本日は”着物をわけあう”という題でメッセージします。主が十字架にかけられた時、兵士達がイエス
の 下着に対してくじを引き、また着物をわけあったことが記されています。このできごとの預言的な意
味を みていきたいと思います。
福音書には主イエスに関して、”たとえによらないで話されることはなかった”と書いてありま
す。 ですから、主イエスのことば、行いには多くのたとえ、隠された意味があります。それを見ていき
たいと 思います。
このくじを引く、着物をわけあうというできごとに関して、旧約聖書の詩篇に預言がありま
す。
”詩篇 22:18 彼らは私の着物を互いに分け合い、私の一つの着物を、くじ引きにします。”
このことは前もって預言されていたのです。ですから、このできごとは何か意味のある特別なことだと
い うことがわかります。これらのことばの意味を見ていきたいと思います。
まず、着物の意味を見たいと思います。イエスの着物はイエスにつく人々のたとえと思われます。王選
手 の着物は王選手についていきます。また、王選手の持ち物です。同じように、イエスの着物はイエスにつ
いていきます。また、イエスに所属します。さて、ここでイエスの着物には2種類の区別がありま
す。 すなわち、下着とそれ以外の着物です。これらの区別は何をあらわすのでしょうか。これは、
こういうこ とでしょう。下着はもっともイエスに近い人々をあらわすと思われます。それ以外の着物は
下着よりは遠 い位置にあります。そして、この2種類の着物の受ける取り扱いは異なります。同じよう
に終末の時に は、2種類のイエスにつける人々があり、その時、それらの人々の受ける取扱いは異なる
のです。
さて、くじとは何をあらわすものでしょうか。このことばはエステル記に出てきます。
”エステル記 9:24 なぜなら、アガグ人ハメダタの子で、全ユダヤ人を迫害する者ハマンが、ユダ
ヤ人 を滅ぼそうとたくらんで、プル、すなわちくじを投げ、彼らをかき乱し、滅ぼそうとしたが、”
この書では、ユダヤ人の敵であるハマンがモルデカイの民であるユダヤ人を殺そうとしてプル、すなわ
ち くじを投げたことが記されています。モルデカイはキリストの予表的人物であり、モルデカイの民、ユダ
ヤ人とは、キリストにつくクリスチャンの型です。ハマンはくじを引いてユダヤ人を絶滅する日を定
めま した。それはアダルの月の13日でした。同じように終末にはこのセクト、カルト、油注がれた者
達を一 掃する日、絶滅する日が法律により定められるのかもしれません。そして、それが成就した日に
は彼等を 迫害する人々は互いに贈り物を送って喜ぶのでしょう。それは、エステル記に預言されている
できごとで あり、また黙11章に記されているできごとです。
私は仕事の関係でEUの規則、指令に接することがよくあります。彼等の規則、指令を達成する方法に
は パターンがあります。それは、会議で決めた後、達成日を定めることです。たとえば「この法律の
施行に 関しては3年間は猶予期間を与える。しかし、3年後の2002年1月1日からは完全に施行する」とい
うようにです。このようにして、通貨統合にしても予定どおり達成されてきました。もし、EU
が黙示録で預言されている獣の国なら、このカルト、セクトに関する法律も同じ様な形で持ち出される
の かもしれないと思っています。そして、その施行迄の猶予期間が恐らく”3年半”なのでしょう。こ
れ は、私の個人的な想像です。
さて、ですから、くじを引くということは、終末の日にイエスに固くつくクリスチャンが殉教すること
の 預言なのです。そして、イエスの時にはローマの兵士によりくじが引かれたことが書かれています。
ロー マの兵士も、もしかすると終末のクリスチャンが殉教する時用いられる、兵、軍の予表かもしれま
せん。 すなわち、主が異邦人である、ローマのピラトのもとで裁判を受け、死刑に書せられたように、
終末の日 にも主の弟子が、未信者であるローマの末裔にあたる人々の下、獣の支配の下で裁判を受け、
殉教するこ とをさすのかもしれません。
さて、下着以外の着物に関しては別のことが預言されています。すなわち、「彼らはわたしの着物を分
け 合い、」と書いてあります。これは何をさすのでしょうか。分けるとは文字どおりとれば、分割され
ると いうことです。ですから、これは、神の民が分けられ、引かれていくことの預言です。これは、
殉教では ありません。逆にこれは、自分の兄弟達を死に追いやった神の民への裁きなのです。
さて、この2種類の神の民の運命については、聖書のあちこちに記されています。たとえば以下の記述
で す。
1)”ルカ21:12 しかし、これらのすべてのことの前に、人々はあなたがたを捕えて迫害し、
会堂や 牢に引き渡し、わたしの名のために、あなたがたを王たちや総督たちの前に引き出すでしょ
う。
13 それはあなたがたのあかしをする機会となります。
14 それで、どう弁明するかは、あらかじめ考えないことに、心を定めておきなさ
い。
15 どんな反対者も、反論もできず、反証もできないようなことばと知恵を、わたしがあなたがたに与
え ます。
16 しかしあなたがたは、両親、兄弟、親族、友人たちにまで裏切られます。中には殺される者も
あり、
17 わたしの名のために、みなの者に憎まれ
ます。
18 しかし、あなたがたの髪の毛一筋も失われることはありま
せん。
19 あなたがたは、忍耐によって、自分のいのちを勝ち取ることができ
ます。
20 しかし、エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、そのときには、その滅亡が近づいたことを悟
りな さい。
21 そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。都の中にいる人々は、そこから立ちのき
なさい。 いなかにいる者たちは、都にはいってはいけません。
22 これは、書かれているすべてのことが成就する報復の日だか
らです。
23 その日、悲惨なのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。この地に大きな苦難が臨み、
この民に御怒り が臨むからです。
24 人々は、剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ、異邦人の時の終わるまで、
エルサ レムは異邦人に踏み荒らされます。
”
この節を順に見ていきます。
”12 しかし、これらのすべてのことの前に、人々はあなたがたを捕えて迫害し、会堂や牢に引き
渡し、 わたしの名のために、あなたがたを王たちや総督たちの前に引き出すでしょう。
13 それはあなたがたのあかしをする機会となります。”
この時が終末において、主の弟子がくじを引かれ、殉教、迫害される時です。世についた神の民により、
迫害され、また獣の国(ローマの末裔?)のために裁判にかけられる時です。ここでの殉教者に
ついて は、”あなたがた”というように、主の弟子であることを聖書は明記しています。
”20 しかし、エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、そのときには、その滅亡が近づいたことを
悟り なさい。
21 そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。都の中にいる人々は、そこから立ちのきなさい。
い なかにいる者たちは、都にはいってはいけません。
”
ここで書かれているエルサレムは教会の予表です。しかし、ここには”あなたがた”というように、
主の 弟子であることを暗示することばはありません。逆に”報復の日””この民に御怒りが臨む”
というよう に、イエスとは離された民というニュアンスがあります。彼等は主の着物ではあるが、
しかし、主とは離 れたものであり、神の怒りの対象です。
”24 人々は、剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ、異邦人の時の終わる
まで、 エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。”
ここで、「彼らはわたしの着物を分け合い、」ということばが成就しています。裁かれるべき神
の民が (分けられ)あらゆる国に連れていかれることが書かれています。そして、このこともおそらく
異邦人 (未信者)であるローマの末裔の兵士により行われます。
。
このようにこの着物と下着に関する預言は終末における2種類の神の民の運命を述べるものです。
このこ とはオバデヤ書にも預言されています。
2)”オバデヤ 10あなたの兄弟、ヤコブへの暴虐のために、恥があなたをおおい、あなたは永遠に
絶や される。
11 他国人がエルサレムの財宝を奪い去り、外国人がその門に押し入り、エルサレムをくじ引きにして
取 った日、あなたもまた彼らのうちのひとりのように、知らぬ顔で立っていた。”
ヤコブは殉教、迫害される主の弟子達のことであり、その時、それに同調、加担する神の民、
エドムがい ることが預言されています。しかし、彼等も後には、裁かれるの
です。
終末における主のみこころを行っていきたいと思います。
ー以上ー