いのちに至る門は小さく、その道は狭い

オンLine聖書研究会の説明:

 

私たちがキリストを信じ、クリスチャンとして歩みだすことは

一つのことですが、しかし、そのゴールとして永遠の命に至るかどうかは、また別のことです。

それは、マラソン大会に参加し、スタートするすべての人が

必ず42kmの長い道のりを完走して、ゴールに達するとは限らないのと同じです。

 

 

残念ながら、その命に至る道は狭いようです。

なぜなら、聖書は、明確にこう語るからです。

 

マタイ7:14 いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。

さらに聖書はこう書いて狭い道に関して私たちの注意を喚起します。

 

マタイ7:13 狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。

 

このように、聖書は、さらに我々に対して警告し、命に至る道は狭いが、逆に滅びに至る門は大きく、道は広く、そこから入っていく者が多いことを警告するのです。

 

私たちがクリスチャンなら、これらのことばを既に知っているでしょうし、読んだこともあるでしょうし、メッセージで聞いたこともあるかもしれません。しかし、聖書を読むことは一つのことですが、それを悟ることはまた別のことです。

 

ですので、この箇所をもう一度考えて見ましょう。

その滅びに至る門や道とは何でしょう?どうして、

そこから入っていくクリスチャンが多いのでしょうか??

 

このことを私たちがはっきり理解しなければ、この箇所を読んだことにはなりません。滅びに至る門、道とは何でしょう?

そしていったい誰がそんな道を備えるのでしょうか?

何故多くのクリスチャンが惑わされて滅びの門をつかんでしまうのでしょうか?

 

その後の節がこのことを説明しているように思えます。

 

マタイ 7:15 にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。

ここでは、滅びに至る広い門や、広い道と関連して

にせ預言者について書いてあります。

旧約の預言者は今の新約の時代では、教師に相当するようですので、すなわち、これは、教会の教師や牧師に関する問題なのです。

 

何故、滅びにいたる広い道を選び、結果として

永遠の命を得られず、滅びに入ってしまうクリスチャンが多いのか?

 

その理由は、今の時代多くの教師や牧師が

間違えた教理をつかんでしまい、その結果、彼ら自身が

にせ預言者、にせ教師となってしまったということです。

そして、その間違えた、誤った教理を牧師や教師が熱心に教会で説き、勧め、信者に確信させるので、多くの人が

滅びの広い門へ入っていく、そのように理解できるのです。

 

具体的には、艱難前携挙説のような聖書と異なるおかしな

教理を語る教師、すなわちにせ預言者が多い、ということでしょうか。そして、命に至る門、すなわち、クリスチャンの救いに関して滅びの広い門が大いににせ預言者、すなわち、

間違え、惑わされた教師によって語られているのです。

 

 

具体的には、クリスチャンは一度キリストを信じたら、

決して救いからもれることはない、滅びることはない、とは

にせ預言者の教えであり、滅びに至る広い道です。

聖書は明らかにひとたび救いを受けたクリスチャンであってもその歩み方しだいで、命の書から名前が消される、削除されることを語るからです。以下の通りです。

 

黙示録3:5 勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。そして、わたしは、彼の名をいのちの書から消すようなことは決してしない。

 

ここでは、サルデスの教会の中の人かの衣を汚さなかった人々に対して、いのちの書から名前を消すことは決してしない、と約束されています。しかし、逆に考えると衣を汚さない歩みをしていないクリスチャンに関してはその名前が命の書から消されて、削除されることが想像できるのです。

そうです、ここでも命に至る門は狭いのです。

 

これらの状況をかんがみて、当教会ではエレミヤ主催で

オンLine聖書研究会を開きたいと思います。

このような曲がった時代において少しでも命に至る正しい道を

学びたいと願う方は出席ください。

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オンLine聖書研究会

曜日:毎週水曜日夜8時から1時間ほど

内容:、PCの無料アプリskypeを使っての聖書勉強会

費用:無料
方法: 無料コミュニケーションツールskypeを使用します。

参加: 参加希望者は、エレミヤのskype id: jeremiah2990へ「オンLine聖書研究会参加希望」 と連絡ください。もしくは、メールで、連絡ください。
 Mail: truth216@nifty.com


オン Line聖書研究会の良い点(お金がかからない、オンラインで、相互に
質問などしながら、回答も受けられる)など
匿名での参加も可能( IDには、必ずしも本名を使う必要がない)
参加も自由、退会も自由。


<参加者の感想>

 



聖書の書かれていることを丹念に読んで、
他の人の感じかた、とらえかたなども知ることができ楽しいです。(研究会といっても議論したり討論したりしているのではないので安心して参加出来ます)

教会に行きたいけど、ちょっと教会は敷居が高いなと思っている人にお勧めです。

参加するだけで皆さんとお祈りができるので、充実感があります。

クリスチャン歴長い人は言うまでもないですが、教会に行く時間のない人や、むしろ全く教会に行ったことのない人にお勧めです。

教会歴5か月の人も参加しています。皆穏やかでステキな人ばかりです。新規参加のかた是非お待ちしております。

ラザロさん
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インターネットの発展によって以前は出来なかったこと(離れた所にいる人々がインターネット上で集会をもって学び合う事)が誰でも出来る様になってきました。
私は、レムナントキリスト教会が毎週水曜日の夜7時半から行う(オンLine聖書研究会)に参加して一か月程になります。
ヨハネの福音書の1章の1節から順番に御言葉の学びをしていますが、エレミヤ牧師の解説が理解しやすく、皆さんからのご意見もおおいに参考になり、わたしとしてはとても良き学びの場となっています。

わたしはクリスチャンになって年月が経っているほうですが、聖書の事をあまり御存知でない未信者の方で、聖書にご興味をお持ちの方にとっても、よき学びの集会となると感じています。
勿論以前から主イエスを信じておられる信者さんの方にとっても良き学びの時を提供してくれるものと思っています。

此のインターネットを介した学びの集いに関心を持たれた皆さんが気軽に参加されて、出来れば継続して聖書の学びを深めていき、主イエス・キリストへの信仰が強められ、御霊の実を結ぶ者となる目的を持った(オンLine聖書研究会)このインターネット上の集いの場で、学びの時を持たれる事を推薦致します。

Mさん


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<元エホバの証人:Kさん>

私は幼いころからエホバの証人で育ち、聖書が事実であることを学びました。
たくさんの方に可愛がっていただき、聖書の基礎的な教えも学び、神の言葉であり、実際に神が存在して、イエスキリストが存在することも知りました。

それでもどこか組織の堅苦しさや組織の方針や教えは間違いなく神からのものであり、組織に従うことがイエスキリストに通じるみちであるという教えに納得できなくなり、自然消滅することになりました

それで、罪の誘惑にも負けて、反聖書的な生き方をするようにもなり、最終的に現代の医療では解決不可能な病気にもかかり、やはり神に従って生きていかないと、悪魔の餌食になることを認識するようになりました。

それでまずは、エホバの証人組織の長老と呼ばれる、一般教会でいる牧師の人に罪を打ち明けてみましたが、返答が厳しいものであり、躓きを感じました。

そこで、教会の人に相談しようと考えて、教会に対して警告をする伝道に従事されてるエレミヤ牧師に相談しました

教会に警告されているとはいえ、エホバの証人の長老に言われたことと正反対であり、神に告白すればいい、いちいち長老たちに全ての罪を打ち明けて、きつい言葉で裁かれて罪悪感で縛られる必要がないということも語っていただき、安ど感が生じました

エホバの証人が推奨する、「長老全員への罪の告白」などが形式ばったものであり、事務的に情報を共有し、その後はただただ厳しい言葉を投げかけて、精神的に追い詰めている傾向があるのを認識するようになりました

エホバの証人で学ぶことは、真理の多くを含んでいますが、一方でかなり宗教的な取り決めを規則づけていますので、義務感が生じてしまい、思いやりや憐みから悔い改めへ導くよりも、人間的な見方で情報を共有し、それが人へと広がり、単なるゴシップになりかねないことも気づきました

一方で、レムナント教会の成員メンバーの方々は、皆さん別に事務的にこちらの情報を知りたがるわけもないので、自分のことを自然に恐れることなく、話すこともできました。

エホバの証人で真理を多く学びましたが、宗教的な縛りの霊があります。
一方でオンライン聖書研究会ではそういった堅苦しい縛りを感じることもなく、リラックスして学ぶこともできて、また気軽にエレミヤ牧師に相談することもできます。

妙な霊が入り混じることもなく、リラックスしてなんでも話せる環境であるオンライン聖書研究会は、心に平安をもたらしますし、正しい聖書解釈にも導いてくれますので、おすすめしますよ


------- <私の証    崋山台祈さん>---------------------------

自分は学生時代、オカルトの世界に入り浸っていました。
小学生のころ、心霊写真や恐怖体験談に異常なほど興味をいだき、中学に上がってからは、
心霊術、黒魔術(サタンに願い事をして欲望を叶える魔術)、その他もろもろの魔術に興味を持ちました。

そして、自分の将来については、霊能者、魔術師になるのを目標としていたのです。
オカルト本を何十冊も所持しており、当然、オカルトグッズも持っており、オカルト関係の書籍は
毎日読みふけり、実践できるものなら実際に行ったりもしました。
超能力を得るための瞑想、交霊術などです。欲張って黒魔術、白魔術、タロット占いにも
手を出した次第です。黒魔術でサタンの名を用い、実際に人を呪ったこともあります。
効果があったか否かはわかりませんが、今考えるとゾッとするような事をやっていました。
ところが白魔術の本に「黒魔術は危険」と書いてあったので、黒魔術はやめました。
中学を卒業してからは、益々、オカルトへののめり込みは深くなっていったのですが、
ある時、母が聖書の箇所を示してきました。

「魔術を行なったり、霊媒をする事や、偶像を拝む事は、神に忌み嫌われる行為である」という事です。
自分は当初はあまり気にとめなかったのですが、しばらくたった時、やけにこの部分の御
言葉が心に響いてきたのです。そして、心に感じたのは、「神は唯一」という事、
イエスキリストは救い主であり神であるという事でした。キリストの十字架による
贖いは、全ての罪が赦され、天の御国に入る事がゆるされる、という事でした。
魔術やそのたぐいのものをやめ、オカルト本、グッズを全部捨てました。
一時的とはいえ、悪魔であるサタンに欲望を叶えてもらおうとして、魔術の世界に
足を突っ込んだ事実があります。

実は、オカルトをやめた16歳あたりから19歳頃までのブランク期間、自宅に「
ものみの塔」の訪問をうけ、何年か彼らと一緒にその教えを勉強していた頃
がありました。その教えは、「神は三位一体ではない」「イエスキリストは
神の代弁者にすぎず、神ではない」「聖霊はエネルギーであって、神ではない」
「キリストがついたのは十字架ではなく一本の柱である」というものでした。
当時はそれらを単に「認識の違い」くらいにしか考えていませんでした。

しかしある時、キリスト教書店に行き、エホバの証人について書いてある本
があったので即買って家で読んだところ、この団体の教えはとんでもない誤
りである事を知り、ほぼ同時期に、教会の牧師が「彼らはキリスト教とは何
の関係も無い異端」だと言っていたので、ものみの塔と縁を切りました。
不安も少しありましたが、イエス様が十字架で流された血潮の力は、悪魔と
の契約をも打ち破ると感じ(悪魔と契約はしていない)、20歳になった時、
母教会の日本キリスト教団の牧師に洗礼を志願して、洗礼を受けました。
しかし最初のうちは少しずれた信仰を持っていて、正しくキリストに従う
信仰ではありませんでした。
教会にもすぐに行かなくなり、良くて月に一度だけ行くような年月を過ご
してしまいました。

8年余り時が過ぎ、ある日聖書を読んでいた時、自分の大きな誤りに気付
かされ、大変なショックを受けました。
その時すでにインターネットを始めており、「エレミヤの部屋」という
レムナントキリスト教会のサイトにたどり着くのに期間はかかりませんで
した。そしてもっと大きな衝撃が私に来たのです。
「多くのキリスト教会自体が、信仰的に危ない状態にある」という事でした。
その日からは戦いのような信仰生活が始まったわけです。

導きあって、レムナントキリスト教会と出会いました。
それからは、色々ありましたがここでは割愛します。
戦いの連続、勝利と敗北、戦意の喪失、戦意の復活を繰り返し今に至ります。
もっと霊的に強くならねばと思っている次第。
以上が私の証となります。
主のみ名を讃えます。
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