福音派は、反イスラム、反モスリムの立場を鮮明にする:
911事件後、ビリー・グラハムの息子で、プッシュの大統領就任式を司った牧師フラン
クリン・グラハムは、「コーランはキリスト教徒とユダヤ教徒への暴力を説いている」「テロリ
ストはイスラム教という過激な宗教に従ったまで」と発言した。モラル・マジョリティのファ
ルウエルも負けずとばかり、イスラム教の預言者は誰もが「戦争好きの暴力屋」 で、宗祖ムハ
ンマドは「テロリスト」だったと言ってのけ、キリスト教連合のロバートソンは、モスリムが
パレスチナでユダヤ人にしていることは、ヒトラーのナチスよりも始末に悪い、イスラム教と
いう「宗教が問題だ」と敵意を露わにした。いやそればかりではない。法の最高執行者の司法
長官ジョン・アシユクロフトは、開戦直前に、イスラム教は 「野蛮な宗教」とさえ発言した。
アッセンプリーズ・オプ・ゴッド教団の牧師の息子で、名うてのキリスト教原理主義者のアシ
ユクロフトは、毎朝司法省で祈祷会を主宰する熱心さで、それは政教分離の原則に照らしてお
かしいではないか、法の番人として襟を正すべきだと議会から異議を唱えられたこともある。
そのアシユクロフトの神学理解によれば、イスラム教の神は信者に向かって、子供をテロリス
トに育て殉教させるよう命令する無慈悲な神にほかならない。それに比べるとキリスト教の神
は愛の神で、神の子イエス・キリスト自らが進んで人類のために身をささげて平和をもたらさ
れた。人を殉死させる神と人を愛して救う神、同じ宗教でもイスラム教とキリスト教では雲泥
の差があるというわけだ。
すでにイラクはもちろんのこと、エジプトやシリア、イランといったイスラム教世界では、
イラク戦争を、歴史上繰り返されてきたキリスト教によるイスラム文明への攻撃、現代の十字
軍遠征との見方があった。それを煽るかのように、アメリカやイスラエルで原理主義者やペン
テコステ派が大挙して集会を催し、対イラク戦争を、聖書に頭言されたハルマゲドンの戦い、
善と悪との壮大な闘争の幕開けとして歓呼した。こうなれば問題は石油でもテロリズムでもな
い。アメリカの戦争が善い悪いでもなく、まったくの宗教抗争、どちらの神が強く、誰の信仰
が正しいかになってしまう。