さて、こうして民族の問題を語るとどうしてもカザール・ユダヤ問題を考えねばならない。

今日のュダヤ人の八○バーセントは黒海沿岸のカザール人だという。この事は宇野正美氏によって日本
に紹介された。カザールは北のキリスト教、南のイスラム教に挟まれ、双方から攻撃されるので、八世
紀にブラン王と言う人が、いっそのこと、その双方の元であるユダヤ教に改宗してしまえと考えたのだ
そうだ。これはどうも事実のようだ。

宇野氏によればこのカザール・ユダヤはアシュケナジー・ユダ
ヤ、一方スペインに逃れその後アラブに戻ったのがスファラディ・ユダヤでこれが本当の聖書の民ユダ
ヤ人だと言う。そして、世界統一の陰謀はアシュケナジー・ユダヤがやっていることでスファラディ・
ユダヤは預かり知らぬ事、むしろ今も第二級市民に甘んじ苦しんでいるのだと言う。しかし、この説に
はいくつかの疑わしい断定がある。
1 まず、アシュケナジー・ユダヤには本当のユダヤすなわちセム族のユダヤは入っていない。

2 スファラディ・ユダヤは正真正銘のユダヤである。
3アシュケナジー・ユダヤは陰謀を企んでいるが、スファラディ・ユダヤはその被害者である。

これを検証する前に、なぜこのような主張が出てくるか、私の推測を述べて見よう。宇野氏はその初期
には、非常に素晴しい働きをしたと思う。日木人の目を覚まさせ、教えられるところが多かった。とこ
ろが氏はクリスチャンであるから、根本的にユダヤ人びいきであった。しかし氏の論点が進むにつれ
て、氏に対して、ユダヤ人から激しい攻撃が始まった。

特に反セミチズムという烙印はナチスのホロコ
ーストという錦の御旗があるから黄門さまの印籠のように効果が有る。氏はなぜ自分の書くものがそん
なにユダヤ人を怒らせるのかわからなかったそうだ。そこに降って湧いたように出てきたのがユダヤ人
カザール説である。これで救われた。カザールならいくら叩いても反セミチズムとはいわれないです
む。カザールはセム族ではなくヤペテ族の末裔なのだから。(しかしユダヤはたたいてもよいが、カザ
ールならいいというのも変な話だ。)。これで宇野氏のユダヤへの愛も守られる。

そこで1、本当にアシュケナジー・ユダヤにはセム系のユダヤが入っていなかったのだろうか。わたし
はこのカザールには大量のユダヤ人が入り込んでいたのではないかと見ている。どこにも安住の地のな
いユダヤ難民である、渡りに船、地獄に仏である。歴史の示す所、迫害された難民が少しでも安住の地
があればそこに流れて行ったのは当然である。

第一もしユダヤ人がいなかったらどうやってユダヤ教を
学んだのか。だからカザールにはユダヤ人が沢山住み、ユダヤの血が相当濃く流れているのではなかろ
うか。また、アシュケナジー=カザールという説は世界的には認められていないはずである。アシュケ
ナジーとスファラディの違いはただユダヤ人の流浪のルートの呼び方である。アジア西部を通ってヨー
ロッパに入ったのがアシュケナジー、ヨーロッパ西部からアフリカ北部にかけて住んだのがスファラデ
ィというのが世界的な常識である。

さらに2、スファラディは正真正銘のユダヤであろうか。それより何より、本当のユダヤとは誰なの
か。イスラエルに長年留学し、今も毎年イスラェルに行っているY牧師は日本のキリスト教会きっての
イスラエル通だが、私の質間に対してむしろ「ユダヤ人ってだれですかねえ」と答えたものだ。今イス
ラエルでは母親がユダヤ人ならユダヤ人と認める事になっている(これが父親がユダヤ人の子供達の大
きな問題となっている)。しかし、純血なユダヤ人などというものは実際にはありえないのだ。

すでに聖書の中でユダヤ人は多くの異民族と結婚している。あのモーセでさえその妻は異邦人だった。
ユダヤ人のあこがれの英雄ダビデ王はその曽祖父が嫁とったモアブ人の女ルッの曽孫に当たる。ソロモ
ンに至っては何百人もの異邦の女に子を生ませているのだ。結局の所、ユダヤ人とは誰かという質間に
は答えがないのである。だからそれはユダヤ教を信じるものと言う事になるが、それではまた困る。と
いうわけで当のユダヤ人でさえ答えを持っていないことを、我々が断定する事は出来ないと思う。

仮に3、宇野氏が言うように、アシュケナジーだけがこの陰謀を押し進めていると言うなら、ではその
中心になっているロスチャイルド家がスファラディだという事はどうなるのだろうか。ロスチャイルド
家の素性は定かではないが、ダビデの直系という説が有力視されている。また、陰謀者の中にしばしば
コーへン、コーエンなどユダヤの祭司の家系レビ族の名が出てくるのはどういうわけなのだろう。レビ
族はイスラエルきっての名家であり、カザールでもその名は用いないと思うのだが。

さて、ことほどさ
ようにアシュケナジー・ユダヤとスファラディ・ユダヤを区別して、一方を善玉、一方を悪玉とする分
け方は大きな誤りであると言わなければならない。確かに、今日のユダヤ民族には八○パーセントもの
カザールがいる。しかし、世界制覇という
 
 

目的自体はもともとユダヤ民族の信仰であったのだから、カザールだけが悪くて、ユダヤは罪無き無皐
の民だと決めつけるのは間違いである。私は宇野氏とも面識があり、氏のこれまでの業績を高く評価し
ているが、個々の間題で意見が違って議論を戦わせる事も必要な事だと思う。アシュケナジー・ユダ
ヤ、カザール説は反セミチズムの免罪符にはならないし、そんなものは必要ない。ユダヤはユダヤ、そ
の中にいい奴もいれば、悪い奴もいるこれが私のカザール・ユダヤ説である。それにしても「神はヤペ
テを大いならしめ、セムの天幕に住まわせれるように」という言葉は、この場合、あまりにもピッタリ
とあてはまるではないか。セムの天幕、ユダヤの家にヤペテのカザールは住み、大いなるものとなって
いる。また、クリスチャン全般にユダヤ人に対して妙なコンプレックスみたいなものがあってご機嫌取
りのような感じがするのはおかしい。

前に書いたようにマルチン・ルターはタルムードを読んでユダヤ
人の真意に触れた時、彼のユダヤ人観は一八○度変わったと言われる。チャリニ教授のようにタルムー
ドを翻訳しようとしただけで殺されたように、タルムードは恐るべき書物であるが、一度読んでみられ
るといい。もっとも仲々手に入らないが。イルミナティはナチス・ドイツの時代に、クリスチャンがユ
ダヤ人を迫害したと言うデ
マ宣伝をしているが、ナチスの背景にいたのはイルミナティそのものであり、ヒトラーがユダヤの血統
であった事実は隠している。

またナチスからユダヤ人をかくまい、時にはそれゆえに命を失ったクリス
チャンは沢山いたのである。この項を書いている一九九四年二月二五日、イスラエルのヘブロンでイス
ラエル入殖者によるパレスチナ人大量虐殺事件が起こった。それも「マクベラ」の洞窟で。聖書を知る
ものだけがこの事件の深刻さを理解出来るだろう。ヘブロンのマクペラの洞窟とは旧約聖書の中で最も
有名な人物で後にユダヤ教、キリスト教、イスラム教の共通の信仰の父と崇められるアブラハムとその
妻サラ、その子イサクと妻リベカ、孫でイスラエルの直接の先祖ヤコブと妻レアの墓所なのだから。実
際ユダヤ教とイスラム教にとってはこれ以上ない聖なる場所である(本当のキリスト教は場所は大して
重要ではない)。

アブラハムは九九歳で初めて子を設けた。それがイサクであり、その子孫がユダヤ民
族である。しかし、あまりにも長く子が出来なかった事からあせった妻サラの提案でエジプト人の召使
ハガルからその前に子を設けていた。これがイシマエルと言い、後のアラブ民族全体の先祖である。そ
の後、イシマエルとハガルはサラによって放遂される。だからイスラェルとアラブはそれ以来三○○○
年間仲が悪いのである「これは個々の人間どうしの関 係ではない、それは結構仲よくやっている)。

それがアブラハムの墓の前で殺したとなると、これは戦
争になる可能性さえある。実はこの話を聞いた時、反射的に思い出したのがイサクの二人の孫による大
量殺害事件だった。それはヘブロンから九○キロほど北にある、シケムと言う村で起こった。当時、外
国から帰って来たイサクの子ヤコブは一二人の息子と共にこの地域に寄留していた。ところが娘の一人
デナがシケムの村に遊びに行った時、その地の支配者ハモルの子シケム(村の名と同名)がデナにぞっ
こん参ってしまったのだ。彼はデナを引き入れて犯してしまった。

そして、結婚を申し込んだ。ここま
ではどこにでもある恋愛小説だが、これがイスラユルとアラブだから大変なことになる。デナの兄シメ
オンとレビは策略を巡らし、自分たちは割礼(宗教的な意味での包茎手術)をしない民族とは結婚しな
いと告げた。イスラエル民族は今でも生まれて八日目に割礼を行う、しかし、これは成人してからだと
非常な痛みを伴う手術である。なにしろ麻酔のない時代である。ハモルとシケムはいかにも田舎の大名
で、素直にこの提案を飲んだ。そして、全ての男子が割礼を受けて三日目に痛みでのた打ち回っている
とき、シメオンとレピは部下と共にこの民族全体を殺してしまったのである。このために父ヤコブはこ
の地から出ていかねばならなくなった。

回りの民族
が許さなかったからだ。今回の事件はアラブとイスラエルの基本的な関係を再認識させた。すでに前の
本で書いたように、イスラエルとアラブには平和はない。PL0との和平など、うそ偽りもいいところ
で、単にアラファトが金でも貰っておとなしくしますと約束しただけであろう。イスラエルはパレスチ
ナどころか中東全体を征服する。

パレスチナ難民は早くどこかに避難しないと、結局皆殺しになる。気
の毒だがパレスチナをあきらめるか、ユダヤ人の支配下になることを認めなければ、必ずシケムの二の
舞になる。これはハルマゲドンの戦い以前の問題である。今度の事件は、これが四○年前なら確実に戦
争が始まってもおかしくないほどの事であった。ただ戦争にならないとすればそれは次のような情報を
証明するだろう。PL○のアラファト、ヨルダンのフセイン、シリアのアサドはすでにフリーメーソンで
ある。さらにリピアのカダフィもいつからかは分からないがあの反ユダヤのポーズにもかかわらず(最
近妙におとなしいではないか)やはりメーソンだというのだ。

四六年前、イスラェル建国を力で叩き潰
そうとしたアラブはどこに行ったのだろう。もはやそんな力は徴塵も無い。この四六年で世界はこんな
にも変わってしまった。ユダヤは
すでに世界の見えない超大国である。そして、恐らくロシアの中東侵攻という大ばくちの後、イスラエ
ルは本当の超大国となり、あの一○シケル貨の大イスラエル、エレーツ・イスラエルを周りのアラブ諸
国に認めさせるのであろう。ここに反キリストが介在し、双方に平和条約が交わされる。

この平和条約
は、もしかすると国連軍を背景とする力の圧力で全世界的な戦争の放棄が講われる条約として国連の場
で承認されるのかもしれない。もしかすると、この世界平和条約というものは「戦争は永久にこれを放
棄する」という日本の憲法と同じ文言かも知れない。日本にその憲法を与えたのもイルミナティなのだ
から。