<モルモン教>

 

公式名称: 末日聖徒イエスキリスト教会

 

創設者: Joseph Smith Jr. 1830年4月6日

 

現在のリーダー: Gordon b Hinckley (1910年生まれ)

 

ヘッドクアーター: ユタ州、 Salt Lake 市

 

会員:

(1998年時点) 1030万人、162カ国

アメリカ: 50州に510万人

宣教師: 58700人

 

<経緯>

末日聖徒イエスキリスト教会はJoseph Smith Jr. により創設された。

スミスのことばによれば、彼は1820年に神の訪れを受け、その時、神は彼に真の教会を設立することを示したという。その結果、彼は1830年4月6日に

モルモン教会を6人のオリジナルメンバーで組織した。何百人かの追随者から

始めて、教会はミズーリ州のオハイオへ移り、スミスの死後イリノイ州へ移った。

彼はイリノイ州のCarthageの牢屋で群集により殺された。

 

スミスはイリノイ州、Nauvooにある新聞社Expositorの破壊を煽動した罪で逮捕されていた。スミスの死後、教会の指導者の多数からBrigham Youngが教会の総督として宣誓された。彼は1847年にユタ州のSalt Lake Cityに開いた教会で何千人もの追随者を率いた。Joseph Smithの未亡人

であるEmmaはMo州 Independentに住んでいた。彼女の息子であるJoseph Smithを

彼の父の教会の真の継承者、また預言者であると宣言する人々は、認定された末日聖徒イエスキリスト教会の設立を助け、その教会は1852年に設立され、今はMo州、Independenceにヘッドクアーターを持っている。

 

<モルモンの主要教理>

 

以下、モルモン教の各教理とそれに関して聖書が実際に語っている事柄との違いを列挙する。モルモン教は、聖書と異なる教理を語る異端キリスト教であり、

この教えを真に受け、信じ、行動するものは、聖書の約束する

天の御国(天国)へ入ることはできない。逆に神の教えと

異なる教えを撒き散らすサタンの使いとして、サタンと同じ

罰を火の池の中で受けるようになるだろう。

 

 

(一つの真の教会)

 

モルモン教の立場:

モルモン教会は自身が唯一の真の教会であると主張している。

ジョセフスミスへの神の啓示といわれる出来事の中で、イエスキリストは彼に

他の教会に加わるな、それは彼らはみな悪いから.. 彼らの信条は

忌むべきものである、これらの会員はみな腐敗していると語ったとされている。

<The Pearl of great price, Joseph Smith History 1:19>

 

モルモン教は新約聖書が教えられた後、全ての教会が異端的になり、「末日聖徒の教会」が組織されるまで、真の聖徒は存在しなくなった、と教える。それゆえ彼らは自分の教会にこの名前をつける。モルモン教でない人々は異邦人と呼ばれる。

新しい啓示がスミスに与えられ、使徒と預言者が教会に設置され、神的祭司制度の

回復、教会を本物とさせる神殿儀式が導入された。真のまた完全な救いまたは高揚は、LDS教会(末日聖徒イエスキリスト教会)にのみ見出せるとした。

 

聖書の立場:

イエスキリストの真の教会はペンテコステ以来ずっと存在しており、

世界で証してきている。イエスキリストはその教会に対して、真に洗礼を受け、

新生した信仰者は、間違えることがないことを約束している。(マタイ16:17,18)

真の教会のしるしには、最初の使徒の教えへの忠実さが含まれており、

(使徒2:42)新しい教理を作り出すことなど含まれていない。

 

<預言者の権威>

 

モルモン教の立場:

教会の総督もしくは預言者は唯一のスポークスマンであり、神の啓示者であると考えられる。ジョセフスミスが最初の預言者である、しかし、その後の後継者も同じ位置にとどまる。彼を通して神の意思は教会へ知られる。全ての啓示は文字にされるそしてどのモルモン教徒も、ジョセフスミスを真の預言者と認めることなしに神聖を達成できない。

モルモン経典は全ての末日聖徒

は、「預言者の全てのことばと命令に注意を払うこと..彼のことばをあたかも私(神)の口から出たものとして受け取ること」と述べている。(教理と契約21:4-5)

 

 

聖書の立場:

旧約、新約聖書の預言者は、神のスポークスマンである。

彼らのことばは、常に聖書との間に矛盾がなく、そして神の子であるイエスキリストに

ポイントを置いている。

預言者の真贋を問う試験は預言者が語った未来への預言が実現するかどうかである。

(申命記18:20−2)

 

たとえば、ジョセフスミスは、神殿の教会は、Mo州、Independenceに彼の生きている間に建つと預言した。(「教理と契約」84:2−5)。しかし、ここには、今に至るまでなんらの神殿も建てられていない。新約の預言者は、教師、牧師、伝道者とともに語り、伝道、教会への

啓蒙を行う。(エペソ4:11−13)

 

ジョセフ スミス

 

<モルモン経典>

 

モルモン教の立場:

モルモン教徒は、4つの本を経典また、神のことばとして受け入れている。

KJV訳の聖書はそのうちの一つである、しかしながら、それが正しく訳されている限りに

おいて、である。その正統性に関して疑問の可能性を持っているように見える。

ジョセフスミスは、そのテキストに600箇所以上もの訂正を行った。

他の“スタンダードな働き”は、モルモン経典、教理と契約、偉大な価格の真珠である。

モルモン経典によると聖書は、“平易で大切な部分”を欠いているとのことなので(1ネフイル13:26)他の3つの本は完全だということになります。

モルモンの書は、“福音に満ちており”、イスラエル民族の紀元前600年のアメリカ大陸への移住といわれる話を語る。

 

これらのイスラエル民族の

話は“改革されたエジプト人”の中に書かれている金板に記されているが、結果として、背教へと脱落してしまった。ジョセフスミスは、神の賜物と力により、この

金板を翻訳した。(教理と契約135:3)

改革されたエジプト人は、言語としては存在しない。

金板は、それが転記された後、天使モルモニへと返され、モルモニはそれを天へ返した。

モルモンの書は、明白なモルモンの教理を語っていない。

「教理と契約」はモルモン預言者の啓示を含む。138の数がある、それには2つの宣言を含む。

ここで、モルモンの教理のほとんどは、祭司職、死人のための洗礼、godhood、そして重婚の中に見出される。「偉大な価格の真珠」は、スミスの信仰の歴史、

信仰の記事、アブラハムの書、モーセの書を含む。

 

金板

 

聖書的な立場:

聖書はあからさまにその教えから引いたり、足したりすることに対して警告を行なっている。(黙示録22:18、申命記4:2) 新約聖書は、霊感された、完全に正確な、イエスの同時代の弟子や追随者の証言を語る。

この書ひとつでも神により十分霊感されており、教理を建て挙げるのに有用であるということができる。(2テモテ3:15−17、 2ペテロ1:19−21)

 

<神殿の建設>

 

モルモン教の立場:

最初のモルモン神殿は、オハイオ州、Kirtlandに1836年に建設された。

神殿はイリノイ州、Nauvooに1846年に建設された。現在Salt Lake Cityで1893年に完成したものを含め、世界中で少なくとも53の稼動中の神殿がある。神殿の目的と機能は、永遠の規定の実行であり、その中には主に死人へのバプテスマ、寄付、神聖な結婚が含まれる。

 

モルモン教会にとり洗礼は、生きるものにも死せるものにとっても、救いを達成するためには必須である。死者はたびたび代理者により、洗礼を受ける、これにより、

彼らが死後にもモルモン教徒になる機会が与えられる。

“時と永遠のため”の結婚も同じく神殿の儀式である。

Godhoodには、結婚を永遠に封印することは必要である。神殿はモルモンの救いの必須の部分を占める。その司教により“神殿推薦”を持つモルモン教徒のみ神殿へ入れる。

 

聖書の立場:

旧約聖書の神殿は、シンボル的なささげものであるキリストの犠牲の型である。

エルサレムにおけるユダヤ教の神殿は初期ユダヤ教の習慣である(使徒2:46)

そうでなければ、新約においてはそのような実行に関して何も記述がない。

ユダヤ教の神殿が死者のための洗礼、結婚また他の秘密の儀式のために。

それは旧約聖書において神の栄光が時々宿るところである。今日においては、

個々の信者が神の宿る場所であり、物質的な建物ではない。

(1コリント3:16)

 

<神は高められた人である>

 

モルモン教の立場:

エロヒム、この宇宙の神は、その前の存在としては、

以前は人であった。モルモン教の要求を守ったため、彼はgodhoodへと

高められ、彼の宇宙を相続するようになった。

神は“肉と骨”の肉体に縛り付けられているが、

(教理と契約130:22)

しかしなおかつ全知全能であると考えられている。

彼は明らかに偏在はしていない。多くの神が存在しており、彼ら自身の

世界を持つー彼らもみなかつては人であった。

聖霊、イエスキリスト、“天の父”は、3人の分離した区分された神である。

天の父は天において霊の子の種を植える、それは地における人の命となる。

全ての人間は、イエスキリストもルシファーも、神の天的子供である。(教理と契約

130:22; 神、イエスそして霊はこのようにして始まった)

 

聖書の立場:

神は霊であり、物質的な肉体に縛られていない。

(ヨハネ4:24)イエスキリストは奇跡的で物質的でない受胎により処女マリヤを通して

肉体を持った。彼は初めからまったく神であった。(ヨハネ1:1)聖霊の人格とともに

彼らは三位一体の永遠の神を構成する。

 

<イエスは神の息子である>

 

モルモン教の立場:

イエスは天の父から天において最初に生まれた霊の子である。

イエスがマリヤの子であるのと同じ意味合いで、彼はマリヤを通して神から “文字通り、十分に、完全に” 生まれた。Bruch McConkie, A New Witness for the Articles of Faith: Salta Lake City: Deseret Bookco, 1993, 67)

 

イエスのこれらの2つの要素は、文字通り神の子供であることはモルモン教理においては彼のユニークさを成す。ゲッセマネの園においても十字架においても、イエスはアダムの罪をあがない、全ての人類の復活と不死を保障する。イエスは、その復活の後、

イスラエルの国、北アメリカのインデイアンたちを訪れ、彼らの間に真の教会を建てた。

我々はキリストの霊的な、しかし文字通りの意味の若い兄弟であり姉妹である。

いくつかのモルモン文書は、イエスはガリラヤのカナで結婚し(マルコ2章)、彼自身の子を設けた、という。

 

聖書の立場:

イエスは神である、ことばもしくは息子である、と見られ、父とともに永遠に存在する、

、神としての認識に値する(ヨハネ1:1−14)

彼は処女マリヤから生まれ、彼女は彼を聖霊により超自然的に妊娠した。

彼は完全な人生をおくり、十字架で世界の罪のために死に、そして死人のうちから

よみがえった。彼は再び来て、主の主として治める。

 

<人間はその胎児において神である>

 

モルモン教の立場:

全ての人類は、モルモン教の要求事項を守ることにより、神となる

可能性がある。モルモン教でよく知られていることばは、

“人はかつて神であった、神が人となるように”

天における最初の霊の存在から、善や悪を選ぶ自由を行い、復活のための体を得るために、人間は、地に生まれる。

基本的に人間はよい、しかし、彼らはその罪のために罰せられる。

モルモン教の教えを守り、教会と預言者に従うことにより、復活後には、

ふさわしいモルモン男性は、天的なガードを通り、その妻(達)を彼とともに伴い、

エロヒムと等しい地位―この世の神、を達成する。

彼らの罪の結果は、モルモン主義の信条への忠誠により、消えうせる。

復活においては、忠実なモルモン教徒は、godhoodへの高揚を受け、

彼らの世界を支配するようになる。

 

聖書の立場:

人間は神の特別な創造である。聖書の記述には、前世とのことばはなく、

逆に聖書は神が我々の母の子宮の中で我々が形作られたことを語る。(イザヤ44:2)

罪のある性質は、人の経験の一部である。罪の力や存在からの解放は、

キリストへの信仰の結果である。このポイントにおいて、神の形は

全てのクリスチャンのうちに形作られる。信者はキリストと似たものと変えられるが、

しかし、聖書は聖徒

が文字通りのGodhoodを受け継ぐとは教えない。(ローマ8:29、黙示録1:5,6)

 

<モルモンの救いの計画>

 

モルモン教の立場:

モルモンの救いへの計画は、全ての人は永遠の命を持つ、しかしもっとも

忠実なモルモンはGodhoodをもつ、もしくは天的な王国へ入るとの考えである。

このような究極のステップを得るために、モルモン教徒は、モルモン教の

神、キリスト、末日聖徒

教会のキリスト、への信仰を働かさねばならない、悔い改めを行ない、

LDS教会で洗礼を受けなければならない。さらに、モルモン教徒は、アルコール、タバコ、カフェインを除いて”知恵のことば“を保たなければならない。また十分の1献金を行ない、週ごとの聖餐の集会に集い、モルモンの預言者を援助し、神殿の働きを行ない、そして

教会への援助に能動的であるべきである。

 

聖書の立場:

聖書によれば救いとは、神の恵みと愛である。

彼は世の罪のためのあがないとして、イエスを与えられた。それは、

我々が救われるために、十字架につけられ、よみがえったイエスへの信仰による。

行いは除外されている。(ヨハネ1:121、3:16、ローマ10:9−13、エペソ2:8−9)

 

 

<結論>

 

結論として我々はモルモン教をどう考えればよいのだろうか?

以下のことばが彼らの実態をあらわすみことばだと理解できる。

 

出エジプト20:3 あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

 

 20:4 あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。

 

 20:5 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、

 

 20:6 わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。

 

ここで神は真の神である方以外のなにをも「神」としてはならないこと、

それに仕えてはいけないことを命じている。モルモン教の実態はこのことばに

反して、人であり、しかも間違いをも犯しているジョセフスミスを偶像とし、神のことばの上におき、彼の教えをみことばに優先していることにある、と理解できる。

 

その結果、モルモン教は「人はかつて神であった」などの

聖書とかけ離れた教えを尊重するようになっている。

彼らは「自分たちは偶像崇拝などしていない」というだろうが、しかし、

神のことばより、とある自称預言者、すなわち人間を高く挙げ、聖書と異なる

教えを実践すること、これを神の前にも人の前にも偶像崇拝、と呼ぶのである。

そして神はモルモン教徒を偶像に従うやからとみなしている。

その結果、彼らは偶像崇拝者が受ける災い、報いを今受けている。