通算No.103 荒す憎むべきもの

テキスト: ダニエル11:21ー35
”21彼に代わって、ひとりの卑劣な者が起こる。彼には国の尊厳は与えられないが、彼は不意にやって来て、巧言を使って国を堅く握る。
22洪水のような軍勢も、彼によって一掃され、打ち砕かれ、契約の君主もまた、打ち砕かれる。
23彼は、同盟しては、これを欺き、ますます小国の間で勢力を得る。
24彼は不意に州の肥沃な地域に侵入し、彼の父たちも、父の父たちもしなかったことを行なう。彼は、そのかすめ奪った物、分捕り物、財宝を、彼らの間で分け合う。彼はたくらみを設けて、要塞を攻めるが、それは、時が来るまでのことである。
25彼は勢力と勇気を駆り立て、大軍勢を率いて南の王に立ち向かう。南の王もまた、非常に強い大軍勢を率い、奮い立ってこれと戦う。しかし、彼は抵抗することができなくなる。彼に対してたくらみを設ける者たちがあるからである。
26彼のごちそうを食べる者たちが彼を滅ぼし、彼の軍勢は押し流され、多くの者が刺し殺されて倒れる。
27このふたりの王は、心では悪事を計りながら、一つ食卓につき、まやかしを言うが、成功しない。その終わりは、まだ定めの時にかかっているからだ。
28彼は多くの財宝を携えて自分の国に帰るが、彼の心は聖なる契約を敵視して、ほしいままにふるまい、自分の国に帰る。
29定めの時になって、彼は再び南へ攻めて行くが、この二度目は、初めのときのようではない。
30キティムの船が彼に立ち向かって来るので、彼は落胆して引き返し、聖なる契約にいきりたち、ほしいままにふるまう。彼は帰って行って、その聖なる契約を捨てた者たちを重く取り立てるようになる。
31彼の軍隊は立ち上がり、聖所ととりでを汚し、常供のささげ物を取り除き、荒らす忌むべきものを据える。
32彼は契約を犯す者たちを巧言をもって堕落させるが、自分の神を知る人たちは、堅く立って事を行なう。
33民の中の思慮深い人たちは、多くの人を悟らせる。彼らは、長い間、剣にかかり、火に焼かれ、とりことなり、かすめ奪われて倒れる。
34彼らが倒れるとき、彼らへの助けは少ないが、多くの人は、巧言を使って思慮深い人につく。
35思慮深い人のうちのある者は、終わりの時までに彼らを練り、清め、白くするために倒れるが、それは、定めの時がまだ来ないからである。”

本日は”荒す憎むべきもの”という題でメッセージします。
終末には”荒す憎むべきもの”が宮に据えられると書いてあります。このことに関して見ていきたいと思います。

さて、終末の日に反キリストにより宮の中に荒す憎むべきものが据えられることは、終末における大きなしるしです。さて、この”荒す憎むべきもの”が据えられることはすでに歴史上で一度成就しています。
それは紀元前2世紀のアンテイオコス エピファネスにより成就しました。彼はエルサレムの宮に異教の偶像を据えたのです。彼のことに関する記述は上記テキストの箇所に記されています。彼はまた、終末に現われる反キリストの型でもあります。

彼に関する記述から終末のことについて学んでみたいと思います。

彼に関係する記述を見ると一つ気付くことがあります。それは紀元前に成就した預言であるのに、終末に関連することばが多く含まれていることです。以下を見て下さい。
 

”彼はたくらみを設けて、要塞を攻めるが、それは、時が来るまでのことである。”
”その終わりは、まだ定めの時にかかっているからだ。”
”思慮深い人のうちのある者は、終わりの時までに彼らを練り、清め、白くするために倒れるが、それは、定めの時がまだ来ないからである。”

ですから、これは紀元前2世紀に成就した預言であるとともに終末の”荒すにくむべきもの”の時代をも見越した預言なのです。

終末の時に関しては聖書の多くの箇所で色々な形で預言されています。その中には黙示録のようにたとえが多用されているため、理解しにくい、間違えやすい書も多いのです。しかし、この箇所は終末の患難時代の概要を比較的わかりやすい形で語っている預言です。

それではテキストを順に見ていきたいと思います。

”21彼に代わって、ひとりの卑劣な者が起こる。彼には国の尊厳は与えられないが、彼は不意にやって来て、巧言を使って国を堅く握る。”

一人の卑劣な者はアンテイオコス エピファネスのことです。しかし、彼はまた終末の反キリストの.型です。彼は”国を固く握”ります。この”国”は紀元前では、ユダヤの国をさしますが、終末においては、神の国ーキリスト教会全体のことをさします。彼はたくみなことばでキリスト教会を掌握するのです。それは”不意にやって来”ます。

”22洪水のような軍勢も、彼によって一掃され、打ち砕かれ、”

ここではたとえが使用されています。エピプァネスは実際に”洪水のような軍勢”を一掃したでしょうが、それは終末におきる反キリストの行いの予表です。終末における”洪水のような軍勢”とは何をさすのでしょう。聖書を読むとき、イスラエルは神の兵士という意味であることがわかります。ですから、神の軍勢は神の民のことです。そして彼はこの軍勢を一掃するというのです。

これはダニエル12章に記されている以下の終末の記述と同じ内容です。

ダニエル12:10ー12
”10それは大きくなって、天の軍勢に達し、星の軍勢のうちの幾つかを地に落として、これを踏みにじり、
11軍勢の長にまでのし上がった。それによって、常供のささげ物は取り上げられ、その聖所の基はくつがえされる。
12軍勢は渡され、常供のささげ物に代えてそむきの罪がささげられた。その角は真理を地に投げ捨て、ほしいままにふるまって、それを成し遂げた。”
 

”契約の君主もまた、打ち砕かれる。”

チェーンバイブルによれば、これはエピフアネスの時には、その当時の大祭司が追放されることをさすとのことです。ます。さて、”契約の君主”ということばを聖書から見てみましょう。君主ということばがイスラエルの王サウルをさして使われています。ですから、君主とは王をさすことばでもあるのです。

”サムエル記第一10:1サムエルは油のつぼを取ってサウルの頭にそそぎ、彼に口づけして言った。「主が、ご自身のものである民の君主として、あなたに油をそそがれたではありませんか。”

また、契約ということばは以下のように神と人との関係についても使われることばです。

創世記9:11 わたしはあなたがたと契約を立てる。すべて肉なるものは、もはや大洪水の水では断ち切られない。もはや大洪水が地を滅ぼすようなことはない。」

さて、終末の時代について考えてみましょう。クリスチャンにとっての”契約の君主”はただ一人しかいません。それはイエスキリストです。その君主なる方を一時的にせよ、反キリストは打ち砕くというのです。終末にはイエスは聖霊としてこられます。反キリストはその働きをとどめるのです。
終末には聖霊の働きを制限する動きがあるのです。今EUでなされようとしているカルト規制法案等はその初めと思われます。この法案により聖霊の働きを認めるペンテコステ等のカリスマ的なキリスト教団は規制、また罰っせられていくようになります。

また、このことは黙示録11章で大いなる都で十字架につけられる主の姿と相通じるものがあります。肉体を持たれた主が十字架につけられたのは2000年前のことですが、この時は聖霊なる主が大いなる都(バビロンをさすと思われます)で十字架につけられるのです。

”ヨハネの黙示録11:8彼らの死体は、霊的な理解ではソドムやエジプトと呼ばれる大きな都の大通りにさらされる。彼らの主もその都で十字架につけられたのである。”

”23彼は、同盟しては、これを欺き、ますます小国の間で勢力を得る。”

彼の教会に対する方策は約束してはそれを裏切るという方法なのでしょう。そして、徐々にその影響力を強めていきます。

”彼の父たちも、父の父たちもしなかったことを行なう。”

彼はいまだかって誰もしなかったような破壊を教会にもたらすということです。これは、マタイ24章の以下のことばと同じです。

”マタイの福音書24:21 そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。”

そして

”彼は、そのかすめ奪った物、分捕り物、財宝を、彼らの間で分け合う。”

”かすめ奪った物、分捕り物、財宝”といった言葉はクリスチャンをさすことばと思われます。クリスチャンは神の前に金であり、銀であり、宝石なのです。

”彼はたくらみを設けて、要塞を攻めるが、それは、時が来るまでのことである。”

要塞はエルサレムの都を守るために建てられたものです。たとえとしては、教会を守るために建てられた人々のことと思われます。彼はそれを攻撃するのです。しかし、”それは、時が来るまでのことである”と書いてあります。それは、主の再臨の時までのことなのです。
 

”28彼は多くの財宝を携えて自分の国に帰るが、彼の心は聖なる契約を敵視して、ほしいままにふるまい、自分の国に帰る。”

自分の国とは反キリストの国であり、神の領域ではありません。ですから、反キリストが”多くの財宝を携えて自分の国に帰る”とは多くのクリスチャンが神の国の領域から移されることを意味します。すなわちテサロニケ書に記してある背教が起きるのです。”聖なる契約”とは神とその民との間で交された契約です。彼はその”聖なる契約を敵視”するのです。すなわち神への忠誠、従い、教えを守ることなどを憎むのでしょう。そして、”ほしいままにふるま”うのです。
”ほしいままにふるまう”とは終末について記してあるダニエル12章の以下のことばと同じです。

”ダニエル12:12軍勢は渡され、常供のささげ物に代えてそむきの罪がささげられた。その角は真理を地に投げ捨て、ほしいままにふるまって、それを成し遂げた。”

”彼は落胆して引き返し、聖なる契約にいきりたち、ほしいままにふるまう。彼は帰って行って、その聖なる契約を捨てた者たちを重く取り立てるようになる。”

反キリストは”聖なる契約にいきりたち”ます。すなわち、神とクリスチャンとの関係にいきりたつのです。そして、”聖なる契約を捨てた者たちを重く取り立てるようにな”ります。”聖なる契約を捨てる人達、これはどのような人々でしょうか。

これこそ、長子の権利を売ったエサウのような俗悪な者であり、裏切るユダのような者であり、また淫婦バビロンのことなのです。そして、彼等は反キリストのもとで重く取り立てられるー用いられるのです。

”31彼の軍隊は立ち上がり、聖所ととりでを汚し、常供のささげ物を取り除き、荒らす忌むべきものを据える。”

聖所は神の宮ー教会のことです。

35思慮深い人のうちのある者は、終わりの時までに彼らを練り、清め、白くするために倒れるが、それは、定めの時がまだ来ないからである。”

”思慮深い”とは以下のことばと同じ原語です。

”ダニエル書 9:13このわざわいはすべて、モーセの律法に書かれているように、私たちの上に下りましたが、私たちは、不義から立ち返り、あなたの真理を悟れるよう、私たちの神、主に、お願いもしませんでした。”

ここでは神の真理を悟ることに関連してこのことばが使用されています。

ですから、終末における”思慮深い人”とは神の真理を悟る人、みことばの正しい真理を悟る人達のことであると思われます。終末に関する記述の中に特別に”思慮深い”ーみことばの真理を悟ることについて記されていることを覚えて下さい。私たちが正しく神のことば、また終末のみことばを悟れるかどうかは終末における我々の生死に関係することなのです。

まとめるとこのダニエル11章のアンテイオコス エピファネスに関する記述は終末に関して下記のことを教えています。

1 患難時代には反キリストがキリスト教会を席巻、掌握する。
2 その中でクリスチャンは2種類に分かれる。聖なる契約、すなわち神との契約を捨て、背教する人達と固く信仰に立つ人達。
3 神との契約を捨てる人達は一時的には反キリストに優遇される。
4 終末においては”思慮深い”、すなわち神の真理、みことばを悟る、理解するということが重要。

終末における主のみこころを行っていきたいと思います。

ー以上ー

目次へ戻る moku5.html