通算No.32 バビロンとエルサレム

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黙18:5ー18
5 なぜなら、彼女の罪は積み重なって天にまで届き、神は彼女の不正を覚えておられるからです。
6 あなたがたは、彼女が支払ったものをそのまま彼女に返し、彼女の行ないに応じて二倍にして戻しなさい。彼女が混ぜ合わせた杯の中には、彼女のために二倍の量を混ぜ合わせなさい。
7 彼女が自分を誇り、好色にふけったと同じだけの苦しみと悲しみとを、彼女に与えなさい。彼女は心の中で『私は女王の座に着いている者であり、やもめではないから、悲しみを知らない。』と言うからです。
8 それゆえ一日のうちに、さまざまの災害、すなわち死病、悲しみ、飢えが彼女を襲い、彼女は火で焼き尽くされます。彼女をさばく神である主は力の強い方だからです。
9 彼女と不品行を行ない、好色にふけった地上の王たちは、彼女が火で焼かれる煙を見ると、彼女のことで泣き、悲しみます。
10 彼らは、彼女の苦しみを恐れたために、遠く離れて立っていて、こう言います。『わざわいが来た。わざわいが来た。大きな都よ。力強い都、バビロンよ。あなたのさばきは、一瞬のうちに来た。』
11 また、地上の商人たちは彼女のことで泣き悲しみます。もはや彼らの商品を買う者がだれもいないからです。
12 商品とは、金、銀、宝石、真珠、麻布、紫布、絹、緋布、香木、さまざまの象牙細工、高価な木や銅や鉄や大理石で造ったあらゆる種類の器具、
13 また、肉桂、香料、香、香油、乳香、ぶどう酒、オリーブ油、麦粉、麦、牛、羊、それに馬、車、奴隷、また人のいのちです。
14 また、あなたの心の望みである熟したくだものは、あなたから遠ざかってしまい、あらゆるはでな物、はなやかな物は消えうせて、もはや、決してそれらの物を見いだすことができません。
15 これらの物を商って彼女から富を得ていた商人たちは、彼女の苦しみを恐れたために、遠く離れて立っていて、泣き悲しんで、
16 言います。『わざわいが来た。わざわいが来た。麻布、紫布、緋布を着て、金、宝石、真珠を飾りにしていた大きな都よ。
17 あれほどの富が、一瞬のうちに荒れすたれてしまった。』また、すべての船長、すべての船客、水夫、海で働く者たちも、遠く離れて立っていて、
18 彼女が焼かれる煙を見て、叫んで言いました。『このすばらしい都のような所がほかにあろうか。』

エゼキエル16:10ー41
10 わたしはまた、あや織りの着物をあなたに着せ、じゅごんの皮のはきものをはかせ、亜麻布をかぶらせ、絹の着物を着せた。
11 それから、わたしは飾り物であなたを飾り、腕には腕輪をはめ、首には首飾りをかけ、
12 鼻には鼻輪、両耳には耳輪をつけ、頭には輝かしい冠をかぶせた。
13 こうして、あなたは金や銀で飾られ、あなたは亜麻布や絹やあや織り物を着て、上等の小麦粉や蜜や油を食べた。こうして、あなたは非常に美しくなり、栄えて、女王の位についた。
14 その美しさのために、あなたの名は諸国の民の間に広まった。それは、わたしがあなたにまとわせたわたしの飾り物が完全であったからだ。「「神である主の御告げ。「「
15 ところが、あなたは、自分の美しさに拠り頼み、自分の名声を利用して姦淫を行ない、通りかかる人があれば、だれにでも身を任せて姦淫をした。
16 あなたはまた、自分の衣服のいくらかを取り出して、自分のために、まだらに色どった高き所を造り、その上で姦淫を行なった。こんな事はあったことがなく、あってはならないことだ。
17 あなたは、わたしが与えた金や銀の美しい品々を取って、自分のために男の像を造り、それと姦淫を行なった。
18 あなたはまた、あや織りの着物を取って、それをおおい、わたしの油と、わたしの香とをその前にささげた。
29 商業の地カルデヤとますます姦淫を重ねたが、それでも、あなたは飽き足らなかった。
30 なんとあなたの心は、あえいでいることよ。「「神である主の御告げ。「「あつかましい遊女のするようなこれらのことをことごとく行なって。
38 わたしは、姦通した女と殺人をした女に下す罰であなたをさばき、ねたみと憤りの血をあなたに注ぐ。
39 わたしは、あなたを彼らの手にゆだねる。彼らはあなたの小高い家をくつがえし、高台をこわし、あなたの着物をはぎ取り、あなたの美しい品々を奪い取り、あなたをまる裸にしておこう。
40 彼らは、集団をあおってあなたを襲わせ、石であなたを打ち殺し、剣であなたを切り倒そう。
41 そのうえ、あなたの家々を火で焼き、多くの女たちの見ている前であなたにさばきを下そう。わたしはあなたの淫行をやめさせる。あなたはもう、報酬を支払わなくなろう。
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黙示録に記してある”淫婦バビロン”とは何をさすのでしょうか。このたとえを読みとっていきたいと思います。

この2つの聖書箇所をよく見比べて下さい。黙示録には淫婦バビロンについて記されでいます。エゼキエル書に記されているのはエルサレムに関する記述です。よくみると、この2つの記述がとてもよく似ているのに気がつきます。

類似点をまとめてみます。

1 どちらも、都であり、女性である。また女王である。
バビロン”彼女は心の中で『私は女王の座に着いている者であり、やもめではないから、悲しみを知らない。』と言うからです。”
エルサレム”こうして、あなたは非常に美しくなり、栄えて、女王の位についた。”

2 どちらもこの世とかん淫を行い、淫婦、遊女と呼ばれている。
バ”大水の上にすわっている大淫婦へのさばきを見せましょう。””彼女と不品行を行ない、好色にふけった地上の王たち”
エ”あなたは、自分の美しさに拠り頼み、自分の名声を利用して姦淫を行ない、通りかかる人があれば、だれにでも身を任せて姦淫をした。””あつかましい遊女のするようなこれらのことをことごとく行なって。”

3 どちらも黄金、宝石等を扱う。
バ”商品とは、金、銀、宝石、真珠、麻布、紫布、絹、緋布、香木、さまざまの象牙細工、高価な木や銅や鉄や大理石で造ったあらゆる種類の器具”
エ”このようにあなたは金銀で飾られ、細布、絹、縫い取りの服をあなたの衣とし”

4 どちらも世界的に有名な存在。
バ”御使いはまた私に言った。「あなたが見た水、すなわち淫婦がすわっている所は、もろもろの民族、群衆、国民、国語です。”
エ”その美しさのために、あなたの名は諸国の民の間に広まった。”

5 どちらも人を殺す。そしてその罪で裁かれる。
バ”そして、私はこの女が、聖徒たちの血とイエスの証人たちの血に酔っているのを見た。”
エ”わたしは、姦通した女と殺人をした女に下す罰であなたをさばき”

6 どちらもカルデヤすなわちバビロンと関係がある。
バ”「すべての淫婦と地の憎むべきものとの母、大バビロン。」という名であった。”
エ”商業の地カルデヤとますます姦淫を重ねた”

7 どちらも神に裁かれ、かん淫した相手の王により殺される。
バ”あなたが見た十本の角と、あの獣とは、その淫婦を憎み、彼女を荒廃させ、裸にし、その肉を食い、彼女を火で焼き尽くすようになります。”
エ”わたしは、あなたを彼らの手にゆだねる。彼らはあなたの小高い家をくつがえし、高台をこわし、あなたの着物をはぎ取り、あなたの美しい品々を奪い取り、あなたをまる裸にしておこう。”

8 どちらの女も焼かれる。
バ”彼女が焼かれる煙を見て、叫んで言いました。『このすばらしい都のような所がほかにあろうか。”
エ”そのうえ、あなたの家々を火で焼き、多くの女たちの見ている前であなたにさばきを下そう。”

9 どちらの女も裸になる。
バ”あなたが見た十本の角と、あの獣とは、その淫婦を憎み、彼女を荒廃させ、裸にし、その肉を食い、彼女を火で焼き尽くすようになります。”
エ”わたしは、あなたを彼らの手にゆだねる。彼らはあなたの小高い家をくつがえし、高台をこわし、あなたの着物をはぎ取り、あなたの美しい品々を奪い取り、あなたをまる裸にしておこう。”

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このように多くの類似点があります。この黙示録の淫婦バビロンとは意味の秘められた名です。しかし、神はこの多くの類似点を通して、私たちにこの淫婦は実はエゼキエル書で記されているエルサレムと似ている、いやこのエルサレムこそバビロンそのものであることを暗に示そうとしています。

さて、それによって神は今の私たちに何を悟らせようとしているのでしょう。それを悟りたいと思うのですが、ここに神の知恵が必要です。このエルサレムを通して神は何を示そうとされているのでしょう。エルサレムは神の民イスラエルの中心であり、象徴です。しかし、彼等は不信に不信を重ね、ついにその都エルサレムは敵に囲まれ、その門は火で焼かれ、多くの民はバビロンへ捕囚となって移されてしまいました。このことはある意味で神の民への裁きのクライマックスです。

このエルサレムが神のさばきにあったということは歴史的な事実です。しかし、それが黙示録の時代と何の関係があるのでしょう。エルサレムはイスラエルの首都であり、霊的には新約の教会を象徴しています。ですから、これは終末の時代に神によって裁かれる神の民の型なのです。ペテロのいうように、終末にはさばきは神の家から始まるのです。

そしてもう一つのことがあります。このバビロンの捕囚以降もバビロンから戻り再度、新しいエルサレムを建設した人達がいました。彼等は名前を記録されたものであり、相続のちへ戻ってきたもの達です。同じように、終末にも新エルサレムがあります。これらは神の真の聖徒達の集まりを示します。

ネヘミヤ記には新しいエルサレムの建設のことが書いてあり、エズラ記には新しい神殿の建設のことが書いてあります。エルサレムも神殿も霊的には教会を象徴します。神殿は神がともに住まわれる集まりとしての教会の型です。

これらの旧約の出来事は終末の人々への型であり、示しです。終末にも淫婦バビロンと呼ばれるさばきにあう神の民がおり、またその中から逃れ新エルサレムの中に名を連ねる聖徒達がいるのです。バビロンのたとえはそのことを示しているのです。ですから、淫婦バビロンへのさばきは決して私たちと遠いできごとではないのです。聖書はこのことを警告して示しているのです。

私たちも主にあって終末におけるみこころを行っていきたいと思います。 

ー以上ー

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