通算No.124 聖霊をけがす罪

テキスト: ”マタイ10:24 弟子はその師にまさらず、しもべはその主人にまさりません。
25 弟子がその師のようになれたら十分だし、しもべがその主人のようになれたら十分です。彼らは家長をベルゼブルと呼ぶぐらいですから、ましてその家族の者のことは、何と呼ぶでしょう。
26 だから、彼らを恐れてはいけません。おおわれているもので、現わされないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはありません。”

本日は”聖霊をけがす罪”という題で終末の日に起きる、聖霊をけがす罪について見ていきたいと思います。

テキストは主がその弟子を遣わす時のことばを述べた箇所です。これらのことばは直接的には、イエスの時代の12弟子達にあてて、書かれたものです。しかし、預言的には12弟子のすえである終末の弟子について書かれたものとも思えます。

このみことばを順に見ていきたいと思います。

”24弟子はその師にまさらず、しもべはその主人にまさりません。
25 弟子がその師のようになれたら十分だし、しもべがその主人のようになれたら十分です。”

私達がこの世において主の弟子になるなら、主がこの世で受けた以上のものを期待してはいけないことがわかります。主は知恵があり、正しいみことばを語り、しるしと不思議を行いました。しかしながら、この世で受けたものは、非難と十字架の死でした。我々の師であるキリストでさえ、この世ではこのような扱かいを受けたのです。今の時代にはこの世で何のまさつも起こさず、キリスト以上に賢い神の民は多いかもしれません。しかし、主はその弟子達に”しもべがその主人のようになれたら十分です”といわれました。

”彼らは家長をベルゼブルと呼ぶぐらいですから、ましてその家族の者のことは、何と呼ぶでしょう。”

イエスの時代に彼に敵対する神の民はキリストをベルゼブルと呼び、非難しました。悪霊の力だといっているのです。ですから、終末において主の弟子がベルゼブル、またはそれ以上のことをいわれたとしても驚くにはあたらないのです。

かつてこれらの主のことばは、将来に対する、預言的なことばでした。先のことだったのです。しかし、今、時代が大きく変わってきました。今、まさにこれらのことばが成就しつつあるのです。現在、ドイツ、フランスを始め、EUにおいて、また、ロシア等多くの国々で、ペンテコステ、カリスマ的な教会がカルト、セクトと呼ばれ、非難され始めました。それらの国々ではペンテコステ系の教会は非合法になりつつあります。私は個人的にはこの動きはいずれ、全世界に及ぶのではないかと思っています。

これらの働きのうらには、彼等を異端、カルト、セクト、悪霊つきよばわりする神の民の存在があるようです。しかし、これらの非難は聖霊を汚す罪になるかもしれません。このことについて聖書は以下のように述べています。

”マタイ12:24 これを聞いたパリサイ人は言った。「この人は、ただ悪霊どものかしらベルゼブルの力で、悪霊どもを追い出しているだけだ。」
25 イエスは彼らの思いを知ってこう言われた。「どんな国でも、内輪もめして争えば荒れすたれ、どんな町でも家でも、内輪もめして争えば立ち行きません。
26 もし、サタンがサタンを追い出していて仲間割れしたのだったら、どうしてその国は立ち行くでしょう。
27 また、もしわたしがベルゼブルによって悪霊どもを追い出しているのなら、あなたがたの子らはだれによって追い出すのですか。だから、あなたがたの子らが、あなたがたをさばく人となるのです。
28 しかし、わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。
29 強い人の家にはいって家財を奪い取ろうとするなら、まずその人を縛ってしまわないで、どうしてそのようなことができましょうか。そのようにして初めて、その家を略奪することもできるのです。
30 わたしの味方でない者はわたしに逆らう者であり、わたしとともに集めない者は散らす者です。
31 だから、わたしはあなたがたに言います。人はどんな罪も冒涜も赦していただけます。しかし、聖霊に逆らう冒涜は赦されません。
32 また、人の子に逆らうことばを口にする者でも、赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても、この世であろうと次に来る世であろうと、赦されません。”

この箇所でもベルゼブルという同じことばが使われています。

ここで、バリサイ人達は「この人は、ただ悪霊どものかしらベルゼブルの力で、悪霊どもを追い出しているだけだ。」とイエスを悪霊つきよばわりします。それに対して、主は”聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても、この世であろうと次に来る世であろうと、赦されません。”といわれました。

同じベルゼブルということばを使用することにより神は、これらの聖書の箇所が関連していることを述べているように思えます。いわんとしていることはこのようなことです。相手がイエスであろうと、12弟子であろうと、また終末の弟子であろうと、”聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても、この世であろうと次に来る世であろうと、赦され”ないということです。

ですから、今外国で起きつつあるペンテコステ系のキリスト教会に関する問題は霊的に大きな意味のあることではないかと私は個人的に思っています。これは、一方にとっては、”赦されない罪”、すなわち聖霊を汚す罪に荷担することになるかもしれないからです。

また、終末には、「賢い花嫁と愚かな花嫁」との選別が行われることが聖書に書いてあります。賢い花嫁は油を持ち、愚かな花嫁は油を持っていませんでした。今、非難されつつあるペンテコステ系を始めとするクリスチャン達こそ賢い花嫁ではないかと私は思っています。これも個人的な意見ですが。

彼等はその油のゆえに、聖霊の働きのゆえにいろいろと非難されます。

攻撃の矢おもてに立つのは、人間的には賢くありません。迫害されるなら、もっと愚かに見えるかもしれません。キリスト教会には、もっと、うまく”賢く”たちまわる人も多いからです。しかし、この時代において、その与えられた油に忠実な人々こそ真に「賢い花嫁」なのです。
 

終末における主のみこころを行っていきたいと思います。

ー以上ー

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