S34 この世を愛さない

私たちは後の世をめざすべきものであり、後の世で与えられる
永遠の命をめざすべきものであることはすでに語りました。
さらにもう一つ私たちが知るべきことがあり、それは
私たちはこの世を愛すべきでない、ということです。

1ヨハネ2:15 世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。

ここには、私たちが世を愛するなら、その人には天の父である神を愛する愛がないことが描かれています。

このことばをどう理解すればよいのでしょうか。私の私的な考えではこんな風に思えます。たとえば、愛し合って結婚した男女でも、奥さんが他の男が好きになってしまったら、必然的に夫への愛が冷えます。たとえ、結婚しても恋愛の自由がある、という考えもあるかもしれませんが、しかし、その仲はぎくしゃくしてくるでしょう。

1ヨハネ2:16 すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。

クリスチャンの心を神からそらすもの、世にあるものは、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などです、これらにのみ、心を移すなら、神への愛は消えていく可能性があるでしょう。

1ヨハネ 3:13 兄弟たち。世があなたがたを憎んでも、驚いてはいけません。

聖書によれば、この世の神はサタンであり、サタンが支配するこの世においては、我々キリストの教えに従うクリスチャンは憎まれる可能性があります。キリストもペテロもヨハネもパウロもこの世に憎まれ、訴えられたりしています。
我々も正しいことを行ないながら、世から憎まれたり、訴えられたり、ということがあるのです。 

ヤコブ 4:4 貞操のない人たち。世を愛することは神に敵することであることがわからないのですか。世の友となりたいと思ったら、その人は自分を神の敵としているのです。

今の世、この世はサタンに支配され、神に逆らい、反逆した
サタンの論理、価値観、方法で支配されています。
いわば、我々は敵の領土の中で生活しているようなものでしょうか。
神に反するこの世を私たちが愛し、求めていくことはこの箇所に書かれているように、「神に敵すること」なのです。

「世の友となりたいと思ったら、その人は自分を神の敵としているのです。」

この世で喝采を受け、受け入れられ、人気者になるにはこの世の方法を受け入れ、この世に受けるスタイルでなければなりません。しかし、この世は神に逆らうサタンの支配の下にあるので、そのように世に受け入れられ友となろうとする人は結果として、神の敵となっているのです。

逆にキリストのように、世の罪を指摘し、誤りをただす人は世から憎まれます。

マタイ 4:8 今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、

4:9 言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」

悪魔は世の支配者であり、自分を拝むものには、世のものを与えたり、
世の成功を与えます。
しかし、サタンを拝みもせず、世に従おうともしない我々がこの世で人気を博したり、成功する、ということはまずありえないのです。

1ヨハネ 5:19 私たちは神からの者であり、全世界は悪い者の支配下にあることを知っています。

何故我々クリスチャンはこの世を愛するべきでないのか?その理由はここに
書かれているように、世は悪いもの、悪魔の支配下にあるからです。
したがって世で認められ、成功するには、悪魔に喜ばれ、好まれる人でなければなりません。正しい聖書の真理を語る人など成功するはずがないのです。

もし我々がたとえクリスチャンであっても惑わされて真の神からの栄誉より、
人からの評判、この世での成功などを求めるなら、結果として、この
世の友となったり、この世が喜ぶ方法を選ぶ可能性があります。

しかし、正しい人、たとえば、イエスキリストは、この世の罪を指摘し、
正しい道を語り続けました。その結果は世からうとまれ、憎まれ、最後は
十字架の死で終わっています。我々がイエスの後をついていくなら、我々の上に
似たようなことは起きても、イエスが受けた以上によい、対応など世から期待するべきではありません。

さて、このようにクリスチャンの歩みの根本は世を愛する歩みではない、このことは正しく知りましょう。たとえ、今の世で報われなくても私たちには次の世でも栄光が待っています。正しく認識し、正しく歩みましょう。

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