#野蛮ヨーロッバ人を目的に変えたキリスト教

「神はヤペテを大いならしめ、セムの天幕に住まわせられるように。カナンはそのしもべとなれ」創世記9:27 これは聖書の創世記の言葉である。ヤペテ、セム、カナンとはそれぞれ人類の直接の先祖ノアの子と孫であった。大まかに言って、ヤペテは白人種、セムは黄色人種、カナンはその父ハムから黒人種であった。もともと旧約聖書の書かれた言語ヘブル語で、ヤペテとは『色白の』と言う意味であ
り、ハムとは『色黒の』と言う意味である。しかし、セムだけはなぜか『名声』という意味である。ここはあの有名なノアの洪水に続く物語である。

全世界を覆う洪水によって全滅した世界に生き延びたの
はノアの家族八人だけであったと言う。もっともこれに孫達や使用人、その妻や子を加える事が出来るかもしれない。神が人間が悪にだけ傾くことを嘆き、怒り、滅ぽした洪水の後、ノアは平和な生活を営み農業を始めた。ノアはぶどう畑を作った。そして、「ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた」創世記9:21私はここを読むとすごく愉決になる。

ノアは「正しい人であって、その時代にあっても全き人であっ
た。ノアは神と共に歩んだ」(同1:19)と言われた人である。その彼が、あの洪水の悲惨な神の審判のあとで、酒を飲んで裸になっていたと言うのだ。これを人間の先祖と言わずして何だろう。彼は酒も飲まず、乱れもしない謹厳な紳士ではなかったのである(別に酒を飲む事を奨励しているわけではない。念のため)。

教職者の息子、娘には、ぐれるのが多いと聞く。それは何故だろうか。親がこのノア
のように〃人間〃ではないからである。人間はもともと弱い、罪深いものであるのに、正しい立派な模範になろうとするから、子供たちはそんな親に疲れてしまうのである。それで反抗する。さて、このノアを見たカナンの父ハムは、セムとヤペテに告げたとある。

たぶん面白がって、「おい、ちょっと見に
こいよ。親父、裸で寝てるよ」とか何とか言ったのであろう。しかし、セムとヤペテは後ろ向きになって着物を父に掛け、父の恥を見なかった。眠りから覚めたノアはハムの態度に怒り、のろいをその子カナンにかぶせた。
 

「呪われよ。カナン。兄弟たちのしもぺらのしもぺとなれ」同9:25これはどうもカナンには割りの悪い話だが、一説にはカナンが先にハムに告げたのではないかと言われている。さて、この物語は多くの人々にとって、別に面白くも何ともない話であろう。しかし、その後、こののろいが数千年に渡る影響を与え、今に至るまでも人類はその言葉の超能カの中にいるかもしれないとなると無関心ではいられないのではなかろうか。欧米において黒人が奴隷として使役され、その事に、欧米の人々が良心の呵責を感じなかったのは、実はこの聖書の物語のせいかもしれないのである。

私は肌の色で、人間の優劣が決まるとは思わない。しかし、たしかに聖書のこの箇所がそういう口実を与えたことは否定出来ないと思う。もちろん神はそんな事を意図しておられたのではない。旧約聖書は人間の罪とのろい、違反と失敗
の物語である。それを通して、神は人間が人間に頼るのではなく、真の解放者であるキリストを待ち望むように計画されたのである。だから新約聖書においてパウロは人間には何の差別もないと言っている。しかし、この解放はイエスを信じた人々だけに与えられる。

それ以外は、今なおノアののろいと宣
言の下にあるのである。とりわけ、「ヤペテはセムの天幕に住む」という謎の言葉は人類史の意外な側面を予言していた。

ところでセム、ハム、ヤペテを単純に黄色人種、白色人種、黒色人種と分け
る事は出来ない。例えばインド人の場合かなり色は黒いがインド・アーリア族でヤペテに属すると考えられる。しかし、大まかにセムはアジアに、ハムはアフリカに、ヤペテはヨーロッパに住んだと考えて良いと思う。そして歴史はヤペテは大いなるものとなった(広げと言う箇所は大いなるものとなりとも訳されている)事を証している。ヨーロッパ人は世界を征服した。

とりわけギリシャ、ローマ以来二○
○○年の歴史はヤペテ中心に動いて来たともいえる(もっとも我々はそういう歴史の書き方にならされているだけなのかも知れないのだが)。そうすると、ここでいうセムの天幕とは何を表す言葉なのだろうか。聖書は政治権力を表すのに天幕と言う言葉は用いない。

王冠または杓、宝石などである。天幕は
家である。さらにもう一つユダヤ人にとって天幕とは神の家すなわち神殿であった。イスラエル民族がエジプトで民族的な奴隷状態から解放者モーセによって脱出し、民族としての自覚と使命を受けたのはシナイ山における十戒(律法と呼ばれる憲法)と天幕の神殿であった。だからこの場合、セムの天幕とは宗教を意味すると考えて間違いはない。古代人にとって、宗教こそもっとも重要な事柄だった。それは人間存在のもっとも重要なしるしであった。

さて、いわゆる世界の四大宗教。ユダヤ教、仏教、イスラム教、キリスト教は全てセム
族から出ている。ヤペテ族、ハム族仁も宗教はあったであろう。しかし、それはシャーマニズムや土俗宗教の域を出なかった。これらは自然崇拝、人間の本質的願望から生まれて来るごく自然な感情の表れであった。一方、四大宗教には教義(教え、神学)と道徳律があった。ギリシャ神話の神々はまさに神話であって宗教ではない。教義と道徳律がないからである。

我々はともするとヨーロッバ社会の道徳
性、合理性、近代性、などに幻惑されて、初めから彼等が先進的民族であったように思っているが、吉代においてヨーロッパ社会は極めて野蛮な国々であった。もっとも野蛮と言えば東洋も同じ事であって、どちらの人間性が優れていたかなどと言う事は出来ない。しかし、東洋には少なくとも宗教があった。儒教、仏教などの宗教は教義と道徳律を備えた宗教であった。これらの宗教の特徴は必ず開祖としての個人がいたことである。ヨーロッパにその意味での宗教が伝えられたのはユダヤ教が最初であろう。しかし、ユダヤ教はユダヤ人の宗教であって、それ以外の人種すなわち異邦人は信じるにしても制約があった。

しかし、それにもかかわらず聖書にはゆダヤ人以外の人々がゆダヤ教を信じていた記録が
ある。それは恐らくシャーマニズム、土俗宗教では満されない心の空白を満たす何かがあったからであろう。そのヨーロッパを劇的に変えたのはキリストの使徒たち、特にパウロによるキリスト教の伝道であった。初めヨーロッパ、当時のローマは激しくこの新興宗教を拒絶した。ローマは弾圧と迫害をもってキリスト教を排除しようとした。しかし、弾圧すればするほどこの教えは広まった。

使徒たちの後の指導者の事を教父と呼ぶ。その一人テルトリアヌスはこう言っている「キリスト者の血は、キリスト教の種である。それはますます増え広がるであろう」そして、わずか二○○年後、AD三○○年にはローマはキリスト教を国教として加えている。それ以後のヨーロッパはまるでキリスト教の本家本流のように振る舞い出している。