K27 滅びから救われるためには

もし、私たちが神の前で死後のさばき、裁判を受け、その裁判の結果しだいで
地獄すなわち火の池に入る可能性があるとして、私たちがそのような場所に決して
入らないためには、どうすれば、よいのでしょうか?

聖書の言うようにキリストが我々の罪の犠牲として亡くなったとして
その犠牲により、我々が滅びから免れるためには具体的に
どうすればよいのでしょうか?
我々は罪を許されるために巡礼の旅に出たり、もしくは、
贖罪のための行動、奉仕が必要なのでしょうか?

私たちは今までの記事を通して、死後の裁判の日の事
、 そしてそのとき、有罪とされたゆえの地獄の火の罰、
そしてそこに入らないため神が用意された救済の道に
ついて語りました。具体的には神がキリストを遣わし、
その死により、我々の罪の借金を払ってくださった、という
方法です。この話はすばらしいのですが、その素晴らしい身代わりの犠牲を
いざ我々自身の身に適用するにはいったいどうすればよいのでしょうか?

さて、これと同じような質問をしている人が聖書の中にいます。

“使徒16:29 すると、獄吏は、あかりを手に入れた上、獄に駆け込んできて、おののきながらパウロとシラスの前にひれ伏した。

16:30 それから、ふたりを外に連れ出して言った、「先生がた、わたしは救われるために、何をすべきでしょうか」。

16:31 ふたりが言った、「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」。“

ここで看守は、「わたしは救われるために、何をすべきでしょうか」。
と質問をしています。そうです、我々も地獄の火から救われるためには、また死後、裁判で有罪となり、罰を受けないためにはどうすればよいのか知りたいのです。
この質問に対するパウロの答えは的確です。かれは、「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」。と答えています。
そうです、聖書は救われるために特別な行いやら、多額の寄付やら、
慈善事業などに関して語っていません。しかし、主イエスを信じることを語ります。
ですから、私たちが救われるためには、行いは語られていませんが、
しかし、信仰については語られています。
ですので、私たちが聖書でいうキリストに関することばを
信じて救われるのです。

他の箇所でもこの救いについて書いてあります。

ヨハネ 3:16 神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。

3:17 神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。

3:18 彼を信じる者は、さばかれない。信じない者は、すでにさばかれている。神のひとり子の名を信じることをしないからである。

ここに書いてあるように、神の本意、意図は誰一人として永遠の火で滅びることではありません。逆に神の御子であるキリストの十字架の犠牲の死を信じるものが誰一人として滅びることなく、永遠の命を得ることです。

神の方法はこれらの神のことばを真実とし、まことであり、嘘ではないと
し信じた人々は、滅びや罰に入らない、という方法です。

また神の御子であるキリストがこの世に来たその目的は、
この世を罰したり、罪に定めるためというより、御子キリストの
犠牲により、滅びから救われるためなのです。

ただし、これらのことば、聖書のことばを真実とし、
偽りとしない人々は救われる、という方法を通してです。
キリストに関する聖書の言葉を受け入れ、
神は真実であり、偽りでないと信じた人は救われるのです。

そして、「彼を信じる者は、さばかれない。」ことが
書かれています。
救いに関して聖書はこのように語ります。

ロマ10:9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。”

イエスを自分の主であり、そのように告白する人は救われるのです。

このように、聖書は、死後の裁き、裁判について語り、
その裁判で有罪となったときの罰について語ります。そしてそれだけでなく、
その罰から救われるために神の用意した方法をも語ります。
それは、キリストが我々の犠牲として命をささげたことを信じることであり
信じた人は神を真実であると認めた人であり、その人はこれらの罰やら、
滅びから免れるのです。

ですので、私たちは死後裁判の座に立つその前、時間がある今、このことを受け入れ、神の方法を受け入れ、信じるべきです。このことを知りましょう。

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