S38 新約聖書と旧約聖書

聖書は新約、旧約、2つの部分からできています。
66巻の全聖書のうち、キリスト誕生以前に書かれた書が、旧約聖書です。
39巻あります。キリスト誕生後に書かれた書が、新約聖書です。27巻あります。

我々クリスチャンにとって、大事なことは、新約、旧約どちらも時間をかけて読む、ということです。人によっては新約しか読まないクリスチャンもいます。
今は新約の時代だから、旧約の裁きのときではないから、旧約聖書は読んでも意味がない、くらいの気持ちでしょうか。


これは、偏った考え方であり、実際はどちらも読むべきです。きちんとどちらも読まないと、大事なクリスチャンの基本的なことが学べません。
旧約聖書を時間をかけて読む中で、私たちは聖書に書かれた歴史から、
学ぶことができます。そこに書かれた例から私たちは教訓を受け、警戒を持つことができます。

私たちは時間をかけて旧約もそして新約も読み、
初めて神の方法、大事な真理などを見出すことができます。
要領よくポイントのみ、要点のみ、つかもうなどという人は結局、
正しい真理には達しません。

目安として年に一度は聖書全巻を読み通すほどのスピードで読むべきです。そのためには一日10章くらい読んだほうがよいでしょうか。何度も聖書の
通読を繰り返してはじめて見えてくることがあります。一生かけてやっと一回読み通したからといってたいしたことはわかりません。

旧約聖書を読む中で、我々は神という方の方法、性質、考え方を
理解するようになります。
また、歴史、たとえば、モーセの律
法が与えられ、それを民が守りきれないことなどを通して、
我々は人間の性質やら、傾向、失敗を理解します。

また、神の義、聖さを理解します。
我々はこの正しい聖い神の前に出て、死後裁判の座につくのです。
その深刻さを理解できます。
また旧約時代にささげられた牛や羊の犠牲を通して、
どのようにして我々の罪が許されるのかを実際的に理解します。
人の罪は重く深刻なものであり、それが許されるためには血が流され、
命が失われる必要があることを理解するのです。

その理解は新約における神の子羊、キリストの犠牲を理解するもととなります。

また、我々は歴代、列王の歴史を通して、神に選ばれた
イスラエルの王国がその歴史が進む中で背教にいたり、ついには、
バビロンに捕囚されることを見ます。
王国の崩壊、やら、背教を歴史を通してみるのです。そしてその
理解は終末、黙示録の時代のバビロンの出現の意味合いや終末の背教を
理解するもととなります。

また旧約の時代の神の裁きや罰を通して、この方が世を裁き、罰を下す日についても正しく理解できます。

たとえば、創世記の中で、神がソドム、ゴモラの町の罪に対して怒りを発し、
これらの町を滅ぼされたことが描かれています。
ソドムは同性愛の町でしたが、神の怒りをかい、この町が滅ぼされたことが描かれています。このことは歴史的事実であり、ソドムの遺跡は今でもイスラエル死海近辺にあります。

またノアの時代の人々が道を曲げた歩みをしていたとき、神により、
裁きが下され、当時の世界は水により、滅ぼされました。
この洪水の後は今でも地層の中に洪積層として残っています。
今でも高い山の上に突然、魚や貝など、海の生き物の化石が出現します。
それは、その山がかつては水におおわれたことを意味します。
聖書には、ノアの洪水のとき、どんな高い山もみな、水に覆われたことが描かれていますので、このことは洪水が確かにこの地球の歴史に起きたことを示す証拠となっています。

これらの神のさばき、 罰ということは旧約の時代にすべて終わったというわけではありません。同じ神がこの世界を支配しておられるので、今の時代の人々が、正しく歩まないとき、神の厳しい裁きや罰が下されるのです。

現代の時代、またこの時代の人々の歩みを冷静に見るなら、
かつてのノアのとき、また、ソドムゴモラの時と変わらない、否、それ以上に
邪悪や、罪、不道徳が蔓延した時代になっています。

聖書はこの世の終わりに最終的に人の罪が増し加わり、多くの人が滅びる日を預言していますが、我々はそれが真実であり、そのような日が確かに到来することを知るのです。


ですので、我々は聖書を読み、昔のことを読むことにより、今神がなされようとすること、教会に対して、また、この世に対してなされようとすることを知るのです。クリスチャンのこの時代の理解のためには聖書の読み込みは必須なのです。次のステップへ

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