S41 神は心を見られる

1サムエル 16:6 彼らが来たとき、サムエルはエリアブを見て、「確かに、主の前で油をそそがれる者だ。」と思った。

16:7 しかし主はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」

私たちがクリスチャン生活を歩むとき、一つ知らなければならないことは、
我々の心を見られる方である、ということです。
これは、ある意味人間の世界の常識と異なります。
人間の世界ではその人の外見や、背の高さ、容貌
などは大いに影響するからです。


またその人の生まれつきの能力や、特性なども影響するのです。
しかし、神にあっては、上記の様に、我々の外見ではなく、
その人の心を見ることが語られています。

ですから、神にある歩み、クリスチャン生活を行なう中で、
我々の外見やら、能力が足りないことはあまり関係ありません。
我々に能力がないなら、ないなりに仕えていくなら、神はそれを
喜んでくださるのです。

以下の箇所も見てください。

ルカ21:1 さてイエスが、目を上げてご覧になると、金持ちたちが献金箱に献金を投げ入れていた。

21:2 また、ある貧しいやもめが、そこにレプタ銅貨二つを投げ入れているのをご覧になった。

21:3 それでイエスは言われた。「わたしは真実をあなたがたに告げます。この貧しいやもめは、どの人よりもたくさん投げ入れました。

21:4 みなは、あり余る中から献金を投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、持っていた生活費の全部を投げ入れたからです。」

ここで金持ちが多くの金の中から献金する中で貧しいやもめが
レプタ銅貨2枚をささげました。銅貨は今の日本では10円玉で使われています。
それから考えれば、レプタ銅貨2枚とは、20円に相当するのでしょうか。
あまり大きな額ではありません。いえ金額をいうなら、少ない額です。
しかし、そのような我々の考えに反して、キリストは、このやもめが誰よりも多くささげた、と語りました。実際、彼女は自分の生活費すべてをささげたのです。

ですから、我々は知らなければなりません。この世の、人間の価値観と神の
価値観とは異なることを。
この世においては、人に20円くらいあげても感謝されないかもしれません。
人はその額やら、外観しか見ないからです。

しかし、キリストは神はその人の能力、生い立ち、財力、体力みなご存知であり、そしてこのやもめが誰よりも多くささげたことをご存知なのです。


そしてこのやもめのことは我々に対してのメッセージなのです。
私たちがもしかして、このやもめの様に、わずかな能力、学力、地位、たまもの、知力、体力、外見、品性しか持っていないとしても、しかし、私たちが自分の持つすべてをささげて、神に仕え、キリストに仕えていくなら、
神は、キリストはそれを誰よりも正しく知っていてくださるのです。
そして我々の人の目には小さなささげものを誰よりも多くささげた、とみなして
くださるのです。

このように、神の考えと人の考えは異なります。
私たちは人間的な考えにとらわれ、神の前に自分のさしだすもの、
行うものなど、価値がない、と誤解する必要はありません。

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