通算NO.127 黙示録のわな

テキスト: ”1コリ3:18 だれも自分を欺いてはいけません。もしあなたがたの中で、自分は今の世
の知者だと思う者がいたら、知者になるためには愚かになりなさい。

19 なぜなら、この世の知恵は、神の御前では愚かだからです。こう書いてあります。「神は、知者ど
もを彼らの悪賢さの中で捕える。」

20 また、次のようにも書いてあります。「主は、知者の論議を無益だと知っておられる。」”
 

本日は”黙示録のわな”という題で、メッセージしたいと思います。聖書の終末に関するみことば、
特に黙示録のみことばは、この世の知者を捕らえる、「わな」のはたらきをします。そのことを見て
いきたいと思います。
 

テキストから見ていきたいと思います。
 

”18だれも自分を欺いてはいけません。もしあなたがたの中で、自分は今の世の知者だと思う者
がいたら、知者になるためには愚かになりなさい。”
 

神はこの世の知恵を憎んでいます。特にこの世の知恵を聖書の解釈の中に持ち込み、神のことばを
人間的なもの、この世的なものにしてしまう知者を憎んでいます。イエスが律法の専門家に対して、
”知識の鍵をとりさる”と言った時、このことをさして言っているのです。
 

”19 なぜなら、この世の知恵は、神の御前では愚かだからです。”
 

この世の知恵は神の前では愚かなのです。この世の知恵に頼るなら、聖書の正しい解釈には至りま
せん。

”こう書いてあります。「神は、知者どもを彼らの悪賢さの中で捕える。」”
 

このことばはどういう意味なのでしょう。考えてみましょう。捕えるということばの原意は”わなで
捕える”という意味合いがあります。ですから、ここでいわれていることはこういうことです。神は
この世の知恵を用いて神のことばを曲げる知者を憎んでおり、彼等を捕え、報復することを計画して
いるということです。これは、恐らく終末の日に起きることではないかと思えます。
 

このことばはヨブ記の以下のことばの引用です。
 

ヨブ記 5:13 神は知恵のある者を彼ら自身の悪知恵を使って捕える。彼らのずるいはかりごとは
くつがえされる。”
 

ここでは”彼ら自身の悪知恵を使って捕える”と書いてあります。ですから、知者自身が頼りに
しているその”悪知恵”、それが用いられて彼等自身の墓穴を掘ることになると思われます。
 

さて、このこと、知者がその知恵により捕えられることは聖書で預言されているわけですが、
具体的にはどのような形で終末に起きるのでしょうか

私はこれは終末の預言の解釈を通してではないかと思っています。
 

例えばダニエルの時、バビロンの王ネブカデネザルは、彼の夢とその説き明しを述べることができ
なかったバビロンの知者たちをことごとく殺せと命じました。イスラエルの歴史が教会時代の予表
であるなら、バビロンの時代はそのまま終末の淫婦バビロンの時代の予表です。ですから、
これは終末の時に起こることの予表なのです。
 

神が知者を捕える方法は終末にかかわる夢、預言、その説き明しを知者たちに求め、彼等がそれに
適切に答えられないとき、彼等を捕え、滅ぼす、そのような方法なのです。
 

ですから、このことがいえます。終末に関する預言はみな「わな」のような性格を持っているという
ことです。これはわなであり、このわなにより彼等は”捕え”られるのです。終末の預言、たとえば、
黙示録はまさにそのために、用いられるのです。
 

ですから、この書は「わな」なのです。神が知者を捕えるために用意した「わな」なのです。終末
のみことばはまるで、暗号のように、その意味をつかむことが難しいように書かれています。
ダニエル書にしても、マタイ24章の記述にしても、黙示録にしても、とてもわかりにくいのです。
何故でしょうか。それは、神がそのように意図して書かれたからです。それは、これらの書が神によ
り”わな”として、備えられたからです。
 

ですから、たとえば、黙示録を読むとき、一つ気をつけなければならないことがあります。それは、
この書がわなの書だということです。この書の一つの目的は、それが終末について書かれた書だとい
うことです。しかし、もう一つの目的があります。それは、この書が知者達を捕えるために書かれた
書だということです。
 

たとえば狼を捕えるため、わなを使います。わなはわからないように、気付かれないように隠して使
います。すぐわかってしまったり、気付かれたならわなとはいえません。終末の預言もまさに同じ
です。これらの記述は理解しづらく、とりちがえやすく書かれているのです。
 

現在、終末のことに関してはキリスト教会の中で多くの意見、混乱があります。例えば、携挙のこと
一つにしても、はっきり定まった解釈はないのです。患難前、患難中、患難後、それぞれの意見が
あり、それぞれ正しいようであり、正しくないようであり、誰もはっきりしたことはいえないのです。
何故なら、みことばをみるとどのようにも見えるからです。
 

何故神のみことばはそうなっているのでしょう。それは神が終末に知者を捕えようと意図しており、
そのように預言し、そのように計画しているからです。

神が捕えようと計画されたなら、誰がそれを逃れることができるでしょうか。ですから、終末の預言の
解釈に関する混乱は世の終りに至るまで続くのです。ダニエルが語ったように、悪い者(罪あるもの)
は世の終りまで、誰も悟るものはいないのです。これはクリスチャンであっても同じです。私達が隠れ
た罪の中にいるなら、これらを悟ることはないでしょう。
 

しかし、私たちにあってはそのようであって良いわけがありません。
 

我々にはダニエル達の以下の方法が示唆を与えます。
 

”ダニエル書 2:18 彼らはこの秘密について、天の神のあわれみを請い、ダニエルとその同僚が他の
バビロンの知者たちとともに滅ぼされることのないようにと願った。

19 そのとき、夜の幻のうちにこの秘密がダニエルに啓示されたので、ダニエルは天の神をほめたた
えた。

すなわち、神に啓示を求めることです。その時、これらの謎は解けてくるのです。
 

終末における主のみこころを行いましょう。
 

ー以上ー
 

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