通算No.738 岩を打つ
”テキスト:民27:
12 ついで主はモーセに言われた。「このアバリム山に登り、わたしがイスラエル人に与えた地を見よ。
13 それを見れば、あなたもまた、あなたの兄弟アロンが加えられたように、あなたの民に加えられる。
14 ツィンの荒野で会衆が争ったとき、あなたがたがわたしの命令に逆らい、その水のほとりで、彼らの目の前に、わたしを聖なる者としなかったからである。」これはツィンの荒野のメリバテ・カデシュの水のことである。”
本日は「岩を打つ」という題でメッセージをします。
テキストに沿って見て行きます。
”
12 ついで主はモーセに言われた。「このアバリム山に登り、わたしがイスラエル人に与えた地を見よ。”
この時は長い荒野の道程が終わりつつあり、モーセが率いる、イスラエル民族が、いざ
約束の地へ入ろうとする時です。モーセ、アロンこそがこの多くの民を率いて、
約束の地まで、導いた功労者なのです。彼らこそ、まっさきに約束の地へ入るべきと
思われるのですが、しかし、事態は思わぬ方向へ進みます。
”
13 それを見れば、あなたもまた、あなたの兄弟アロンが加えられたように、あなたの民に加えられる。”
神は、アロンもモーセとともにその地を見るが、しかし、約束の地へは入らず、
その直前に山で命の息を引き取ることを語りました。このことに何か隠れた意味合い、語りかけがあるのでしょうか。
”14 ツィンの荒野で会衆が争ったとき、あなたがたがわたしの命令に逆らい、その水のほとりで、彼らの目の前に、わたしを聖なる者としなかったからである。」これはツィンの荒野のメリバテ・カデシュの水のことである。”
ここで、主はモーセがツインの荒野で、神の命令に逆らったこと、そして、
それゆえに今、約束の地には入れないと語っています。
このことは、事実です。しかし、ツインの荒野での事件とは、
岩に命じろとの神のことばに関わらず、モーセが岩を打ったというできごとにすぎません。
この小さな事件をもとに荒野にいる間、ずっと忠実に歩んだモーセが約束の地に入れないとは、
あまりにも理不尽でなないのでしょうか?
それともこの箇所は何か特別なことを我々に教える箇所なのでしょうか?
ツインの荒野の事件は以下の様な事件でした。
”民20:1 イスラエル人の全会衆は、第一の月にツィンの荒野に着いた。そこで民はカデシュにとどまった。ミリヤムはそこで死んで葬られた。
2 ところが会衆のためには水がなかったので、彼らは集まってモーセとアロンとに逆らった。
3 民はモーセと争って言った。「ああ、私たちの兄弟たちが主の前で死んだとき、私たちも死んでいたのなら。
4 なぜ、あなたがたは主の集会をこの荒野に引き入れて、私たちと、私たちの家畜をここで死なせようとするのか。
5 なぜ、あなたがたは私たちをエジプトから上らせて、この悪い所に引き入れたのか。ここは穀物も、いちじくも、ぶどうも、ざくろも育つような所ではない。そのうえ、飲み水さえない。」
6 モーセとアロンは集会の前から去り、会見の天幕の入口に行ってひれ伏した。すると主の栄光が彼らに現われた。
7 主はモーセに告げて仰せられた。
8 「杖を取れ。あなたとあなたの兄弟アロンは、会衆を集めよ。あなたがたが彼らの目の前で岩に命じれば、岩は水を出す。あなたは、彼らのために岩から水を出し、会衆とその家畜に飲ませよ。」
9 そこでモーセは、主が彼に命じられたとおりに、主の前から杖を取った。
10 そしてモーセとアロンは岩の前に集会を召集して、彼らに言った。「逆らう者たちよ。さあ、聞け。この岩から私たちがあなたがたのために水を出さなければならないのか。」
11 モーセは手を上げ、彼の杖で岩を二度打った。すると、たくさんの水がわき出たので、会衆もその家畜も飲んだ。
12 しかし、主はモーセとアロンに言われた。「あなたがたはわたしを信ぜず、わたしをイスラエルの人々の前に聖なる者としなかった。それゆえ、あなたがたは、この集会を、わたしが彼らに与えた地に導き入れることはできない。」
13 これがメリバの水、イスラエル人が主と争ったことによるもので、主がこれによってご自身を、聖なる者として示されたのである。”
この箇所を見ていきましょう。
”1 イスラエル人の全会衆は、第一の月にツィンの荒野に着いた。そこで民はカデシュにとどまった。ミリヤムはそこで死んで葬られた。
2 ところが会衆のためには水がなかったので、彼らは集まってモーセとアロンとに逆らった。
3 民はモーセと争って言った。「ああ、私たちの兄弟たちが主の前で死んだとき、私たちも死んでいたのなら。
4 なぜ、あなたがたは主の集会をこの荒野に引き入れて、私たちと、私たちの家畜をここで死なせようとするのか。
5 なぜ、あなたがたは私たちをエジプトから上らせて、この悪い所に引き入れたのか。ここは穀物も、いちじくも、ぶどうも、ざくろも育つような所ではない。そのうえ、飲み水さえない。」”
この荒野で民は水がないため、主につぶやいたのです。
水は、聖霊のたとえです。水を求めるとは聖霊を求めることのたとえです。
”6 モーセとアロンは集会の前から去り、会見の天幕の入口に行ってひれ伏した。すると主の栄光が彼らに現われた。
7 主はモーセに告げて仰せられた。
8 「杖を取れ。あなたとあなたの兄弟アロンは、会衆を集めよ。あなたがたが彼らの目の前で岩に命じれば、岩は水を出す。あなたは、彼らのために岩から水を出し、会衆とその家畜に飲ませよ。」”
岩はかしら石なるキリストのたとえです。
この時、神は岩、キリストに命じる様語りました。
そして、そうすれば、キリストを通して、聖霊の働きは民に与えられるものなのです。
事実、主キリストは聖霊に関して、以下の様に述べました。
”
ヨハネの福音書 14:16 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
17 その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。”
ここで書かれているように、主が求め、命じれば、聖霊は与えられるのであり、
岩、キリストを打ったり、殺したりしなくても聖霊はこられるはずだったのです。
”10 そしてモーセとアロンは岩の前に集会を召集して、彼らに言った。「逆らう者たちよ。さあ、聞け。この岩から私たちがあなたがたのために水を出さなければならないのか。」
11 モーセは手を上げ、彼の杖で岩を二度打った。すると、たくさんの水がわき出たので、会衆もその家畜も飲んだ。”
しかし、残念ながら、モーセ、アロンは岩に命じることはせず、逆に杖で岩を打ったのです。
どうも岩に命じることとそれを杖で打つこととには決定的な違いがあるようです。
その違いは何なのでしょう?
そのことは、主イエスの初降臨の時のことを考えればわかります。
主が来られた時、岩なるキリストは打たれ、殺されました。
それは十字架の死のことです。その打った人々は誰かと言うと、
律法学者、パリサイ人や祭司などです。そして、知らなければならないことは、
律法学者はモーセのすえであり、祭司や、祭司長は、アロンのすえであるということです。
アロンは祭司の最初の人であり、全ての祭司や祭司長たちは、彼、アロンのすえといえます。
また、律法学者、パリサイ人について主はこういわれました。
「マタイの福音書 23:
2 こう言われた。「律法学者、パリサイ人たちは、モーセの座を占めています。」
ですから、モーセ、アロンが岩を杖で打ち、水を出すとは、預言的な行いであり、
その成就は、主イエスの時、主に敵対して立った、律法学者、パリサイ人、祭司達に
おいて実現しているのです。すなわち、彼らはキリストを打ち、攻撃し、敵対し、最後には
十字架の死に追いやりましたが、その結果、主の復活と、聖霊降臨をもたらしたわけです。
岩を打ち、水を出すということは、主イエスの初降臨の日に明らかに成就しているわけです。
また、杖で打つということにもたとえが使われており、杖、教師が悪く用いられ、
キリストを攻撃する人々となる、ということをさします。そしてこのことはイエスの日に成就しています。
さて、岩を「2度」打つと言う言葉にも注目しなければなりません。
このことの意味合いはどういうものなのでしょうか?
普通に考えれば、2度の意味合いは、このモーセ、アロンのすえが岩なるキリストを打つということがらは、
2回にわたって成就することをさすと考えられます。
すなわち、初降臨のキリストはモーセ、アロンのすえに打たれ、また、
再臨のキリストもモーセ、アロンのすえに打たれると預言されているのです。
このように考えるなら、
すでに初降臨のキリストに関する預言は成就しました。ですので、
再臨のキリストに関する預言も成就するようになるでしょう。すなわち、
再臨の日にも、モーセ、アロンのすえに相当する人々が、岩なるキリストを打つような
冒涜を行うようになると思われるのです。
そして、このことは今冷静に客観的にキリスト教会を見渡すなら、この終末の時代、すでに成就していることがわかります。
新約の教会においてモーセの座を占める、神学者や教師は、キリストのことばと正反対の教理をまくしたて、岩なるキリスト、みことばなる方を打ち続けています。やれキリストの復活は実際はなかった、
奇跡はない、などとこの方への冒涜が蔓延しています。
また、この時代の祭司、礼拝の任を持つ、牧師もキリストを打ち続けています。
あの悪霊男、ベニーヒンや、聖霊の第三の波を神からの霊だといい、悪霊を聖霊と
呼び、冒涜しているのです。
しかし、このような冒涜を行う神学者や、牧師には厳しい未来が待つことをも知りましょう。
彼らはモーセ、アロンがそうであったように、決して神の約束した地、天の御国には入れないのです。
その国をまじかに見、のぞみながら、自らの身はその地に入ることはできなくなるのです。
”
12 しかし、主はモーセとアロンに言われた。「あなたがたはわたしを信ぜず、わたしをイスラエルの人々の前に聖なる者としなかった。それゆえ、あなたがたは、この集会を、わたしが彼らに与えた地に導き入れることはできない。」
13 これがメリバの水、イスラエル人が主と争ったことによるもので、主がこれによってご自身を、聖なる者として示されたのである。”
ここには、我々が知るべきである大事な言葉が書きしるされているように思えます。すなわち、
「あなたがたは、この集会を、わたしが彼らに与えた地に導き入れることはできない。」、モーセ、
アロンが民を、約束の御国に導き入れることができないことが明示されているのです。
このことは、主イエスの日、成就しました。
モーセの位につく、律法学者、パリサイ人は偽善者となり、
民を約束の国にいれるどころか、改宗者を自分に倍まさるゲヘナ、地獄の子と、
なす愚かな教えを繰り広げていたのです。
彼らについていっては決して約束の御国に入ることはできませんでした。
そして、このことは、当然主の再臨の近い、この時代においても再現することを知りましょう。
今の時代のモーセの位を占める、勘違い神学者、教師の語るインチキ神学を盲信し、また、
アロンの位を占める牧師の推薦する悪霊リバイバルに狂奔する人々は入るべき
御国に入れないことを知りましょう。
受け入れられないかもしれませんが、しかし、主のいわれたことが正しいのです。
終末における主のみこころを行いましょう。
ー以上ー
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