怪しい艱難前携挙説;


「世界を動かすユダヤ教の秘密」小石泉牧師より
 

さて、そんな中で一つの事実を取り上げよう。それは今世界のプ
ロテスタントの約半分が信じている教理であって、キリスト教徒がこの文章を読んだら必ず私を異端視する
かもしれないほど重要な教えとなっている間題である。一八世紀に「携挙」Raptureという教えがプロテスタ
ントに生まれた。それはキリストの再臨が二度起こるというものであった。よく知られているようにキリス
トの肉体での地上への帰還を再臨というが、その前に、「空中再臨」というのがあって、世界に襲い来る患
難の時代の前に、キリストが空中に来られて忠実なキリスト教徒を生きながらに空中に引き上げそのまま天
国に連れて行く、その後、地上には最終戦争が起こり、殺毅と荒廃が地を覆う、そして地上の人間が死に絶
える寸前になってキリストが聖徒と共に地上に再臨し、世界の軍隊を滅ぽし平和をもたらすというものであ
る。「患難期前再臨説」という。考えて見ればずいぶん手前勝手な御都合主義なのだが、これが真面目に世
界のプロテスタントの半分で信じられているし、実をいうとつい昨日まで私も信じていた。実はこの教理の
元になったという聖書の御言葉がある。
 

「わたしたちは主の言葉によって言うが、生きながらえて主の来臨の時まで残るわたしたちが、眠った人々
より先になることは、決してないであろう。すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッバの鳴り響
くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみ
がえり、それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、
こうして、いつも主と共にいることであろう。だからあなた方は、これらの言葉を持って互いに慰め合いな
さい」Iテサロニケ4:15~18しかし、この言葉から再臨が二度あると読み取ることもできない。またもう一つの
聖書の裏付けとして、マタイによる福音書24:37~42の言葉「人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のよう
であろう。すなわち、洪水の出る前、ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなど
していた。そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。人の
子の現れるのも、そのようであろう。そのとき、ふたりの者が畑にいると、一人は取り去られ、一人は残さ
れるであろう。二人の女がうすをひいていると、ひとりは取り去られ、ひとりは残されるであろう。だから
目をさましていなさい。いつの日に あなたがたの主がこられるのか、あなたがたにはわからないからである。」が用いられている。

しかし、こ
こも再臨が二度あるという前提で読むとそう思えるが、まったく白紙で読んだ場合、再臨が二度あることの
証明にはならない。取り去られる、取り残されると言う言葉がその後もう一度本当のキリストが来るという
意味を積極的に述ベているとは言えない。ここで注意しておきたいのは携挙と言う形態がないと言っている
のではなく、二段階(または時間差)の再臨はないと言っているのである。ところが実はこれらの聖書の言
葉から空中再臨と携挙が導き出されたのではないのである。もともと一八世紀のクリスチャンたちは今日言
われている「千年期後再臨説」を信じていた。それは再臨は一度だけでその時クリスチャンたちはキリスト
に会う、それが本来この箇所の聖書の意味とされて来た。しかし、イエズス会と友好的なスコットランド、
アイルランド、イングランドのプロテスタントのグループがこの秘密の携挙を説教し始めたのである。もう
一度言うが、この教えは本当は上記の聖書の言葉から始まったのではない。

それは全く別の方向から来たの
である。ゴードン・メルトンの『アメリカ宗教辞典』によるとこの考えは一八三○年にマーガレット・マク
ドナルドから始まったとされている。イギリス人ロバート・ノートン博士はチ
ャネラーまたは霊媒であるマーガレット・マクドナルドから彼女の見た幻について聞き、また彼女自身が書
いたものを受け取った。一方、アーヴィング派もラビ・ベン・エズラというペンネームを持つスペインから
の亡命ユダヤ人でイエズス会士のエマニエル・ラカンタから教えを受けてこの教えを広めている。マーガレ
ヅト・マクドナルドはスコヅトランドのポート・グラスゴーに住んでいた一八三○年二月一日に「帰って来
たキリストにクリスチャンたちが個々に携挙される」最初の幻を見た。ノートン博士はこれをThe Restoration
of Apostlesand Prophets; In Catholic Apostlic Church in 1861いう本の中に書いているがこれは非常に希にしか目に
することが出来ない本である。この教えはさらに「千年期前再臨説」Premilialismというのとセットになって
いる。それはこうして再臨されたキリストがュダヤ人の王として(この辺がうさん臭いではないか)世界を
一○○○年間支配するというものである。ところがその時キリスト教徒はどうなるのかというとこれが全く
判らないのである。読者は何をばかげた事を言っているかと思われるかもしれないがこのような論争は欧米
では極めて重大な間題なのだ。
 

アイルランド人のジョーン・ダービー、ロバート ノートン、幾人かのアーブィング派、
その他の人々がマーガレットの家に行って幻について聞いた。エドワード・アーヴィングは手紙にこう書い
ている。「メアリー・キャンベルとマーガレット・マクドナルドの幻と啓示は私に表現し難い霊的な認罪と
悔い改めをもたらした」アーヴィングがマーガレットの幻について説教を始めるのにはそんなに長い時間を
必要としなかった。また彼はラカンタがイユズス会の僧侶であることを良く知りながらラカンタの著書を翻
訳し始めた。ラカンタの患難期前再臨説の初期の言及ははすでに一八二○年代に現れていた。ダービーが大
きな影響を与えたプレマス・ブレズレンと言う団体は、ダービー以前、一八三一年にキャプテン・バーシ
ー・ホールによってこの患難期前再臨説を紹介されている。ダービーとスコフィールドと言う二人の法律家
がアメリカでこの教説を広めた。ダービーは一八六○年代から七○年代にかけてアメリカを巡って携挙の教
えを促進した。これらブレズレン派のエドワード・クローニンらはプロテスタント運動の行き過ぎを是正す
るオックスフォード運動を導いたが、クローニンは「自由、平等、博愛」のフリーメーソンのスローガンを
掲げた。この運動を影で操っていたのはイエズス会であった。オックスフォード運動家の一人、ロパート・
パクスターは天使とのコミュニケーションによる預言を発表したが、後年それはサタンからのものだったと
述懐している。
 

ところでプレマス・ブレズレンにしてもイエズス会にしてもそのトッブはかように怪Lげな思想を持っていた
が、不思議なものでごく一般の信者や会士は至極純粋な信仰を持っていた。それと言うのもキリスト教とい
うものは厳密に自発的なものであって、決して脅追や強制によって信仰を持つ事も継続する事も出来ないか
らである。キリスト教の最大の特徴はこの『信仰の自由』であってこれは何人も犯してはならないものであ
る。だから、一般信者や長い年月の間には淘汰されて本当の信仰だけが残るものである。これに反して新興
宗教の多くが強制、脅追、洗脳を拡大の手段としているのは人間の魂の尊厳に対する挑戦であり、結局、長
い年月の試練には耐えられないものなのである。「中世の終りに現れた千年王国リバイパルは、中世まで生
き残った旧約聖書と天文学の現象(占星術)の学びによるュダヤ黙示主義によるものであり、メシヤの現れ
とその王国の実現を断言するものである」V.ノルスコブ・オルセン「メシヤの希望はいかなる時もイスラエ
ル民族から失われた事はない」アパ・ヒレル・シルパー「王なるメシヤは未来において現れるであろう、そ
して、昔のダビデの王国を立て直し、神殿を再建し、イスラエル民族を集め、すべての律法はかつてのよう
に実施される」マイモニデス(偉大なユダヤ人哲学者)
 

これらの信仰は、今日、プロテスタントの半分が信している、死者のよみがえり、最後の審判、新しいエル
サレムを含んでいる。ただ違うのはその王メシヤが再臨のイェスその人ではなく、ダビデの血統を継ぐ人物
と言うだけである。千年王国説とか千年期前再臨説とか呼ばれるこの信仰は、全くユダヤ思想に焼き印され
たものだとマルチン・ルター、カルビン、アウグスブルグ信仰告白は言っている。

千年王国説の信仰とカパリステイック・オカルトはイギリスにスチュワート王朝の時代に入って来た。その
時、極秘の内にイエスの子孫の血統と称する人々が王位についた。
この時代にイギリスでピューリタン(清教徒)が始まった。ピューリタンの中ではこの千年王国信仰は非常
なスケールで広がった。ピューリタンのもう一つの重大な要素はユダヤ・カパリズムのオカルトであった。
ビューリタンの拡大があまりにも急激だったのでイギリスでは政治的な圧迫を受けたために、彼らは新天地
アメリカに移動した。この最初のピューリタン移民をピルグリムと呼ぶ。その子孫は今日アメリカのイルミ
ナティの最高位にある。彼らはマサチューセッツとコネチカットに住んだ。彼らの中心的指導者はジョナサ
ン・エドワースであった。

この有能な人物は千年王国説を理論的に発展させた。来るべきュダヤ人のメシヤ
による千年王国の信仰はピューリタンに、自分たちがこれを
世界に知らしめる、神からの使命を帯びていると思わせた。それは今日エホパの証人とモルモン教が取って
いる見解である。さてここまではプロテスタントの中にユダヤ・カパリストたちがいかに巧妙に入り込んで
いるかを見て来た。他にも私など計り知ることもできない形で彼らは入り込んでいる。例えば聖書そのもの
の変更もひどい。重要な言葉や思想がなしくずしに聖書から消え失せている。その他、特に最近では「可能
性思考」「繁栄の神学」「インナーヒーリング」などが巧妙にプロテスタントを骨抜きにしている。
 

ユダ
ヤ・カバリスト(またはいっその事サタニストと呼ぶほうが正しいだろうが)がどうしてそんなにも簡単に
キリスト教内部に入り込む事が出来るのかと言えば、それらの教説には聖書的根拠と思われるものがあるか
らで、初めからサタンの教えですよなどとやって来るわけではないからである。エパを輻した時のサタンも
ちやんと神の言葉を使っている。しかし、最近多くの教派や学者たちがこの携拳について疑間を表明するよ
うになった。聖書本来の趣旨とは違っていると言い出している。この携挙信仰の最大の問題はクリスチャン
がサタンの働きに対して警戒心を持たず、破壊工作に寛容遇ぎる態度を持つようになった事である。おそら
くクリスチャンたち(特にアメリカの)は近い将来起こる迫害の嵐を突然起こった突風のように思うだろう
が、 それははるか昔から計画されているのである。しかし、聖書も主キリストもはっきりと終末におけるクリスチャンの苦難を預言している。また、千年王国説もカパリスト・ユダヤの思いどおりになっている。プロテスタントでも改革派はこの説をまったく受け入れていない。 -----------------------------7d55d14360064 Content-Disposition: form-data; name="userfile"; filename="" Content-Type: application/octet-stream