私たちは神のことば、聖書をどう読むべきなのでしょうか?少し考えて見ましょう。
ロマ10:17 そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。
クリスチャン生活を歩みだす、というとき、それは、この世における生活とは別のものです。そしてクリスチャンの成長と聖書とは大きな大きなかかわりがあります。
それは、上記のことばのように、我々の「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによる」からなのです。ですから、我々はキリストのみことばをメッセージで聞き、聖書から読み、それにより、成長をするのです。
ヘブル4:2 福音を説き聞かされていることは、私たちも彼らと同じなのです。ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです。
聖書を読むことは大事ですが、しかし、読むだけでなく、私たちはこれらの聖書のことばを信じて初めて義となり、益となることをしりましょう。
日本人の多くは読書好きであり、そしてその読書の一環として
聖書を読む人もいます。しかし、聖書のことばを信じることなく、ただ単なる教養とか、知識の一環として、読んでいる場合、信じていないので、そのことばがその人の益になることはありません。聖書は信じてなんぼの書なのです。
ショーウインドウのかつ丼のサンプルを何時間も眺めていてもそれでお腹が一杯になるわけでもなく、力がわいてくるわけでもありません。
同じく聖書も単に知識としてでなく、信じてはじめてその人にとり、益となり、
神の約束がその人の上におこなわれるのです。
信じて初めて聖霊がはたらき、私たちの心も思いも変えられ、新しい人になるのです。
ヨハネ2:22 それで、イエスが死人の中からよみがえられたとき、弟子たちは、イエスがこのように言われたことを思い起こして、聖書とイエスが言われたことばとを信じた。
聖書には確かに私たちが今まで育った世界の常識やら、考え方と異なることが
書かれています。しかし、聖書を読むとき大事なことは、
自分の常識や、考え方のみ優先せず、とりあえず、神のことばに対して
心を開き、謙虚にそのことばを考えてみることです。
聖書には確かに私たちの常識と異なることが書かれています。
キリストの復活、奇跡、。しかし、ありえないことが描かれているから信じない、と簡単に結論をつけず少し考えて見ましょう。
もし、神が存在しておられ、人間や動物を無から創造する方が存在するなら、
人が死んでその人を神がよみがえらせたからといって、それほど、びっくりすることでもないのではないのでしょうか。ロボットを作った科学者がこわれたロボットを修理したからといってびっくりすることではありません。たとえがよいか悪いかわかりませんが同じように、人を創造した神が死んだ人をよみがえらせたからといってびっくり仰天するほどのことではない、といえるでしょう。
その神が書かれた書、聖書に対しては我々は謙虚な思いをもって近づき、
聖書からの真理に耳を傾けましょう。次のステップへ
