S29 永遠の世界に入る

私たちはクリスチャンになったあと、今まで聞いたことのないことがらを
聖書から聞きます。そのようなことばを聞いたとき、必要なことは、
このようなことでしょうか。私たちにはすでにこの世の中で身につけた常識があるでしょうが、しかし、それにとらわれず、神を真理とするなら、聖書の常識、聖書の考え方に自らを合わせていくことが大事か、と思うのです。


自分の考え、またこの世で学校で、家庭で、社会で聞いてきた常識、というものは、あるでしょうが、そして、それとぶつかるようなことがらが聖書に記されていることがあるかもしれません。そのようなとき、大事なのは、一概に否定せず、とりあえず、聖書の主張、教えに耳を傾けてみることが大事かと思えるのです。

その一つとして:聖書は私たちの住む今の時代に関しても語りますが、しかし、
後の世、次の世について大いに語る、これは、私たちの常識と違うかもしれませんが、しかし、とりあえず、聖書の主張に耳を傾けてみましょう。

ヘブル2:5 神は、私たちがいま話している後の世を、御使いたちに従わせることはなさらなかったのです。

ここに後の世について書かれています。今私たちが住んでいる 世ではなく、
その後に来る世のことです。

今の世、後の世、これらに関してはっきり知らなければならないことは、
聖書はあまり今の世を重要視していない。現在のこの世界で大人気になる、金持ちになる、偉い地位につく、などはほとんど重要視していません。
むしろ、後の世でのことに大いに大いにウェイトがかかっています。後の世で永遠の命を得ることについては、何よりももっとも重要視しています。

マタイ 16:26 人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。

今、この世で人々が重要視することはどのようなことでしょうか?タレントになり、有名になる、大金持ちになる、政治家となり偉くなる、などでしょうか。
しかし、万一我々が世界を手中にする大権力者になったら、これ以上望むものなどない、幸せの絶頂かもしれません。

しかし、イエスはすげなく、「たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。」と語ります。
今の世で全世界を得てもそんなことは、後の世で永遠の命を得る、その大事なことと比べたら、まったく比較にならないほど、意味がないことだ、と語られているのです。

私たちはまだ後の世に行ったこともありませんし、その永遠の命というものも、
実際に経験していないので、実感はないのですが、
しかし、キリストがそういわれるのなら、そうなのだ、と理解することが大事です。

我々の常識から考えるなら、この世のことも結構大事、というか、我々の目には今の世のことしか、見えないのですが、しかし、キリストがそういうなら、聖書の価値観に目をとめ、永遠の命を得ることに目をとめましょう。

後の世に関してはっきりしていることは、後の世は永遠の世界である、ということです。永遠とは時間的なことがら、概念であり、初めもなく、終わりもない、ということです。ですから、後の世は今の世と時間に関しては根本的に異なる世界なのです。

今の時代は時間の区分はありますが、しかし、それは今の世の常識であり、後の世ではそうとは限りません。
永遠は長い時間です。ですので、時間的なこと、その視点からのみでも、
明らかに今の世は備えや、予備のとき、後の世こそ、本番である、そう思えるのです。

永遠という観念は、今の世に生き、時間の概念で縛られている我々には想像しずらいです。しかし、聖書は後の世と関連して度々永遠ということを語っています。

<永遠の命>
マタイ19:16 すると、ひとりの人がイエスのもとに来て言った。「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。」

マタイ19:29 また、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、あるいは畑を捨てた者はすべて、その幾倍もを受け、また永遠のいのちを受け継ぎます。

マルコ10:17 イエスが道に出て行かれると、ひとりの人が走り寄って、御前にひざまずいて、尋ねた。「尊い先生。永遠のいのちを自分のものとして受けるためには、私は何をしたらよいでしょうか。」


ヨハネ3:15 それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」

<永遠の滅び>

マタイ18:8 もし、あなたの手か足の一つがあなたをつまずかせるなら、それを切って捨てなさい。片手片足でいのちにはいるほうが、両手両足そろっていて永遠の火に投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。

マタイ25:41 それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。

マルコ3:19 しかし、聖霊をけがす者はだれでも、永遠に赦されず、とこしえの罪に定められます。」

これらの記述からわかることは以下のことです。
1 後の世、すなわち私たちが入ろうとしている次の世は、永遠の世界である。時間的には初めもなく終わりもない。

2 そして同じ永遠でもそれぞれの人の歩み方しだいで行き先が異なる。
ある人は正しくキリストを信じ、永遠の命を受け、永遠の御国に住むようになる。

ある人は自分の罪をキリストによって許される道、教えを拒否し、その
結果、自分の犯した罪を自分の身で負うようになり、永遠の地獄へ入る。

このように理解できます。
地獄の火、しかも永遠の火など誰も耐えられるものではありません。
私たちが家事の間に間違ってやけどしたとして、それがほんの一秒でも
熱くてがまんできません。それが永遠とは…。

ですので、私たちの多くはこの世のことで忙しいかもしれませんが、
しかし、優先順位を間違えるべきではありません。
聖書の教えが正しければ、誰でも必ず神の前で裁判の座につくようになるのです。その日への備え、また、裁きや罰に入らないための備え、それこそ、優先すべきことと思われるのです。次のステップへ

タイトルとURLをコピーしました