通算No.160 律法学者エズラ

テキスト:
”エズラ7:1 これらの出来事の後、ペルシヤの王アルタシャスタの治世に、エズラという人がいた。このエズラ(助け)はセラヤ(エホバは治める)の子、順次さかのぼって、アザルヤ(エホバは助け主)の子、ヒルキヤ(エホバはわが分)の子、
2 シャルム(審判)の子、ツァドク(義)の子、アヒトブ(我が兄弟はよい)の子、
3 アマルヤ(エホバは語る)の子、アザルヤの子、メラヨテ(反抗)の子、
4 ゼラヘヤ(エホバは生きる)の子、ウジ(強い)の子、ブキ(浪費)の子、
5 アビシュア(父は救い主)の子、ピネハス(銅の口)の子、エルアザル(神は助けた)の子、このエルアザルは祭司のかしらアロンの子である。
6 エズラはバビロンから上って来た者であるが、イスラエルの神、主が賜わったモーセの律法に通じている学者であった。彼の神、主の御手が彼の上にあったので、王は彼の願いをみなかなえた。
7 アルタシャスタ王の第七年にも、イスラエル人のある者たち、および、祭司、レビ人、歌うたい、門衛、宮に仕えるしもべたちのある者たちが、エルサレムに上って来た。
8 エズラは王の第七年の第五の月にエルサレムに着いた。
9 すなわち、彼は第一の月の一日にバビロンを出発して、第五の月の一日にエルサレムに着いた。彼の神の恵みの御手が確かに彼の上にあった。
10 エズラは、主の律法を調べ、これを実行し、イスラエルでおきてと定めを教えようとして、心を定めていたからである。
11 アルタシャスタ王が、祭司であり、学者であるエズラに与えた手紙の写しは次のとおりである。「「エズラは、主の命令のことばと、イスラエルに関する主のおきてに精通した学者であった。「「
12 「王の王アルタシャスタ。天の神の律法の学者である祭司エズラへ。この件は完了した。さて、
13 私は命令を下す。私の国にいるイスラエルの民、その祭司、レビ人のうち、だれでも自分から進んでエルサレムに上って行きたい者は、あなたといっしょに行ってよい。
14 なぜなら、あなたは、あなたの手にあるあなたの神の律法に従ってユダとエルサレムを調査するよう、王とその七人の議官によって遣わされており、
15 また、王とその議官たちが、エルサレムに住まれるイスラエルの神に進んでささげた銀と金、
16 バビロンのすべての州で、あなたが得るすべての銀と金、それに、エルサレムにある自分たちの神の宮のために、民と祭司たちが進んでささげたささげ物をも合わせて携えて行くために遣わされているからである。
17 それゆえ、あなたはその献金で、牛、雄羊、子羊、また、そのための穀物のささげ物と注ぎのぶどう酒を心して買い求め、エルサレムにあるあなたがたの神の宮の祭壇の上で、それをささげなければならない。
18 また、残りの銀と金の使い方については、あなたとあなたの兄弟たちがよいと思うことは何でも、あなたがたの神のみ心に従って行なうがよい。
19 また、あなたの神の宮での礼拝のために、あなたに与えられた器具は、エルサレムの神の前に供えよ。
20 その他、あなたの神の宮のために必要なもので、どうしても調達しなければならないものは、王の宝物倉からそれを調達してよい。
21 私、アルタシャスタ王は、川向こうの宝庫係全員に命令を下す。天の神の律法の学者である祭司エズラが、あなたがたに求めることは何でも、心してそれを行なえ。
22 すなわち、銀は百タラントまで、小麦は百コルまで、ぶどう酒は百バテまで、油も百バテまで、塩は制限なし。
23 天の神の宮のために、天の神によって命じられていることは何でも、熱心に行なえ。御怒りが王とその子たちの国に下るといけないから。
24 また、次のことを知らせる。祭司、レビ人、歌うたい、門衛、宮に仕えるしもべたち、つまり、この神の宮に仕える者にはだれにも、みつぎ、関税、税金を課してはならない。
25 エズラよ。あなたは、あなたの手にあるあなたの神の知恵にしたがってさばきつかさや裁判官を任命し、川向こうにいるすべての民、すなわち、あなたの神の律法を知っているすべての者をさばかせよ。また、これを知らない者に、あなたがたは教えよ。
26 あなたの神の律法と、王の律法を守らない者には、だれにでも、死刑でも、追放でも、財産の没収でも、または投獄でも、その判決を厳格に執行せよ。」
27 私たちの父祖の神、主はほむべきかな。主はエルサレムにある主の宮に栄光を与えるために、このようなことを王の心に起こさせ、
28 王と、その議官と、すべての王の有力な首長の好意を私に得させてくださった。私の神、主の御手が私の上にあったので、私は奮い立って、私といっしょに上るイスラエル人のかしらたちを集めることができた。”
 

本日は”律法学者エズラ”という題で、メッセージしたいと思います。
神殿を再建した律法学者エズラについて見ていきたいと思います。さて、エズラ記は神殿再建に関して書かれた物語です。そして、書名からも明らかなように、この書の中心人物はエズラです。彼の職業は学者、すなわち律法学者です。さて、ここで少し不思議な印象を受けないでしょうか。

というのはエズラの律法学者という職業と神殿の再建という仕事が何かそぐわない、ミスマッッチな感じがするのです。学者と建設事業とはあまり関係ないような気がします。現場の監督とか、大工さんが神殿の再建事業の責任をとるならわかるのですが。聖書の学者と建設の仕事はあまり関係ありません。しかし、彼はその仕事をしているのです。ここに何か語りかけがないでしょうか。

さて、ミスマッチというなら、実はネヘミヤもミスマッチです。ネヘミヤ記はエルサレムの再建について記してある書です。エズラ記と似ている書です。そして、この任にあたるネヘミヤという人の職業もエズラに劣らず、再建事業にはミスマッチです。彼、ネヘミヤの職業は王にお酒を注ぐ献酌官なのです。

さて、エズラ、ネヘミヤ記はイスラエルの時代の宮、及び都を再建する時の記録です。これは教会時代への予表としてとらえるなら、バビロン化された教会の再建、回復、復興の働きの予表と見ることができます。

ですから、これらが予表なら、このエズラ、ネヘミヤという2人の職業を通して神が語っていること、たとえていること、教えていることがあると思えるのです。

ネヘミヤの献酌官という仕事のたとえはまだわかりやすいと思われます。献酌官とは当然、酒に関する仕事であり、酒とか葡萄酒は聖書の中で聖霊をさすたとえだからです。

たとえば、ペンテコステの時にも聖霊とともに、ぶどう酒に関することばがあります。回りの人々が聖霊に満たされている弟子達に関して「彼等は甘いぶどう酒に酔っているのだ」といっています。

ですから、ネヘミヤは終末の教会回復の働きの中で、酒を注ぐ、すなわち聖霊の大傾注をもたらす者たちの型なのです。このことはエズラ記の初めに「油そそがれた者」であるクロス王が神殿再建の勅令を出すこととも対応します。また、黙示録の中で天から火を下す2人の預言者の働きにも通じます。彼等は終末の日に天から火を下す、すなわち聖霊と火でバプテスマを下す者達です。
終末の教会回復の一面は聖霊の大傾注であることがわかります。

さて、エズラに関してはどうでしょう。エズラの律法学者という職業を通して聖書は終末の教会回復に関して何をかたるのでしょうか。これもたとえとして考えるなら、難しくはないたとえです。律法学者は聖書、すなわち、神のみことばの学者であり、すなわち、みことばに関する真理、正しい学びが回復する、そのことの予表なのです。

聖書をよく読むなら、あちこちで終末の日における神のみことばの回復、復興に関して述べていることガわかります。たとえば、列王、歴代史に記されているヨシヤ王の時代には律法が発見されることに関して記されています。私はヨシヤ王の時代は終末のリバイバルを予表する時代ではないかと思っています。そして、そのヨシヤ王の時のリバイバルの発端がこの律法の書の発見なのです。以下のように記されています。
 

”列王記第二 22:8 そのとき、大祭司ヒルキヤは書記シャファンに、「私は主の宮で律法の書を見つけました。」と言って、その書物をシャファンに渡したので、彼はそれを読んだ。
9 書記シャファンは王のもとに行って、王に報告して言った。「しもべたちは、宮にあった金を箱からあけて、これを主の宮で工事している監督者たちの手に渡しました。」
10 ついで、書記シャファンは王に告げて、言った。「祭司ヒルキヤが私に一つの書物を渡してくれました。」そして、シャファンは王の前でそれを読み上げた。”

ここで書記シャフアンが王の前で発見された律法を読み上げています。彼がこのことの中で重要な位置を占めていることがわかります。そして、この「書記」ということばは<「学者」であるエズラ>ということばと同じ原語です。日本語の訳は異なるようですが、全く同じ原語なのです。

ですから、これらの事実を通して聖書が語っていることがあります。それは終末の日の教会回復の働きの中で、聖書の真理の再発見、みことばの復興ということは大きな位置を占めるということです。

さて、以上の要点に基づき、テキストを順に見ていきたいと思います。

”1 これらの出来事の後、ペルシヤの王アルタシャスタの治世に、エズラという人がいた。このエズラ(助け)はセラヤ(エホバは治める)の子、順次さかのぼって、アザルヤ(エホバは助け主)の子、ヒルキヤ(エホバはわが分)の子、
2 シャルム(審判))の子、ツァドク(義)の子、アヒトブ(我が兄弟はよい)の子、
3 アマルヤ(エホバは語る)の子、アザルヤの子、メラヨテ(反抗)の子、
4 ゼラヘヤ(エホバは生きる)の子、ウジ(強い)の子、ブキ(浪費)の子、
5 アビシュア(父は救い主)の子、ピネハス(銅の口)の子、エルアザル(神は助けた)の子、このエルアザルは祭司のかしらアロンの子である。”

ここで、エズラの系図が出てきます。これらの系図の名前はそのまま、このエズラの聖書のみことばの回復の働きを具体的に示す予表と思われます。たとえば、以下の点に関して聖書の真理は終末の日に再建、復興、回復します。

1)セラヤ(神は治める):教会回復により、神ご自身が教会を治め、この世のあらゆることを治めていることがはっきりします。すなわちキリストの主任牧会のわざでしょうか。
2)アザルヤ(エホバは助けぬし):神ご自身が我々の問題の助け主であることがはっきり示されてきます。
3)ヒルキヤ(エホバはわが分):神ご自身が我々の受ける分であることがはっきり示されてきます。
4)シャルム(審判):終末のさばき、神の審判についてのみことばが開けてきます。
5)ツァドク(義):神の義が示されてきます。
6)アヒトブ(我が兄弟はよい):我々の兄弟である主イエスのよさ、すばらしさが示されてきます。
7)アマルヤ(エホバは語る):神ご自身が我々に語り、示すかたであることが示されてきます。
8)メラヨテ(反抗):人の神への反抗がどのようなものがはっきりと示されてきます。
9)ゼラヘヤ(エホバは生きる): 神が今も生きていることがはっきりと示されてきます。
10)ウジ(強い):神は強い方であることをはっきりと示されてきます。
11)ブキ(浪費):神に従わない時、私たちが神の前に人生を浪費していることが示されるのでしょうか。

また、エズラ(助け)ということばからもはっきり示されているように、律法学者、すなわち神のことばの真に主にある教師の働きは終末のリバイバル、教会回復の働きの大きな助けになります。

”6 エズラはバビロンから上って来た者であるが、イスラエルの神、主が賜わったモーセの律法に通じている学者であった。彼の神、主の御手が彼の上にあったので、王は彼の願いをみなかなえた。”

このエズラもバビロン出身の人です。しかし、彼は新しい神殿、エルサレムへと出かけていきます。同じように終末の日にはどのクリスチャンもバビロン、混乱の教会の中にいます。誰も彼もその影響の中にいるのです。しかし、大事なことはそこから上る、出てくることです。

また、彼は「主が賜わったモーセの律法に通じている学者」でした。このような学者が神殿の再建の働きをなしたのです。そうです。終末のリバイバルにおいてもこのような学者が出てくることでしょう。これは律法すなわち神のことばに通じた人々が終末の日に現われてくることの予表なのです。そして、「彼の神、主の御手が彼の上にあった」のです。そうです、終末の日に神のみことばが回復されることは決して人の思いや計画によるものではないのです。これは他でもない神の御手の中でなされることなのです。

”8 エズラは王の第七年の第五の月にエルサレムに着いた。
9 すなわち、彼は第一の月の一日にバビロンを出発して、第五の月の一日にエルサレムに着いた。彼の神の恵みの御手が確かに彼の上にあった。”

はバビロンを出発してエルサレムに着きました。このことに関して聖書は「彼の神の恵みの御手が確かに彼の上にあった。」と記しています。あたかも彼がバビロンを出発してエルサレムに着くためには、神の恵みの御手がなければできないことだと語っているかのようです。確かにそうなのです。終末の日に多くのクリスチャンがバビロン捕囚されます。すなわち混乱の中に入るのです。いいえすでに私たちは混乱の中にいます。そして悲しいことには、自分が混乱の中にいることさえ気がつかない人々もいるのです。

しかし、神の恵みの御手により、その混乱に気がつき、悟り、バビロンを出てくる人達がいます。彼等はエルサレムへ着き、そして、宮の再建の働きをなします。

”10 エズラは、主の律法を調べ、これを実行し、イスラエルでおきてと定めを教えようとして、心を定めていたからである。”

どうして彼は他の人と異なり、例外的にバビロンを出てエルサレムに着くことができたのでしょう。その理由がここに書いてあります。それは彼が「主の律法を調べ、これを実行し、イスラエルでおきてと定めを教えようとして、心を定めていたから」です。

どうぞ、このこと、すなわち「主の律法を調べ」ること、「これを実行」すること、「イスラエルでおきてと定めを教え」ることがこの教会の回復の予表の記事とともに記されていることに目を止めてください。
わざわざこのことが何度も強調されていることには意味があるのです。

ですから、確かに終末の回復の時にはエズラのように、「主の律法を調べ」る人々がでてきます。すなわち神のみことばの学び、解釈の働きの回復がなされてくるのです。何故、彼等は今ごろになってそのようなわざをするのでしょう。すでに神学は整然と定まり、正しい解釈は確定したのではないのでしょうか。しかし神の見解は異なります。これらの教えは曲がったものであり、教会でのみことばが曲げられていることに関して回復の業をおこすといわれているのです。

また、「これを実行」と書いてあります。終末の日はすなわち神のみことばを行うことが回復される日です。

みことばを行うことに関して主はかつてこのようにいわれました。

”ヨハネの福音書 14:21 わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現わします。”

”ヨハネの黙示録 3:8 「わたしは、あなたの行ないを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。”

また、「イスラエルでおきてと定めを教え」ると書いてあります。何故、終末の日にわざわざイスラエルーすなわち神の民の間で「でおきてと定めを教え」ることが言われているのでしょう。神の民である私たちの右を見ても左を見ても多くの教えに満ちているのではないでしょうか。しかし、神が終末に関連してこのような言葉を預言されていることは、すなわちこのことをさししめします。すなわち、神はこれらの今の教えに満足しておられないということです。

”11 アルタシャスタ王が、祭司であり、学者であるエズラに与えた手紙の写しは次のとおりである。「「エズラは、主の命令のことばと、イスラエルに関する主のおきてに精通した学者であった。「「”

ここでもエズラと律法に関して書かれています。ここで彼は「主の命令のことばと、イスラエルに関する主のおきてに精通した学者であった」と書いてあります。そうです、終末の時代にはこのような学者が望まれているのです。そして、神はこのような人々を終末の日に起こすのです。彼は「主の命令のことば」に精通しています。神が律法の中で実は何を命令しているのか、彼は正しく悟ります。また、彼は「イスラエルに関する主のおきてに精通した学者」です。神が何をその民に対して語っているのか、彼は正しく捕えるのです。

”12 「王の王アルタシャスタ。天の神の律法の学者である祭司エズラへ。この件は完了した。さて、

ここで、エズラに関して「天の神の律法の学者」と書かれています。ただの「律法の学者」と書いてあるのではなく、「天の神の律法の学者」と書かれているのです。ただの「律法の学者」なら、いつの時代にも多くいます。彼等はただの「律法の学者」であり、人間的な教えを述べているのにすぎないかもしれません。

しかし、終末の時代に求められている人は「天の神の律法の学者」なのです。彼は終末に関するみことばを解き明かし、天の神のみこころを民に語ります。このような人が求められているのです。

”14 なぜなら、あなたは、あなたの手にあるあなたの神の律法に従ってユダとエルサレムを調査するよう、王とその七人の議官によって遣わされており、”

彼は「神の律法に従ってユダとエルサレムを調査」します。すなわち、神の民に対して、正しい判断と警告を与えるのです。かつて、大きな時代の変わり目にバプテスマのヨハネが荒野に現われました。そして、正しい神の判断で民に語り、悔い改めを促しました。おのがすでに木の根元におかれていることを語りました。エズラも同じわざをするのでしょう。

15 また、王とその議官たちが、エルサレムに住まれるイスラエルの神に進んでささげた銀と金、
16 バビロンのすべての州で、あなたが得るすべての銀と金、それに、エルサレムにある自分たちの神の宮のために、民と祭司たちが進んでささげたささげ物をも合わせて携えて行くために遣わされているからである。
17 それゆえ、あなたはその献金で、牛、雄羊、子羊、また、そのための穀物のささげ物と注ぎのぶどう酒を心して買い求め、エルサレムにあるあなたがたの神の宮の祭壇の上で、それをささげなければならない。
18 また、残りの銀と金の使い方については、あなたとあなたの兄弟たちがよいと思うことは何でも、あなたがたの神のみ心に従って行なうがよい。
19 また、あなたの神の宮での礼拝のために、あなたに与えられた器具は、エルサレムの神の前に供えよ。
20 その他、あなたの神の宮のために必要なもので、どうしても調達しなければならないものは、王の宝物倉からそれを調達してよい。”

彼はエルサレムの神の宮への捧げものを回復するのです。捧げられる「金、銀、牛、雄羊、子羊、穀物のささげ物」について書かれています。これらは皆、聖書的には聖徒をあらわすたとえです。だから、彼の回復により聖徒たちが神に立ち返り、真の献身が復活するのです。また、「注ぎのぶどう酒」は聖霊をさします。

21 私、アルタシャスタ王は、川向こうの宝庫係全員に命令を下す。天の神の律法の学者である祭司エズラが、あなたがたに求めることは何でも、心してそれを行なえ。”

「天の神の律法の学者である祭司エズラが、あなたがたに求める」ことに従う、すなわち回復されたみことばに従うことが書かれています。

この律法、すなわち神のことばがはっきり理解され、回復されることと終末の教会の回復のわざは大きな関係があります。何故なら、都の再建ーこれも教会回復の予表ーを記しているネヘミヤ書にもエズラによる律法の朗読、理解について記されているからです。

”ネヘミヤ8:1 民はみな、いっせいに、水の門の前の広場に集まって来た。そして彼らは、主がイスラエルに命じたモーセの律法の書を持って来るように、学者エズラに願った。
2 そこで、第七の月の一日目に祭司エズラは、男も女も、すべて聞いて理解できる人たちからなる集団の前に律法を持って来て、
3 水の門の前の広場で、夜明けから真昼まで、男や女で理解できる人たちの前で、これを朗読した。民はみな、律法の書に耳を傾けた。
4 学者エズラは、このために作られた木の台の上に立った。彼のそばには、右手にマティテヤ、シェマ、アナヤ、ウリヤ、ヒルキヤ、マアセヤが立ち、左手にペダヤ、ミシャエル、マルキヤ、ハシュム、ハシュバダナ、ゼカリヤ、メシュラムが立った。
5 エズラはすべての民の面前で、その書を開いた。彼はすべての民よりも高い所にいたからである。彼がそれを開くと、民はみな立ち上がった。
6 エズラが大いなる神、主をほめたたえると、民はみな、手を上げながら、「アーメン、アーメン。」と答えてひざまずき、地にひれ伏して主を礼拝した。
7 ヨシュア、バニ、シェレベヤ、ヤミン、アクブ、シャベタイ、ホディヤ、マアセヤ、ケリタ、アザルヤ、エホザバデ、ハナン、ペラヤなどレビ人たちは、民に律法を解き明かした。その間、民はそこに立っていた。
8 彼らが神の律法の書をはっきりと読んで説明したので、民は読まれたことを理解した。”

エズラ書に戻ります。

”23 天の神の宮のために、天の神によって命じられていることは何でも、熱心に行なえ。御怒りが王とその子たちの国に下るといけないから。”

「天の神によって命じられていること」、すなわち神が語られていることを熱心に行うことが回復されます。
 

”26 あなたの神の律法と、王の律法を守らない者には、だれにでも、死刑でも、追放でも、財産の没収でも、または投獄でも、その判決を厳格に執行せよ。」”

このみことばを守らない時、さばきがあります。

”27 私たちの父祖の神、主はほむべきかな。主はエルサレムにある主の宮に栄光を与えるために、このようなことを王の心に起こさせ、
28 王と、その議官と、すべての王の有力な首長の好意を私に得させてくださった。私の神、主の御手が私の上にあったので、私は奮い立って、私といっしょに上るイスラエル人のかしらたちを集めることができた。”

エズラは「このようなことを王の心に起こさせ」た神をほめています。「このようなこと」とは宮の回復であり、それは終末の日に律法学者エズラで象徴される聖書のみことばの回復のわざの中で行われるのです。

終末における神のみこころを行いましょう。
 

ー以上ー

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