大ヒット『レフトピハインド』


アメリカの原理主義者がイラク開戦を「わくわくし
ながら」見守るというのは、どういうわけか。そのことを解き明かすため、少し回り道になる
が、保守派キリスト教の黙示録神学に分析のメスを入れてみよう。その材料として取り上げる
のは、全米でベストセラーになった 『レフトビハインド』 である。
 
 

 『レフトビハインド』 シリーズは、キリスト教原理主義者ティム・ラヘイと、宗教右派の教
祖的存在ジユリージエンキンズが書いた連作で、聖書預言をもとに、近い未来に起こるとさ
れるイエス・キリストの審判を、アクション仕立てにした黙示録冒険小説である (邦訳は二〇
〇二年から順次出版。シリーズ第一巻『レフトビハインド』上野五男訳、第二巻『トリビユレ ーション・フオース』松本和子訳、第三巻『ニコライ』松本和子訳、いずれもフォレストブッ
 クス、いのちのことば社)。今や世界の終わりが近づいた。そのとき聖書の預言どおり、忽然
 と反キリストが姿を現した。だが世界は反キリストの思うままに支配されはしない。一群のク
 リスチャン戦士が恐ろしい天災、「大患難」 (トリビユレーション) とハルマゲドンの壮絶な戦
 いを生き残った。彼らは真のキリストの再臨に備えるため、サタンの力に果敢に戦いを挑むこ
 とになったのだが。『レフトビハインド』 は極めて宗教色濃い作品で、これまでアメリカ
 ですでに十一巻が刊行され、記録的な売れ行きを上げた連作である。
  そのシリーズ中の第五巻、『ハルマゲドン』 が発売されたのはイラク戦争の直前で、ニュー
 ヨークタイムズ紙の読書欄では、発売と同時にベストセラー第一位に踊り出た。ほかの雑誌や
 新聞のベストセラーリストでも、それを追うかのように断トツの一位になり、推定売上部数は
 全米でシリーズ全体を合わせると、四千万部を突破した。しかもこの数字はコミックや子供向
 けを除いた、小説だけの売り上げというのだから、その人気は押して知るべし。それまでのシ
 リーズ四作いずれもが、発売と同時にベストセラーになったことを考えれば、『レフトビハイ
 ンド』 が出版業界の大魔神、向かうところ敵なしの記録的ヒットであるのは間違いない。
  日本でもかつて 『新世紀エヴアンゲリオン』 が若者の間で大ブレークしたのは記憶に新しい。
 が、それも『レフトビハインド』の大成功に比べれば霞んでしまう。シリーズ第一巻が出版さ 
 れたのは一九九五年だが、それ以来、小説をもとにして映画、CD、ゲームソフトはもとより、

マグカップなど、関連商品が本屋の店先やスーパーマーケットの棚に無数
 に並んだ。またインターネット上にも関連サイトが雨後の筍のように現れ、いくつもの「おた 
 く的」研究グループが結成された (たとえば有名な「預言クラブ」)。多くのジャーナリストが指摘するのは、この 『レフトビハ
 インド』 シリーズが現代アメリカを量る 「文化現象」 の一つになったということである。
 

        「レフトビハインド」はブッシュを読み解く鍵?

   プッシュのホワイトハウスを読み解く鍵は、実はこの 『レフトビハインド』 にある、そう述
  べたのは、シリーズのクライマックス 『栄光の露現』 を書評したニューヨーク・レヴユー・オ
 ブ・ブックスのジョーン・デイデイオンである。デイデイオンによれば、『レフトビハインド』
  は、キリストの再臨を前に、クリスチャン戦士が、反キリストに戦いを挑むだけのアクション
 未来小説ではない。それは「プッシュ政権のイラク戦争の秘密を解く大きな鍵」 である。ホワ
 イトハウスから絶えず発信されてくるのは、小説の主人公スチールが世の終わりの時に、神に
 選ばれた正義の戦士だったように、神の意思を行うアメリカ大統領のイメージである。もしプ
  ッシュがスチールのように、神の黙示録的戦士と自分を見なしているなら、アメリカは大ごと である。多くのクリスチャンが、中東で戦われるプッシュの戦争を「神の予定のなかに頚言さ
 れている、神の計画を成就するのに不回避な」戦いだと考えているなら、アメリカは「とてつ
 もない深い穴に落ち込んでいる」 (「黙示録的大統領?」 『ボストングロープ』 二〇〇三年三月
 十日)。

  『レフトビハインド』 は完結するまで十四冊を予定している長編だが、その一巻目を開くと、
 まずそこに登場するのは、イエスを救世主と信じなかったため、救いから「レフトビハインド」、
 つまり取り残された一群の人々である。
  あるとき、全世界で多くの人々が突然蒸発するという怪奇な事件が起こった。果たしてこれ
 は地球外生物の宇宙人による仕業か、それとも人類がこれまでに経験したことのない超現象な
 のか。人々は大いに惑ったものの、やがてこれは神が正しいクリスチャンを天に引き上げる
 「携挙」 (ラプチヤー) だったことが明らかになった。聖書には、神を信じた人だけが、世の終
 わりを前にして 「雲に包まれて引き上げられる」 (テサロニケの信徒への手紙一、四・一七)
 という預言がある。取り残された人々は自分の不信仰に気づいたものの、後の祭り。もし聖書
 の警告が真実なら、ラブチャーの次には恐ろしい惨事が起こるはずだ。それに対処しなければ
 ならない。そう考えた人々はトリビユレーション・フォース (大患難部隊) という組織を作っ
 て早速活動を開始した。その指揮者はレイフォード・スチールという航空会社のパイロットで、 
 中年ながら強い意志を持った人物。そしてこのスチールに加わったのが、大学生の娘クローイ  
 

   とその恋人のジャーナリスト、バック・ウイリアムズ。さらに後に部隊に入るのがツオン・ペ
 ン・ユダというイスラエル人ラビ。ラビというのはキリスト教でいえば、神父や牧師にあたる 
   ユダヤ教の聖職者なのだが、彼もまたイエスがユダヤ人にとって救い主であることを、やっと
   信じるようになった一人だった。
    さてそうこうするうちに、世界に恐ろしい災難が始まった。いなごの顔をした悪魔の手下が
   出没して人々がばたばたと倒れていく。石森章太郎のコミックでは、いなご顔をした仮面ライ
   ダーは正義の味方だが、ここではいなごは悪魔の化身である。海はからからに干上がり、太陽
   は光を失って大地は暗くなった。そうしたときペン・ユダは世界の終わりを解き明かす導師と
   なり、回心した人々にインターネットのサイトを通して、これから起こる出来事を聖書に基づ
   いて警告し始めた。

    と、いよいよ 「反キリスト」がその悪魔的正体を現した。それはニコライ・カルパチアとい
   う東欧出身の金髪碧眼の青年で (第二巻 『ニコライ』参照)、このニコライ、雄弁な上に整っ
   た顔立ちながら、心は血に飢えた邪悪でいっぱい。ニコライは世界絶滅のシナリオを、まず軍
   備撤廃と平和を唱える活動家に偽装することから始め、ついで国会議員、それから大統領にな
   り、ついには国連事務総長に就任して着々と準備を進めていく。国連を手にした反キリスト、
   ニコライが次に企んだのは、各国政府を廃して世界連邦を樹立し、通貨統合を行って万国共通
   の貨幣を作ること。さらにカトリック教皇庁を摸した巨大宗教教団を創設してその教祖に収ま った。そしていよいよ世界征服の最後の仕上げをするため、世界連邦の首都をイラクに移し、
 それを新バビロンと命名した。

 ここで少しコメントをしておこう。アメリカの福音派や原理主義者の国連嫌いは有名で、彼
 らは、一見平和主義の国連が実は共産主義者や反米主義者の巣窟で、隙あらばアメリカの足を
 引っ張ろうといつもうかがっていると考える。反キリストの悪魔ニコライが、世界支配の野望を遂
 げるために国連事務総長になるという筋書きは、アメリカの保守的クリスチャンの国連嫌いの
 投影で、反キリストがイラクのバビロンに首都を構えて、そこから世界征服を企てるというの
 も、バビロンは悪の巣窟という聖書からのヒントである (ヨハネ黙示録一四・八参照)。天変
 地異が起こつて人々が次々に絶命していく場面が微に入り細に入り描かれるのは読んでいても、
 あまり気持ちのいいものではない。だがこの九〇年代の終わりに書かれた、一見無害なSF未
 来小説が、二〇〇三年のイラク戦争や、独裁者フセインの実像にぴつたり合致したというので、
 ますます評判を呼んだ (「彼ら自身の帝国」既出)。

 それはともかくこのシリーズ、読み進むにつれ、ついに 「善」と「悪」 の最終対決が始まっ
 て、反キリストのニコライは、自分に挑戦するキリスト教徒とユダヤ教徒に攻撃を強めていく。
 これに対抗してトリビユレーション・フオースのほうも同志を増やし、世界各地でサタンの勢
力と戦う有志の連合を作った。その連合主力部隊はアメリカ人とイギリス人だが、それだけで 乃
 なくアジア人やアラブ人たちも加わった。さてここで注目されるのは多数のイスラエル人がこ  
の戦列に参加したことで、彼らは有能な軍人ばかりでなく、パイロットやコンピューター技師 占
もいる。そのおかげでトリビユレーション・フオースはアメリカと、主戦場のイラク、イスラ 
エルとの間を往復する。いやそれだけではない、悪の巣窟イラクにも味方がいて、高性能のハ
イテク技術を駆使して貴重な情報をアメリカにもたらしてくれ始めた。
 イラク開戦を前に発売された 『ハルマゲドン』編では、アメリカのトリビユレーション・フ
オースは、ついにイスラエルの 「レムナント」 (残りの者) と手を結ぶことに成功する。レム
ナントとは、イエス・キリストを信じるユダヤ人改宗者集団のことで、アメリカ、イギリスを
中核にしたキリスト戦士や有志連合と協力して、邪悪なサタンから中東地域を奪回し、世界に
平和をもたらそうと進撃する。
 そしていよいよトリビユレーション・フォース挙げてのイスラエル防衛戦争、反キリストの
悪魔勢力との一大決戦が火蓋を切った。戦闘は一進一退、だが心配するなかれ、聖書の預言は
必ず成就する。「終わりがどうなるかをわれわれは知っている。われわれが勝つ!」、自由の戦
士スチールはそう高らかに叫んで同志たちを鼓舞し続けた。                                                                                                                                                                                                                                                                                                               l
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