通算No.4 神のしもべと悪評


テキスト:
-ノコリント6:8
”また、ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したりするこ とによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。”


 パウロはこの聖句のなかで、”神のしもべ”として推薦される条 件について語っています。その中の一つは好評を博したり、ほめられることで す。そしてもう一つは悪評を受けたり、そしられることです。
 ほめられたり、好評をうけることはわかりますが、そしられた り、悪評をうけたりすることが、どうして神のしもべとして推薦される条件にな るのか、少し不思議ですが、しかし彼はそうのべているのです。
 人を推薦する時、例えば就職の紹介状を書く時はその人の良いこ としか、書きません。頭脳明晰で、字がきれいで、誠実な人柄で、学校でも人望 がありというように良い評判のみ書きます。何かとトラブルを起こす人で困りも のだとの評判ですというような悪評は書きません。またそう書いては推薦になり ません。
 この世の人の間での推薦はこのようですが、しかし神のしもべに 関しては違うようです。良い評判があることは勿論神のしもべとして推薦する条 件になりますが、しかしまた人から悪い評判をたてられることも神のしもべとし て推薦される条件だというのです。
 確かに神への奉仕者として人前で良い評判を得ることはすばらし いことです。しかし、それとともに、神のことば、またみこころのゆえに、犠牲 を払い、悪評を現実に受けたことがあるという事実、これこそ私が自分を神のし もべとして推薦する根拠であるとパウロは言っているのです。
 聖書から見た限り、神のみここを行う神のしもべはキリストにし てもパウロにしても、よい評判のみでなく、大いに悪評を受けています。
 その人が自分の評判、名誉、地位よりも神のみこころを優先し、 そしてそのゆえに悪評を受けるなら、それは神の前にりっぱな推薦状です。
 また、ルカによる福音書6:26には”みなの人にほめられると きは、あなたがたは、哀れな者です。彼らの先祖は、にせ預言者たちをそのよう に扱ったからです”と書いてあります。真の神のしもべは人からほめられること のみを気にしてはいけないのでしょう。
 真に神のしもべとして歩むとき、人から悪評されたり、けなされ たりすることは覚悟しなければならない。そしてもっと積極的にいうなら、自分 が神のために、悪評を受けたり、けなされたことがあること、この事実こそが私 の推薦状なのだとパウロは言っているのでしょう。
 そのような訳で、我々は神のみこころを正しく行っていく時、家 族や友人、また、まわりの人から誤解されたり、悪くいわれても気にするべきで はありません。もちろん、悪くいわれない、悪評を受けないにこしたことはない のですが、神のみここを選んだがゆえにそれでも悪評を受けるという場合は、主 にあって甘んじて受け、真に神のしもべとしての道を歩んでいきたいと思いま す。

−以上−


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