通算No.141 ぶどう酒を飲まないこと

テキスト: ”ルカの福音書 1:15 彼は主の御前にすぐれた者となるからです。彼は、ぶどう酒も強い酒も飲まず、まだ母の胎内にあるときから聖霊に満たされ、”

本日は「ぶどう酒を飲まないこと」という題でメッセージしたいと思います。テキストはバプテスマのヨハネに関する記事です。

バプテスマのヨハネに関して、聖書は多くの記事を書いています。その中でもこの箇所では、彼が<ぶどう酒も強い酒も飲ま>なかったことについて記してあります。逆に聖霊に満たされていたことが書いてあります。このことは何を意味するものでしょうか。それを見ていきたいと思います。

私はバプテスマのヨハネは終末に起きてくる油注がれた者の型だと思います。そして、このヨハネに関して、<ぶどう酒も強い酒も飲ま>ないことが特筆されているのです。このことに何か意味があるのでしょうか。それを考えてみたいと思うのです。このことは確かに聖書の中で強調されています。以下を見て下さい。

ルカの福音書 7:33 というわけは、バプテスマのヨハネが来て、パンも食べず、ぶどう酒も飲まずにいると、『あれは悪霊につかれている。』とあなたがたは言うし、”

ここでも主イエスがバプテスマのヨハネに関連してぶどう酒を飲まないことについて語っているのです。また、実は、主イエスご自身も自分がぶどう酒を飲まないことについて語っています。

”マタイの福音書 26:29 ただ、言っておきます。わたしの父の御国で、あなたがたと新しく飲むその日までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」”

これらの記事は何をさすものでしょうか。神はぶどう酒を飲まないことにより、何を我々に語っているのでしょうか。さて、黙示録を見る時、そこにもぶどう酒について記してあることに気がつきます。

”ヨハネの黙示録 14:8 また、第二の、別の御使いが続いてやって来て、言った。「大バビロンは倒れた。倒れた。激しい御怒りを引き起こすその不品行のぶどう酒を、すべての国々の民に飲ませた者。”

このバビロンは裁かれるべき神の民のことです。また、この女は酒ぶねで踏まれるぶどうでもあります。聖書の中で、ぶどうやいちじくは神の民をさします。ぶどう酒はぶどうの木からできたぶどうの実からつくります。ですから、このぶどう酒はさばかれるべき神の民の実、すなわち彼等の教え、行い等をさすのでしょう。不品行のぶどう酒と書かれています。この世についた教え、歩みのことでしょう。そして、真の神につく民に対してはバビロンから離れることが警告されています。

ヨハネの黙示録 18:4 それから、私は、天からのもう一つの声がこう言うのを聞いた。「わが民よ。この女から離れなさい。その罪にあずからないため、また、その災害を受けないためです。”

ですから、ここで何故バプテスマのヨハネがぶどう酒を飲まなかったのかがわかります。彼は終末におきる油注がれた者の型であり、彼等はこの女、バビロンの働きにはあづからず、彼女から分離するのです。

ですから、終末の時代に歩む私たちにとって大事なことを主はこのぶどう酒という表現を通して語っています。我々はこれら、バビロンの働きから分離し、それにあづかるべきではないのです。バビロンとは何でしょう。バビロンの原語は乱れるという意味があり、終末において混乱し、この世についた教会をさします。

このことを旧約聖書の中では、何度か警告しています。
 

1)”イザヤ書 5:11 ああ。朝早くから強い酒を追い求め、夜をふかして、ぶどう酒をあおっている者たち。
12 彼らの酒宴には、立琴と十弦の琴、タンバリンと笛とぶどう酒がある。彼らは、主のみわざを見向きもせず、御手のなされたことを見もしない。”

ここでも強い酒、ぶどう酒について書かれています。これらはバプテスマのヨハネについて書かれていることと同じことばです。彼等は強い酒、ぶどう酒をあおっています。バビロンの教え、働きをすっかり受け入れ、それに酔っているのです。そして、その結果、”、主のみわざを見向きもせず、御手のなされたことを見もしない”のです。

2)”イザヤ書 28:7 しかし、これらの者もまた、ぶどう酒のためによろめき、強い酒のためにふらつき、祭司も預言者も、強い酒のためによろめき、ぶどう酒のために混乱し、強い酒のためにふらつき、幻を見ながらよろめき、さばきを下すときよろける。”

彼等は”ぶどう酒のためによろめき、強い酒のためにふらつき”と書いてあります。バビロンの働きを軽視すべきではありません。それは、キリスト教の本を通し、雑誌を通し、そして、他の働き人、クリスチャンを通して働き、いつのまにかそのぶどう酒によりふらついてくるのです。”祭司も預言者も、強い酒のためによろめき”と書いてあります。祭司は神に仕える者です。しかし、いつのまにかこのぶどう酒により歩みがよろめき、あるべき奉仕の姿から外れていくのです。また、預言者は神のことばを伝える今の時代では教師、牧師です。彼等もいつの間にか、バビロンの教えを受け、それにふらつくのです。

3)”イザヤ書 29:9 のろくなれ。驚け。目を堅くつぶって見えなくなれ。彼らは酔うが、ぶどう酒によるのではない。ふらつくが、強い酒によるのではない。
10 主が、あながたの上に深い眠りの霊を注ぎ、あなたがたの目、預言者たちを閉じ、あなたがたの頭、先見者たちをおおわれたから。”

ここでも”ぶどう酒、強い酒”と同じ表現が使われています。そして、深い眠りの霊について語っています。これは、ゲッセマネの園で主と共に祈り続けることができず、眠りこけてしまったペテロ、ヨハネ達と通じるものがあります。彼等は深い闇の中で、眠りこけるものであり、また終末の闇の中で、罪にねむりこける神の民の予表です。

”あなたがたの目、預言者たちを閉じ、あなたがたの頭、先見者たちをおおわれたから。”と書いてあります。ですから、終末の日には、預言者(教師)の目が閉じ、霊的にみえなくなり、先見者ー民より先に見るべきものがみえなくなることがわかります。ですから、私たちはたとえ、バビロンーこの世についたキリスト教会に住む者であっても、そのぶどう酒を飲むべきではないのです。

4)”民数記6:2 「イスラエル人に告げて言え。男または女が主のものとして身を聖別するため特別な誓いをして、ナジル人の誓願を立てる場合、
3 ぶどう酒や強い酒を断たなければならない。ぶどう酒の酢や強い酒の酢を飲んではならない。ぶどう汁をいっさい飲んではならない。ぶどうの実の生のものも干したものも食べてはならない。
4 彼のナジル人としての聖別の期間には、ぶどうの木から生じるものはすべて、種も皮も食べてはならない。
5 彼がナジル人としての聖別の誓願を立てている間、頭にかみそりを当ててはならない。主のものとして身を聖別している期間が満ちるまで、彼は聖なるものであって、頭の髪の毛をのばしておかなければならない。
6 主のものとして身を聖別している間は、死体に近づいてはならない。”

ここでは、聖別されたナジル人について書かれています。ここでも、ぶどう酒や強い酒について書いてあります。ですから、終末の日にナジル人、神に聖別された者として歩むつもりなら、バビロンの働きに気をつけなければなりません。”ぶどう汁をいっさい飲んではならない。ぶどうの実の生のものも干したものも食べてはならない。”と書かれています。ナジル人は彼等の働き、行いが、たとえどのようなものでも受けてはいけないのです。

また、”彼のナジル人としての聖別の期間には、ぶどうの木から生じるものはすべて、種も皮も食べてはならない。”と書いてあります。逆にわずかでもぶどうの木から生じるものを食べる、受けるなら、彼のナジル人としての聖別は終わってしまうのです。すなわち、彼はその時、神の前に聖なるものと見なされなくなってしまうのです。

5)”エレミヤ書 35:1 ヨシヤの子、ユダの王エホヤキムの時代に、主からエレミヤにあったみことばは、こうである。
2 「レカブ人の家に行って、彼らに語り、彼らを主の宮の一室に連れて来て、彼らに酒を飲ませよ。」
3 そこで私は、ハバツィヌヤの子エレミヤの子であるヤアザヌヤと、その兄弟と、そのすべての息子と、レカブ人の全家を率い、
4 彼らを主の宮のイグダルヤの子、神の人ハナンの子らの部屋に連れて来た。それは、首長たちの部屋の隣にあり、入口を守る者シャルムの子マアセヤの部屋の上にあった。
5 私は、レカブ人の家の子たちの前に、ぶどう酒を満たしたつぼと杯とを出して、彼らに「酒を飲みなさい。」と言った。
6 すると彼らは言った。「私たちはぶどう酒を飲みません。それは、私たちの先祖レカブの子ヨナダブが私たちに命じて、『あなたがたも、あなたがたの子らも、永久にぶどう酒を飲んではならない。
7 あなたがたは家を建てたり、種を蒔いたり、ぶどう畑を作ったり、また所有したりしてはならない。あなたがたが寄留している地の面に末長く生きるために、一生、天幕に住め。』と言ったからです。
8 それで、私たちは、私たちの先祖レカブの子ヨナダブが私たちに命じたすべての命令に聞き従い、私たちも、妻も、息子、娘たちも、一生、ぶどう酒を飲まず、
9 住む家も建てず、ぶどう畑も、畑も、種も持ちません。
10 私たちは天幕に住み、すべて先祖ヨナダブが私たちに命じたとおりに、聞いて行なってきました。”

レカブ人は神にその忠実さをほめられています。ですから、我々、特に終末の歩みをする者達はレカブ人から学ぶべきです。彼等はエレミヤによって差し出されたぶどう酒を飲みませんでした。我々も終末の日に、たとえ周りの全てのクリスチャンがバビロン化したとしてもそのぶどう酒を受けたり、酔ったりするべきではありません。

また彼等は、”あなたがたは家を建てたり、種を蒔いたり、ぶどう畑を作ったり、また所有したりしてはならない。”との先祖のことばを守り、「天幕に住め」とのことばを忠実に守っています。

天幕とは仮庵の祭の仮庵のことです。仮庵の祭は終末の真の神の民が住む仮庵、すなわち地下教会の予表です。ですから、天幕に住めとは終末の日にはぶどう酒、すなわちこの世についた教会の教えから離れ、地下教会の歩みに入れとのことと思われます。逆にこの世につく神の民、黙示録でいう”地に住む者たちはこの世に”家を建てたり、種を蒔いたり、ぶどう畑を作ったり、また所有したり”するようになるのでしょう。

ですから、ここでもぶどう酒を飲まない、この世についた神の民の歩みにならわないこが語られているのです。このことが終末における神の民にとって必須だということがわかります。
 

終末における主のみこころを行っていきたいと思います。

ー以上ー

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