通算No.138 義人の血の報い

テキスト: ”マタイ23;29 忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは預言者の墓を建て、義人の記念碑を飾って、
30 『私たちが、先祖の時代に生きていたら、預言者たちの血を流すような仲間にはならなかっただろう。』と言います。
31 こうして、預言者を殺した者たちの子孫だと、自分で証言しています。
32 あなたがたも先祖の罪の目盛りの不足分を満たしなさい。
33 おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。
34 だから、わたしが預言者、知者、律法学者たちを遣わすと、おまえたちはそのうちのある者を殺し、十字架につけ、またある者を会堂でむち打ち、町から町へと迫害して行くのです。
35 それは、義人アベルの血からこのかた、神殿と祭壇との間で殺されたバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上で流されるすべての正しい血の報復があなたがたの上に来るためです。
36 まことに、あなたがたに告げます。これらの報いはみな、この時代の上に来ます。
37 ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者。わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。
38 見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される。
39 あなたがたに告げます。『祝福あれ。主の御名によって来られる方に。』とあなたがたが言うときまで、あなたがたは今後決してわたしを見ることはありません。」”

本日は<義人の血の報い>という題でメッセージします。終末に起きてくる神のみことばのゆえの迫害について見ていきたいと思います。

主イエスは偽善の律法学者、パリサイ人たちを非難しました。そして、主ご自身は彼等の非難、迫害の中で、命を失われました。いわば、神のみこころの中で、殉教したのです。さて、主イエスの時代に起きたことの多くは終末の時代にも繰り返されます。ですから、終末にもおそらく”偽善の律法学者、パリサイ人たち”のような人々が現われ、その中で終末の神のしもべは殉教していくと思われます。そのことをこのテキストから、見ていきたいと思います。

”29 忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。”

主イエスは取税人やごろつき、遊女、の罪を大きくあげつらうということはされませんでした。しかし、”律法学者、パリサイ人たち”に対しては何度もきびしいことばを語っています。また、何度も論争をし、そして最後は彼等の陰謀の中で命を落とすのです。何故このようなことになったのかを考えてみましょう。

主イエスがこの世に遣わされた大きな目的の一つはまさにこのことにあったのです。すなわち、彼等の誤りを正すことです。

神が旧約の民に与えた純粋なみことばは長い年月の間に変形、変質し、人間的なものになってしまったのです。
しかし、旧約の最後に油注がれた者、イエスが遣わされ、正しくみことばを解き明かし、恵みのことば、そして、裁きへの警告を語りました。

主イエスは、神が語られたようにみことばを解きあかし、語られたように実行したのですが、その当時の”律法学者、パリサイ人たち”には受け入れられませんでした。彼等があまりにも 神のことば本来の真理から、逸脱、変質していたので、主イエスのことばを受け入れることができなかったのです。彼等の耳も目も閉じていたのです。そして、彼等は”神への熱心”をもって<異端者イエス>を排斥し、殺したのです。しかし、このこと、彼等が主イエスの殉教の血を流すことは、そのまま彼等の裁きをもたらしたのです。

さて、このことは終末にも同じようなパターンで起きてきます。何故なら、終末にも<油注がれた者が絶たれる>ことが預言されているからです。

というのは、この終末の時代にも変形され、歪曲された神のことばが回復される日が来るからです。それは、バプテスマのヨハネに関連して”主の道を備えよ”と預言されている通りです。バプテスマのヨハネは終末の預言者の予表です。また、ハガイ、ゼカリヤ、エズラ、ネヘミヤ記で預言されているように、終末の日に神の宮ー教会は回復され、神のことばも回復されるのです。

しかし、バプテスマのヨハネが首を切られて殉教したように、終末の預言者も殉教するでしょう。彼等の言葉は終末における”律法学者、パリサイ人たち”に相当する人々には受け入れられないでしょう。

”あなたがたは預言者の墓を建て、義人の記念碑を飾って、
30 『私たちが、先祖の時代に生きていたら、預言者たちの血を流すような仲間にはならなかっただろう。』と言います。
31 こうして、預言者を殺した者たちの子孫だと、自分で証言しています。”

<預言者の墓を建て、義人の記念碑を飾>る神の民のもっとも中心的な人々が<預言者を殺した者たちの子孫>になりました。このことは終末の時代にも起きてくるでしょう。彼等は自分達の目、見分けに自信を持っています。自分達は<預言者たちの血を流すような仲間にはならなかっただろう。>というのです。しかし、終末の預言者を正しく預言者として見分けるのは難しいことなのです。多くの人々がつまづくでしょう。

”32 あなたがたも先祖の罪の目盛りの不足分を満たしなさい。”

旧約の神の民の間では、神のことばを曲げる人達が権力を握り、それに反対する人々を迫害してきました。そして、主イエスの時には、その罪は頂点に達し、そして裁きを招きました。同じことは新約の神の民にもいえます。キリスト教会の歴史においても多くの神のことばが変形されてきました。その結果として、終末の時に起きる<神のみことばの復興>を理解できず、逆に迫害、異端視するのです。

”33 おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。”

彼等は蛇、まむしのすえです。すえということばはその先祖を思いおこさせます。蛇、まむしの先祖はエデンの園でアダム、エバをだまし、神のみことばを曲げ、変形し、そして彼等を死に追いやったあのへびです。サタンはエデンの園の時に蛇を用いて神のみことばをすりかえて、意味のないものに変えてしまいました。

イエスの時代には”律法学者、パリサイ人たち”が蛇として、サタンに用いられたのです。人々に神のみことばを説きあかす立場の彼等が惑わされ、サタンの思いを行ったのです。そして、その罪を油そそがれたイエスが正しく指摘したのです。

そして、このことは終末において起きることがらの型です。終末においては神のみことばの教え、教理はますます混乱し、終末の”律法学者、パリサイ人たち”に相当する人は終末におけるサタンのこころを行うために用いられてしまうでしょう。しかし、聖書はこの時代に油注がれた者、神の預言者が起きることを預言しています。彼等は確かに”蛇”すなわち、敵に用いられている人々の罪を正しく指摘するでしょう。

”34 だから、わたしが預言者、知者、律法学者たちを遣わすと、おまえたちはそのうちのある者を殺し、十字架につけ、またある者を会堂でむち打ち、町から町へと迫害して行くのです。”

主は”預言者、知者、律法学者たちを遣わす”と言われました。このことばは今までも成就してきましたが、これから終末にかけてますます成就します。彼等の誤りを指摘し、”主のために道を備える”人々はますます起こされてきます。しかし、彼等には迫害があるでしょう。ですから、これからの時代に神のみことばに忠実であろうとするものには覚悟がいります。今までの教師達と全く同じことを言っている分には何も問題がないでしょうが、終末に主が真に語っていることを伝えるなら、犠牲を覚悟しなければならないのです。
 
 

”35 それは、義人アベルの血からこのかた、神殿と祭壇との間で殺されたバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上で流されるすべての正しい血の報復があなたがたの上に来るためです。”

神の真の教師としてたつなら殉教はさけられません。しかし、その殉教の死が”律法学者、パリサイ人たち”の裁きをもたらします。

”36 まことに、あなたがたに告げます。これらの報いはみな、この時代の上に来ます。”

油塗られた者、主イエスを異端として、退け、迫害、排斥したその世代の上に神の裁きが下りました。同じように、終末の油塗られた者たちを異端として、退け、迫害、排斥した世代の上に神の裁きが下ります。

”37 ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者。わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。”

エルサレムは神の都であり、教会の予表です。教会において、”預言者たちが殺”される日がきます。

”38 見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される。”

終末には逆転の日がきます。神のみことばに従わなかった人々が残され、教会(家)は荒れ果てたまま残されます。そして、後からきた未信者が先になる日がきます。
 

終末における主のみこころを行っていきましょう。

ー以上ー

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