通算No.47 エレミヤと主の宮

テキスト: エレミヤ26:1ー11
”1 ヨシヤの子、ユダの王エホヤキムの治世の初めに、主から次のようなことばがあった。
2 「主はこう仰せられる。主の宮の庭に立ち、主の宮に礼拝しに来るユダのすべての町の者に、わたしがあなたに語れと命じたことばを残らず語れ。一言も省くな。
3 彼らがそれを聞いて、それぞれ悪の道から立ち返るかもしれない。そうすれば、わたしは、彼らの悪い行ないのために彼らに下そうと考えていたわざわいを思い直そう。
4 だから彼らに言え。『主はこう仰せられる。もし、あなたがたがわたしに聞き従わず、あなたがたの前に置いたわたしの律法に歩まず、
5 わたしがあなたがたに早くからたびたび送っているわたしのしもべである預言者たちのことばに聞き従わないなら、「「あなたがたは聞かなかった。「「
6 わたしはこの宮をシロのようにし、この町を地の万国ののろいとする。』」
7 祭司と預言者とすべての民は、エレミヤがこのことばを主の宮で語っているのを聞いた。
8 主がすべての民に語れと命じたことをみな、エレミヤが語り終えたとき、祭司と預言者とすべての民は彼を捕えて言った。「あなたは必ず死ななければならない。
9 なぜ、主の御名により、この宮がシロのようになり、この町もだれも住む者のいない廃墟となると言って預言したのか。」こうしてすべての民がエレミヤを攻撃しに、主の宮に集まった。
10 ユダの首長たちはこれらのことを聞いて、王宮から主の宮に上り、主の宮の新しい門の入口にすわった。
11 祭司や預言者たちは、首長たちやすべての民に次のように言った。「この者は死刑に当たる。彼がこの町に対して、あなたがたが自分の耳で聞いたとおりの預言をしたからだ。」”

エレミヤはイスラエルの預言者です。彼は多くの預言をその民にしました。しかし、この時、宮と都のさばきを語った時、その命を奪われそうになりました。

”祭司と預言者とすべての民は彼を捕えて言った。「あなたは必ず死ななければならない。
なぜ、主の御名により、この宮がシロのようになり、この町もだれも住む者のいない廃墟となると言って預言したのか。」こうしてすべての民がエレミヤを攻撃しに、主の宮に集まった。”

これにより、良い意味でも悪い意味でも宮とエルサレムのさばきについて語ることは人々から、大きな反応を呼びさますということがわかります。さて、新約の時代にも同じく宮の崩壊について語られた方がおられます。そして、その方は死刑に定められました。

マタイ26:59ー61
”59 さて、祭司長たちと全議会は、イエスを死刑にするために、イエスを訴える偽証を求めていた。
60 偽証者がたくさん出て来たが、証拠はつかめなかった。しかし、最後にふたりの者が進み出て、
61 言った。「この人は、『わたしは神の神殿をこわして、それを三日のうちに建て直せる。』と言いました。」”

エレミヤに起きたのと同じことが主イエスの上にも起きていることをみることができます。ここにはこう書いてあります。イエスを死刑にするため、たくさんの偽証者がでてきた。しかし、証拠はつかめない。そして、最後に二人のものが進み出てイエスが神の神殿ー宮をこわすといったと訴えた。

イエスの罪状はいろいろあったかもしれません。パリサイ人、律法学者にとって、イエスに関して多くの非難すること、許せないことがあったかもしれません。しかし、その中でも特に”イエスの語る宮の崩壊のことば”についての非難は特別である、そのことに注目して下さい。”最後に二人のものが進み出て”とわざわざ書いてあるので、このことは他のことと違って確かに特別なことのようです。そして、これはエレミヤの時と同じなのです。ここでイエスは宮の崩壊を語ったため、死刑にあたると訴えられているのです。

この宮の崩壊については実はソロモンが初めて宮を経てた時から語られていたことなのです。
 

I歴7:19ー22
”19 しかし、もし、あなたがたがそむいて、あなたがたに授けたわたしのおきてとわたしの命令とを捨て去り、行ってほかの神々に仕え、これを拝むなら、
20 わたしが彼らに与えた地から、彼らを根こぎにし、わたしがわたしの名のために聖別したこの宮をわたしの前から投げ捨て、これをすべての国々の民の間で、物笑いとし、なぶりものとする。
21 かつては並びもなく高かったこの宮も、そのときには、そのそばを通り過ぎる者がみな、驚いて、『どういうわけで、主はこの地とこの宮とに、このような仕打ちをされたのだろう。』と言うであろう。
22 すると人々は、『あの人たちは、エジプトの地から連れ出した彼らの父祖の神、主を捨てて、ほかの神々にたより、これを拝み、これに仕えた。そのために、主はこのすべてのわざわいをこの人たちに下されたのだ。』と言うようになる。」”

”もし、あなたがたがそむいて、あなたがたに授けたわたしのおきてとわたしの命令とを捨て去り、行ってほかの神々に仕え、これを拝むなら”と書いてあります。
たとえ、選ばれた神の民であっても、神のおきてを捨て去り、他の神々に仕え、これを拝むならその宮は”投げ捨てられ、民の間でもの笑い”となるといわれているのです。

これはイスラエルの神の民の間で成就しました。そして今の時代にも、もし我々が真の神を捨て、この世の神々に仕えるなら、今の神の宮ー教会に成就するのです。

さて、宮の崩壊はエレミヤの時、またキリストの時におきただけではありません。終末にも宮は崩壊すると主はいわれました。

マタイ24:1ー2
”1 イエスが宮を出て行かれるとき、弟子たちが近寄って来て、イエスに宮の建物をさし示した。
2 そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「このすべての物に目をみはっているのでしょう。まことに、あなたがたに告げます。ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」”

エレミヤまた主イエスのいわれた宮の崩壊は預言であって、それは終末において最終的に成就するのです。終末における宮の崩壊、その裁きこそ聖書がもっとも語ろう、警告しょうとしていることなのです。そして、この宮の崩壊は終末における教会の裁きをさすのです。

テキストにこうあります。
”「主はこう仰せられる。主の宮の庭に立ち、主の宮に礼拝しに来るユダのすべての町の者に、わたしがあなたに語れと命じたことばを残らず語れ。一言も省くな。”

”主の宮に礼拝しに来るユダのすべての町の者”に語れと主はいわれます。今でいえば教会に礼拝に来る全ての者に語れということでしょう。それは何故でしょう。その理由は後に書いてあります。
”彼らがそれを聞いて、それぞれ悪の道から立ち返るかもしれない。そうすれば、わたしは、彼らの悪い行ないのために彼らに下そうと考えていたわざわいを思い直そう。”

神のみこころは神の民が一人でも多く悪の道から立ちかえることです。そのためにこの滅びの預言は預言者を通して語られなければならないのです。

しかし、その預言者の警告に対する人々の反応はどうでしょう。

”祭司や預言者たちは、首長たちやすべての民に次のように言った。「この者は死刑に当たる。彼がこの町に対して、あなたがたが自分の耳で聞いたとおりの預言をしたからだ。」”
 

祭司と預言者とすべての民にとってこのエレミヤのことばがどのようにひびいたのかを考えてみて下さい。神の愛された町エルサレム、また主がみこころを置くといわれたこの宮がシロのようになるということばは彼等の心にはとうてい受け入れられないことだったのです。エレミヤのことばは常識外れであり、全くの少数意見であり、他の預言者や祭司にさえ受け入れられず、神から来た預言だとは思われなかったのです。

今、同じことが起きようとしています。この宮の崩壊ということの意味が、終末の時代に、中東のエルサレムの町に将来、建設されるユダヤ教の神殿が崩壊するというのなら、クリスチャンは自分とは関係のないことだと思います。

しかし、これらのことばは宮ー教会の崩壊について語られているのです。けれども、一体誰がこのようなことばを受けいれるでしょう。今のキリスト教会でこのようなことばを語って皆がすんなり受け入れるとはとても思えません。

このようなことをいえば、ろくなことはいわれないでしょう。異端といわれるのは必至かもしれません。しかし、どうぞ覚えて下さい。聖書が語っている宮の崩壊を語ったために迫害を受けたエレミヤまた主イエスの記事はこのこと、すなわちこの終末に宮ー教会の崩壊を預言する預言者の予型として書かれたのです。

このことを語るものは反発、また十字架を負うことは避けられないでしょう。エレミヤのように周りの全ての者ーその中には神の民、また神の民の指導者が含まれますーから攻撃され、非難されます。今はそうでないにしても終末にはこの預言がもとで、命の危険もあるかもしれません。

エルサレムに建てられるユダヤ教の神殿の崩壊を語っても誰一人非難する人はいないでしょうが、教会の崩壊を語るならおそらく非難は避けられないでしょう。しかし、神は何について、語られたのかを聖霊によってとらえていきましょう。

エレミヤの時、そしてイエスの時、どちらの時にも宮の崩壊を語ったために、二人とも、死の判決を受ける、私にはこのことが偶然のように思えないのです。

”主の宮に礼拝しに来るユダのすべての町の者に、わたしがあなたに語れと命じたことばを残らず語れ。一言も省くな。”これが主の命令です。

何故なら、主のみこころは、一人でも多くの人が”それを聞いて、それぞれ悪の道から立ち返る”ことだからです。

終末における主のみこころを行いたいと思います。

ー以上ー

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