S42 肉と霊

クリスチャンとして歩むとき、我々が知っておかなければならないことは、
我々の内側には霊と肉との葛藤がある、ということです。
このように書かれています。

ロマ8:4 それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。

8:5 肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。

8:6 肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。

8:7 というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。

8:8 肉にある者は神を喜ばせることができません。

8:9 けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。

この箇所を見ましょう。

ロマ8:4 それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。

肉とは何かといえば、我々の肉体やその欲求に関すること、具体的には
見る欲、物質欲、体の欲求、すなわち、私たちの体に関するあらゆる部分です。
霊とは何かというと神を信じるものに与えられる聖霊に関することです。
我々がクリスチャンになるとかつてキリストを信じていなかった頃と異なり、
神の霊が下り、神の霊が私たちを良い考えや、良い思い、良い方向を示してくれます。
クリスチャンとは霊と肉、この2つを持つのです。

そしてこの2つは相反し、ぶつかり合うのです。
どちらにしたがって歩むべきか、というなら、
霊、聖霊の声に耳を傾け歩むのが正しいのです。

8:5 肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。

8:6 肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。

我々が肉に従うかそれとも霊に従うかにより、我々の思いや、
行く末は異なってきます。
たとえ、クリスチャンであっても肉の思いを満たすことのみ歩んでいくなら、
その行き着くところは死です。

8:7 というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。

8:8 肉にある者は神を喜ばせることができません。

我々が肉に従うことのみ求めるクリスチャン生活を送るなら、
それは、神に対して反抗する歩みであり、神を喜ばせることはできません。

8:9 けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。

しかし、クリスチャン生活のすばらしいことは、我々は肉も持っているのですが、また反面神の霊も与えられている、ということです。
ですので、もし我々が、日々神の霊に従った歩みをしていくなら、
霊にある歩みであり、行き着くところは心の平安、そして永遠の命です。
クリスチャンには、肉に従って歩むという選択と、霊にしたがって歩むという選択がありあます。その歩み方しだいでその行き着く先は異なることを知りましょう。次のステップへ

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