通算No.45 ヨセフのたとえ

テキスト:創世記41:25ー32
25 ヨセフはパロに言った。「パロの夢は一つです。神がなさろうとすることをパロに示されたのです。
26 七頭のりっぱな雌牛は七年のことで、七つのりっぱな穂も七年のことです。それは一つの夢なのです。
27 そのあとから上がって来た七頭のやせた醜い雌牛は七年のことで、東風に焼けたしなびた七つの穂もそうです。それはききんの七年です。
28 これは、私がパロに申し上げたとおり、神がなさろうとすることをパロに示されたのです。
29 今すぐ、エジプト全土に七年間の大豊作が訪れます。
30 それから、そのあと、七年間のききんが起こり、エジプトの地の豊作はみな忘れられます。ききんが地を荒れ果てさせ、
31 この地の豊作は後に来るききんのため、跡もわからなくなります。そのききんは、非常にきびしいからです。
32 夢が二度パロにくり返されたのは、このことが神によって定められ、神がすみやかにこれをなさるからです。

今日はヨセフが解釈したパロの夢についてみていきたいと思います。
パロは夢を見たのですが、それをパロに説き明かすものがいませんでした。しかし、最後にヨセフが来てこの夢を解き明かしました。その解きあかしにより、この夢の意味することころがわかりました。

さて、ここで疑問があります。ここにいわれた7年間の豊作と7年間のききん、このことは何かの予表でしょうか、またたとえでしょうか。このことを通して、今の我々に対して何か語っていることがあるのでしょうか、そのことを見ていきたいと思うのです。

このヨセフの物語を何度も見ていくうちにいくつか気付くことがあります。それは、ヨセフの時と同じようなパターンが聖書の他の箇所でも繰り返されていることです。パターンとは、すなわち、以下のことです;
1王が夢を見る。
2しかし呪法師、知者達にはそのときあかしができない。
3しかし、最後に神の知恵に満ちた人によりその夢は解きあかされる。

これはいつ繰り返されているでしょう。他でもないダニエルの時に繰り返されているのです。
旧約また新約を通してもこのように全く似た2つの状況は他ではみあたりません。

ですから、神は聖書の中で確かにヨセフの夢の説き明かしの物語をダニエルの物語と似た形で、書かれたのです。そして、その類似性を通して我々に語っていることがあるのです。これは、隠れたように書かれています。しかし、神がこの類似性を通して我々に語ろうとされていることは何でしょうか。

私はこう思います。神が知らせたいのは;
1 ダニエルの説き明かした夢、しるしが終末に関わるものであるように、ヨセフの説き明かしたパロの夢も終末にかかわるものであるということ。
2 ダニエルの物語がバビロンという外国での話であるようだが、実際は終末のクリスチャンに関係あるように、ヨセフの夢も異邦の話であるようだが、実際は終末のクリスチャンに関係ある話であること。
3 ダニエル書に書かれた多くの物語、預言を解くために、神の知恵が必要なように、ヨセフの説き明かした牛と麦の夢の話をさらに解き明かすためには神の知恵が必要であること。

神はダニエル書を通して、聖書の記述を”解き明かす”ことについて明確に語っています。すなわち解釈ということを強調しているのです。

ダニエルは啓示、夢を解き明かした神のしもべです。彼は解釈をしました。しかし、彼が全てを説き明かしたのではないのです。逆にダニエル書には、さらに説き明かしが必要な預言のことばが多く残され、書かれています。

神は我々がこれらのダニエルが示し、残した預言、夢を神の知恵に頼って解きあかすことについて語っておられます。例えば、ダニエルはその書の中で”荒す憎むべきものが神殿に現われる”と預言をしました。この荒す憎むべき者とは何か、そして神殿とは何か、それを神の知恵により”解釈”することが大事なのだと語っておられるわけです。

それがダニエル書の中で度々”解き明かしー解釈”について語られている理由なのです。そしてヨセフの物語の中でも、度々”解き明かしー解釈”について言われています。以下の記事を見てください。

”ふたりは彼に答えた。「私たちは夢を見たが、それを解き明かす人がいない。」ヨセフは彼らに言った。「それを解き明かすことは、神のなさることではありませんか。”

”その解き明かしはこうです。三本のつるは三日のことです。”
 
”調理官長は、解き明かしが良かったのを見て、ヨセフに言った。”

”ヨセフは答えて言った。「その解き明かしはこうです。三つのかごは三日のことです。”

”しかしパロは、ヨセフが解き明かしたように、調理官長を木につるした。”

”彼は私たちの夢を解き明かし、それぞれの夢にしたがって、解き明かしてくれました。”

”そして、彼が私たちに解き明かしたとおりになり、パロは私をもとの地位に戻され、彼を木につるされました。”

”あなたについて言われていることを聞いた。あなたは夢を聞いて、それを解き明かすということだが。”

神が言われていること、強調されていることは、このヨセフの物語について解釈することが大事であるということです。パロ王の見た夢が7年の豊作と7年の飢饉をさすことがわかった。しかし、それでこの物語が語っていることの全てが尽きているわけではない。それで、主はあたかもこういわれているかのようです。”このヨセフの言葉を説き明かせ、この7年の豊作とは何か、この7年のききんとは何をさすのか、このたとえを解け、この謎を解け”。

創世記41:8
”朝になって、パロは心が騒ぐので、人をやってエジプトのすべての呪法師とすべての知恵のある者たちを呼び寄せた。パロは彼らに夢のことを話したが、それをパロに解き明かすことのできる者はいなかった。”

ダニエル2:2
”そこで王は、呪法師、呪文師、呪術者、カルデヤ人を呼び寄せて、王のためにその夢を解き明かすように命じた。彼らが来て王の前に立つと”

ダニ2:4
”カルデヤ人たちは王に告げて言った。「「アラム語で。「「「王よ。永遠に生きられますように。どうぞその夢をしもべたちにお話しください。そうすれば、私たちはその解き明かしをいたしましょう。」”

ダニエルの時、王が見た夢は、バビロンの知者達には誰一人解けませんでした。同じことがヨセフの時にも書かれています。エジプトの知者達は誰も王の夢を解けませんでした。しかし、終末の夢、しめしは真の神のしもベに説き明かされるようです。この時もヨセフに示されました。

”18 見ると、ナイルから、肉づきが良くて、つやつやした七頭の雌牛が上がって来て、葦の中で草をはんでいた。”

さて、この7年の豊作と7年の飢饉のたとえを通して神が語っていることがあれば、それは何でしょう。それを見ていきたいと思います。このたとえでは、雌牛と麦の穂が出てきます。牛は聖書的に何をさすでしょうか。

1テモ5:18
”聖書に「穀物をこなしている牛に、くつこを掛けてはいけない。」また、「働き手が報酬を受けることは当然である。」と言われているからです。”

ここでは、神の働き人が牛に例えられていますが、一般的に神の民は牛や羊にたとえられます。

また、麦もクリスチャンをさします。

”畑はこの世界のことで、良い種とは御国の子どもたち、毒麦とは悪い者の子どもたちのことです。”

また、みことばを見るとこの雌牛はナイルから上ってきたことがわかります。ナイルとは”川”という意味です。川は聖書の中で聖霊の流れ、働きを示します。

”わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。”

ナイルから出てくる7頭の肉づきが良くて、つやつやした七頭の雌牛は大豊作をさします。しかし、この大豊作も一つのたとえなのです。これは、終末に起きるナイルー川ー聖霊による7年間の大豊作ー大リバイバルをさしているのです。

”ヨセフは穀物を海の砂のように非常に多くたくわえ、量りきれなくなったので、ついに量ることをやめた。”

ヨセフの説き明かしのように、エジプトには大豊作があり、多くの穀物がとれました。その穀物に関して聖書は”海の砂”という表現を用いています。これはたとえを解くヒントの一つです。海の砂はアブラハムの霊的子孫であるクリスチャンをさす表現なのです。

創22:17
”わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。”

この時、エジプトに起きた大豊作は7年の豊作では終わっていません。逆にこう書いてあります。
”それから、そのあと、七年間のききんが起こり、エジプトの地の豊作はみな忘れられます。ききんが地を荒れ果てさせ、
この地の豊作は後に来るききんのため、跡もわからなくなります。そのききんは、非常にきびしいからです。”

このききんは7年間の患難時代をさします。ダニエル書に書いてあるように患難時代は7年間続くからです。

ダニ9:27
”27 彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。荒らす忌むべき者が翼に現われる。ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる。」”

マタイ12:45
”45 そこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みなはいり込んでそこに住みつくのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。邪悪なこの時代もまた、そういうことになるのです。」”

そして、このききんは全世界に及びます。
”ききんが全世界に及んだ。ききんがエジプトの国でひどくなったとき、ヨセフはすべての穀物倉をあけて、エジプトに売った。”

アモス8:11、12
11 見よ。その日が来る。「「神である主の御告げ。「「その日、わたしは、この地にききんを送る。パンのききんではない。水に渇くのでもない。実に、主のことばを聞くことのききんである。
12 彼らは海から海へとさまよい歩き、北から東へと、主のことばを捜し求めて、行き巡る。しかしこれを見いだせない。

マタイ24:7
 ”民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。”

ですから、私たちはリバイバルそして、患難の時代の備えをなしていかなければならないことがわかります。こう書かれているからです。

創41:35、36
”彼らにこれからの豊作の年のすべての食糧を集めさせ、パロの権威のもとに、町々に穀物をたくわえ、保管させるためです。その食糧は、エジプトの国に起こる七年のききんのための、国のたくわえとなさいますように。この地がききんで滅びないためです。”

これらの中にあって、終末における主のみこころを行っていきたいと思います。

ー以上ー

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