通算NO.109 金持ちについて

テキスト:マタイ19:15ー26
”13 そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、子どもたちが連れて来られた。ところが、弟子たちは彼らをしかった。
14 しかし、イエスは言われた。「子どもたちを許してやりなさい。邪魔をしないでわたしのところに来させなさい。天の御国はこのような者たちの国なのです。」
15 そして、手を彼らの上に置いてから、そこを去って行かれた。
16 すると、ひとりの人がイエスのもとに来て言った。「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。」
17 イエスは彼に言われた。「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方は、ひとりだけです。もし、いのちにはいりたいと思うなら、戒めを守りなさい。」
18 彼は「どの戒めですか。」と言った。そこで、イエスは言われた。「殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証をしてはならない。
19 父と母を敬え。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」
20 この青年はイエスに言った。「そのようなことはみな、守っております。何がまだ欠けているのでしょうか。」
21 イエスは、彼に言われた。「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」
22 ところが、青年はこのことばを聞くと、悲しんで去って行った。この人は多くの財産を持っていたからである。
23 それから、イエスは弟子たちに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。金持ちが天の御国にはいるのはむずかしいことです。
24 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。金持ちが神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」
25 弟子たちは、これを聞くと、たいへん驚いて言った。「それでは、だれが救われることができるのでしょう。」
26 イエスは彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」”

本日は”金持ちについて”という題でメッセージしたいと思います。ヤコブ書や黙示録を見ると終末の日に”金持ち”が裁かれることが書いてあります。
なぜ金持ちが裁かれるのでしょうか。お金を持っていることは罪なのでしょうか。それとも聖書は金持ちについて何か他に意味することがあるのでしょうか。それを見ていきたいと思います。

まず、初めに、上記マタイ伝のテキストを通して、聖書のいう”金持ち”について見ていきたいと思います。
テキストに沿って見ていきます。

”13 そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、子どもたちが連れて来られた。ところが、弟子たちは彼らをしかった。
14 しかし、イエスは言われた。「子どもたちを許してやりなさい。邪魔をしないでわたしのところに来させなさい。天の御国はこのような者たちの国なのです。」”

金持ちの話に入る前にまず、ここで子供達に関する記事が出てきます。彼等に関しては、”天の御国はこのような者たちの国なのです。」”と書かれています。このことばは、金持ちについて書かれた”金持ちが神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」”とのことばと対象的です。

ですから、ここで、子供達と金持ちとは対照的に扱われていることがわかるのです。子供達、また幼子とは何でしょう。それは、まだ小さく、親に頼るしか方法のない者達です。体も小さく、体力もなく、知力もなく、一人で自活できず、親に頼らないと一日も生きていけない者達、これが子供達であり、また、天の御国に入る者達です。もちろん、天のみ国に入るには幼児の年齢でなければだめだ、体が大きくなったらだめだというのでなく、”このような者たち”でなければならないのです。

ですから、子供達について考える時、これと反対の極にいる”金持ち”とはどのような人達を指すのかわかってきます。金持ちとは子供達とは逆の立場の人達、すなわち、自分一人で立っていける人達、体力、知力もあり、真の意味で神に頼る必要を感じない人達のことです。

16 すると、ひとりの人がイエスのもとに来て言った。「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。」”

ここで、金持ちの青年がイエスの前に来ました。彼の質問に注目してください。彼は行いについてきいています。”どんな良いことをしたらよいのでしょうか。”と聞いているのです。彼は行いに目を留める人です。

”17 イエスは彼に言われた。「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方は、ひとりだけです。もし、いのちにはいりたいと思うなら、戒めを守りなさい。」”

彼が行いについて質問するので、彼の思いに沿って主も行いについて答えています。それは、行いによっては神の前に義とされないことを彼に気付かせるためです。

”18 彼は「どの戒めですか。」と言った。そこで、イエスは言われた。「殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証をしてはならない。
19 父と母を敬え。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」
20 この青年はイエスに言った。「そのようなことはみな、守っております。何がまだ欠けているのでしょうか。」”

彼は行いについては、人並み以上にすぐれた人です。

”21 イエスは、彼に言われた。「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」
22 ところが、青年はこのことばを聞くと、悲しんで去って行った。この人は多くの財産を持っていたからである。
23 それから、イエスは弟子たちに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。金持ちが天の御国にはいるのはむずかしいことです。”

彼は多くの戒めを守っていながら、この一つの戒め、すなわち持ち物を売るということができず、悲しんで帰って行きました。律法にあっては、多くの戒めを守っても、一つの戒めを守れないなら、義とされることはできないのです。

モーセは律法を代表する人物です。彼は多くの点で、完璧な人物でした。しかし、彼のたった一つの過ちのため、すなわち、命じろといわれた岩を打ったため、彼はカナンの地に入ることはできなかったのです。約束の地に入ることはできなかったのです。これは象徴的です。聖書は行いによって生きる人は全ての戒めを完全に守れないなら、義とせられないことを述べています。

”24 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。金持ちが神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」”

ここで、聖書のいう”金持ち”ということばの意味がわかります。彼らは多くのものを持っており、人間的な能力に満ちた人々であり、行いによって義とされようとする人々です。しかし、これらの人々が神の国に入るより、”らくだが針の穴を通るほうがもっとやさし」”のです。

”25 弟子たちは、これを聞くと、たいへん驚いて言った。「それでは、だれが救われることができるのでしょう。」
26 イエスは彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」”

ここで救いの基本について書いてあります。”それは人にはできないこと”なのです。そして、”神にはどんなことでもでき”るのです。だから、救いはただ、神のみによりなされることなのです。このことに気付かないなら、私たちにとって、救いは遠いものになってしまいます。

さて、この箇所を通して、聖書は”金持ち”ということばに関して定義付けをしています。聖書のいう”金持ち”とは、すなわち、自分のうちに頼るもののある人、行いに頼る人なのです。

さて、終末の時代には、金持ちの立場に立つクリスチャン達がいます。その人達についてヤコブ書から見てみましょう。

ヤコブ5:1ー8
”1 聞きなさい。金持ちたち。あなたがたの上に迫って来る悲惨を思って泣き叫びなさい。
2 あなたがたの富は腐っており、あなたがたの着物は虫に食われており、
3 あなたがたの金銀にはさびが来て、そのさびが、あなたがたを責める証言となり、あなたがたの肉を火のように食い尽くします。あなたがたは、終わりの日に財宝をたくわえました。
4 見なさい。あなたがたの畑の刈り入れをした労働者への未払い賃金が、叫び声をあげています。そして、取り入れをした人たちの叫び声は、万軍の主の耳に届いています。
5 あなたがたは、地上でぜいたくに暮らし、快楽にふけり、殺される日にあたって自分の心を太らせました。
6 あなたがたは、正しい人を罪に定めて、殺しました。彼はあなたがたに抵抗しません。
7 こういうわけですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、耐え忍んで待っています。
8 あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主の来られるのが近いからです。”

終末の日における2種類のクリスチャンについて、ここで書かれています。これをテキストに沿って見ていきましょう。

”1 聞きなさい。金持ちたち。あなたがたの上に迫って来る悲惨を思って泣き叫びなさい。”

何故金持ちだというだけで、泣き叫ばなければならないのでしょう。また、金持ちだからといって何故正しい人を殺したと非難されなければならないのでしょう。お金を持っていることがそんなに悪いことなのでしょうか。

いいえ、ここに記されていることはたとえです、また預言です。ここでは、経済的なお金ではなく、霊的な金持ちについて述べています。終末の日は”金持ち”すなわち、自分の義に立つ人々が裁かれる日だということを語り、預言しているのです。

”2 あなたがたの富は腐っており、あなたがたの着物はに食われており、
3 あなたがたの金銀にはさびが来て、そのさびが、あなたがたを責める証言となり、あなたがたの肉を火のように食い尽くします。”

ここで、虫やさびについて書かれています。これらのことばは以下の箇所に出てきます。

”マタイ6:18 それは、断食していることが、人には見られないで、隠れた所におられるあなたの父に見られるためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が報いてくださいます。
19 自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。
20 自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。”

ですから、彼等はこの地上に宝をたくわえた人々であることがわかります。これは、神から来た宝、天に積まれたものではなく、人間的な義、人前のものです。また、天におられる父からよりも、この世の人からの賞賛を求めた人々であることがわかります。

”あなたがたは、終わりの日に財宝をたくわえました。”

何故、終わりの日に財宝を蓄えてはいけないのでしょう。それは、終わりの日はこの世への裁きの時であり、この金持ち達は、その時、この世で財宝をたくわえた、すなわちこの世からの賞賛を受けたからです。

”4 見なさい。あなたがたの畑の刈り入れをした労働者への未払い賃金が、叫び声をあげています。そして、取り入れをした人たちの叫び声は、万軍の主の耳に届いています。”

”畑の刈り入れをした労働者”とは、何をさすのでしょう。これは終末の日の大収穫の刈り取りをした働き人のことです。この終末の働き人は、リバイバルを起こす油注がれた者であり、黙11章で預言されている終末の預言者です。また、バプテスマのヨハネにより予表されている終末の働き人です。彼等は彼等の働きに応じた報いを金持ちーすなわち、キリスト教の代表的な人々からは受けません。逆にキリスト教のカルトだとかいわれて迫害を受けるかもしれません。それは、この金持ちたちが、このリバイバル、大収穫がどこからきたのかをも知らないからです。彼等はカナの婚姻の時の宴会の長のようです。彼は、このぶどう酒ー聖霊の働きがどこから来たのかを知らなかったからです。しかし、水をくんだしもべたちは知っていたのです。

”5 あなたがたは、地上でぜいたくに暮らし、快楽にふけり、殺される日にあたって自分の心を太らせました。”

彼等はこの地上でぜいたくに暮らしました。彼等は本来は天の民であるはずなのに、この地上におけるほまれを求めたのです。そして彼等は終末の裁きの中で殺されます。これは、淫婦バビロンへの裁きと通じるものがあります。

”6 あなたがたは、正しい人を罪に定めて、殺しました。彼はあなたがたに抵抗しません。”

ここで使われている”正しい”ということばは以下のことばと同じです。

”マタイの福音書 23:35 それは、義人アベルの血からこのかた、神殿と祭壇との間で殺されたバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上で流されるすべての正しい血の報復があなたがたの上に来るためです。”

ここで書かれている終末に金持ちにより殺される正しい人とは殉教者達のことです。彼等は終末に断たれる油注がれた者であり、また黙11章に記された獣により殺される2人の預言者です。

また、別の表現を用いるなら、殺す金持ちはこの世につき長子の特権を売るエサウ、エドムであり、殺される正しい人は祝福を受け継ぐヤコブです。
また、別の言い方をするなら、殺す金持ちは金銀で飾られた淫婦バビロンであり、殺される人達はこの都で殺される聖徒達です。

7 こういうわけですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、耐え忍んで待っています。
8 あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主の来られるのが近いからです。”

ここでは、終末の患難時代においても耐え忍び、主の再臨を待ち望むことについて語っています。終末の弟子の中には殉教する人もいるが、主の再臨まで生き残る人々もいるからです。

聖書の中には他にも金持ち、富む人々についての警告が度々記されています。例えば以下のようです。

”ルカ6:24 しかし、富んでいるあなたがたは、哀れな者です。慰めを、すでに受けているからです。
25 いま食べ飽きているあなたがたは、哀れな者です。やがて、飢えるようになるからです。いま笑っているあなたがたは、哀れな者です。やがて悲しみ泣くようになるからです。
26 みなの人にほめられるときは、あなたがたは哀れな者です。彼らの先祖は、にせ預言者たちをそのように扱ったからです。”
 

また、黙示録には、金持ちが裁かれることが書いてあります。

”ヨハネの黙示録 6:15 地上の王、高官、千人隊長、金持ち、勇者、あらゆる奴隷と自由人が、ほら穴と山の岩間に隠れ、
16 山や岩に向かってこう言った。「私たちの上に倒れかかって、御座にある方の御顔と小羊の怒りとから、私たちをかくまってくれ。
17 御怒りの大いなる日が来たのだ。だれがそれに耐えられよう。」”

彼等は終末の日に裁かれます。ですから、私たちが今、金持ち達の立場ー自分の力、義に頼るのではなく、幼子の立場の信仰にしっかりと立つことが大事であることがわかります。

また、この黙示録には、ただ金持ちのさばきについて書かれているだけで、何故、金持ちが裁かれるかについては書かれていません。その理由は他の書で”金持ち”について見ていくときわかってくるのです。ですから、黙示録の一つの大きな特徴は、黙示録のみを読んでもその意味がわからないということです。逆に黙示録に出てくることばは他の書でその定義が与えられているのです。 このことをとらえましょう。

終末における主のみこころを行っていきたいと思います。

ー以上ー
 

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