通算No.36 ユダの裏切りのたとえ

テキスト:ヨハ13:27
”彼がパン切れを受けると、そのとき、サタンが彼にはいった。そこで、イエスは彼に言われた。「あなたがしようとしていることを、今すぐしなさい。」”

福音書を読む時、ユダの裏切りの記述が何度も記されています。12弟子とはいっても福音書にただ名前しか出てこない、何をしたのかさっぱりわからない弟子もいるのに、このユダの裏切りについては度々書かれているのです。裏切られるなんて、キリストに人徳がないからだと他宗教の人はいうかもしれません。あまり名誉とも思えない、また読んでも恵まれるとも思えない裏切りについて聖書は何故このように度々書いているのでしょう。

また、このユダの裏切りに関していくつかの旧約聖書のみことばが預言しています。これによりこの裏切りがある意味ではキリストの生涯においては”必須”のできごとであることもわかります。

イエスの生涯に起きる多くのことがらは今の時代の私たちに語りかけまた警告を与えます。ですから、もしかするとこのユダの裏切りというよく知られたことがらを通して聖書が終末の時代に生きる私たちに何かをたとえている、語っていることがあるかもしれません。それを見ていきたいと思うのです。

主はその公生涯の初めに特別に12人の弟子をえらびました。聖書を読む時、この12弟子は神の前で特別な位置を占めていることがわかります。例えば、新エルサレムにはこの12使徒の名前が記されています。

さて、ここに疑問があります。何故イエスはユダを12弟子に選んだのでしょう。イエスは”初めから、信じない者がだれであるか、裏切る者がだれであるかを、知っておられたのである。「「”とみことばにあります。何故裏切ると前もってわかっている人を弟子に、しかも特別な12弟子の一人に選んだのでしょう。これはとても不思議なことです。前もってわかっているなら、その人をさけて、反対に裏切りそうもない人を12弟子の一人にしておけばよかったのではないでしょうか。

しかし、聖書をよく読むとこのことは前もって旧約聖書で預言されていたことがわかります。いわく、”その友に裏切られる。””銀貨30枚で売られる”パンを食べていたものがかかとを上げる”

このことが前もって預言されていたということは、この友に裏切られるということが神の定めたイエスの生涯の中にはなくてはならない必要、必須なことがらだということがわかります。

しかし、何故イエスはその友に裏切られなければならなかったのでしょう。彼の裏切りがなければ十字架の死は成就しなかったのでしょうか。聖書を読むとそうとも思えません。たしかに祭司長や律法学者達はイエスを殺したがっていました。彼等はその方法を協議していたのです。ユダが裏切ったから彼等の仕事が早くすんだということは確かにあります。しかし、それがなければ絶対にイエスをつかまえられなかったとはどうも思えません。どのような方法でもあったでしょう。

しかし、神はこの裏切りを何百年も前から前もって語っており、そしてユダはその通りに裏切りました。ある意味ではこれは神の計画の中にあるのです。何故でしょう。私はこう思うのです。それは、このユダの裏切りが終末の日に同じパターンで、しかしもっと大規模に起こるからです。すなわち、このユダの裏切りは終末に起きるあるできごとの予表、型だからです。

イエスを裏切った弟子の名前はユダです。この名前を通して主が語っていることがあります。何故なら、聖書のどのことばも聖霊により霊感されているからです。神は名前を通して語ることがよくあります。例えば、シモンペテロという名前の弟子がいます。彼は弟子の筆頭格です。彼の名前も偶然に与えられたのでなく主の意図をもって与えられました。シモンは聞くという意味です。弟子の大事な条件は主にきくことです。またペテロは石という意味です。弟子は砂のような群衆でなく、石なのです。これらの名前を通して主が弟子ということに関して語っていることをみます。すなわち、弟子は主に聞くものであり、そして石のような存在なのです。

さてこのユダという名前は旧約聖書を見る時、特別な氏族の名前だということがわかります。イスラエル王国はサウル、実質的にはダビデにより始まりました。ダビデ、ソロモンという偉大な王を迎え、神の民の国であるイスラエルは大きな祝福の道を歩みます。しかしソロモンの子レハベアムの時代に王国は分裂を迎えます。すなわちイスラエルの10族とユダの2族に分かれます。イスラエルの10族の特徴は父祖ダビデと血がつながっていないことです。最初の王ヤロベアムはソロモンの家来であり、その後の王達もダビデと血縁関係ではありません。ダビデはキリストの型です。ですからこのことの霊的な意味を考えるなら、キリストと親しい関係にはない王、民をさすのでしょうか。彼等にはイスラエルという国の名前があり、また数も多いのです。しかし、キリストとの関係は薄いのです。

しかし、ユダは違います。
創49:10
”王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。”と書いてあります。

ユダの王達の歴史を見ると一つわかることがあります。それは、ダビデから最後の王に至るまで父からその子または兄弟というように綿々とダビデの血がつながっていることです。これは偶然ではありません。このことを通して、何かを神が語っていることがあると思います。霊的に考えるならどういうことになるでしょう。いわば彼等はキリストの血縁であり、兄弟である者達の型なのかもしれません。”それで、主は彼らを兄弟と呼ぶことを恥としない”ヘブル2:11

彼等はイスラエルの国の中では、少数派であり、イスラエル国という名前を継いでいるわけでもありません。ですから、このユダがもし何らかの現在の神の民の型なら、それは今のキリスト教会において代表派でもなく、人数も決っして多数ではないグループの人達をさすのでしょう。しかし、彼等には神の前でみこころにかなっていたのです。

時を経るにつれてイスラエルは不信を重ね最後はアッシリアにより移されます。ユダもその後、不信のゆえにバビロンへ捕え移されてしまったのです。そして、バビロンへ移された時、ユダの王朝も跡絶えているのです。

エレ3:10
”このようなことをしながら、裏切る女、妹のユダは、心を尽くしてわたしに帰らず、ただ偽っていたにすぎなかった。「「主の御告げ。「「」”

ここにはユダ族に関して裏切る女ユダと書かれています。12弟子の裏切り者、ユダと似た表現です。

旧約聖書は神に愛された部族ユダの裏切りについて記録し、新訳聖書は教会の特別な12弟子の一人であるユダの裏切りを記録しています。”書かれたことは今の時代のため”とみことばにあります。ですから、これは、終末に生きる私たちクリスチャンへの警告ではないでしょうか。私はこのことを通し、この終末にももう一度神によりもっとも愛された民による裏切りがあることを示唆しているように思えます。

これらのことが記され、私たちがこれらの記事を今、聖書を通して読んでいるのは、意味のあることなのです。これらは終末におきることの型であり、予表なのです。
もっとも神に近い民であった、ユダ族が神を裏切ったように、そしてもっともイエスに近い12弟子の一人である、ユダがイエスを裏切ったように、おなじことが終末にもおきてきます。

ヨハ13:18”わたしは、あなたがた全部の者について言っているのではありません。わたしは、わたしが選んだ者を知っています。しかし聖書に『わたしのパンを食べている者が、わたしに向かってかかとを上げた。』と書いてあることは成就するのです。

このユダの裏切りは後の日に終末の教会でおきる裏切りを予表しているようにもみえます。”私のパンを食べている者”と書いてあるように、聖さん式を受ける同じ兄弟の中に裏切りが起きるでしょう。イエスがユダの裏切りにより死に至ったように、その裏切りにより死に至る兄弟姉妹もいるでしょう。

ですから、終末の教会の中では、もっとも神に近いと思われていた人達が、神をそしてイエスを裏切ることがおきるでしょう。そして、反キリストを拝するようになるのです。そして、”兄弟は兄弟を死にわたし”というように、クリスチャンの兄弟姉妹間の裏切りがおこるでしょう。

さて、また全ての神の民が裏切るわけではありません。聖書はそのことをも預言しています。それは、イスカリオテでないユダのことです。裏切るユダ、裏切る弟子もいるように、裏切らないユダ、裏切らない弟子もいるのです。このことをも聖書は前もって語っているのです。

ますます終末における主のみこころを行いたいと思います。

ー以上ー

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