S35 信仰とは

我々クリスチャンの歩みは信仰の歩みであり、
そして信仰とは目に見えないものをまこととすることであると、
知りましょう。

ヘブル11:1 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。

イエスは福音書の中で多くの病の癒しや、奇跡を行なわれました。
しかし、それは無差別というより、一つの原則があり、
それは、信仰を持って求める人、願う人が癒され、奇跡を受ける、という
原則です。

マタイ 9:2 すると、人々が中風の人を床に寝かせたままで、みもとに運んで来た。イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。」と言われた。

マタイ9:22 イエスは、振り向いて彼女を見て言われた。「娘よ。しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを直したのです。」すると、女はその時から全く直った。

マタイ 15:28 そのとき、イエスは彼女に答えて言われた。「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」すると、彼女の娘はその時から直った。

マルコ 10:52 するとイエスは、彼に言われた。「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」すると、すぐさま彼は見えるようになり、イエスの行かれる所について行った。

これらの例は私たちへの教訓として書かれたものです。
私たちは病や問題にぶつかることがあります。
しかし、私たちが信仰を持ってイエスに祈るなら、もとめるなら、私たちは病の癒しを受け、問題の解決を受けます。しかし、求めもせず、願いもせず、信仰も持たない人が解決を得ることはありえません。

2コリント 5:7 確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。

聖書は信頼に足る書であり、神のことばです。
そして私たちは見るところではなく、信仰によって歩む、この原則を身につけることが大事です。

なぜなら、クリスチャンにとって大事な事柄とは、みな、目に見えないことがらだからです。我々に与えられた聖霊もみえません。また我々に与えられた永遠の命も見えません。


死後の世界も、天国も、永遠の裁きも今は目に見えません。
しかし、目に見えないからといって存在しないわけではありません。
聖書に記されている全ての預言はみな、今まで成就してきました。
ですので、我々が聞いていること、聖書で教えられている事柄も、今は目に見えないのですが、しかし、いずれ必ず成就することを知るのです。

クリスチャンの世界、その歩みはこのように信仰の歩みであり、目に見えないものを真実とする歩みです。そして、信じた人はその祈りの答えを見、栄光を見てきました。


私たちもこの世の常識、見えるものだけが真実、という常識からはなれ、神の目に見えない約束を真実とする歩みに入りましょう。次のステップへ

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