の化石の証拠は見つけ出すことができない。むしろもっとも古い石からは、

複雑な生物が突然出現している。すべての種の間には

中間種の化石などは、まったく存在していない。

Kentish Times 「科学は進化論を拒絶する」 D.B. Gower (生物化学者)

 

すべての証拠に基づき、H.L. Lipson教授は結論ずける。

「我々は認めなければならない、唯一の受け入れられる説明は

創造であることを。私はこれが物理学者にとって、実際私にとっても、受け入れられないものであることを知っている。しかし、私たちはもし、実験的な証拠がそれを支持しているなら、その理論が自分に気に入らないという

理由だけで、拒否するべきではない。」

 

 

化石は進化論でなく、創世記の記述が正しいことを裏ずける