さて、私たちがもし神に対して一度でも罪を犯したとして、
その一度をもって一発アウトだとか、救済不能ということが
神の方法ではありません。逆に神は人が罪を犯しやすいものであることを
理解しており、その解決の方法、救済の方法を用意してくださっています。
たとえば、我々が借金をしてしまい、しかもその額が1億円もの額であり、
返済ができない、というとき、怒った相手から、
訴えられたり、刑務所に入る可能性があります。しかし、そこに親切な友人が
救済者として現れ、自分の代わりにその1億円の借金を払ってくれたとしたら
どうでしょうか?我々は訴えられることや借金から無罪放免にならないでしょうか?
聖書が語る方法もまさにそのようなことなのです。我々の犯した罪は
いわば我々が負っている借金のようなものですが、そこから
解放される手段があることを語っているのです。
福音、罪の許し、キリストの十字架の死による贖罪とは、
まさにそのことであり、我々の神の前への借金である、罪を
キリストが代わりに払ってくれた、ということが聖書の基本の教えなのです。
我々が犯してしまった罪は罪なのですが、
しかし、その罪を弁済、救済する方法が存在する、ということが
聖書の語るメッセージなのです。次のステップへ
