終末の預言解釈

Room of Jeremiah / Interpretation of End days
prophecies.   English (click)

 知恵があって、これを悟ることのできる者はだれ
か。主の御口が語られたことを告げ知らせることので
きる者はだれか。(エレミヤ書9:12)

エレミヤの部屋へようこそ

通算No.4 神のしもべと悪評

テキスト:
-ノコリント6:8
”また、ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。”

パウロはこの聖句のなかで、”神のしもべ”として推薦される条件について語っています。その中の一つは好評を博したり、ほめられることです。そしてもう一つは悪評を受けたり、そしられることです。

ほめられたり、好評をうけることはわかりますが、そしられたり、悪評をうけたりすることが、どうして神のしもべとして推薦される条件になるのか、少し不思議ですが、しかし彼はそうのべているのです。

人を推薦する時、例えば就職の紹介状を書く時はその人の良いことしか、書きません。頭脳明晰で、字がきれいで、誠実な人柄で、学校でも人望がありというように良い評判のみ書きます。何かとトラブルを起こす人で困りものだとの評判ですというような悪評は書きません。またそう書いては推薦になりません。

この世の人の間での推薦はこのようですが、しかし神のしもべに関しては違うようです。良い評判があることは勿論神のしもべとして推薦する条件になりますが、しかしまた人から悪い評判をたてられることも神のしもべとして推薦される条件だというのです。

確かに神への奉仕者として人前で良い評判を得ることはすばらしいことです。しかし、それとともに、神のことば、またみこころのゆえに、犠牲を払い、悪評を現実に受けたことがあるという事実、これこそ私が自分を神のしもべとして推薦する根拠であるとパウロは言っているのです。

聖書から見た限り、神のみここを行う神のしもべはキリストにしてもパウロにしても、よい評判のみでなく、大いに悪評を受けています。

その人が自分の評判、名誉、地位よりも神のみこころを優先し、そしてそのゆえに悪評を受けるなら、それは神の前にりっぱな推薦状です。

また、ルカによる福音書6:26には”みなの人にほめられるときは、あなたがたは、哀れな者です。彼らの先祖は、にせ預言者たちをそのように扱ったからです”と書いてあります。真の神のしもべは人からほめられることのみを気にしてはいけないのでしょう。

真に神のしもべとして歩むとき、人から悪評されたり、けなされたりすることは覚悟しなければならない。そしてもっと積極的にいうなら、自分が神のために、悪評を受けたり、けなされたことがあること、この事実こそが私の推薦状なのだとパウロは言っているのでしょう。

そのような訳で、我々は神のみこころを正しく行っていく時、家族や友人、また、まわりの人から誤解されたり、悪くいわれても気にするべきではありません。もちろん、悪くいわれない、悪評を受けないにこしたことはないのですが、神のみここを選んだがゆえにそれでも悪評を受けるという場合は、主にあって甘んじて受け、真に神のしもべとしての道を歩んでいきたいと思います。

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