通算No.26 星が落ちることのたとえ

テキスト: マタイ24:29
”だが、これらの日の苦難に続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。”

マタイ24章には終末の預言が書いてあります。その中で、終末の苦難の後、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ちると書いてあります。

この書き方はあたかも太陽、月が暗くなること、星が天から落ちることと終末の苦難とが関係のあるような書きかたです。

一体これらはどのような関係があるのでしょう。それを見ていきたいと思います。

そもそも、ここに書かれている太陽、月、星ということばは文字通りとるべきなのでしょうか。それともたとえととるべきなのでしょうか。文字どおりとる人もいるのでしょうが、私はたとえととるべきだと思います。

何故なら、ここには文字どおりには受けとれないことが書いてあるからです。たとえば星が落ちることです。落ちるという以上、地上に落ちてくるのでしょう。しかし、流れ星はともかく、空にある星は普通は天から落ちません。もし万一天にある星、たとえば北極星なりが地上に落ちたら、一度で地球は破壊されてしまうのです。今の私たちはそれを知っています。

星が天から落ちるという記述で、我々は自分の常識とみことばの間で悩むわけです。しかし、私はこれは今の時代、終末の私たちがこの記述がたとえであること気付かせるために神が与えてくれたヒントではないかと思います。

そのようなわけで、私はここをたとえと受け取っています。もちろん、そう取らない解釈もあるのでしょうが、もしたとえなら、どのように読み取るべきかを見ていきたいと思います。

まず、太陽、月、星とは何をさすのかをみていきます。次のようなみことばを見い出します。

Iコリ15:41 
”太陽の栄光もあり、月の栄光もあり、星の栄光もあります。個々の星によって栄光が違います。”

マタイ13:43
”そのとき、正しい者たちは、天の父の御国で太陽のように輝きます。耳のある者は聞きなさい。”

これらのことばから、太陽、月、星は聖徒、クリスチャンであり、その光は栄光をさすことがわかります。

太陽、月が暗くなるとは彼等がその栄光、神の前の栄光を失うことです。神の前から離れるこをさすのかもしれません。
 
 星が天から落ちるとはこういう意味です。
我々クリスチャンはこの世にありながら、霊的には天に座しているものです。エペソ書に”わたしたちを..天のところにすわらせて下さいました。”と書いてある通りです。地の人ーこの世の人とは違うのです。だから、クリスチャンが天から地に落ちるとはクリスチャンの信仰が覆えされてしまうことをいうのでしょう。すなわち、患難時代の苦難の中で信仰を失うことをさすのです。

”天の万象は揺り動かされます”という表現はKJV訳では”天の力(power)が揺り動かされる”という表現になっています。

私たちクリスチャンは霊的にはアブラハムの子孫として天の星のようなものであり、天の軍勢ですが、その勢力、力がふるわれる、すなわちキリスト教会が揺り動かされる時が来るという意味でしょう。
似たような表現は聖書の中にいくつも見られます。

ニエル10:11ー12
”それは大きくなって、天の軍勢に達し、星の軍勢のうちの幾つかを地に落として、これを踏みにじり、軍勢の長にまでのし上がった。それによって、常供のささげ物は取り上げられ、その聖所の基はくつがえされる。軍勢は渡され、常供のささげ物に代えてそむきの罪がささげられた。その角は真理を地に投げ捨て、ほしいままにふるまって、それを成し遂げた。”

黙12:4”その尾は、天の星の三分の一を引き寄せると、それらを地上に投げた。”

星の3分の1とはクリスチャン人口の1/3をさすのではないかと思います。終末にはそれだけ多くの人々が信仰から外れてしまうのです。

主にあって終末への備えをしていきましょう。

ー以上ー

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