<<進化論の誤り>>

 

この項では、進化論を扱いたいと

思います。進化論はその名前の様に論であり、一つの理論、推論にすぎません。

多くの人が勘違いしているように、全ての生き物が偶然に進化したというこの理論は、

すでに確立し、正当性が正しいと認められた

教えではないのです。

 

逆によく見ていくなら、矛盾があり、誤りが多い理論なのです。

しかし、神が人を創造した、宇宙を創造した、との

考えをどうしても否定したい人々には、この様なあやふやな理論、

矛盾した論理である進化論でも受け入れるしかない、それが、

このように多くの人が進化論を受け入れ、その考えを受け入れている理由です。

この項では、この様な 進化論の矛盾や誤りを見ていきたいと思います。

 

 

 

<ビッグバン理論は聖書の記述と矛盾するか>

 

ここでは、ビッグバン理論は聖書創世記の「天地(宇宙)は神により創られた」との

記述と矛盾するか?ということを見ていきたいと

思います。

 

今の科学では宇宙の始まりをビッグバンという名前で表現します。

ビッグバン、日本語では大爆発とでも訳すのでしょうか。

宇宙の始まりはまったくの無の状態から突然大爆発のように一瞬で宇宙は生まれた、という理論です。

 

何はともあれ、今の科学は、この宇宙には始まりがあったこと、そして

昨日まで無だった宇宙がある日、あるとき、突然の様に生まれたことを認識し、理解するようになったのです。

そして、この様な 考え、理論は期せずして何千年も前から聖書が語ってきた

宇宙の始まりに関する記述と合致しています。聖書もこの宇宙には始まりがあったこと、宇宙は無から突然創造されたことを述べるからです。

 

聖書は宇宙の始まり、天地の始まりに関して以下の様に述べています。

 

創世記1:1 初めに、神が天と地を創造した。

 

 1:2 地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。

 

ここでの記述の様に聖書は天地すなわち、宇宙には初めがあり、

それは、神により、突然創造されたことを述べます。

 

ビッグバン理論と聖書の記述との違いは、聖書創世記は、知性を持ち、計画性を持ち、

実行力のある存在である神ご自身が、宇宙を創造し、また、地球の植物、動物、

人間を創造したことを述べることです。

 

ビッグバンは、宇宙が突然、爆発の様にできた、という考えです。

しかし、まじめに考えてみて、爆発から何か、創造的なもの、命、

ができるでしょうか?

 

テロリストの爆弾の爆発から、調和的な月や星ができるでしょうか?

バラや、りんご、鳥、木、動物などが創造できるでしょうか?

爆弾からは破壊や、破滅、死が起きるだけです。同じように、

宇宙の始まりが本当に文字通り、ビッグバン、大爆発であるなら、

それによって、調和のある地球や太陽、月などが生まれるはずがありません。

逆に全てを設計し、創造した知性ある方、聖書で言う

神がこれらを創造したとの考えのほうが大いに論理的です。

 

Jim Holtというウオールストリートジャーナルに寄稿している科学記事の

記者はこう書きます。

「宇宙は突然存在するようになった」そしてかれは続けます。

「ビッグバン理論は、創世記の記述と不思議に似ている」

 

そうです、人の科学が行き着いた宇宙の起源に関しての

結論は結局はかねてから聖書の語っていた記述と似たものに行き着いたのです。逆の表現をするなら、聖書は何千年も前のかねてから真理を語っていたのですが、人間の理解、科学がようやく、現代になって聖書の真理に追いついてきた、とも表現できます。

 

タイム誌はこのように語ります。

「多くの宇宙学者(宇宙の構造や進化を研究する科学者)の間では創世記の創造

の教え、当初は無だったとの考え、は不思議にも真理に近いということで合意している」(1976年12月号)

 

USニュース&ワールドレポートの記事は

「超新星、ブラックホール、クオーク、そしてビッグバンなどの新しい科学的啓示、

は、何人かの科学者に、宇宙にはグランドデザインがあるのではないのかとの示唆をあたえる」と伝えています。1997年3月31日号

 

すなわち、宇宙に関して、あらたな事実や構造が判明し、はっきりするにつれ、

正直な科学者の感想として、この宇宙が進化論の言うように、

偶然でできたものではない、逆にこの宇宙の端々に至るまで、これらのグランドデザインを設計し、計画し、秩序よく、創造し配置した知性ある方の存在を否定できなくなった、ということなのです。デザイン、たとえば、東京オリンピックのデザインは、偶然には

できません。逆に知性や、センスのあるデザイナーが熟慮して決めます。同じように、

宇宙やその創造、また動物や人間の創造も偶然や、無秩序に生まれたのでなく、

グランドデザイン、すなわち、人間以上に知性や、すぐれた能力のある方が

デザインし、設計し、創造したという考えがグランドデザインという考え方なのです。そして、その知性ある方を聖書は初めから語り、

知性ある方、神が宇宙を創造したことを聖書は何千年も前から語るのです。

 

<最初の物質はどこから来たのか?>

 

もし、人がビッグバンを信じる進化論者であったら、その人にいくつか

聞くべきポイントがあります。「宇宙の空間はどこから来たのか?」

「(宇宙を構成する)最初の物質はどこから来たのか?」

「その爆発を何が発火させたのか?」宇宙は爆発してできたというが爆発

するには、何か爆発する物質が存在しないと爆発は起きない。そして

爆発を起爆させる触媒が必要である。それらはビッグバンのとき、どこにあったのか?

 

これらの単純な質問にビッグバンを信じる人々は答えることができません。

彼らの理論は崩壊します。

 

聖書創記は、神が全てを創造したことを述べます。何一つ進化したものなど

ないのです。全ての創造された被造物は、その種類にしたがって、

子孫を生む能力が与えられています。創世記1章には10回も「種類にしたがって」

と書かれています。

犬は猫を生み出すことはないのです。犬と猫は別の種類であり、共通の先祖など

ないからです。犬の先祖は犬として始まりまたいつまでも犬のままなのです。

犬の種類の間の変化ということはあります。チワワからセントバーナードへとの

変化はありえます。しかし、神の創造の範囲に犬と猫のあいの子、ということはないのです。蛙が牡蠣を産むことはなく、牛が羊を生むこともないのです。豚が

うさぎを生み出すこともないのです。神は猿を猿として創造し、人は人として

創造したのです。

 

進化論者であるハーバード大学の地質学、古生物学の教授であるStephen, J. Gouldによると「この自然の種類の種という創造論者の教理と

ダーウイン時代以前の理論とはすばらしく一致する。」とのことです。

 

<貼り付けられたペッパードモス(オオシモフリエダシャク):進化論の虚構>

 

Mark Varneyによると「ほぼ全ての進化論の教科書は、

Peppered Moss(蛾の一種)を自然選択の進化の古典的例として含んでいる」とのことです。その進化の有力な証拠であるというPeppered Mossとは何でしょう。見ていきましょう。Peppered Mossには2種類があります。

明るい色の斑点のある種類と暗い色の種類とです。

 

 

イギリスのPeppered Mossのほとんどは明るい色のものです。

この種類は木の幹に休んでいるときカモフラージュします。

黒い種類は、明るい木の皮からは目だってしまい、すぐ見えてしまい、結果

すぐ鳥に食べられてしまうからです。

 

しかし、産業革命のゆえに汚染が発生し、その汚染が木をすすだらけにしてしまい、

その結果、暗い種類の蛾は、よくカモフラージュできるようになり、それで、

鳥は明るい色の蛾を多く食べるようになった。

 

Peppered Mossの話は1950年代に、進化論の自然選択の有力な証拠として、

大いに宣伝されました。1978年には、ひとりの有名な遺伝学者は、peppered Mossは、際立った進化プロセスが実際に観察できた

明らかな事例であると、呼びました。

 

しかしながら、ダーウイン進化論の自然選択のもっとも明らかな事例と称するものは

真実ではありませんでした!夜行性のPeppered Mossは、日中には決して木の幹には止まらないのです。事実、40年以上もの野外研究のにもかかわらず、たった2匹のPeppered Mossが3本の幹に自然に休んでいることが観察できただけなのです。

 

それでは、いったいどこから、進化論の教科書に載っているPeppered Mossの写真、3つの色の異なった木の幹にとまった蛾の写真は来たのでしょうか?実はこれはみな工作されたものなのです。これらの蛾はみな、3本の幹に 糊でつけられるか、ピンでとめられるか、留まるよう工作され、撮られた写真なのです。

進化論を証明するためにこれらの写真を自分の本に使用した科学者たちはみな、

この事実を読者に告げることを都合よく「忘れて」いるのです。

 

しかしながら、もし、このように進化論のもっとも有力な証拠とされるものが偽りであるとしたら、これ以外の他の彼らのいう証拠とはいったい、どのようなものなのでしょうか?

我々の心に疑問が起きないでしょうか?どうでしょうか。

 

さて、工作された写真のことはさておいて、この例から、果たして進化が真実と

いえるのか、改めて考えてみましょう。この「きわだった進化の過程」の中で何か進化らしいことが実際に起きたといえるのか?考えて見ましょう。

 

蛾の環境が変化する前までいくつかの蛾はほとんど白色、他はほとんど黒です。

彼らの環境が変化したので、いくつかはほとんど白色、いくつかはほとんど黒色です。何の新しい色も変化も現れていません、しかし我々はこれを通して進化の過程を見たということになってしまうのです。もし、証拠が捏造されたものでないとしても、

この話の中には何一つ進化しているものなどないのです。ただ、

この事例は進化を証明するものだ、という進化論者の主張やお話が残るだけなのです。

進化論者であるJohn Readerは、この偏見に満ちた解釈について語っています。

「ダーウインの働き以来......、先入観が証拠を主導しているようだ」

ハーバードの教授であり、進化論者であるSteven Jay Gould は、

この科学的な偏見を「事実がそれ自身を語ってはいない、逆に理論の光に先導されている」と認めています。

 

チャールス ダーウインその人でさえ、認めています。

悲しいかな、たびたび、また普遍的に、彼自身の理論の真実を

説得するのは、著者自身である」と。

 

科学者が進化論の理論を「事実」であると宣言するとき、

彼らは単純に事実を告げる偏見のない観察者ではないことを心にとめるべきなのです。

 

人類は進化論の理論を細かく発明しました。なぜなら、それにより、

人類はもう神に頼らないですむようになるからです。

もし人が自分を創造した神を持たず、自分の人生に関して

神を考慮する必要がないとしたなら、

人類は自分の人生で自分の好きなことを行なえる、それが人が進化論を

好む隠れた心の理由なのです。

 

イギリス、マンチェスター大学の物理学教授H.S. Lipsonは「実際、

進化論は、ある意味科学的な信仰になっている。ほぼ全ての科学者はそれを

受け入れ、多くのものは自分の観察をそれに合わせて曲げようとさえしている。

 

「種の起源」(100版)の序文で、 Sir Arthur Keithは、

進化論は証明されていないし、証明し得ない。我々が、この理論を信じる

唯一の理由は、この理論のみが(神による)創造、という考えられない

説明に代わる唯一の代替の理論だからである。」といっている。

 

すなわち、進化論の理論は考えれば、考えるほど矛盾しているが、しかし、どうしても神を認めたくない人にはこの理論以外選択の余地がない、それで残っている理論なのです。矛盾はあるが、人々が無理やり頭の中で、これが真実なんだと自身に言い聞かせ、思い込んでいる妄信、信仰、それが進化論であると彼ははっきりとみとめているのです。