身の毛のよだつ陰謀が続々と進行

「牧師のくせに、なんでそんな事に興味を持つのか。福音(キリストの救い)だけ語っていればいいのに」何度このような言葉をかけられたことだろうか。しかし、その度に「違う、これは絶対に必要な事なのだ。知らなければならない事なのだ」と自分自身に言い聞かせてここまで来た。初めこんな大規模な陰謀を調ぺることになるとは思ってもみなかった。しかし、やがて私はゴリアテの前のダビデよりも惨めな自分に気がついた。ゴリアテは聖書に出てくるネピリム(巨人)の子孫で、身の丈ニメートル六○。たった一人でイスラェル全軍が震え上がった敵ペリシテの戦士であった。

ゴリアテはイスラエルに
向かって一騎打ちの戦いを挑んだ。しかしこの巨大な敵に対して対抗しようという勇士は一人もなかった。一人ダビデはまだ若く兵士でもなかったが、勇敢にも立ち向かい、石投げを使って、この巨人を倒した。ユダヤ人の憧れの王ダビデの若き日の武勇伝である。しかし、私はこの巨大なサタンの帝国に立ち向かうなどという思いはない。そんな事は神御自身も私に求めてはいない。ただ、火事を見つけた人間は「火事だ!火事だ!」と叫ばないだろうか。それが気がついた者の最低の義務であろう。私はただそうしているだけである。私が牧師でありながら、このような事を調ぺ始めるようになったきっかけはベトナム戦争だった。私は日本人でありベトナム戦争とは関係なかった。

しかし、私の中ではペトナム戦争は無関係ではなかった。そして、無知ゆえに我々クリスチャンですら、時には加害者となることを知った時、私は、今、世界で起こっていることを調ぺてみようと思った。
 

このままでは日本の未来は絶望的

私にとってベトナム戦争は聖戦だった。それは無神論者の共産主義から自由を守る戦いだった。だから、ベトナム戦争に反対する者は私に取ってはいまわしいやからであった。また、反戦の論調が目立つ新聞などのマスコミも腹の立つ存在だった。反戦米兵など臆病者の代表のように感じていた。しかし、戦争の間の日本の報道と、終戦後数年してアメリカからやって来るベトナム戦争の映画を見ているうちに私は自分が大変な間違いを犯していたのではないかと思い始めた。

一体、ベトナム戦争とは何だった
のか。それはインデアンを狩猟の獲物のように狩りたてる西部劇とどう違っていたのだろうか。本来だったら、民族が自分で決着をつけるべき間題に介入し、自己満足な正義を押し付けるために、言われもない憎しみを燃やし、罪もない農民を銃弾で打ち払うこの戦争は、正義の名の下に始められたのであった。そして私はその戦争に賛成していたのだ。その意味において私は加害者であった。そして恐らくほとんど全てのアメリカのクリスチャンや牧師は、私の何倍もそうであった。私は考えた。もし私がアメリカ人の牧師だったらどうだろう。私は田舎町の教会から出征して行く兵士を祝福し、神の加護を祈っ
たに違いない。そして彼等若者が、ベトナムの泥の中で、震えている農民を殺毅し、自分も泥にまみれて死んで行ったかも知れないのである。

しかし、一体アメリカのクリスチャンや牧師の内どれぐらいの人々がこの戦争を通して、加害者としての意識を感じているのだろうか。私が知る限り、一九九四年の時点でさえアメリカのクリスチャンの大部分がこのベトナム戦争を容認しているはずである。それは湾岸戦争においてもほぽ同じであった。湾岸戦争は単に石油の利権を守る戦いであり、しかも、卑劣な騎し討ちであった。あの戦争の前、アメリカのイラク大使、グラスビー女史は何度も、アメリカはイラクとクウェートの紛争には介入しないという保証を与え、それをイラクではピデオに収めている。まるでこれではフセインに戦争をけしかけているみたいではないか(それ以後彼女はどこにも出てこない)。

フセインには戦後ブッシュ大統領
の口座からスイス銀行に巨額の金が振り込まれたという情報すらある。少しは気がとがめたのだろうか。朝鮮戦争の時も同じであった。フセインの代わりに金日成が使われただけである。今、彼があの様に勝手気ままに振る舞えるのもその貸しがあるからではなかろうか。こうして、アメリカの若者たちは、自国の防衛とは関係ない戦場に駆り出され、富める少数の人々のために戦わなければならないのだ。

それは石油の利権を守るためばかりか、時には作り過ぎた兵器の償却のための戦争でさえあった。実に第二次世界大戦以来、この武器償却の期限ごとに戦争が起こっているというではないか。そして、間題はその戦争にクリスチャンや牧師が無関係ではないと言う事なのだ。アメリカの牧師にとって、大統領の祈祷会に招かれる事は最大の名誉である。彼らはそこで大統領を祝福し、次いでに戦争の勝利のために祈り、意気揚々と自分の町に凱旋するのである。