怪しい終末教理に惑わされ、

殺人カルトと化したアメリカ福音派:

             告:

アメリカ福音派は、レフトビハインドやら、ハルリンゼイ「地球最後の日」などにデッチあげられた
終末ヨタ話に洗脳され、狂ったアメリカ政府のアフガン、イラク攻撃、パレスチナの無辜の民の殺りく等の惨劇に諸手を挙げて賛同し、「殺すな」との神の戒めを積極的に破り、「流血の罪に加担する愚か者」となっている。
 

<目次>


1. 殺戮、戦争を継続する異常なキリスト教大国アメリカ

2. カルト的終末教理に洗脳され、「悪」を「善」と思い込み、殺人鬼ブッシュを熱狂的に支持する、マインドコントロールされたアメリカ福音派

3. アメリカクリスチャンを洗脳する「終末教理」とは?

4. これらの終末の教理は19世紀に意図的に教会に持ち込まれた。

5. 今の時代のクリスチャンにとってこの「終末教理」を再吟味することが必要ではないか。

6. ダービー、ハルリンゼイ、レフトビハインドに連なる「終末教理」は非聖書的、というより、終末の日のクリスチャンを欺き、マインドコントロールし、ユダヤの意を行わせるために教会に意図的に持ち込まれたものと考える方が合理的である。

<詳細>

 

1. 殺戮、戦争を継続する異常なキリスト教大国アメリカ


アメリカは御存知の様に、世界一のキチガイ戦争大国である。
「キチガイに刃物」は危険だが、それ以上に危険なのは核爆弾だの、
多くのミサイルだのを豊富に持って、ほとんどまともな理由もなく、
アフガンだのイラクだのを狂った様に爆弾雨あられの攻撃をするキチガイ大国
アメリカである。

さて、この困った大国アメリカ、他人には「狂人」としか見えない、暴走アメリカの他国爆撃、攻撃には
何らかのまっとうな理由、理屈があるのだろうか?

これを考える時、アメリカをリードする大統領、及びそれを選んだ民に責任があることが想起される。
すなわち、キチガイ大国の大統領、リーダーは、
これらの暴走、戦争に対してもっとも大きな責任を持つ者であり、この国の暴走は
彼の上に責任があり、また彼を選挙で選んだ人々の「盲目」の上に
大きな責任があるからである。一体アメリカの誰がこんなキチガイ殺害野郎を選び、支持しているのか?

さて、ここに驚くべき事実がある。このブッシュはアメリカにおいて、
「敬けんな信仰深い大統領」であると多くのクリスチャンに思われており、
彼の支持母体、すなわち、選挙時に彼にもっとも進んで投票する人々は、アメリカの福音派の
クリスチャンなのである(!!)

あの殺人大好き、偽善ブッシュが敬けんなクリスチャンであると皆が本気にするとは、
これは悪い冗談としか
思えないが、しかし、残念ながら彼がアメリカクリスチャンの多くから、
そう思われていることはどうも事実の様である。

 キリスト教右派の事実上の指導者になったブッシュ大統領:

2. カルト的終末教理に洗脳され、「悪」を「善」と

思い込み、殺人鬼ブッシュを熱狂的に支持する、マインドコントロールされたアメリカ福音派:


しかし、「殺すな」という十戒を守るはずのアメリカクリスチャンが
何故、他国攻撃に賛同し、また殺害に協力することができるのか?
彼らは聖書も十戒も読んだことがないのか?
答えは、もちろん、彼等は聖書を持っており、十戒も知っているということになる。
しかし、彼等は「繰り返し教え込まれた終末」教理により、洗脳され、
その結果、聖書と全く反対の教えを実践するようになっているのである。
すなわち、カルト化しているのである。

実は、アメリカのクリスチャンは、かねてから用意周到にキリスト教会に
持ち込まれた終末教理に「洗脳」されており、洗脳カルト教団の信者の
様に「善を悪」、「悪を善」と呼ぶ様に、マインドコントロールされている。

彼等は、「アメリカのイラク攻撃」は、「反キリストを滅ぼすわざ、神に喜ばれる
行い」と誤解し、また、
「イスラエルのパレスチナ人虐殺への協力」は、「神の民を助けるすばらしいわざ」
と勘違いしているのである。これらを通して、神のわざ、経綸が進んでいると
「本当に」思い込んでいるのである。

しかも非常に皮肉なことには、最もマインドコントロールされている
のが福音派、すなわち聖書に忠実であるとされているクリスチャンなのである。
 

 *聖書を曲解し、愚かなアメリカクリスチャン を扇動し、イラク爆撃を正当化する、
アメリカ、カリスマ牧師

  *危険なアメリカ福音派の信仰: それは、ブッシュ政権の戦争を肯定する。  

 * 反イスラム、反モスレム色を鮮明に打ち出す福音派:

 *「パレスチナ難民大量虐殺事件」犯人、イスラエル首相シャロン

 *ウエストパンク・ガザ入植は預言の成就?
 
 
 
 

3. アメリカクリスチャンを洗脳する「終末教理」とは?


アメリカクリスチャンを洗脳する「終末教理」とは、すなわち、
日本において、「艱難前携挙説」「デイスペンセーション主義」として、よく知られる
一連の終末のストーリーであり、以下を含む;

1)神の働きは時代ごとに異なり、聖書に基づく歴史は7つの時代(デイスペンセーション)
により、区分される。

2)7つ目の時代(デイスペンセーション)、終末の時代はユダヤ人の時代であり、
終末の主役はユダヤ人である。

3)教会時代は、6つ目のデイスペンセーションまでで終了する。
従って、教会は艱難時代の7年の始まる前に、「携挙される」。

4)イスラエル国が中東に建国されたことは、7つ目の時代が始まることの
「しるし」である。

5)終末の時代、神の働きの中心はイスラエルに移り、14万4千人のユダヤ人が艱難時代に
救われ、世界の救いの為に用いられる。

6)現在、ユダヤ人の中から救われてクリスチャンになった「といわれる」メシヤニックジューはこれから、
始まるユダヤ人への救いのさきがけ。

7)ダニエル書でいわれる「7年の契約」とは、イスラエルの7年の和平条約と理解する。

8)主イエスのいわれた「神殿の崩壊」とは、エルサレムに建設される
第3の神殿が崩壊することだと理解する。

9)イスラエルの領土は回復され、さらに大規模なものとなり、聖書でアブラハムに約束した
「ユーフラテスからナイル川」までとなるべき。

10)反キリストは、ヨーロッパから出現する。アメリカは、
聖書には「出てこない」とする。

11)ユダヤ人は今は主イエスを今は受け入れていないが、いずれ、救われるようになる。
また終末の主役となる。従って、彼等に敵対する者は神に敵対するものであり、
イスラエルに敵対するアラブ、イスラムまたパレスチナ人などは神の敵、サタン的
な存在。

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結果として、アフガン、イラク等のイスラム諸国を爆撃するアメリカは、
「神のみこころを行うすばらしい国」ということになり、悪らつイスラエルの
パレスチナ人の土地、命を殺害することは、「神の命じたこと」ということで正当化される。また、
全くキリストを信じない、それどころかキリスト教破壊工作を着々と進める
ユダヤ人を「いずれ神の働きの中心になるはず」という空約束に基づき、クリスチャンは
どこまでも支援しなければならないという妙な論理になる。
また、教会、クリスチャンは、「いずれ、艱難時代の前には携挙される」との
ありもしない約束にしがみつき、現実逃避し、神の兵士としての使命を果たせなくなる。
まことにこの終末ヨタ話は獣の国、戦争大好きアメリカを正当化し、隣国への侵略、殺害をくり返す、
悪逆民族(偽)ユダヤ人を利する、彼等にとっては、願ったり、かなったりの大変都合の良い教えとなっている。

逆にこの事実、この終末ヨタ話が大いにアメリカや嘘つきユダヤ人を利している
という事実をもって、この終末論をこっそりと教会に持ち込んだ人々が本当は
どの種の人々なのかを類推できる。

4. これらの終末の教理は19世紀に意図的に教会に持ち込まれた。


これらの怪しい終末の教理はいったいどの様にして教会に持ち込まれたのか?
その過程を知ることは、この教理を客観的に理解する助けとなる。

a)まず知るべきことは、現在、アメリカ、日本を始めとする教会で終末に
関して語るあらゆる出版物、雑誌、本、教理は「艱難前携挙説」を
あたかも絶対的真理の様に扱い、前提としているということである。
これはもう「刷り込み」された教理の様に、あらゆる教えの中に広まって
おり、議論の予知なく、クリスチャンの心に受け入れられているということである。

b)今の時代にクリスチャンになる人々は、あたかも「当然の教理」
全く正当な教理として「艱難前携挙説」を受け入れている。
というより彼等は、終末の教理として他の教理は教えられていないのである。
あたかもそれ以外の教えなどないかの様である。

c)しかし、この考え、「艱難前携挙説」は教会歴史の当初からあったものではない。その歴史は古いものでない、否、この説が教会に広がったのは、ほんの最近、19世紀のことなのである。

d)ハッキリと理解しなければならないことは、キリストの教えに忠実であり、
また、使徒ペテロやパウロの伝統に直接連なる、初代教会、また教父達の
教えの中には「艱難の前に教会が携え挙げられる」、すなわち、「艱難前携挙説」
について語っている教えなど皆無だということである。こんな
教えは教会の歴史の初めの教父達の教えにはないのである。

e)さらに、宗教改革の時代、ルター等の宗教改革者の中にも、「艱難前携挙説」
など全く触れられていない。この様な教えは皆無なのである。

f)これらの事実、19世紀に意図的に教会に持ち込む人が現れるまで、「艱難前携挙説」が教会には存在しなかったという事実はまた、この教えが聖書には基づかない教えであること、普通に聖書を
読むなら、まずそんな結論、「艱難前に教会が挙げられる」などという結論には
到らないことをも示している。誰でも普通に聖書を読むならそんな結論には到らないのである。また、
聖書を読むなら、艱難の前に教会が挙げられることを示す箇所などないのである。逆に
意図的に洗脳された人々はそれを信じ込むようになるのである。
 

g)艱難前携挙説は、当初ローマカソリック教会内で起きた教理である。
イエズス会士Emmanuel Lacunza という改宗したユダヤ人が(ユダヤ名;ラビBen Ezra)
がイエスの2回にわたる再臨また、秘密の携挙について語っている。
だから、この教えはプロテスタントで生まれたものでなく、カソリック生まれ、
しかもユダヤ人によるものなのである。この教えは、聖書でいう「ユダヤ人の空想話」の類いなのである。
 

h)この教えがプロテスタントに伝わった理由は、カソリックイエズス会士J.N. ダービー
による。彼はイギリスでプリマスブラザレンという集会を開いていた。
彼はまたアメリカに渡り、何年も講演して回り、「艱難前携挙説」をアメリカ各教会に広げた。1830年頃のことである。彼こそが現在のアメリカに伝わる一連の「終末話」の原形を創作、流布した人物である。

i)この教えはさらにサイラス.スコフイールドによる「スコフイールド注解付き聖書」により、
多くの人々に伝わった。彼は「付け加えてはならない」と命じられている
みことばに勝手な注釈を付け加え、「ユダヤ人は神の民なので、彼等を祝する者は、祝され、
呪うものは呪われる」などと、意図的な方向に人々を誘導している。

j)またこの教えはアメリカ「ムーデイ聖書学院」等の神学校を通して、
伝えられた。日本へは、この学院へ留学した中田重治等を
通して、ホーリネス教団等へこの教えは伝わる。現在、
日本のキリスト教会の終末論は、この教え一色である。

k) さらにこの終末の一連のストーリーは、
一九七〇年刊行された、ハル・リンゼイの著書により、さらに大きく広がった。彼
は聖書のヨハネ黙示録を現代風に脚色して、人類が終わりの時
代に生きているという本を書いて出版し、これが大ヒットして二千万部の売り上げを記録した
(H・リンゼイ 『今は亡き大いなる地球−核戦争を熱望する人々の聖典』一九九〇年)。
 

 「地球最後の日」のハルリンゼイの影響
 

l) さらにこの教えは1995年に発表された 『レフトビハインド』 シリーズにより
決定的な影響をアメリカを始めとするクリスチャンに与えるべく広まった。
『レフトビハインド』 シリーズは、キリスト教原理主義者ティム・ラヘイと、宗教右派の教
祖的存在ジユリージエンキンズが書いた連作で、聖書預言をもとに、近い未来に起こるとさ
れるイエス・キリストの審判を、アクション仕立てにした黙示録冒険小説である。
現在アメリカで11巻まで、発表され4000万部を売り上げている。

レフトビハインド
 

m)現在アメリカが行っている、アフガン、イラクへの爆撃、戦争はこれらの終末の
ストーリーをなぞる様な形で、行われている。また、イスラムへの憎しみは、
これらの「終末ストーリー」を盲信する人々により圧倒的に支持されている。
 
 

、------------------------------------------
 

しかし、上記の様にこの「終末論」の意図的としか思えない、キリスト教会への一連の「浸透作戦」を
考える時、この教理が終末の日に教会を惑わし、悪魔的な民族の悪行に加担させるべく、
用意周到に持ち込まれた教理ではないかとの疑惑が当然起きる。

聖書の裏づけのない「非聖書的な教え」をあらゆる、大量宣伝、プロパガンダを武器に
教会に浸透させ、クリスチャンを洗脳した、その裏には、不遜にも教会をコントロールし
悪らつなアメリカの戦争に教会に協力させようと企む、悪らつな人々の存在が想像できるのである。
 

その想像は、この一連の宣伝作業に加わった人々が、誰も怪しい人々であることを
知るとき、倍加する。

ラビBen Ezraが秘密の携挙の教理を考え出したというが、ユダヤラビがトンデモ
ない人々であることはこのHPの読者にはよく知られていると思う。
彼等ユダヤ人が空想教理を教会に持ち込むことは、今、始まったことでなく、
度々あることである。また、この教えを大々的に広げたJ.N. ダービーはイエズス
会士である、イエズス会が目的のためには、暗殺、テロを含む何でもやらかす
とんでもない人々であることは、物事を知っている人々には常識である。
スコフイールド聖書注解のスコフイールドは、敬けんなクリスチャンなどでは決してなく、
逆に犯罪のゆえに何度も牢獄に入った人物、また自分の奥さんも2人の娘も追い出し、
自分に資力がありながら、困窮する彼女達を援助することは決してしない
人物、いかにもユダヤが手先として使うのに都合のよさそうな人物である。
また「地球最後の日」ハル・リンゼイは奥さんを4回も変えて、結婚、離婚を繰り返したこれもあまり模範的なクリスチャンとはいいがたい人物である。
レフトビハインドに関しても全然福音的でない、ニューエージ、フリーメーソンに関わりがあると
指摘する人々が欧米には多数いる。

木はその実によって知られるというが、この教えにかかわる人々のとりあえずは、その
うさんくささを知っていただきたい。

5. 今の時代のクリスチャンにとってこの「終末教理」を再吟味することが必要ではないか。

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

私達、日本のクリスチャンは、この終末の教理が良いとか、悪いとかを考えず、今の
今迄、「正統的な教理」として、うのみにしてきたかもしれないが、しかし、
今の時代、この教理を再度、吟味することが必要ではないのか。
この終末の教えは確かに広く分布されたが、しかし、聖書的ではない。日本の全ての教会、
クリスチャンがこの教理を受け入れているわけではなく、疑問を呈する人々もいる。
 

1)いのちのことば社「新キリスト教辞典」も以下の様にデイスペンセーション主義や2段階に
渡る再臨に関して聖書的に問題があることを指摘している。

P538
  再臨について、教会とユダヤ人の救いを区別するデイスペンセーション主義においては、キリストの  2段階の再臨が説かれている。つまり患難前の密かな再臨は教会の携挙のためであり、患難期後に公  の形での再臨が説かれている。しかし、このような2段階の再臨(可視的、不可視的)を裏ずける聖  書解釈は問題がないわけではない。
 

また、同じ「新キリスト教辞典」は、この「2段階再臨説、2段階携挙説」に基づく「患難前携挙説」は最近教会に入ってきたものであること、すなわち今迄の教会の歴史の中にはなかったものであることも語る。
 

◆p537(終末論)
 尚、キリストの再臨の時期を患難期のどこに位置づけるかにより(患難前再臨説、患難後再臨説、患難 中携挙説)主は近いとの問題は形を異にするものとなる。

 この中で患難期前再臨説はデイスペンセーション主義による立場であるが、これは歴史的教会において は見られなかったものである。
 

2)また、「レムナント」誌の久保有政牧師も艱難後携挙説の立場に立ち、艱難前携挙説に対しては疑問を呈している。

 艱難後期携挙説

3)小石泉牧師も「艱難前携挙説」の怪しさについて述べている。

 怪しい艱難前携挙説  参考 

6. ダービー、ハルリンゼイ、レフトビハインドに連なる「終末教理」は非聖書的、というより、終末の日のクリスチャンを欺き、マインドコントロールし、ユダヤの意を行わせるために教会に意図的に持ち込まれたものと考える方が合理的である。

参考迄に、これらの「終末教理」に対して当HPでコメントを
つけてみる。

1)神の働きは時代ごとに異なり、聖書に基づく歴史は7つの時代(デイスペンセーション)
により、区分される。

(当HPのコメント)
->時代が区分されるという考えに関しては当HPも特に反対しない。確かに聖書が
その様に語っていると思われる箇所がある。

ただし、彼等の時代区分の内容には、同調できない。
スコフールドは7つのデイスペンセーションを以下の様にわけ、6つ目の時代の
終焉ととともに、教会時代はおわり、7つ目の時代はユダヤ1000年王国の
時代であり、ユダヤ人の時代になると説く。

1. 罪なき時
2. 良心の時代
3. 人間統治時代
4. 約束時代
5. 律法時代
6. 恵み(教会時代)
7. 王国時代 

しかし、この様に区分する、その根拠となる何らの真っ当な聖書的な理由もない。
理論としては面白いが、聖書的裏ずけがない。

<当HPの考えるデイスペンセーションの区分>
*聖書によれば、「1週は7日間」「一日は千年のごとく」と書かれているので、歴史の始まりから
終わり迄は7日間、すなわち、7つのミレニアムと考えるのが聖書的に妥当と
思われる。アダム以来、現在迄の7つのミレニアムの歴史は明らかに1日ごとに、すなわち1000年ごとの時代区分(デイスペンセーション)とわけることが聖書的である。
また

*出エジプト16:4「毎日1日分を集めなければならない」と
書かれているので、パン(みことば、教え、教理)はその1日すなわち一つの
ミレニアムの間は有効だが、その次のミレニアムには有効ではない。

*昨日のパンは次の日には虫がわき、悪臭を放つ。(出エジプト16;20)
だから、前のミレニアムのパン、教え、教理は今のミレニアムにおいては
食べるに耐えない。例として;
かつて、ダビデの時代にはペリシテ人を破り、その領土を奪ってくることは、
神により、賞賛された教え、パン、教理であった。しかし、これは
かつての日のパンであり、後のミレニアム、イエスの時に食べるには
虫がわき、悪臭を放つ教えである。イエスはその様には、
教えず、隣国を襲うべく、軍の戦闘のリーダーになったりはしなかった。
しかし、イエスは逆に「神の子が来たのは、悪魔のわざを滅ぼすため」といい、
サタンとの戦いは教えた。かつてのパン(教え)は後の日には食べられないのである。
 

*聖書は7日目、すなわち歴史最後のミレニアム、すなわち
終末の日に関して、「マナは降らない」(出エジ16:25)ことが
書かれている。だから、終末の日の特徴はもうマナはない、
すなわち、天からのパンも教えも消え失せる、恐るべき
背教の日に入ることを述べている。
そして今は7つ目のミレニアムである。教理に気をつけること、
レフトビハインドの様なパン、教えに気をつけることが
肝要である。

*天からのパンに関して、さらに聖書は、6日目には、いつもの日の
2倍のパンが降ることを語っている。(出エジ16:22)
だから、20世紀までのキリスト教会の教えは天からのパン、教理、
啓示がふだんの時の2倍の量も与えられているのである。すばらしい恵みの時代なのである。
確かにルター、ジョージミューラー等、多くのすばらしいパンが、
この時代には集中している。

*しかし、7日目、最後、終末のミレニアム、具体的には21
世紀以降に関しては、
「天からのパン」が止むこと、裏を考えれば天からのものでないパン、教え
、ユダヤの空想話や、意図的なヨタ話が多くなる可能性を示唆しているので、
教理に関して要注意である。
また、7日目に関しては、さらに以下の警告が与えられている。
 -「安息日を覚えて聖とせよ」:教会における冒涜のまん延
 -「何のわざをもしてはならない」:わざ、すなわち行い主義に陥ること
 -「人の子は安息日の主である」:キリストを主としない。

*上記は明らかに聖書が語っているので、7つ目のデイスペンセーション、
終わりの日に関して、注意すべきこと。しかし、J.N. ダービーや
スコフールドが語っているとされる7つ目のデイスペンセーションはユダヤ人の
時代になる、教会はその前には挙げられるとのヨタ話は語られていないので、
これらの教えはは明らかにヨタ話に過ぎず、彼等の行う区分は明らかに非聖書的な「時代区分」である。

 参考1 
 

2)7つ目の時代(デイスペンセーション)、終末の時代はユダヤ人の時代であり、
終末の主役はユダヤ人である。

(コメント)
->これは全くの偽預言者のことばである。また非聖書的なことばである。
終末の時代とは、キリスト教会の時代の最後の日々であり、
その終わりの時に教会に対して、神からの裁きがある、その様に
聖書は語っている。それなのに、その裁きがない、これらの終末の艱難は
ユダヤ人あての記述であり、教会は裁きと無縁だと語り、甘言を語る人々は、正しい人々、
教会の味方ではなく、逆に意図を持って忍び込んだ偽預言者である。

旧約時代の終わりに主につく民に対する「艱難時代」があり、また不信仰な旧約の民への裁きがあった。
それは神のみこころに従った主イエスとその弟子の「艱難」の時代であり、その後、
彼等を迫害した旧約ユダヤ人への裁きがあった。それはエルサレムへの西暦70年のローマによる攻撃であり主イエス、弟子達の迫害に加わった民はみな、裁かれ、ころされた。

旧約の民に起きたこれらのことは、終末の日に新約の民、クリスチャンに起きることの
型であると理解できる。すなわち、新約の終わりにもみことばに忠実な
主のしもべに対して「艱難の時代」がある。そして、その後、その迫害に
加わった、新約の神の民に対して裁きが行われる。
これが、マタイ、マルコ、また黙示録が語る終末の日に起きることがらの
ストーリーである。レフトビハインドなどで語られるユダヤの妄想話に惑わされてはいけない。
 

 虐殺の剣、偽りの教理   終末の偽教理は悪霊の知恵   ダニエル書と黙示録   うまく考え出したつくり話

 悪人は一人も悟らない

3)教会時代は、6つ目のデイスペンセーションまでで終了する。
従って、教会は艱難時代の7年の始まる前に、「携挙される」。

->教会が艱難の前に「携挙される」とは、エデンの園の悪魔のイブへのささやきの
様に非聖書的な偽りのことば。また悪魔の惑わしのことば。
サタンの深い企みも知らず、うかつに受け入れるべきではない。
エデンの園のイブは「神の様になる」との甘言を受け入れ、「決して食べてはいけない」との
神のみことばを投げ捨て、「見るによく、食べるによく、
賢くなるにふさわしく」見えた木の実を食べた。結果は、楽園追放、また命の木から離されてしまった。

同じく、「艱難の前に挙げられる」という聖書のみことばと異なる教え、サタンの甘言を
いそいそと受け入れるべきではない。サタンの企みは「艱難に会わない」「艱難の前に携挙される」
との偽りを教会に受け入れさせ、教会から終末の備えを奪うことである。
この企みは着々と成功し、教会は堕落の一途を辿っている。
 

 携挙とは    2段階携挙説は空想話 続き   天からの救い  一人はとられ、一人は残される

4)イスラエル国が中東に建国されたことは、7つ目の時代が始まることの
「しるし」である。

ー>今、中東のイスラエル国にいる「色の白いユダヤ人」は、セム族(黄色人種)とは、
無関係である。逆に、彼等は黙示録のいう「ユダヤ人だと嘘をいっている悪魔礼拝者」である。
彼等は偽ユダヤ人なので、彼等が、他国を略奪して自分の国を作ろうと、それを拡張しようと
それは犯罪と裁きとのみ関係しているのであり、神の経綸とは関係なく、時のしるしとも関係ない。
、神はこの民に関し、この国の歴史を通して、その真相に関して明らかに語っている。この国の
建国、拡張に伴う、テロとパレスチナ人の血と悲惨と不幸の歴史は、この民族、国が
祝福の基いどころか、呪いの基いであることを示す。木はその実によって知られることを
忘れてはいけない。
 

5)終末の時代、神の働きの中心はイスラエルに移り、14万4千人のユダヤ人が艱難時代に
救われ、世界の救いの為に用いられる。

->このことは全く正しい。黙示録7章には、イスラエル12部族の終末の日の回復に
ついて述べてある。ユダヤ人は終末の日に回復するのである。ただし、
それは、本物のユダヤ人に関する預言であり、中東で殺戮にあけくれる(偽)ユダヤ人に
関する預言ではないことを銘記すべきである。黙示録7章には明らかに、
「日の上がる方」におけるイスラエル12部族の回復について書いてある。
「中東の方」ではない。この箇所が語っているのは、失われて、今は東の方、すなわち
アジアに住むイスラエル12部族また、真のユダ部族がその日回復することを預言しているのであり、
中東のユダヤ人のことなど全く述べていない。(偽)ユダヤ人の終末の日の活躍を語る、
レフトビハインドは全くのヨタ話である。
 

 東亜の天使    失われた10部族  ユダ族の獅子    イスラエルは皆救われる
 島国日本にエホバの栄光おそるべし  イスラエル12部族の回復   王権はユダを離れず
 

6)現在、ユダヤ人の中から救われてクリスチャンになった「といわれる」メシヤニックジューはこれから、始まるユダヤ人への救いのさきがけ。

->今迄決してキリストを受け入れなかったユダヤ人が最近少しずつ救われてきた。
これは、いよいよユダヤ人の時代、デイスペンセーションに入るのだとは、
いかにも信じ込みそうな話である。しかし、これらは、どれもこれも
よくできた作り話、全世界のクリスチャンを惑わすために、作り上げた壮大な
ほら話であることを知るべきである。
911テロが全世界を惑わすためにユダヤ人が作りあげた壮大な嘘話であることを我々は知っている。
彼等は「イスラム教徒がこのテロを実行した」というストーリーを世界に信じ込ませるために、
あらゆる手間ひまをかけて、工作、用意をした。
同じ手間ひまが、この壮大なうそ話彼等の「終末ヨタ話」を信じ込ませるために、
尽くされていることを知るべきである。
彼等はこの終末話に信憑性を与えるために、無理矢理、中東に国を「建国」させた。
そうである以上、さらに嘘を重ねて、「クリスチャンを演じるメシヤニックジュー」
を登場させることなど、彼等にとって難しいものではない。しかし、これらの
「クリスチャンを演じるが実はそうでない」人々を見抜くのは、主により目を開
かれた人のみであろう。

  ユダヤ人だと嘘をついている悪魔礼拝者  続き
 
 

7)ダニエル書でいわれる「7年の契約」とは、イスラエルの7年の和平条約と理解する。

->聖書でいう「契約」ということばは、「アブラハムと神との契約」の様に、
神とその民との関係をさすものである。「7年の和平条約」などと、政治的な
ことがらについて語っているなどという解釈は意図的であり、非聖書的である。
ダニエル書がいわんとしていることは、「反キリストとの7年の契約」すなわち、
神と契約を結んだ神の民が、神を捨て、反キリストを神と仰ぎ、契約を結ぶようになる7年があるとの意味あい。

 7年の契約

8)主イエスのいわれた「神殿の崩壊」とは、エルサレムに建設される
第3の神殿が崩壊することだと理解する。

->主が終末の日の預言とともに神殿の崩壊について語ったのは事実であるが、
しかし、また聖書は、たとえの書であり、イエスは、「たとえによらないでは、..話すことは
なかった」と記されていることをも記憶すべき。新約の理解においては、神殿は
神への礼拝所として、教会のたとえである。神殿の崩壊とは、教会の教理崩壊、
信仰崩壊と理解することには決して無理がない。
何でも終末を(偽)ユダヤ人に結び付けたいと願い、意図的な解釈をする人々が、
神殿をエルサレムの神殿と結び付けるのは理解できなくもないが、しかし、
非論理的であることも確か。教会時代の終わりの終末の時にクリスチャンが何故、
現在存在すらしていないエルサレムの神殿を気にかけなければならないのか?全く不可解である。
逆にこれは、教会時代の終わりの教会の信仰崩壊と考えると、非常に妥当、現実的ではある。

 宮の崩壊とは?   主の宮とは?   異邦人がエルサレムを踏み荒らすとは?  その2
 読者よ悟れ!   続き
 

9)イスラエルの領土は回復され、さらに大規模なものとなり、聖書でアブラハムに約束した
「ユーフラテスからナイル川」までとなるべき。

->これは聖書を全く理解できない、盲人のたわごと。
この様な無知を叱責し、非難するのが、クリスチャンのなすべきことであるのに、
逆にこの様な暴論に追従するとは、情けない状況である。
ユダヤ人はかつて聖書に無知だった様に今も聖書に対して無知であり、あいかわらず
わけのわからないことをいっている。かつて、彼等は「ダビデの子」として来られる
メシヤという概念を理解できなかった。それゆえ真のメシヤ、キリストを殺害してしまった。
彼等はダビデの子、すなわち政治的な王としてこられる方という聖書理解しかできなかったのである。
たとえが理解できなかったのである。
しかし、真の意味あいはイスラエル国という地方の一国の王ではなく、「神の国」
、教会の王として来られる方について語られたのである。今、イエスは全世界20億はいるかという
キリスト教会の王である。同じ様に「ユーフラテス川からナイル川」との表現にもたとえがあるのだが、彼等は聖書を理解せず、暴力的な殺戮を進めようとしている。

10)反キリストは、ヨーロッパから出現する。アメリカは、
聖書には「出てこない」とする。

->終末の鍵となる国に関して聖書は、「一本の強い角」また、7つの頭と10本の角を持つ獣(単数)
とかたる。すなわちある一つの国が獣の国として終末を牛耳るのである。
この国は現在の世界情勢と照らし合わせるなら、世界1の軍事国家、すなわち、一本の強い角である
アメリカと理解できる。またこの国は、7つの文化的背景(7つの頭)を持ちまた、ヨーロッパの
国々、10本の角を自分の軍隊の様に支配、指示するようになるはずである。
今の時代の戦争、紛争、不幸の元凶は、明らかにアメリカであり、聖書もこの国こそ、終末の
鍵であるとかたっているのに、「反キリストがヨーロッパから出る」とのこの教えは
人を惑わすガセネタである。またうまく、クリスチャンの目を真の問題から逸らせようとするものである。

 獣の国と10本の角    獣の国アメリカとの戦い  続き    7つの頭を持つ獣   分裂した国、アメリカ
 

11)ユダヤ人は今は主イエスを今は受け入れていないが、いずれ、救われるようになる。
また終末の主役となる。従って、彼等に敵対する者は神に敵対するものであり、
イスラエルに敵対するアラブ、イスラムまたパレスチナ人などは神の敵、サタン的な存在。

->これは、邪悪な民、(偽)ユダヤ人の殺戮、非道を正当化する狡猾な論理。
彼等偽ユダヤ人はキリスト教を馬鹿にし、かえって、教会の内部深く入り込んで、自分達の都合の
よいようにその教理を改ざんすることに余念がないのである。
改心するふり、クリスチャンになるふりもユダヤ人にとっては、スペインのマラノ(偽クリスチャン)以来お手のものである。
彼等の嘘を間に受け、罪のない人々の血が流される、イラク攻撃や、パレスチナ
殺戮に加担する愚か者になってはいけない。

 ゴグ、マゴグ     蘇る骨とは
 

<参考文献>
 
 
 
 

  「危険なアメリカ福音派の信仰」 ポール・S・ボイヤー
  
  「世界を動かすユダヤ教の秘密」小石泉牧師
   (「ボーンアゲイン・シオニスト『マザージョーンズ』。二〇
  〇二年九月十月合併号)

  『時の終わり − 原理主義と「神殿の丘」の 戦い』 ガーショム・ゴレンバーグ

  「ハ ルマゲドン不安症-悪がやってくる」。

  ジョン・ホアバス 「宗教復興と新右派の台頭」 『テレポリス』 二〇〇
 三年八月十六日

  
  レムナント出版 久保有政著「終末の時代におきること」

  キリスト新聞社 キリスト教帝国アメリカ 栗林輝男

  いのちのことば社「新キリスト教辞典」
 

<参考HP:英語>
 

  怪しい5人のイエズス会士 (ダービーの項参照)
 J.N. ダービーとデイスペンセーション主義
  KJV聖書の原語と矛盾するデイスペンセーション主義の教え
  秘密の携挙について語ったエドワードアービングの教え
 携挙に関する怪しい話
  怪しい携挙の教え
  15才の少女Margaret Magdonaldgが見た秘密の携挙の幻等
   スコフイールド注解付き聖書等のほら話
  スコフイールド注解付き聖書の偽り
   スコフールド聖書の神話の裏にあるもの
     ハルリンゼイは羊の皮を着た狼?
  クリスチャンシオニズムの父ハルリンゼイ
   ニューエージ色のあるレフトビハインド
   レフトビハインドの著者について
    レフトビハインドの偽り
   イスラエルに関する真実
    ユダヤ人迫害の真実
 
 

ー以上ー

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