S18 クリスチャン人生の目的

クリスチャン生活の目指すところ、目標、目的とは何でしょうか?
我々はどこをめざして、どのようなゴールをめざして進むべきなのでしょうか?

それは簡単にいえば、後の世での救い、後の世で永遠の命を得る、ということでしょうか。以下のキリストのことばを見てください。

ルカ18:28 すると、ペテロが言った。「ご覧ください。私たちは自分の家を捨てて従ってまいりました。」

18:29 イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子どもを捨てた者で、だれひとりとして、

18:30 この世にあってその幾倍かを受けない者はなく、後の世で永遠のいのちを受けない者はありません。」

ここでは、この世で神の国のために、家や妻、兄弟を捨てることに関して語られています。そして、そのような人は誰も彼も後の世で永遠の命を受けることが書かれています。

今の世で家や妻を捨てるなど、めっそうもない、そんなことは損極まりない、もっとも愚かに見えますが、
聖書の価値観は異なります。逆にそのようにこの世で損をしたようでも、しかし後の世で永遠の命を受けることは、大変な得な取引、いわば蝦で鯛を釣るようなラッキーな取引であることが語られているのです。

ですので、聖書の教え、キリストの教え、その強調点は明らかにこの世のことにはありません。逆にこの世のことは一時的であり、後の世こそ、大事な時代であることを語るのです。

聖書の強調点は明らかであり、それは、今の世のことではなく、
後の世で我々が正しく永遠の命を獲得することにポイントを置いています。そしてそのような価値観、考え方は我々にはぴんとこないかもしれません。


それも無理もないことです。私たちが通うこの世の学校でも会社でも、
新聞でもテレビでもそのような概念はないからです。しかし、聖書は明らかに
後の世のことを語り、ここに重要なポイントがあることを語ります。
我々にはあまりピンとこなくてもしかし、聖書が正しく神のいわれることが
正しいのです。

マタイ 19:28 そこで、イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。世が改まって人の子がその栄光の座に着く時、わたしに従って来たあなたがたも十二の座に着いて、イスラエルの十二の部族をさばくのです。

19:29 また、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、あるいは畑を捨てた者はすべて、その幾倍もを受け、また永遠のいのちを受け継ぎます。

19:30 ただ、先の者があとになり、あとの者が先になることが多いのです。

ここでは、「世が改まって人の子がその栄光の座に着く時」について語られています。すなわち、今の世ではなく、次の世、後の世について語られているのです。

そしてその世においては、人の子であるイエスが栄光の座に着くことが語られています。
イエスはこの世では、あらゆる病をいやし、多くの人を助けたのですが、その人生の最後は、裁判で死刑を宣告され、また実際に十字架刑で命を失いました。
えらい地位につわけでも王になることもなく、犯罪人、死刑囚の汚名の下で
その人生を終えたのです。もし、キリストがこの世での
名声、成功こそが大事と確信しているなら、それを求める道もあったのでしょうが、そのようなことを求めていません。しかし、イエスは後の世で栄光の位に座します。このイエスの歩み方、人生の送り方が我々にとっても模範なのです。

イエスの人生の価値観や、その強調点は明らかにこの世にはなく、
逆に後の世にあります。我々もそれに準じた歩みをすることが正しいのです。

次の世、後の世での報い、地位こそ大事であり、特に後の世で永遠の命を受けることが大変大事、ということが聖書の価値観です。そして、目に見えることしか見えない我々にはそのことが大事には思えないかもしれませんが、聖書のいうことが正しいのです。

私たちは自分の人生の目標、ゴールということに関してもクリスチャンとして、
我々が育ったこの世的な価値観、常識にとどまらず、逆に
聖書の言う価値観に耳を傾けるべきです。


確かに後の世、次の世のことはまだ私たちには見えないのですが、
多くの聖書の信仰の先祖はそれに価値を見出し、それを求めた、そして
それこそ正しい歩みである、このことを知りましょう。次のステップ

タイトルとURLをコピーしました