私たちがクリスチャンになったあと、はっきりと知らなければならないことは、
父は訓練する、天の父である神は必要な訓練を行う、ということです。
私たちは往々にして、自分に間違ったことなど一つもない、と思いやすいのですが、しかし、我々はたとえ、もう年齢的には大人であっても、しかし、天の父の前には、子供であり、必要に応じて、訓練するべきこと、学ぶべきことがあることを知るべきなのです。
一般的に、子供より、親のほうが知識があります。そして親はその知識や経験に基づき、子供を訓練します。同じことが天の父である神と我々神の子供との間でもおきます。
私たちは自分がどのようにして、遠い天の御国に入るのか知らないものであり、
わからないものですが、しかし、天の父はその知識に基づき、天の常識に基づき、我々に必要な訓練を与えられるのです。
ヘブル 12:5 そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。
12:6 主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」
12:7 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。
12:8 もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。
12:9 さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。
12:10 なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。
12:11 すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。
12:12 ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。
このみことばに基づき見ていきましょう。
ヘブル 12:5 そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。
はっきり知らなければならないこと、それはたとい私たちがもうすでに立派な社会人であり、そして、たとえば、人を教える立場であったとしても、しかし、
私たちはこの世界、クリスチャンの歩みの中では新米であり、多くの間違った
常識やら、思い込みを持っていることが多いのです。
そして、信仰の世界、永遠の世界において、唯一正しい知識を持っておられる神は私たちの周りの環境を通し、必要な訓練を私たちに与えてくださる、ということです。具体的にはどのような方法で?
たとえば、会社の上司が私たちに対して、挨拶が悪い、などといって注意をすることがあります。それは人が行っているように見えますが、実は全てを理解する神が人を通して我々に必要な叱責や訓練を与えてくださっている可能性があるのです。
そのようなこらしめを軽んじてはいけません。
12:6 主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」
全てのクリスチャンは神に愛され、そしてそうであるがゆえに、愛のむちを加えられます。 それは私たちを闇雲に叩くためではなく、我々の行き過ぎや誤りをただすためです。ですから、私たちが不作法なことばのゆえに人から痛い目にあったりしたら、それは、神のむちである可能性があります。行いをただすため許されるのです。
12:7 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。
天の父は我々を子として扱っておられます。
父はその子を見てその子にとってもっとも大事なこと、必要な訓練を行います。
その子の礼儀がなっていなければ、その礼儀を身につけるよう、
訓練します。それが父から子への思いやりなのです。
私たちが正しく神の国へ入るにはどうすればよいか、それを唯一
知っておられるのは天の父のみです。
それで、父はそこに入るために必要な訓練を我々に与えてくださるのです。
12:8 もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。
私たちのクリスチャン人生で神からの懲らしめや訓練が来ているということは、
神が我々を憎んでいることを示すのではなく、神が我々を本当の子として扱っていることを示します。
12:9 さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。
12:10 なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。
我々には天の父とともに肉の父、肉親の父も存在します。これらの両者は似ている面もありますが、違いもあります。肉の父は、「短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのです」というように、自分の信念、価値観に基づいて我々を訓練します。
しかし、それが本当に霊的に益となるか、どうかは別です。また短い期間というように、子供が小さいうちは訓練しますが、大きくなったらもう訓練などしません。しかし、天の父である神の方法は異なります。
「霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。」というように、霊の父の訓練はみな、的を得たものであり、大事な必要な訓練です。さらに霊の父の訓練に従う中で、我々は聖さにあずかります。
12:11 すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。
12:12 ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。
この神の訓練に素直に従うことが大事です。そのとき、「後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。」とのことばどおり、後に平安なクリスチャン人生に入ります。しかし、逆らい、うなじのこわいものであり続けるなら、平安というより、災いや問題のクリスチャン生活のまま歩むことになります。
天の父である神が我々を訓練する、それはクリスチャン人生のまぎれもない事実であり、誰もが訓練を受けます。正しく必要な訓練の中で立て上げられましょう。次のステップ
