<<聖書の預言>>
<聖書は預言の書>
聖書とは以前書いたように、「神がこの本の著者である」ことを公言している書です。
テモテの書に「聖書は神の霊感によって書かれた」と書いてあるとおりです。
そしてそのように書かれていることは単なる記述とか誇張とかいうのではなく、
聖書には確かに神が書いたとしか思えない、神ご自身が介在している、と
思うしかないようないくつかの特徴があります。その特徴はいくつかあり、
順に見ていきたいと思います。
今回はそのいくつもの特徴の中で、
人間的にはありえない特徴、すなわち、聖書の未来預言の確かさ、確実に成就する、ということを見たいと思っています。
預言と書きましたが、このことばを説明します。
これは、日本の聖書の特徴ですが、聖書の日本語訳では、
未来へのことば、また、神から与えられたことばを<預言>ということばで表現します。
世間一般で言う未来への<予言>、ということばとは別のことばを使い、少し区別しています。
私もその慣習に従って、預言と予言のことばを区分して書きますが、
それ以上の深い意味合いはありません。また、これは、おそらく日本ならではの
ローカルルール(だろう)と思っています。
さて、聖書の預言に戻ります。
具体的に聖書には3000以上の未来への預言的な記述が書かれています。
未来を語るだけなら誰でもできそうですが、難しいのはそれが
的中することです。そして、ここが驚くべきポイントなのですが、聖書の未来への
預言の成就率は100%なのです。外れた預言、というものはないのです。
これは人間の基準、範疇からいうなら、驚くべきことです。
ノストラダムスの予言は一時日本で有名でした。1999年7の月に恐怖の大王が
空から降りてくる、ということで、その頃、日本ではまじめに予言を受け取る人の
間では軽いパニックがあったものです。
自分の人生はそのときまでか、なんてまじめに考えてしまった人も少なからずいる、と聞いたことがあります。しかし、実際その予言はその後、どうなったか、というと、残念ながら見事に外れてしまいました。その月になっても恐怖の大王どころか、空から
蜘蛛の子一匹降りてこなかったのです。
この例でもわかるように、どんなに評判の高い予言でも人が語った未来は、
みな見事に外れるものなのです。人の限界、未来を見通すことのできない
人間の限界があるのです。
しかし、それと比較したら、聖書の預言のレベルは驚くべきものです。何しろ外れたことがないのですから。
ノストラダムス
<一つの預言でも外れたら偽預言者>
聖書でいう預言、また聖書が要求する預言のレベルと我々人間の間で
語られる予言のレベルすなわち、占いによる未来の予知とか、霊能者の予言
とか、超能力者の予知のレベルとは明らかに違います。
聖書では神ご自身が自分のことばが必ず成就し、実現することを
明言しています。以下のとおりです。
”エゼキエル 24:14 主であるわたしは言った。それは必ず起こる。わたしはそれを行なって、なおざりにせず、惜しまず、思い直しもしない。あなたの行ないや、わざにしたがって、あなたをさばく。――神である主の御告げ。――」”
人の約束や予定はどんなに堅く約束しても実現するとは限りませんが、
しかし、これが神の約束なら異なります。それは神のことばなので実現するのです。
そして聖書の全てのことばは神から来たことばなので、当然の様にどのことばも
あのことばも実現するのです。
聖書でいう預言者のレベルは厳しく、神の名前で預言してしかも、
それが外れてしまうなら、それは、偽預言者として死をもって罰せられることが書かれています。
以下のとおりです。
申命記 18:19 わたしの名によって彼が告げるわたしのことばに聞き従わない者があれば、わたしが彼に責任を問う。
18:20 ただし、わたしが告げよと命じていないことを、不遜にもわたしの名によって告げたり、あるいは、ほかの神々の名によって告げたりする預言者があるなら、その預言者は死ななければならない。」
18:21 あなたが心の中で、「私たちは、主が言われたのでないことばを、どうして見分けることができようか。」と言うような場合は、
18:22 預言者が主の名によって語っても、そのことが起こらず、実現しないなら、それは主が語られたことばではない。その預言者が不遜にもそれを語ったのである。彼を恐れてはならない。
このような基準は人間的には厳しすぎるようにも思えますが、
しかし、神の基準、神の語ったことばは必ず成就するとの基準によれば、
ありえることがらなのです。
逆にこのことを通して、聖書はひとたび真の神が語られたら、そのことばが
実現しない、ということは決してないことを我々に対して断言していることがわかるのです。
<聖書の預言の成就ということがらは、他の宗教の経典には見られないユニーク、特別なこと>
ある人々は預言とは、聖書の専売特許ではなく、他の宗教の経典にも
語られている、といいます。しかし、実際調べると、そうとはいえません。
他の宗教の経典には、聖書で言うレベルの預言は記載されていないし、
まして成就していません。(あいまい、漠然とした未来への表現の記述は
あるかもしれませんが)聖書の預言は個別に、繰り返し成就し、あいまい
なものではありません。預言した本人(預言者)がコントロール不可能な
遠い未来、何十年、何百年も先の日に確実に成就するのが聖書の預言
ですが、このような意味での預言の存在や、その成就は他の宗教の経典には見られないものです。
イスラム教の経典、仏教の経典、モルモン教の経典、どの経典にも
聖書でいう意味での預言は含まれておらず、また当然預言の成就もないのです。
このような性質、遠い未来への預言、そしてその確実な成就、ということは、
イスラム教の経典には存在せず、聖書のみに存在するユニークな特徴です。
R.S. Fosterは、他の宗教の経典や、異邦の宗教に関して語り、
「他の宗教の経典や、口伝においても聖書でいうレベルの予言の成就、
予言が超自然的に成就する、ということは一つもない」
と述べています。
Calvin Ftowは聖書の預言と他の宗教の予言とを注意深く、調査、比較した上で、
「他の宗教の経典の中には、信頼すべき形での予言の成就はない」と語ります。
<占い、予知能力による予言は聖書レベルでの成就をするか?>
世の中には占いができる、予知能力がある、という人々もいます。
そして彼らの予知能力は、聖書と同じレベルの予言だと主張する人々もいます。
実際はどうなのでしょうか?
このことに関してアメリカでの調査があります。
1993年に関して占い、予知能力を持つ人々などがどのような
年になるか、どのような事件が起きるかを予言しました。
その結果どうなったかというと、彼ら「予言者」たちの予言は、
その1993年の年に起きる重大なニュースを前もって予言することに
みな失敗しました。
その年の大ニュースであるマイケル・ジョーダンの引退、西部中央部
での洪水、イスラエルーPLOの平和条約などのできごとを誰も的中さ
せることはできなかったのです。逆に外れた予言の中には「イギリス
女王が尼さん(修道女)になる」などの
まったくおお外れでかすりもしない予言があったとのことです。
マイケルジョーダン
「聖書預言百科事典」の中で、J. Barton Payne は全聖書の記述中の27%は
預言を含むといいます。まさに聖書は未来への預言に満ちており、そして
その多くの預言はみな成就するのです。このような驚くべき性質を
持った本は、聖書以外まったく見当たらないのです。
前の記述で、聖書は神ご自身が自分が著者であると公言、宣言している
世界で唯一の本である、と語りました。
そして、その神ご自身の主張は偽りではなく、聖書には人間の書いた
あらゆる良書、優れた本を凌駕する驚くべきいくつかの性質があります。
その一つが未来への預言、そしてその正確な成就、ということがらであることを知ってください。
さて、次の項でもう少し具体的に聖書の預言の成就ということを
見ていきましょう。