終末の預言解釈

Room of Jeremiah / Interpretation of End days
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 知恵があって、これを悟ることのできる者はだれ
か。主の御口が語られたことを告げ知らせることので
きる者はだれか。(エレミヤ書9:12)

エレミヤの部屋へようこそ

通算No.9 私的解釈に関して学ぶ

テキスト:
ペテロの手紙第二 1:20
”それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。”

「私的解釈」のほんとうの意味

今回は「私的解釈に関して学ぶ」という題でメッセージをします。上記箇所のいわゆる「私的解釈」との訳文は必ずしも原語に忠実な訳ではない、ということに関して学んでいきたいと思います。

原語の意味から見るなら、この「私的解釈」と訳されたことばは必ずしも正しい訳ではありません。むしろ「それ自身の解釈」-そのテキストのみからの解釈-と訳されるべきです。もし、そのように見るとこの節全体は以下のように訳せます。

「それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、それ自身の解釈を施してはならない、ということです。」(J.N.Darby訳)

このように訳すと意味がはっきりしてきます。この節のいわんとしていることは預言を解釈する時の方法です。すなわち、黙示録のテキスト、たとえば7つの頭と10の角を持つ獣なりに関するテキストがあるとします。その時、その黙示録の預言のテキストのみで頭をウンウンうならせて解釈せず、他の預言の箇所、例えば、ダニエル書の獣の箇所なりを参照せよ、ということをいっているのです。

よく聖書研究に関連して「聖書に聖書を解かせる」ということばが使われます。その根拠は他でもない、この節からきているのです。

しかし、多くのクリスチャンはこの箇所を「私的解釈」と訳して、それ以上のことを考えようとしません。しかしこの訳は妥当ではありません。間違っているとはいわないものの、原語の第一義的な意味をカバーしていません。第一義的な意味を考慮するなら、「それ自身の解釈」と訳すべきだと思います。何故そのように主張できるのでしょうか。このことに関して以下のように2つの理由をあげます。

  1. 「私的」と訳されているギリシャ語idiosの第一義的な訳は「~自身」という意味である。
  2. 英語聖書の中ではもっとも忠実な訳といわれるJ.N.Darby訳でもこの箇所は「それ自身の解釈を施してはならない」と訳されている。

さて、上記点をもう少し詳しく見ていきたいと思います。

1.について:

このidiosというギリシャ語の意味は辞書によると以下の通りです。

AV – his own 48, their own 13, privately 8, apart 7, yourown 6,
     his 5, own 5, not tr 1, misc 20;113

この語は新約聖書の中で合計113回使用されています。その中でもhis own(彼自身)48回、their own 13回、 your own 6回、 own5回のように「~自身」という用法が多いことがわかります。
privately 「私的」という用法も8回ありますが、第一義的な意味ではないことがわかります。ですから、この単語の原語の意味を正しく反映させるつもりなら、「~自身」という意味あいを全くいれないのはおかしなことになるのです。

2.について:

私はOnline Bibleという英語の聖書ソフトを使っています。そこにいくつか英語訳の聖書が入っています。その中のJ.N.Darby訳についてこのOnline Bibleは「英語訳の聖書としてはもっとも忠実な訳。KJV訳以上に忠実に訳されている」と紹介しています。そしてこのJ.N.Darby訳にはこの箇所が、「すなわち、聖書の預言はみな、それ自身の解釈を施してはならない、ということです。」と訳されているのです。

ですから、この箇所を「私的解釈」という訳でのみ、きめつけるべきではありません。少なくとも、「それ自身の解釈」と訳すことも可能であることを認めるべきだと思います。

“idios”という語の使用箇所

さて、この原語、idiosということばが実際に聖書の中でどのように使われているか、見てみましょう。これらを見ていくなかで、この原語の意味あいが判明してくると思います。例として、マタイ伝で使われているこの原語を全てあげてみます。

  1. And he entered into a ship, and passed over, and came into his own <2398> city.(Mt 9:1)

    イエスは舟に乗って湖を渡り、自分(自分自身)の町に帰られた。(マタイの福音書 9:1)

  2. When Jesus heard of it, he departed thence by ship into a desert place apart <2398>: and when the people had heard thereof, they followed him on foot out of the cities.(Mt 14:13)

    イエスはこのことを聞かれると、舟でそこを去り、自分だけで寂しい所に行かれた。すると、群衆がそれと聞いて、町々から、歩いてイエスのあとを追った。(マタイの福音書 14:13)

  3. And when he had sent the multitudes away, he went up into a mountain apart <2398> to pray: and when the evening was come, he was there alone.(Mt 14:23)

    群衆を帰したあとで、祈るために、ひとりで(離れて)山に登られた。夕方になったが、まだそこに、ひとりでおられた。(マタイの福音書 14:23)

  4. And after six days Jesus taketh Peter, James, and John his brother, and bringeth them up into an high mountain apart <2398>,(Mt 17:1)

    それから六日たって、イエスは、ペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に(離れて)導いて行かれた。(マタイの福音書 17:1)

  5. Then came the disciples to Jesus apart <2398>, and said, Why could not we cast him out?(Mt 17:19)

    そのとき、弟子たちはそっとイエスのもとに(離れて)来て、言った。「なぜ、私たちには悪霊を追い出せなかったのですか。」(マタイの福音書 17:19)

  6. And Jesus going up to Jerusalem took the twelve disciples apart <2398> in the way,and said unto them,(Mt 20:17)

    さて、イエスは、エルサレムに上ろうとしておられたが、十二弟子だけを呼んで、道々彼らに話された。(マタイの福音書 20:17)

  7. But they made light of it, and went their ways, one to his <2398> farm, another to his merchandise:(Mt 22:5)

    ところが、彼らは気にもかけず、ある者は(自分自身の)畑に、別の者は商売に出て行き、(マタイの福音書 22:5)

  8. And as he sat upon the mount of Olives, the disciples came unto him privately <2398>, saying, Tell us, when shall these things be? and what shall be the sign of thy coming, and of the end of the world?(Mt 24:3)

    イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」(マタイの福音書 24:3)

  9. For the kingdom of heaven is as a man travelling into a far country, who called his own <2398> servants, and delivered unto them his goods.(Mt 25:14)

    天の御国は、(自分の)しもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のようです。(マタイの福音書 25:14)

  10. And unto one he gave five talents, to another two, and to another one; to every man according to his several <2398> ability; and straightway took his journey.(Mt 25:15)

    彼は、おのおのその(自分の)能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりには二タラント、もうひとりには一タラントを渡し、それから旅に出かけた。(マタイの福音書 25:15)

(*上記の英訳の引用箇所で、<2398>とあるのは、”Strong’s Exhaustive Concordance of The BIBLE”のギリシャ語 Word Numberです)

上記のように、このidiosということばには、「自分自身」「それ自身」「(他と離れて)自分で」という用法が多いことがわかります。このことばはそもそもそういうニュアンスのことばなのです。上記マタイ伝の箇所で一箇所だけprivately(私的)と訳されている箇所があります。以下の箇所です。

マタイの福音書 24:3 イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」

ここでは「弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った」のです。そして、この箇所の用法にも「~自身」というニュアンスが含まれていることがわかります。

結論として、くり返すようですが、このidiosということばのもっとも基本的な意味あいは「~自身」という意味です。

ですから、この原語が使われている上記ペテロの手紙のテキストは「それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、それ自身の解釈を施してはならない、ということです。」と訳すのがもっとも、妥当と思えます。

「私的解釈」と訳すのが間違いではないにしても、第2義、第3義的な意味あいです。まして、「私的解釈」以外の訳を認めないというのは、聖書をねじ曲げることになります。

終末における主のみこころを行っていきたいと思います。

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