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世の終わりとは何か:クリスチャンでない方向け

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Theme of the apocalypse

世の終わりとは何か、ということを改めて書きたいと、思います。
聖書には、世の終わりに関する記述がたくさんあります。
多くの記述が世の終わりに関してなされているのです。
それだけ、大事なまた深刻なテーマであるから、といえるでしょう。

私自身は地球や科学の専門家ではありませんが、ただ、
牧師であり、聖書だけは何度も何度も読んできたので、
聖書に基づいて、聖書がどう世の終わりに関して記述しているのか、
多少はわかるかと思いますので、その視点で書きたいと
思います。

なぜ聖書なのか、ということを書くとこれは、長くなるのですが、
端的にいえば、聖書は神のことばであり、ひとたび聖書に書かれ、
予言されたことは必ず成就するからです。聖書の預言の成就率をいうなら、
それは100%なのです。外れた予言などは存在しないのです。
イエスキリストの生誕や生涯、その死に至るまで、300以上の預言が前もって預言されていましたが、そのことごとくが成就しています。
そのように正確に未来を語る聖書のことばですので、世の終わりに関する言葉も
成就すると考えることが正しく妥当だと思えます。

聖書でいう世の終わりとは端的にいえば、今の世界を物理的に形作っている、天と地、具体的には宇宙も地球も燃え尽き、終焉する日だというこことです。以下の様に
書かれています。

”2ペテロ3:10 しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。”

世の終わりには、天と地、今のことばで言えば、宇宙も地球も燃え尽きてしまうことを聖書は明言しています。宇宙も地球も燃え尽きてしまうなら、そこに住む、人間もみな滅ぶでしょう。そういう意味では、聖書は世の終わりには、人を創造した神を知らず、知ろうともせず、感謝もしない人々はみな滅びることを語っているのです。
そのような恩知らずな人々に終わりの日に、明るい未来が待っているわけではありません。

この宇宙にも地球にも始めがあり、開始の時があります。
決して永遠の昔から存在していたわけではありません。
聖書創世記には「はじめに神が天と地とを創造した」と書かれています。
それ以来長い地球や宇宙、人間の歴史があるわけですが、
世の終わりとはその一連の歴史、この世といわれる時の終わりがきて、
歴史の舞台であった、宇宙も地球も燃え尽きて終焉する日なのです。

ノアのとき、ロトのとき:
キリストは世の終わりを表現してそれは「ノアのときのよう、ロトのときのよう」であることを語りました。以下のとおりです。

”ルカ17:26 人の子の日に起こることは、ちょうど、ノアの日に起こったことと同様です。

17:27 ノアが箱舟にはいるその日まで、人々は、食べたり、飲んだり、めとったり、とついだりしていたが、洪水が来て、すべての人を滅ぼしてしまいました。

17:28 また、ロトの時代にあったことと同様です。人々は食べたり、飲んだり、売ったり、買ったり、植えたり、建てたりしていたが、

17:29 ロトがソドムから出て行くと、その日に、火と硫黄が天から降って、すべての人を滅ぼしてしまいました。

17:30 人の子の現われる日にも、全くそのとおりです。”

ノアの時とは、聖書によれば、人々が道を曲げていた時代です。
そのとき、神は全世界に及ぶ大洪水を起こしました。その結果、当時の世界の人々はみな滅びました。ただ、正しいノアとその家族だけが箱舟に乗って助かりました。

ですので、世の終わりのひとつの特徴は地球に住んでいるほとんどの人は
滅びる、ということです。しかし、少数の正しい人は神の助けの中で生き、命を救うということです。

ロトの時の特徴も同じです。ロトはソドムという汚れた罪の町に住んでいました。
その町の人々は同性愛を行い、あろうことか、ロトのところを訪ねた御使い、天使にさえ乱暴を計画したのです。
そのソドムは天からの火によって滅びました。しかし、ロトの家族だけは
天使に導かれ、町を脱出して命を永らえました。

この話からも同じ教訓が学べます。すなわち、世の終わりのひとつの特徴は地球に住んでいるほとんどの人は滅びる、ということです。しかし、少数の正しい人は神の助けの中で生き、命を救うということです。

このような日が来ることを聖書は前もって預言しており、その日、終わりの日はまずます近づいているように思えます。多くの異常気象がおき、それはサイレンのように、世の終わりが来ることを語るかのようです。

なぜ、天地は焼けとけるのか?
聖書に書かれているこの世のおわり、人類や宇宙の歴史の終わりは、
唐突であり、異常な終わり方にも見えます。

天地創造の時は、クリエイテイブであり、創造的でしたが、終わるときには、
天も地も燃え尽きて、終焉するという急で裁きを思わせる唐突な終わりが来るようです。その裏には忍耐をもって、人々へ語りかけた神の怒りがあるように思えます。
神は以下の様に人々に語りかけてきました。

ロマ 1:18 というのは、不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。

1:19 なぜなら、神について知りうることは、彼らに明らかであるからです。それは神が明らかにされたのです。

1:20 神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。

1:21 というのは、彼らは、神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからです。

また神はそのひとり子であるキリストを与え、我々に救いの道を開いてくださいました。

ヨハネ3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。

3:18 御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。

私たちは聖書の声に耳を傾け、その警告の声に耳を傾け、
正しくその道をただしましょう。その日、終わりの日は必ず到来するからです。

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