通算NO.114 啓示された神の怒り

テキスト:” ローマ人への手紙 1:18 というのは、不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不
敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。”

本日は、啓示された神の怒りという題でメッセージします。テキストのロマ書には”真理をはばんでいる
人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されている”ことが書かれています。

すなわち、人がおかすそれぞれの不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されているのです。不敬
世と不品行をおこなう、それぞれあるわけですが、それぞれに対して、神の怒りが啓示されているので
す。そして、その神の怒りの啓示の書が黙示録なのです。具体的にこの書に啓示されている神の怒りを一
つずつ見ていきましょう。

1) 雷、いなずま:
黙8:5 ”それから、御使いは、その香炉を取り、祭壇の火でそれを満たしてから、地に投げつけた。
すると、雷鳴と声といなずまと地震が起こった。”

黙示録には”雷鳴と声といなずまと地震”の災害について記しています。これらの記述を通して、神は何
の不敬虔と不正に対して怒りを啓示しているのでしょうか。この”雷鳴と声といなずまと地震”に関する
記事は出エジプト記の シナイ山の記述にあります。

”出エジプト19:16 三日目の朝になると、山の上に雷といなずまと密雲があり、角笛の音が非常に高
く鳴り響いたので、宿営の中の民はみな震え上がった。
17 モーセは民を、神を迎えるために、宿営から連れ出した。彼らは山のふもとに立った。

18 シナイ山は全山が煙っていた。それは主が火の中にあって、山の上に降りて来られたからである。
その煙は、かまどの煙のように立ち上り、全山が激しく震えた。”

シナイ山は神が民に律法を与えた場所です。ですから、これらの神の怒りは律法を守り行わないことに関
するものであることがわかります。
 

2) 太陽、月が暗くなる、星が落ちる:

黙8:12 ”第四の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、太陽の三分の一と、月の三分の一と、
星の三分の一とが打たれたので、三分の一は暗くなり、昼の三分の一は光を失い、また夜も同様であっ
た。”

この箇所では、”太陽の三分の一と、月の三分の一と、星の三分の一”とが打たれたことが述べてありま
す。これらの記事を通して神は何に対してその怒りを啓示されているのでしょうか。
太陽、月、星に関しては以下の箇所に記述があります。

申命記 4:19 また、天に目を上げて、日、月、星の天の万象を見るとき、魅せられてそれらを拝み、
それらに仕えないようにしなさい。それらのものは、あなたの神、主が全天下の国々の民に分け与えられ
たものである。”

アブラハムの信仰的な子孫である我々クリスチャンは海の砂、天の星と呼ばれる存在です。ですから、
”日、月、星の天の万象”はクリスチャンをさすものです。クリスチャンが、天体の太陽や、月、星を拝
むことはありえませんが、器を拝することは、ありえるのです。それらの人々に”魅せられてそれらを拝
み、それらに仕え”ることはありえるのです。そして、神はこの器を礼拝することに対して怒りをあらわ
しておられるのです。
 
 

3) 神の印:
”ヨハネの黙示録 7:2 また私は見た。もうひとりの御使いが、生ける神の印を持って、日の出るほう
から上って来た。彼は、地をも海をもそこなう権威を与えられた四人の御使いたちに、大声で叫んで言った。

3 「私たちが神のしもべたちの額に印を押してしまうまで、地にも海にも木にも害を与えてはいけない
。」”

黙示録には神のしもべの額に印を押すことが書いてあります。これを通して神は何に対する、怒りをあら
わしておられるのでしょうか。この”額に印を押す”という表現はエゼキエル書に出てきます。

”エゼキエル書 9:4 主は彼にこう仰せられた。「町の中、エルサレムの中を行き巡り、この町で行な
われているすべての忌みきらうべきことのために嘆き、悲しんでいる人々の額にしるしをつけよ。」

5 また、私が聞いていると、ほかの者たちに、こう仰せられた。「彼のあとについて町の中を行き巡っ
て、打ち殺せ。惜しんではならない、あわれんではならない。
6 年寄りも、若い男も、若い女も、子どもも、女たちも殺して滅ぼせ。しかし、あのしるしのついた者に
はだれにも近づいてはならない。まずわたしの聖所から始めよ。」そこで、彼らは神殿の前にいた老人た
ちから始めた。”

ここでは、”この町で行なわれているすべての忌みきらうべきことのために嘆き、悲しんでいる人々の額
にしるしをつけよ。」”と書かれています。ですから、逆に額に印をつけられない人はこの町、今でいえ
ば、教会で行われていることを是認、肯定している人々なのでしょう。そして、神はこのことに怒りを発
しておられるのです。
 

4)腹に苦くなる: 
”黙10:9 それで、私は御使いのところに行って、「その小さな巻き物を下さい。」と言った。する
と、彼は言った。「それを取って食べなさい。それはあなたの腹には苦いが、あなたの口には蜜のように
甘い。」”

ここでは、”原に苦い”という表現をしています。この表現を通して神は何に対して怒りを啓示しておら
れるのでしょうか。これに似た表現は民数記に出てきます。

”民5:19 祭司は女に誓わせ、これに言う。『もしも、他の男があなたと寝たことがなく、またあなた
が夫のもとにありながら道ならぬことをして汚れたことがなければ、あなたはこののろいをもたらす苦い
水の害を受けないように。
20 しかしあなたが、もし夫のもとにありながら道ならぬことを行なって身を汚し、夫以外の男があなた
と寝たのであれば、』
21 「「そこで祭司はその女にのろいの誓いを誓わせ、これに言う。「「『主があなたのももをやせ衰え
させ、あなたのをふくれさせ、あなたの民のうちにあって主があなたをのろいとし誓いとされるよう
に。

ここでは夫のある身の女がもし道ならぬことをした場合、のろいをもたらす苦い水により原がふくれるこ
とが書いてあります。これは、象徴的な表現です。いわんとしていることは、主につく立場のクリスチャ
ンがこの世とかん淫を行うなら、呪いを受けることについて書いてあるのです。この世とのかん淫につい
て神は怒られているのです。
 

5) 杯: 
ヨハネの黙示録 17:4 この女は紫と緋の衣を着ていて、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきもの
や自分の不品行の汚れでいっぱいになった金のを手に持っていた。”

ここでは、淫婦が金の杯を手に持っていることを述べています。この杯を通して表されている神の怒りが
あります。それは、1コリントの手紙の中に記されています。

”コリント人への手紙第一 11:27 したがって、もし、ふさわしくないままでパンを食べ、主のを飲む
者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。”

この箇所では、キリストの血による新しい契約について述べてあります。ですから、この契約にふさわし
くないままで、主の杯を飲むものがあれば、その人は”主のからだと血に対して罪を犯すことにな”るの
です。そして、黙示録の女はまさにこの罪を犯したのです。神は契約を犯す罪に対して怒られているので
す。

6) 酒ぶねを踏む: 
”ヨハネの黙示録 14:19 そこで御使いは地にかまを入れ、地のぶどうを刈り集めて、神の激しい怒り
の大きな酒ぶねに投げ入れた。
ヨハネの黙示録 14:20 その酒ぶねは都の外で踏まれたが、血は、その酒ぶねから流れ出て、馬のくつ
わに届くほどになり、千六百スタディオンに広がった。”

黙示録の中で”酒ぶねを踏む”ということばがあります。このことばを通して神は何に対する怒りを表し
ているのでしょうか。これと似た表現はイザヤ書に出てきます。

”イザヤ書 63:1 「エドムから来る者、ボツラから深紅の衣を着て来るこの者は、だれか。その着物に

は威光があり、大いなる力をもって進んで来るこの者は。」「正義を語り、救うに力強い者、それがわた
しだ。」
2 「なぜ、あなたの着物は赤く、あなたの衣は酒ぶねを踏む者のようなのか。」
3 「わたしはひとりで酒ぶねを踏んだ。国々の民のうちに、わたしと事を共にする者はいなかった。わた
しは怒って彼らを踏み、憤って彼らを踏みにじった。それで、彼らの血のしたたりが、わたしの衣にふり
かかり、わたしの着物を、すっかり汚してしまった。

4 わたしの心のうちに復讐の日があり、わたしの贖いの年が来たからだ。

イザヤ書 63:10 しかし、彼らは逆らい、主の聖なる御霊を痛ませたので、主は彼らの敵となり、みずから彼らと戦われた。”

裁かれる彼等はエドムと呼ばれています。だから、彼等は長子の権利を売りわたす者たちです。また、”
彼らは逆らい、主の聖なる御霊を痛ませた”者たちです。すなわち、聖霊に逆らって歩む者達です。この
ことに対して神の怒りが啓示されているのです。

7) バビロン:
”ヨハネの黙示録 16:19 また、あの大きな都は三つに裂かれ、諸国の民の町々は倒れた。そして、大
バビロンは、神の前に覚えられて、神の激しい怒りのぶどう酒の杯を与えられた。”

黙示録の中には、度々バビロンという名前で淫婦を呼んでいます。このように呼ぶことによって、神はど
のよう怒りを啓示しているのでしょうか。このバビロンに関しては1歴代史に以下のような記述がありま
す。

”歴代誌第一 9:1 全イスラエルは系図に載せられた。それはイスラエルの王たちの書にまさしくしる
されている。ユダは、不信の罪のために、バビロンに捕え移されていた。”

ここで、全イスラエルが系図に載せられていることが記されています。我々クリスチャンもいのちの書に
名前を記されるものです。しかし、このユダの最後の世代は他の世代と異なった運命を歩みます。彼等は
不信の罪のゆえに他の国、異邦の国へとらえ移されてしまったのです。ですから、バビロンとは、先祖た
ちのゆずりの地を相続しない者たちへの怒りを啓示した名前なのです。
 

私たちがこの書を正しく読むためには、この書に啓示されている神の怒りを正しくとらえることが大事だ
とわかります。

終末における、主のみこころを行っていきましょう。
 

ー以上ー
 

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