S32 すべての人が死後裁判の座に出る

再度話すようですが、人の死後、どのようなことが起きるのか、
聖書的に正しい知識を知っておくべき、と思います。
残念ながら、日本人の多くは聖書的な死生観を持ちません。
死んだらみんな天国へ入る、と勘違いしています。
しかし、それは間違いです。

聖書は死後すべての人が、神の前に出て、自分の生前の行い、語ったことばなどに関して裁判の座につくことを明確に語ります。

ヘブル9:27 そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、

そしてこの裁判の結果、簡単にいえば、天国か地獄、2つの選択のどちらかに入ります。

日本人は人が死んだらそのまま天国へ行く、と勘違いしている人が多いかもしれません。しかし、聖書はこのようなこと、誰でも死んだら無条件に天国へ入ることなど述べていません。

また、死んだら無になる、どこにも存在しなくなる、という人もいますが、
聖書はそのようには語りません。私たちは生きている間のことがらに
関して良くも悪くも報いを得るようになるのです。

聖書は死後の裁判に関して以下の様に述べます。

黙示録20:12 また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応じてさばかれた。

20:13 海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。

20:14 それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。

20:15 いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。

この箇所を見ていきましょう。

20:12 また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応じてさばかれた。

これが人の死後の姿、死後神の御座に立ち、裁判に会う姿です。
そして、その裁判の座に数々の書物が持ち込まれ、開かれることが書かれています。この書物に何が書かれているか、といえば、我々の過去のすべての行ない、言動です。たとえ、誰も見ていない、誰も知らないところで行った盗みや、罪であっても、それらはみな、記録されており、参照されるわけです。

「死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応じてさばかれた。」

それぞれ、自分が実際に行なった行いに対応する、罰やら、刑がその場で言い渡され、下されます。

一言悪口を語れば、火の池3日分の罰とか、人を一度叩けば、3ヶ月火の池に入る、とか、相応する罰や刑が言い渡されるのです。

「また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。」

さて、ここで一つ特別な本が開かれました。それは、いのちの書です。ここには、正しくキリストを信じた人々の名前が記されているのでしょう。

この命の書に名前が記されている人々は、生きていたとき、
キリストの十字架の話を聞いたとき、一笑に付したり、笑って馬鹿にしたりせず、神のことばを信じ受け入れた人々です。

20:13 海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。

ここでも自分の行いに応じて裁きが下され、受けるべき罰が宣告されることが
書かれています。私たちが聖書の十戒に従って何一つ、
罪を犯していなければ、別ですが、そうでない人はみな、この裁判で有罪となり、罰を受けるようになるか旺盛があります。ですので、基本的に今生きている人で、この死後の裁判でまったく無罪になる人もいないでしょうし、火の池に入らない人はいないでしょう。そしてそうであるがゆえに今、このとき、キリストが私たちの罪を負って十字架にかかった、という福音をまじめに受け止め、受け入れる必要があるのです。死後の裁判の日ではもう遅いのです。

20:14 それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。

20:15 いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。

いのちの書に名前の記されていない人々はみな、この火の池に投げ込まれたことが書かれています。誰も彼も自分が生きている間犯した罪をすべて火の池で償い、罰を受けるようになるのです。

しかし、いのちの書に名前に記されている人々は例外的な扱いを受けます。彼らは生きている間何一つ罪を犯さなかったわけではありません。罪は他の人と同じように犯しているのでしょう。しかし、彼らには特別なことがあり、彼らは神が聖書で語る、キリストによる、罪の許し、罪の罰から免れるとの福音を信じ、他の人のように、拒絶せず、神は真実であると認めたのです。それで今、何とか受けるはずだった罰から免れたのです。

そのようなわけで、私たちは、今生きている人間は誰でもいずれ、神の前に出る日、裁判の日が来ることを正しく知るべきです。そして、我々が正しくキリストの十字架の福音を信じているなら、多くの滅びる人と異なり、例外的に救いを受け、永遠の命を受ける、このことを正しく知りましょう。次のステップへ

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