S19 永遠のいのち

人間にとってもっとも大事なこと、さらに求めるべきものは何でしょうか?
以前にも書きましたが、それは永遠の命です。キリスト自身がこのように
永遠の命の大切さを語りました。

マタイ16:26 人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。

ここでキリストは人間にとって、もっとも大事なこととして、その人が自分の命、永遠の命を得ることであることを語ります。このことがもっとも大事であり、これを失うのなら、たとえ、生きている間に全世界を自分の手中にしても、意味はないと語るのです。

このようなキリストのことばを真摯に受け止め、私たちは自分のクリスチャン人生の目的やらあるべき姿について考えなければなりません。

すなわち、クリスチャン人生のゴール、その最後に永遠の命を得られるようなら、私たちのクリスチャン人生は成功であり、逆にそれを得られなかったのなら、それは失敗なのです。
たとえ、クリスチャンとして大きな教会に通い、聖書の大学者となり、名声を得てもこの永遠の命を得られないなら、それはまったくの失敗なのです。

勘違いをすべきでなく、誤解をすべきでないことは、私たちがクリスチャンになり、キリストを信じ、また救われたとして、それは尊いことですが、それはスタートに過ぎず、ゴールはまた別である、ということです。ゴールは永遠の命なのです。

そしていいにくいことですが、マラソンにおいてもすべてのスタートした
マラソンランナーがゴールするとは限らない、ということです。
すなわち、クリスチャン人生をスタートしたすべてのクリスチャンが
永遠の命のゴールに達するとは限らない、ということなのです。
パウロでさえ、自分の歩みに関して厳しい考えを持っていました。

ピリピ3:12 私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕えようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕えてくださったのです。

3:13 兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、

3:14 キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。

彼は自分のクリスチャン人生に関して、そのゴールに関して、「すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでも」ないと語ったのです。まだ途中であり、まだ走っている途中であり、終わったわけでもゴールインしたわけでもないことを語ったのです。

そして、一心にゴールをめざすランナーのように、「ただ捕えようとして、追求しているのです。」と書きました。であるので、私たちも彼と同じような思いをもつなら、実は正しいのです。
うさきと亀の話のように、ゴールもしないうちに安心するべきではありません。

3:13 兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、

彼はクリスチャンとして、永遠の命を得るべく「ただ、この一事に励んで」いました。何とか落伍せず、得るべきゴールに達することを一心に求めていたのです。また、「すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み」というように、彼は次から次へと主の弟子として、なすべきことを行ない続けたのです。

3:14 キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。

パウロの心、思い、願いは明らかにこの地上のことでなく、次の世、後の世のことでした。彼はこの世の地位、富を求めて走っていたのではなく、上の召し、神の栄冠を目指していたのです。

ですので、私たちが聖書で言う歩み、あゆむべきクリスチャンの歩みを求めるのなら、このパウロのような歩みが正しいのです。

パウロは明らかに、一心に走り、ゴールを目指して栄冠を受け、永遠の命を獲得しました。我々も永遠の命を獲得するには彼のように一心に走ることが大事なのです。次のステップへ

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